第3話《さらわれた花嫁 前編》 「陽(あきら)……」 放課後の屋上で、涼がそっと囁く。 先週の日曜に、氷川、じゃなくて涼から告(コク)られてしまって、よくわからないまま恋人同士になってしまった俺達は、今、お互いを下の名前で呼ぶ練習をしている。 「り、涼」 俺が拳を握り締めて答えると、氷川は長い髪をかきあげながら大きく溜め息をついた。 「カタイな」 俺の顔に血が上る。 「しょうがねぇだろ。いいじゃねぇか、今までどおり氷川でっ」 「僕としては、陽に『涼』って呼んで欲しいんだけど」 「そのうちな」 横を向いてぶっきらぼうに言ったら、氷川の手が俺の頬に伸びてきた。 俺の顔を両手で包んで自分の方に向け、氷川が微笑む。 「じゃ、もう一つのほうの練習」 俺の顔はますます血が上って、たぶん首まで真っ赤だ。 氷川の唇が俺の唇に重なる。 「んっ」 これは、何の練習かというと、キスしても変身しない練習。 「陽、愛してる」 唇を重ねたまま、氷川が囁く。俺の頭は、痺れたようにぼうっとする。 息が苦しくて、喉を仰け反らせると、氷川はより深く舌を差し込んできて、俺の舌を攫う。 唾液が唇の端から伝うのがわかった。 「ん…っん……ふっ……」 (涼……) 頭の中でなら、素直に呼べる。 俺は次第に体の力が抜けて、気がつくと氷川の学生服にしがみついていた。 瞬間、眩しい閃光があたりを照らす。 「あ、すまない。陽」 俺達はダロムワンになっていた。 「ひーかーわー」 敵もいないうちから、こんなに簡単に変身していいのか!正義の味方が。 「だって、陽があんまり可愛いから」 そういって、俺の文句を遮った氷川は、 「早いところ、セックスと合体を切り離して考えられるようにしないといけないな。このままじゃ、いつまでも本番に行けない」 そう言って、ますます俺を赤面させた。が、正義の味方ダロムワンの顔は銀色のままだろう……たぶん……そうであって欲しい。 * * * 今日の三、四限目の授業は生活科、いわゆる昔の技術家庭科だ。今では将来の単身赴任準備か、一生独身の場合に備えてだか知らないが、男子生徒も女子と一緒に調理実習をしたりする。 「おい、生活の先生変わったらしいぞ」 クラスメイトの山田が言うと、皆が騒いだ。 「え?ミドリ先生、どうしたんだ?」 「なんでも、産休だそうだ」 「って、いつのまに?」 「いつの間にやってたんだ?!」 「じゃなくて、妊娠なんかしてたかよ?」 「いやあねえ、男子って」 生活科のミドリ先生は年齢の割にブリッコ(死語)したところがあって一部の男子生徒に人気があった。逆にいえば、女子からは嫌われていた。 「じゃ、新しい先生が来るのか」 「美人だといいな」 「おおっ、期待に胸と股間が膨らむな」 「ほんっと、いやねっ、男子って」 クラスの騒ぎをよそに、氷川は今日の実習で使う包丁を黙々と研いでいた。 そして、産休代用教師は、皆の期待通りの美人だった。 「初めまして。ジョージ・ウッド・西条です。よろしく」 男だったけど。 氷川が転校してきたときにもクラスの女子から溜め息が洩れたが、この先生にも女子の熱い視線が集中した。当然の事ながら期待に色々と膨らませていた男子はがっくりしている。 「先生、ハーフなんですか?」 「母親がイギリス人だ」 そう答えながら西条先生は、何故か俺の顔をチラリと見た、ような気がした。 (なんだ?) 俺が、またもや変な予感に小首を傾げると、隣で包丁を研いでいた氷川が、それをキラリと目の前にかざして囁いた。 「そんなに簡単に可愛い顔を披露するんじゃないよ」 何、言ってるんだか。 「その後でさっきの混ぜ合わせた調味料を加えるんだ」 西条先生の指導のもと、調理実習は斎整と進んだ。氷川は思いのほか器用に何でもこなしていく。俺といえば、ジャガイモの皮と実をほとんど半分づつにしていた。 「それじゃ、食べるところが無いぞ」 「うるせえ、皮には毒があるから、厚く剥いたほうがいいんだよ」 俺達の会話を聞いたらしい先生が、後ろから覗き込んできた。 「確かにそうだけど、やっぱり厚く剥き過ぎだね」 そう言うと、俺の背中から両手を伸ばして、俺の手ごとジャガイモと包丁を掴んだ。 「ほら、こうするんだよ」 驚く間もなく、俺は先生の胸の中で一緒にジャガイモを剥いている。 「やーん」 「うらやましい−」 クラスの女子の視線が俺達に集まった。 ちょっと、待て。羨ましがられることは、何も無いぞ。 突然、氷川が俺の持っていた(というか先生も一緒に持っていた)包丁を掴むと、取り上げながら言った。 「危ないでしょう。教師がそんな教え方して」 綺麗な顔が不愉快そうに顰められている。西条先生と氷川の間に、一瞬火花が散ったように見えた。 「私の母も、こうやって教えてくれたものだ」 そう言うと、西条先生は俺に向かって微笑んだ。 「今の感覚で、もう二、三個剥いてごらん。上手くなるから」 「はあ」 正直、氷川のこんな視線に晒されてまで、ジャガイモの皮剥きを上達したいとは思わなかった。