第8話《学校の怪人》


「夜中の一時になると、音楽室のピアノがひとりでに鳴り始める……」
「それは、学校の怪談だろ」
眉をひそめて呟く氷川に、すかさず突っ込んでみたが、気にせず氷川は言葉を続ける。
「このところ急に三多摩地区の小学校で、怪談話がブームになっているらしい」
「今さら?」
「ほら、君の卒業した小金井第一小学校でも、こんなにたくさんの七不思議が……」
氷川は、手元の手帳を開いた。ページがぎっしり埋まっている。
それじゃ七不思議じゃないだろ。いくつあるんだ、いったい。

「北校舎三階のトイレの一番奥から二番目には、トイレの花子さんがいる」
「あったな。そういうの」
「理科室の人体模型『てつお君』は、夜中ものすごいスピードで廊下を走る」
「ああそれ、リアルに想像してチビリかけたよ。あのころ」
「職員室の前の階段は、夜中の十二時を過ぎると十三段に増える」
「って言うか、もともと十三段以上あったぜ。あそこは」
「五年四組の担任になったら、髪が薄くなる」
「……それは、俺が作ったやつだ」
このまま読ませていたらきりがないので、遮って言った。
「その怪談が、ドドルゲと何か関係があるのか?」

氷川は、手帳を閉じながら真剣な顔で応えた。
「まだ何とも言えないが……ただ、その怪談のおかげで間違いなく、小学生を持つ三多摩のご家庭はダメージを受けている」
「どんな?」
「三多摩地区では、夜中にトイレにいけなくなった小学生の夜尿症が、以前の二倍に跳ね上がっているんだ(当社比)」
「なんだよ『かっこ当社比』って」
「とにかく、この怪談の真偽を確かめないといけないな」
「嘘だろ??」
なんで、正義の味方ダロムワンが、ぬーべー先生のような真似をしないといけないんだ。
漫画がちがうぞ。
「陽、ひょっとして……怖いの?」
氷川が、少し驚いたように目を見張る。口許に笑いが覗いている。
「ふざけんなっ!」
かっとして応えた。
「俺が苦手なのは、生の魚を触ることくらいだ。いい歳して幽霊なんか怖がるか。ばか」
「じゃあ、決まりだ」
氷川は晴れ晴れと微笑むと、手帳で俺の頭を軽く叩いて言った。
「今日の夜十一時に、小金井第一小学校の校門の前」
のせられてしまったか?

* * *
俺は、幽霊なんか怖くない。魚のヌルヌルに比べたらそんなの、全然……
とは言え、夜中の小学校に忍び込むという事実が俺を緊張させる。見つかったらヤバイんじゃないのか?
「こっちだ。陽」
氷川が校門を軽く乗り越えて、手招きする。
(しょうがない。乗りかかった船ってやつだ……沈むなよ)

ほんの四年前に卒業したばかりなのに、俺の記憶の中とずい分違っている。まあ、夜だから、昼間の感じとは違うってこともあるかもしれないが。
「ここは一年生の教室だな」
「ちっちぇー。机、こんなに小さかったっけ」
ためしに座ってみたら、当たり前だが椅子も小さくて足が余る。
「陽、遊んでないで」
そう言いながらも、氷川の瞳は優しかった。
「なんか、懐かしいな」
溜め息混じりに俺が言うと、氷川がやって来て、俺の座っている机に浅く腰掛けた。
優しく見下ろしてくる。
「十年前、陽がここに座っていたんだね」
「うん」
その瞳を見上げて頷いた。
「小学一年生の陽、すごく可愛かったろうね」
「何、言ってんだ」
照れて横を向いたら、氷川の手が俺の顎にかかった。そのまま持ち上げられ、氷川の唇が降りてくる。ほんの一瞬触れただけで、すぐに離れた。
「氷川……」
「まだ、変身するわけにはいかないからね」
だったら、キスなんかするなよ。
変に、刺激されるのは嫌だ。
「陽……もう、なんて顔するんだ」
「え?」
「目で誘うなんて、どこで覚えたの?」
「なっ、誘ってなんか、ないぞ」
ふふふと笑って氷川が俺の頭を抱いた。髪に口づけながら、意味深に囁いた。
「唇にキスさえしなければいいんだよな」
「は?」
氷川の胸に顔を押し付けられた俺は、やつの言葉の意味を理解して顔に血がのぼった。
「何考えてるんだ、氷川」
「陽、思い出の母校の教室でロストバージン」
「やめろー」
俺たちの使命は、そんなことじゃなかったはず。
けれども氷川は、俺の髪に、額に、繰り返し口づけている。
と、その時、廊下から物音がした。

