SucceedS 良馬

北海道に行くことにしたのは、ひとつの賭けだった。
駿が、本当に騎手を――競馬を――やめるのか。
それとも、再び、馬に乗ることを望むのか。
―――その答えを出せるのは、サクシードだけだ。

「青毛の仔馬だよ。サクシードにそっくりで……まるで、生まれ変わりだって、みんな驚いている……」
まあ、両親が同じなんだから、似ているのはあたりまえなんだけれどね……と、駿のお父さん、今年から調教師となった橘昇氏は電話口で照れたように笑った。
あの、夏の北海道で静かに草を食(は)んでいた牝馬エアシンディの子。サクシードの全弟。
その話を聞いたときに、牧場行きを決めた。


サクシードの像にすがり付いて泣く駿の姿に、胸が締めつけられる。
けれども、これは、駿が通らないといけない道。
(サクシード、駿に、伝えてくれ……)
心の中で呼びかける。
(お前の、想いを―――駿に―――)
お前は、駿が競馬をやめることを望んでなどいないだろう?
駿が、走り続ける限り、お前も駿と共にいる。
駿が、これから乗る馬たちが、お前の想いを継いでいく。いつまでも、いつまでも。
(だから、サクシード……たのむ……)

そして、駿が競馬の世界に戻ることは、俺にとっては、また、不安の種を蒔くことになるのだろう。
佐井をはじめとした駿の世界に生きる男たちに嫉妬し、駿の才能を眩しく感じ、そして、コンプレックスのひとつも抱き……
それでも、俺は、駿を追い求める。
(それで、いい……)
そう思った。
駿が、駿らしくあること。
それが、俺の望みだ。
手の届かないところに行っても、追いかける。
ずっと、駿を、追いかける。

ひとしきり泣いた後、泣き疲れたように駿が顔をあげた。
振り返って、俺を見る。
その無防備な顔が、愛しい。
「良馬……」
「サクシード、何て、言った?」
「えっ?」
「サクシードと、話したんだろ?」
「サクシードは……何も、言わないよ……」
どこか、夢の中にでもいるようなぼんやりとした顔で首を振る。
(サクシード……たのむ……)
「そんなはずないよ。だって……俺にだって、聴こえたんだ『お帰り、駿』って、『来てくれるの、待っていた』って」
「っ……」
小さく叫んで、駿は、その場にうずくまった。
「駿……泣いてないで……ちゃんと、サクシードと話しろよ」
残酷かもしれない。
けれども、駿は聴かないといけない。サクシードの声を。
受け取らないといけない。サクシードの想いを。
「サクシードは、ずっと待っていたんだよ」
「うっ……」
「お前に会って……『自分のせいで、競馬をやめないでくれ』って言うのを……」
「ふっ…うっ……」
「サクシードは、待ってたんだから」
「やっ……っ」
駿が、すがり付いてきた。
胸の中にその華奢な身体を抱きとめて、俺は祈った。

(サクシード、駿を助けてくれ……)

ふいに、サクシードの声がした気がした。

牧場に、馬の姿が現れた。
(あれだ……)


「エアシンディの子供、この間生まれたんだって……」
「……………………」
「サクシードの全弟だよ。あんまりそっくりで、みんな驚いたって」
「……………………」
「お父さん…橘調教師は…三年後に、騎手橘駿でダービーをとるって言っていたよ」

駿の身体が、ふらりと倒れそうになった。
その、軽すぎる身体を支えると、自分自身、止められない想いが溢れ出す。

「好きだ」

あの有馬記念の日に、告げるはずだった言葉。

「俺は、駿のことが……ずっと、好きだった。あの、弥生賞で、お前とサクシードがゴール板を駆け抜けるのを見た瞬間からずっと……」
中山の坂を駆け上がる、駿とサクシードの姿が甦る。

「愛している」





* * *

泣きながら口唇を寄せてくる駿に口づけて、その細い身体を抱きしめた。
今までの想いを全て託した口づけに、駿の舌が応える。
俺の背中に廻された手が強く握られるのを感じて、全身が熱くなった。
止められない。
舌で、両手で、全身で、駿を感じたい。
サクシードの像の足元に崩れるように座りこんで、俺たちは、いつまでも口づけていた。