ジャガイモももう残ってない。 「いっただきまーす」 出来上がった料理を前に、全員で合掌。 思いっきり口に入れて、次の瞬間吐き出したい衝動に駆られた。 (ゲロまずー) クラスのほとんどが、同じ思いに机に突っ伏している。 西条先生だけが、ニコニコと美味しそうに食べていた。 しまった!奴はイギリス人から料理を習った男だった。 調理実習の終った昼休み。クラス全員が身体の調子が悪いのを訴えた。 (まさか、集団食中毒?) ただのゲロまず料理のせいだとは思えない。 氷川を見ると、氷川も俺を見ていた。目で合図されて、俺達はそっと教室を出た。 「奴は、ドドルゲだ」 人目につかない校舎の陰で氷川が厳しい顔で言う。 「は?」 「西条だよ。ジョージ・ウッド・西条」 「何で?」 また、ダロムの声か? (でも、氷川は前回、西国分寺ではずしているから、今ひとつ信憑性に欠ける) 氷川は、拾った枝で地面にアルファベットを書きながら言った。 「名前がアナグラムになっている。George udの文字を入れ替えたらドドルゲだ」 「なんと!」 「ガッチャマンで、ベルクカッッエが人間の姿で現れた際、カッッエンベルクと名のったのと同じだな」 いや、同じじゃないだろ。 「あれ?待てよ。氷川」 俺は、アルファベットを並べ替えて思った。 「どう並べ替えても、ドドルゲにはならねえぞ。ドルゲゲだ」 「…………」 俺達はしゃがんで氷川が地面に書いたアルファベットをじっと見ていた。 氷川がおもむろに言った。 「ひょっとして、悪の組織『ドドルゲ』じゃなくて『ドルゲゲ』が正しかったのかも」 「って、そっち変えるんかい!」 「ともかく、今回の調理実習の食中毒もどきはドドルゲの仕業だ」 気を取り直した氷川が言う。 「あいつらの伝統『幼稚園バス襲撃』の次の次くらいに好きな『学校給食に謎の薬を入れて全校生徒が動物に変身』に近いものを感じる」 「え?じゃあ、俺達、なんか変身してしまうのか?」 俺は今のところ、ダロムワンだけでいっぱいいっぱいだ。 っていうか、それよりクラスの奴らはどうなるんだ。 「いや、それはまだわからないが」 いつわかるんだよ! 「とにかく、あの西条には気をつけろ」 いろんな意味でな、と氷川はつぶやいた。 教室に戻って、俺は自分の目を疑った。 クラスには、山田がひとり呆然と佇んでいるだけで、周りには何十匹という柴犬の子どもが走り回っていた。 (か、かわいいっ!) けど、何なんだ?これは。 「山田、どうしたんだ。これ」 「わ、わかんねぇよ。さっきいきなり気がついたら、みんな犬になってたんだよ」 「えええっ」 氷川の予言どおりか?『謎のクスリで動物に変身』? ざっと数えると、確かに子犬はクラスの人数引く三人(俺、氷川、山田)の三十九匹いるようだった。 「山田君、君はさっきの実習の料理に、口をつけなかったんだね」 氷川が訊ねる。 「ああ。なんか、味見する気になれなくて」 「なるほど。同じく、食べたふりで誤魔化した僕が変身しないのは良いとして……」 そうだったのか、氷川。俺はその隣で、思いっきり喰ったぞ。 (あれ?じゃあ、何で俺は?) 俺と氷川が目を合わせたとき、後ろから声がした。 「おや、大地君だけだと思ったのに、余計なのが二人も居るじゃないか」 振り向こうとした瞬間、俺の身体は宙を浮いて、西条の腕の中に収まっていた。 何か、目に見えない網のようなものに捉えられて引っ張られたように。 「陽っ!」 氷川が叫ぶ。 「動くな」 西条が俺の喉に何か冷たいものを突きつけている。俺には見えないが、氷川の表情からするとヤバイものなんだろう。 「花嫁はいただいて行くよ。これで、もうお前はダロムワンになれない」 西条が、氷川に向かって言う。 ちょっと待て、花嫁って俺か?ふざけんな!! 「なぜ、知った?」 氷川が険しい顔で唸るように言うと。西条は妖しげに笑った。 「屋上のラブシーンを偶然見てしまってね」 あれかぁああっ!! だから、俺は嫌だったんだぁっ。 氷川も一瞬だけ気まずそうに俺を見た。 山田は話についていけず、へたり込んで俺と西条を見上げている。 へたり込んだ山田の周りを、駆け回る三十九匹の柴犬の子ども達。中には、山田の膝によじのぼってくるのもいたりして。こんな場合なのに、とてもメルヘンな図柄だ。 「さあ、大地陽、私と一緒に行こう」 西条はそう言うと、俺を横抱きにかかえて、教室を飛び出した。 入れ違いに、タイツ下っ端怪人がどやどやと入り込んでくる。 『ルゲールゲルゲー』 「氷川っ!」 「陽っ!」 俺が最後に見たのは、下っ端怪人どもに取り囲まれた氷川の顔。俺のことを心配して歪められた、それでもとても綺麗な、俺だけを真っ直ぐ見つめる…… 「ひかわ――――――――っ」 つづく |
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