「何か、聞こえた」
氷川を見上げると、氷川も真面目な顔になって、肩越しに廊下を見る。
「ああ、聞こえたな」
二人して廊下に出たが、真っ暗な闇があるだけだ。
小学校のとき想像した『夜中に廊下を走る人体模型のてつお君』を思い出して、ちょっとだけ背中がぞくっとした。
氷川が振り向いて廊下の先を指刺す。
「あっちには何があるんだ?」
「理科室と音楽室」
「ホットプレイスだな。そろそろミステリーツアーに出かけるか」
「だな」
そのために来たのだ。

まずは、理科室。
氷川のつけた懐中電灯が、教室の中をぐるりと照らす。
「うおぉっ!」
いきなり、人体模型のてつお君が浮かび上がって、不覚にも驚いてしまった。
「おどかすなよ、陽。そんな大声で」
「お前こそ。何も、いきなり照らすことねえだろ、てつおを……」
皮をはがれて、筋肉や内臓をさらけ出した人形が、この闇の中で不気味じゃないわけ無いだろ。氷川はそんなてつお君をしげしげと懐中電灯で照らし出して眺めると
「ところで、何でこれ、てつお君なんだ?」
「これを購入したときの先生の一人が、異様に似てたんでその先生の名前が付いた」
「……気の毒に」
氷川は、てつお君の内臓を取り出して遊んだ後、ようやくあたりを見渡して言った。
「特に、ここには何も無いようだな」
「だったら、さっさと行こうぜ」
何故だか俺は、とても嫌なことを思い出しそうな予感がして、ここに長居をしたくなかった。
何だろう、この嫌な気持ちは……。
氷川の、懐中電灯が部屋の隅を照らして、『それ』を見つけた。
「うわぁあぁぁぁっ」
淡い光の中に浮かび上がる『それ』
水槽の中に、巨大なフナが泳いでいる。いや、夜中だからじっとしている様子がまた死んでいるように不気味だ。
(思い出した!!)
何故、今の今まで忘れていたのか?それがトラウマというものなのか?
俺が生の魚を触れなくなったのは、小学生の時、この理科室でのフナの解剖が原因だった。

トラウマに腰が抜けた。
「陽、どうしたんだ?」
「いや……」
氷川が、じっと俺を見る。俺は、情けないことに涙目だ。たぶん。
クスクス笑いながら氷川が俺を抱き起こす。
「陽、幽霊は恐くないって……」
「幽霊に驚いたんじゃねえっ」
「わかってるよ。だから、幽霊は恐くないのにフナは恐いんだなって」
「フナって言うなっ」
悪寒に背中が震える。
氷川が俺を胸に抱えて、背中をぽんぽんと叩いて言った。
「大丈夫。フナは襲ってこない」
「わかってるよ」
「僕がついている」
「わかってる」
「守ってあげる(フナからなら)」
「わかってるって……言ってるだろ」
「…………」
「…………」
俺を抱きしめたまま、氷川は動かない。
「おい、いつまでここにこうしているんだよ」
「いや、陽がこんなに可愛くて、言い成りだから、しばらくこうしていようかと……」
「ふざけんなー」