「っ…はぁ……」
駿の苦しそうな吐息とともに、ゆっくりと唇が離れると、どちらのものとも分からない唾液が、駿の赤い唇の端を伝わる。それを親指で拭ってやると、駿の小さな顔が真っ赤になった。
優しくしたかったのに、貪るような、まるで獣じみたキスになってしまった。
余裕の無い自分が、急に、恥ずかしくなる。
「ごめん」
「良馬……」
駿が、もう一度抱きついてくる。
「良馬……僕も……僕も、ずっと良馬が好きだった」
「駿」
「菊花賞、勝った時、言おうって、思っていたんだよ」
俺のジャケットを握りしめて、声を震わせる。
「なのに……帰っちゃったし……」
胸の中で泣く駿が愛しくて、きつく抱きしめる。
「ごめん」
そう言うと、駿は何度も首を振った。
「良馬……」
俺の胸元で、駿が囁く。
「ありがとう……」
「駿……」
駿は、大きく息を吸って、顔を上げた。
涙でドロドロなのに、言葉を失うほど綺麗だった。
「もう一度、やれるかな……」
駿が、呟くように、それでも強い意志を秘めた声で、言う。
「僕は、もう一度、走れるかな。サクシードの想いを乗せて」

『もう一度、走って欲しい……お前は、まだ、走れる。あの、黒い馬に乗って、サクシードの想いとともに……走ることが出来る』

俺のこの言葉は、柴咲のあの言葉から得たものだ。
柴咲が俺の走りを継ぐというのなら、駿は、サクシードの走りを、サクシードの想いを継ぐことが出来るはずだと。後世の馬に伝えることが出来るはずだと――。

「良馬、僕は、もう一度走るよ」
「駿……」
「サクシードと一緒に……」


サクシードの墓は、牧場を見下ろせるところにある。
『寂しくないようにね、仲間が見えるところにしたんだよ』
昇氏は、そう言った。
彫像の足元には、プレートがあった。

エアサクシード  生涯成績 8戦5勝
菊花賞  弥生賞  セントライト記念   

そのひとつひとつのレースは、いつか忘れ去られる日がくるのだろうか。
いや、新人ジョッキーの大金星、雨の日のセントライト記念での激走、そして、最後の有馬記念まで、いつまでも語り継がれるレースに違いない。
けれども、それでも、いつかこのレースを皆が忘れてしまっても―――
サクシードの想いは、つぎの馬が受け継いでいく。

――――時代を超えて、いつまでも。








完 2002.11.14







SucceedS 駿  エピローグ

「じゃあ、そろそろ行くか。お祖父さんたちが待ってる」
僕の髪を撫でながら、良馬が微笑む。
「……うん」
本当はもっとここにいたかったけれど、心配して待っているお祖父ちゃんのことを考えて、ゆっくりと良馬から身体を離した。
(最後にもう一度、サクシードに……)
お礼を言おうと思った。
「ありがとう。サクシード」
僕は立ち上がって、サクシードの彫像の首に両腕を廻して頬ずりした。
「また来るよ、サクシード……でも、僕たちはいつも一緒にいるよね」
さっきは冷たいと感じたそれが、何故か優しく温かく感じられた。
サクシードの声が聴こえる。

振り返って右手を伸ばすと、良馬は自然にその手をとってくれた。
僕たちはまた手をつないで、ゆるい坂道を下りていった。
つい数時間前、良馬に手を引かれて登ってきたときと、あまりにも違う自分がおかしくて――幸せで――僕は、頬が緩んでしまう。

『愛している』

良馬の言葉を頭の中で繰り返し思い出して、ふわふわとした気持ちでクローバーの小道を歩いた。

車に乗って、しばらく経つと急にドキドキし始めた。
良馬とキスしたこと、だれも見ていなかったと思っても、そのあとすぐにお祖父ちゃんたちにあうのが恥ずかしい。急に、顔が熱くなってきた。
「ち、ちょっと、止めて」
僕が小さく叫んだら、良馬が慌てて、ブレーキを踏んだ。
「な、何?何か、轢きかけた?」
「あ、ううん……」
ちょっと青い顔をする良馬に、悪いことをしちゃったと思った。
「ぼ、僕の顔……変じゃないかな」
良馬は、ちょっと目を丸くして僕を見て
「綺麗だけど?」
と、笑った。
「そ……」
そんなこといわれて、ますます僕の顔は熱くなる。
「あっ…赤くなってない?」
絶対、なってる。
「そうだね」
良馬は、運転席から身体ごと僕の方を向いて両手を伸ばした。
優しく、僕の頬を包んで囁く。
「赤くなってる……でも、とても可愛くて、綺麗だ」
かっと身体が熱くなった。
火照った顔の熱を吸い取ってくれるような良馬の掌が気持ちいい。
良馬の瞳が僕を覗き込んで、僕は予感に震えた。
(キス、される?)
して欲しかった。だから、そっと目を閉じようとした時に、フロントガラスに、影が落ちた。
(ひっ!)
僕は、声にならない叫び声をあげて、助手席シートに背中でへばりついた。
良馬が慌てて、振り返る。
フロントガラスから、覗き込んでいるのは……
「や、まもと……さん?」
週刊勝鞍の記者山本さんが、いつもの、ちょっとやさぐれた風情で、コートのポケットに両手を入れて立っていた。
その後ろには、天城さん。
助手席に回って窓を叩くので、渋々ドアを開けて降りた。良馬もそれに倣う。

