第7話《水底の怪人 後編》 「陽、あそこだ」 氷川の指差す方を見ると、ダムの底からゴボゴボと泡が吹き出していた。その泡の中から時折、死んだ魚が腹を見せてプカリと浮かび上がってくる。 ううっ、気持ち悪い。 「何か、見える」 俺は、何も見たくない。 「陽、見てみろ、影が!」 肩を掴まれていやいや見ると、確かにダムの水面を黒く染める影が右に左に凄い速さで移動して、俺たちが見ている目の前で…… 《ザバーン》 ……と跳ねた。何がって、いや、なんだったんだアレは?アレはまさか魚じゃないよな? あんな巨大な、あんなグロテスクな、あんな、あんな…… 「魚じゃねえよなあ?」 俺ははっきり泣き声になっていた。 「ああ、魚じゃない」 「ありがとう、氷川!」 俺は、自分の目の幅と同じ幅の涙を垂直に流して、拳を握った。 「……ドドルゲの怪人だ」 「帰らせてもらうぜ」 俺が踵を返すのと、氷川が俺の腕をとるのが同時だった。 「やめろ、氷川っ、俺には無理だっ」 氷川の腕から逃れようとじたばたすると、氷川もムキになって俺を押さえつける。 「僕たちがやらずに誰がやるんだ!」 「あんなの触れねえよ。見るのもダメ」 「正義の味方が何を言う!」 「降りる、降ろしてくれ、正義の味方」 氷川が無理やり俺に口づけようとするのを、必死になって顔を背け、耳やうなじで受け止める。自分の口の前に手をかざして、奴の唇を手のひらで受けていると、下から視線を感じた。 「お兄ちゃん?」 武志が、俺と氷川を見上げている。来てしまったのか、ここに。 「武志君」 俺の顔に血がのぼった。 「ほら見ろ、氷川っ、いたいけな子供の前で、いやらしいことすんじゃねえーっ」 「正義の味方の変身合体のどこがいやらしいんだ」 再度、二人でもみ合うと、突然武志が叫んだ。 「お兄ちゃんから手を離せっ!」 「てっ、いたたっ、たっ」 武志が、氷川の長い髪を引っ張っている。かなり思いっきり。子供は容赦が無い。 「変態っ、お兄ちゃんから離れるんだ!」 「へんたい?たっ、痛いから引っ張らないで」 氷川が、髪を押さえて俺から離れた。 (チャンス) サンキュー、武志! 変態呼ばわりされた氷川には気の毒だが、俺は魚とがっぷり四つに組み合う気はさらさら無いんだよ。 俺は後ろも見ずに、山の方に駆け出した。 林の中を駆け上ると、後ろの方で音がする。チラリと振り向いて見た。 (げっ!) 氷川が俺を追いかけてくる。 嘘だろ、早すぎ。 俺は必死になって逃げた。木の枝が顔や腕を擦るが、構ってられない。氷川の気配がだんだん近づくのがわかる。 氷川の腕が俺の左手を掠めた。 「やっ……」 振り払って、大木を掴んで一回転すると、逆方向に走った。下りのほうが楽かと思ったが、走りづらくて転んでしまった。 転んで見上げた先に、氷川の顔があった。 「手間ぁ、かけさせやがって」 息を切らした氷川が髪をかきあげつつ、普段に無い、やくざな言葉をかけてくる。 「やめ……」 気分は、犯されかけた町娘だ。 氷川が、俺の手を取って立たせようとした隙に、悪いと思ったが、そのまま腕を引いて氷川を地面に倒して、もう一度逃げることを試みた。が、すぐに腕をとられて、振り払おうとしたら二人してバランスを崩してごろごろと斜面を転がってしまった。 俺の身体の上に、氷川が乗っている。氷川の綺麗な顔が目の前にあって、俺を見つめる。 「陽、ひょっとして、僕を誘ってる?」 俺は観念して、目を閉じた。 ダロムワンになった俺たちは、ダムに戻った。 さっきのグロテスクな魚は、居なくなっていてはくれなかった。 『どどどどぉおるるるぅげげげぇぇぇえ』 魚のくせにしゃべるなよ。と言いたくなるくらい、その怪人は魚だった。 最初に見たドドルゲのボス怪人は半漁人だった。気持ち悪かったが、今思うとまだ半分人間だった。この怪人は魚怪人だ。マグロの表面を深海魚のようにグロテスクにした大きさと形。長い鰭の先に指らしいものがついていて、足だけは小さい人間らしいのが尾鰭に近いところからニョキリと生えている。 ああ、俺はおたまじゃくしの後足だけ生えているのも嫌いだったなあ。 おたまじゃくしと言えば、小学校二年生の時、理科で使うからって皆で川に採りに行ってビニール袋に入れてたのを、その後かくれんぼとか缶蹴りとかしているうちにすっかり忘れて、ビニールからいつの間にか水が洩れてて、夕方帰る時には干上がってて、黒いドロドロしたおたまじゃくしの死骸を泣きながら見つめたよなあ。 「陽、現実逃避しない」 「はい」 * * * 魚怪人の武器は水だ。水鉄砲のように口から吹き出すそれが当たるとかなり痛い。しかも、生臭い。それだけで、俺のHPは大ダメージを受ける。 魚怪人は水の中をすばやく泳ぎ、跳ね上がっては、その瞬間に水攻撃を仕掛けてくる。 ダロムワンは水の中ではダロムビームが使えない。狙うとしたら、奴が跳ね上がって水の上に出たときだけだ。 「ダロムビーム使っていいか?」 接近戦が無理なら、これに頼るしかない。 「いいが、ワンチャンスだぞ」 「ああ」 「陽、さっきから、アイツが跳ね上がっているポイントを見ると一定の法則があるようだ」 「え?」 