トラウマを引きずりながら、理科室を出て、音楽室に向かう。
「そろそろ『ピアノがひとりでに鳴る』という時間だな」
腕時計を見て、氷川が言う。
いつの間にそんなに時間がたったんだ。まったく。
懐中電灯が、今度は音楽室の肖像画を照らし出す。
「ベートーベン…ショパン…ヨハン・セバスチャン・バッハ…ジャン・ジャック・ルソー」
「ルソーは違うぞ」
「うん」
「それにしても、昔から思ってたんだけど、こいつら髪の手入れ大変だったろうな」
俺は、ちょうど自分の直ぐ上にあるバッハを指差して言った。
「何言ってるんだ、陽。それはカツラだよ。ヅラ」
「え?そうなの??」
俺は、その横のベートーベンを指差して訊いた。
「これも?」
「それは……地毛っぽいな……」
「このモーツアルトは?」
「カツラだろう」
「リストは?」
「地毛」
「生物の森田は?」
「ヅラだ」
「教頭は?」
「意外に地毛なんだな、あれが」
いつの間にか、ヅラ談議だ。
その時、俺は不意に視線を感じた。

「氷川……今、ベートーベンの目が動いた」
「七不思議の定番だな。いよいよ、怪談が……」
氷川の言葉に、俺は、身構えた。
すると、バッハもリストもモーツアルトも、不気味な視線を送ってくる。
「こいつら!?」
『ルゲー!』
『ルゲー!』
大音楽家達の肖像画を突き破って、ドドルゲ下っ端怪人が飛び出してきた。
どういう仕掛けか知らないが、前回登場できなかった鬱憤を晴らすかのような派手な演出だ。
「宝塚も真っ青だな」
どこか嬉しそうに、目を見開く氷川。
「宝塚が、こんな演出するかっ」
絵が回転して、後ろから登場ってのは見たことあるが……。
そんなことは、どうでもいい。
下っ端タイツ怪人に取り囲まれて、氷川が俺の腰に手を廻す。
俺の背中と腰を強く引き寄せ、氷川が覆い被さるように口づけてくる。
「んっ」
なんか、最近、以前にまして激しいぞ。変身するだけなのに、舌をこんなに絡めるなよ。
「ん……うっん……ふ」
(今日は長くないか?氷川……)
しだいに頭の芯が痺れたようになって、閉じた目の裏にもわかる激しい閃光が白く輝く。
ダロムワンになってからも、少しぼうっとしてしまっている。まずいぞ、これ。

「それにしても、俺達が変身済むまで攻撃してこないのは、何故だ」
これも、悪の組織の伝統か?正義の味方の変身中は手を出さない。
「いや、単にデバガメっているだけだろう」
『ルゲー!』
『ルゲ、ルゲー!』
変身が済んだらお約束で飛びかかってくる弱っちい怪人たちを、十把一絡げになぎ倒す。
そろそろこれも様式美の世界だ。
下っ端が、全部倒れたところでお馴染みボスキャラの登場。
『どどどどるるるぅうぅげぇぇぇえええぇぇ』
例によってピアノの後ろあたりに隠れていて、そこから登場するかと思ったら、なんと今回は、月明かりに浮かぶピアノの影がググッと伸びて盛り上がり、怪人の姿になるという、かなり凝った演出。
さっきの下っ端の登場といい、演出家が変わったな。