「どうしたんですか、こんなところで」
「どうしたはご挨拶だな。お前が退院して牧場に来るっていうから、わざわざ会いに来たんだぜ」
「あ、ああ……」
そうなんだ。でも、何でこんなところを歩いているんだ?
訊ねると、
「足代、出してもらうために、新馬の取材も兼ねている」
「やっぱり」
思ったとおりだと頷いたら、山本さんは切り返してきた。
「お前らこそ、こんなところで車止めて何やってんだよ。レンタカーだし、何者かと思ったぜ」
それまで黙っていた天城さんが、笑いながら言う。
「ヤマさんたら、絶対カーセックスだから、見に行こうって走り出しちゃって」
「なっ」
僕は、今までの数倍顔を熱くして――だから、たぶん真っ赤になって――叫んだ。
「そんなの、こんな道の真ん中でやるわけ無いじゃんっ!!」
言ってから、しまったと思った。
なぜなら『道の真ん中』じゃなければ、やるって言ってるみたいだったから。
案の定、山本さんは、唖然と僕を見た。
良馬は口許を押さえて、視線を泳がせている。
天城さんだけが、大笑いしている。

「と、にかく……お祖父ちゃんのとこ……」
行かなくちゃと、良馬の袖をひいた。
「あ、うん……」
良馬も、ちょっとだけ顔を赤くしたまま、そそくさと運転席に滑り込む。
我に返った山本さんが、早口に言う。
「あ、おいおい、俺たちも乗せてってくれよ」


「おとう、さん?」
僕は、目を疑った。
確か、春のGTシーズンの前で忙しいって言ってなかった?
「お帰りなさい、駿、なかなか着かないから、お昼、どうしようかと思っちゃった」
お母さんまで。
「なんで、みんないるの?」
僕が、呆然と呟くと
「あら、駿の退院祝いよ。ここでしようって決めたの」
お母さんは、少女のように笑った。
僕は、隣に立つ良馬の顔を見上げた。
ほんの少し申し訳なさそうに笑う良馬の顔に、
「知ってたんだ」
僕は、唇を尖らせた。

「いいから、早く座れ。お前らがなかなか来ないから、俺たちはおあずけを食らっているんだからな」
お父さんがぶすっとした顔で言う。
「もう、お父さんたら」
お母さんが笑って
「さあ、良馬くん、みなさんも座ってくださいな」
椅子を勧める。
オークの一枚板でできたかなり大きなリビングテーブルが、ご馳走で溢れている。

「シンディの子供は見たか?」
お父さんが、まだどこか不機嫌そうに訊ねてくる。
「うん……サクシードにそっくりだね」
「あいつは、俺がみることになったから……」
「うん」
「……お前が、乗るんだぞ」
「……うん」
僕が頷くと、お父さんは、もっていたビールのグラスを倒しそうになった。
「おっと」
「やだ、あなた、何」
「いや、ちょっと……」
お父さんの手が、小刻みに震えていた。
お母さんは、タオルでテーブルを拭きながら、歌うように言った。
「だから、言ったでしょう。良馬くんに任せておけば、大丈夫だって」
そして、良馬を見て笑いかける。
「ねっ」
良馬は、困ったように微笑んだ。
山本さんと天城さんは、何となく何か察したのか、黙って僕らを見ている。
「あの、青毛には、サクシードの名前をつけようと思ってるんだよ」
お祖父ちゃんが言う。
「エアサクシードの全弟だからな、何サクシードがいいだろう」
「サクシードか……」
山本さんが、口を開いた。
「いい名前ですよね。ずっと、思っていました」
ビールにひとくち口をつけて、ゆっくりと言った。

「SUCCEED――継ぐ、継承する、って意味でしょう」

お祖父ちゃんが、頷く。
僕は、胸が熱くなって、良馬を見る。
良馬は、いつもの深い色の眼差しで見返してくれた。

SUCCEED

胸の中でつぶやく。
(サクシード)


「ヤマさん、博識っぽいですね」
「俺は、英文科卒だよ」
「でも、それ記事を書くために調べたんでしたよね」
「っせえな、天城……そういや、お前まだ、俺に印税よこして無かったよな」
「何、言ってんですか?」
山本さんと天城さんのやり取りに笑いながら、僕は隣に座る良馬に、そっと指を伸ばした。
指先は、良馬の指にからめとられ、そして直ぐに離れたけれど、もう寂しくは無かった。






ここまでお読みいただいて、本当にありがとうございます。
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