「あそこと、あそこと、あそこ、そしてすぐ近くのそこ。この四ヶ所が、アイツが水の上に出て攻撃してくる場所だ。その順番にも、一定の法則がある。およそ十秒に一度の間隔で、魚怪人は四つのポイントを右回り二回と左回り一回で順番に跳ね上がっている」 さすが、氷川、頭脳労働担当。俺がやられている間にも、冷静に分析してくれていたのか。 「わかった」 じゃあ、次はあそこだな。 「ダロムビームを使うのは、一番近くに来た時がいい。そこのポイントだ」 「よし」 俺は、胸のボタンを囲むように両手を構えた。 「いくぞ」 頭の中で、カウントする。つぎに、跳ね上がったときだ。 「必殺の!」 「ダロムビィ―――――――ム」 一番遠いところで怪人が跳ねた。 違うじゃーん。 「……計算が、狂ってしまった」 どんな計算だよっ。 「頭脳労働担当はお前なんだからなっ。しっかりしてくれよ」 「いや、直前までさっきの法則で合っていたんだが」 「ひょっとして、もうダロムビーム使えないのか?」 「うん」 「ひーかーわー」 「こうなったら、最後の手段だ」 「何かあるのか?!」 「接近戦」 ダロムワンの姿で、俺はがっくり膝をついた。味方からの攻撃によりHPゼロ。 「とにかく、攻撃は口からだけなんだから、後ろから捕まえるんだ。そして、陸に上げてしまえ」 「簡単に言うなっ」 魚嫌いを別にしたって、あれだけすばやく動く魚怪人を捕まえるのは、並大抵の事じゃない。ダムの中に入って泳ぎながら、影を探した。 《ザバーン!》 突然、後ろで跳ねた。 (ひいっっ) どうも魚怪人は俺を甘く見たらしく、自分から突っ込んでくる。 尖った口が俺の身体を突っつく。 二度も、三度も。 これじゃ甘く見られても仕方ない。鴨川シーワールドの『アシカショー』のビーチボールになった気分だ。 「陽、次にアイツが突っ込んできた時に、しがみ付け」 「ええっ?」 「真っ直ぐ突っ込んでくるから、そのまま向かって背中にしがみ付くんだ。キャッチだ!キャッチ!」 「そんな……」 「やるんだ!」 ええい、もうヤケクソだ。 魚怪人の正面顔の不気味さに慄きながら、俺は身構えた。 真っ直ぐ突っ込んでくる、魚怪人を…… 「キャ――――――ッチ!!」 「よし!」 「アンド、リリ―――――――ス」 「って、リリースしてどうするっ」 「だって、やっぱり気持ち悪いんだようっ」 一瞬しがみ付いた胸が、生臭くヌラヌラしている。泣きたい。 「もう一度だ。陽」 氷川、サド。 「キャ――――――ッチ!」 もう一度、背中にしがみ付いた。氷川が怒るから、手が離せない。これをどうやって陸に上げるんだ。 「とにかく、締め付けて弱らせろ」 氷川の言葉に返事もできず、必死になって魚怪人のヌメヌメした身体を締め付けた。生臭さに、気が遠くなりそうだ。 気持ちが、悪い。気持ち、わる…… 「陽?」 氷川の声が耳元でする。だんだん小さくなる。 「陽っ!しっかりしろっ、しっかり……」 「しっかりしろ、陽っ!」 氷川の声で目を覚ましたら、奴の膝の上だった。 「大丈夫か?陽」 俺を抱いている氷川が、心配そうに覗き込んでいるのがぼんやり見える。 「あれ、俺……?」 俺の目がはっきりと開いて焦点を結ぶと、氷川は見る間にホッとした顔になった。 「氷川……そうだ怪人は?」 「それが……僕も、たった今、気がついたんだ」 「どうやって、俺たち陸に上がったんだ?」 「それは、たぶん……不本意ながら、あいつの力だ」 視線の先に、お空の星になったはずの西条の姿があった。その横では武志が火に枯れ枝をくべている。何か作っているのか。 俺が身体を起こすと、西条も気がついてこっちにやって来た。 「気がついたかい?ダムの底にゆらゆらと沈みかけている君達を救ったのは、何を隠そうこの私だ。感謝してくれてかまわないよ」 「そりゃ、どうも」 「お兄ちゃん、大丈夫?」 武志もパタパタとやって来た。 「ああ、心配かけてごめんな」 「体力を消耗したようだから、私が良いものを作っておいてあげたよ」 西条が、カレーライスを持ってきた。 カレーは俺の大好物だ。 「ご飯とか、カレー粉とかはどうしたんだ?」 素朴な疑問を口に出すと、西条は得意げに笑った。 「こんなこともあろうかと、キャンプグッズは取り揃えてきたのだ。ラジオ付き懐中電灯と花火もあるぞ」 「はあ」 匂いにつられて、一口食べてみた。 「えええっ?!」 俺は叫んだ。 「どうした?陽」 氷川が慌てる。 「美味い。西条なのに」 「そういう誉められかたは嬉しくないぞ」 西条がムッとする。 「でも、マジ美味い。これ鶏肉?」 「いや」 マジ誉められた西条が、嬉しそうにニッコリ微笑んで言った。 「君達が、気を失ってまで捕まえていた巨大マグロ」 「おえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ」 |
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