今回の怪人は、人型に近い。頭に今しがた話題のバッハ型のヅラを乗せている。バッハ怪人と名づけよう。
バッハ怪人が頭のてっぺんにつけたメトロノームを左右に振ると、その規則正しいリズムとともに眠気が急に襲ってきた。
「寝るな。陽!あのメトロノームを見るな」
「わかった」
怪人を見ないようにして、ダロムビームセット。
良く考えたら、良い子はもう寝る時間だ。さっさと終わらせてしまおう。
すると、バッハ怪人が、手にしていたタクトを振り上げた。
音楽室のピアノが鳴り出す。
《ポンポポ、ポンポンポンポン♪》
この音楽は!
《ポンポポ、ポンポンポンポン♪》
「腕を前から上げて、大きくのびのびと、背伸びの運動おっ」
って、俺は何を叫んでいるんだあっ!
ああっ、身体がかってにラジオ体操をっ。
「どうしたんだ、陽?」
「わからないけど。小学校の夏休み六年間にインプリンティングされてしまった身体が、この曲に反応してしまうみたいだっ」
「ばかな」
音楽室の窓に映る、ダロムワンのラジオ体操はかなり間抜けだ。
(かっちょわるー)
ようやく、終わったと思ったら、次の曲が……
《ちゃんかちゃんかちゃんかちゃんか♪ ちゃんかちゃんかちゃんかちゃんか♪》
ピアノの音とは思えない、この軽い音色。
(こっ、これはーっ)
「陽、どうした?!……徳島の人間でもないのに、何故、阿波踊りを?」
「ふっ、笑ってくれ、氷川」
阿波踊りを踊りながら、ニヒルに唇をゆがめても、カッコはつかない。
「俺は、小学校時代、『小金井阿波踊り祭り』の常連だったんだぜ」

永遠に続きそうな阿波踊りが終わった。俺の心は赤い靴だ。
そして、次の曲が始まる。
《パラパンポンポン♪ パラパンポンポン♪》
この曲に、俺は、刷り込みは無いぞ。
なのに、俺の身体がかってにピアノの鍵盤の上に!!
ダロムワンが、ピアノの鍵盤を足の指(あるのか?)で叩いて、曲を奏でる。
『猫踏んじゃった』

「なんだよこれぇー」
「すまない、陽。これは僕のインプリンティングかもしれない」
氷川が呟く。
何なんだいったい!
鍵盤の上でステップ踏むダロムワンは、ラジオ体操よりも阿波踊りよりも間抜けだ。
「そうだ、陽」
「なんだよっ」
「このまま、ピアノを蹴って壊してしまえ」
「なんだって?」
「だから、脚に思いっきり力をこめて鍵盤ごと叩き壊せ」
簡単に言うなよ。いつものことだけど。
「……わかった。やってみる」
こんな、とほほな恥ずかしい姿は、もう終わりにしたい。
「ダローム、キイ―――――ック」
猫踏んじゃったの『踏んじゃ、踏んじゃ、踏んじゃった』の最後の『た』に力を込めて思いっきり蹴りつけると、ピアノが二つに割れた。
ピアノの音色が止んで、俺の身体が自由になる。
バッハ怪人が慌てたように、後退った。
「よくも、こっ恥ずかしい真似させてくれたなっ」
怒りに燃えた俺は、間髪いれず身構えて叫ぶ。
「行くぞ氷川っ」
「ああ」
「必殺のダロムビィ―――――――――ム」
バッハ怪人は、一瞬で灰になった。

* * *
翌日、俺は寝坊した。
一時間目は以前から言われていた英語のテストだった。
「大地、来週追試の奴と一緒に受けろよ」
担任の無慈悲な言葉。当たり前だけどな。
氷川は、ちゃっかり出て、しかも結果に自信ありげだ。
「スピードラーニングのおかげだな」
「ふざけろ」

放課後、小学校の同級生だった児島が夕刊を持ってやってきた。
「おい、大地。見ろよ」
「は?」
「小金井一小、えらいことになってるぞ」
記事にはこう見出しがついていた。
『小学校で悪質ないたずら。音楽室崩壊。犯罪の可能性も』
「氷川……」
俺の隣で、無表情に記事を覗き込む奴に向かって、俺は小さく囁いた。
「俺達、ほんとに正義の味方だよな」
奴は、全く悪びれず、見惚れるほどの笑顔で応えた。
「あたりまえだろ」





HOME

小説TOP

NEXT