第2話《ダロムの声》


「なあ、氷川」
「なんだ?」
罰当番のトイレ掃除をしながら、ふと思いついて尋ねてみたくなった。
トイレ掃除なのに妙に楽しそうな氷川の、整いすぎた顔にうっかり見惚れながら。
「お前は前から、ダロムの声を聴いていたって言ったよな」
「それが?」
「俺も、お前と同じダロムの戦士、っていうかダロムワンの一人なのに、どうして俺は今まで、一度もそんな声を聴いた事が無いんだろ?」
モップの柄に顎をのせて尋ねる俺の、おそらく相当間抜けに違いない顔を、氷川はたっぷり十秒は見つめて、そして応えた。
「さあね」
「さあね、ってそれだけかい!」
「だって。じゃあ何て言って欲しかったんだ?」
「それは……」
俺が口ごもると、氷川は微笑んで
「いいじゃないか。君がダロムの戦士なのはこの間の戦いで証明されたんだし。声なんてそのうち聴きたくなくても聴こえてくる。かもよ」
「そうかな」
かもよ、が怪しい。
「なんなら同時通訳で囁いてやろうか、耳元で」
「結構」


* * *


『マンションの屋上から植木鉢。小三男児死亡』

新聞の社会面を見て、氷川がうなる。
「ドドルゲの仕業だな」
「えええっ?!」
叫んだ拍子に、俺はほおばってたトーストの屑を飛ばした。
氷川はテーブルに拡げていた新聞を素早く持ち上げて、その屑が自分にかかるのを防いだ。
なんで、マンションの屋上から植木鉢が落ちてきて、真下を歩いていた小学生が亡くなったという、たかだか六センチ四方のベタ記事だけでドドルゲの仕業とわかるんだ?
それなら、その隣の『自宅マンションで男変死。頭に殴られた痕』とか『院内感染二人死亡。群馬の病院で』なんかの記事はどう違うんだ?
俺の気持ちを察したらしい氷川は、新聞を元に戻し、優雅な手つきでコーヒーを飲みながら言った。
「僕にはわかるんだよ」
はあ、そうですか。
氷川がコーヒーをググッと飲みきって言った。
「よし。今日の正義の味方は、高層マンションを要チェックだな」

今日は日曜日で、俺は氷川が一人暮らしをしている三鷹のマンションに遊びに来ていた。というより、正義の味方として休日をどう過ごすべきかをご指導いただいている。
氷川の家には筋トレマシーンもあると言うので、それで体力をつけるっていうのも一案だった。何しろ俺は肉体労働担当だ。
頭脳労働担当と自分で言う氷川はそれらしく新聞なんか読みながら、遅い朝食を食べていて、俺がそのご相伴に与っていたところで今の話となったのだ。
「高層マンションって、都内だけでもどれだけあると思ってんだよ」
俺が呆れたように言うと、氷川は口の端で笑って俺の顔に指を伸ばした。俺の顔についていたらしいパン屑をとりながら言った。
「だから、僕には何となくわかるんだよ」
「それも、ダロムの声なのか?」
「そうだ。僕の中のダロムの声は、西国分寺あたりが怪しいと言っている」
俺はお前が怪しい。

「なんか、地味な活動だな」
氷川の部屋を出て、エレベーターに乗りながら俺が呟くと、氷川はポケットに手を突っ込んで、背中を丸めて言った。
「捜査は足で稼ぐんだよ。カメさん」
だれだよ、それ。
マンションを出て二、三歩も歩かないうちに
《ゴツッ》
妙な音がした。
「氷川?!」
振り向くと、氷川がうつ伏せに地面に倒れ、その横に植木鉢のかけらが散乱している。
って、お前がいきなりやられてどうするよっ!
「おい、氷川、しっかりしろ」
抱き起こすが、気を失っているようだ。
てめえ、怪しいのは西国分寺じゃなかったのかよ。
『ルゲー、ルゲー』
『ルゲルゲー』
すでにお馴染みの叫び声がする。辺りに誰もいないのは、異空間になってしまったからだ。
(まずい)
タイツ下っ端怪人は、ダロムワンのときは相手にならないくらい弱っちい野郎どもだが、生身の人間で戦うには手ごわい相手だ。
『ルゲ、ルゲ、ルゲー』
『ルゲルゲー』
怪人たちが続々現れる。
(ダロムワンに変身しなければ……)
俺は、氷川を膝に抱えて、ちょっとばかり躊躇はしたが、思いっきり口づけた。

――――変わらない――――

俺は変身しなかった。
何でだ?
やっぱり氷川が気を失っているからか?
でも、このままじゃやられてしまう。
俺はやけくそになって氷川に口づける。
(こうなったら舌もいれてやる)
繰り返し、執拗に氷川にキスしながら、ふと、いつまでも怪人が襲って来ないことに気づいた。
顔を上げると、タイツ怪人たちが輪になって俺と氷川のキスシーンをデバガメしていた。
「てめぇら!見世モンじゃねぇーっ」

その俺の怒鳴り声が効いたのか、膝の上の氷川が小さくうめいた。
長い睫毛が震えて、ゆっくりと目を開く。
「氷川!」
氷川は、俺をぼうっと見上げた。
「………ここはどこ?私はだれ?」
何ぃっ!まさか、記憶喪失?!
「ここはお前んちのマンションの前だよ!お前は氷川だろ!」
俺が、青くなって答えると
「知ってる」
氷川は長い髪をかきあげながら、ムクリと起き上がった。
冗談やってる場合か!
怒りと焦りで憤死しそうになって口をパクパクしている俺と、周りの怪人どもを交互に見て、氷川は言った。
「待たせて、悪かったな」

氷川の唇が俺の唇に重なって、眩しい光が二人を包む。身体が熱くなって……
「ダロムワン検算!」
検算してどうする。見参だ。ラジオドラマなら、わからないギャグだ。
ともかく、今度こそ変身できた。
「大丈夫か?氷川」
「ああ、ちょっと後頭部がズキズキするが」
言われてみると、俺も痛い気がする。二人で一つのダロロームだからだろうか。
「ほっとくとコブになりそうだから、さっさと片付けるぞ」
「おう!」
ザコ怪人どもをビシビシやっつけるとお約束のボスキャラが出てきた。
『どどどどどるぅげげぇぇぇぇえ』
前回の半漁人タイプとはちがって、今回のは、どっちかというと植物系。お肌にやさしいマイルドタイプだ。大木のような身体に太い根っこのような手足が何本もついている。
「ラッキー!ヌメヌメテロテロの両生類タイプじゃねえぜ」
俺が勇んで、跳びかかると、根っこが俺に纏わり付いた。
ひょえ――――っ。ヌメヌメテロテロ……俺は慌てて跳び退る。
「バカ、見た目で判断するな」
氷川が呆れたように言う。
「じゃ、そういうことで必殺技ヨロシク」
俺はさっさと胸のボタンを構える。
「そうだな。僕の頭のコブのこともあるし、ちょっと早いけど」
放送時間が決まっているわけじゃなし。早いにこしたことはない。
「いくぞ」
「必殺の!」
声を合わせて叫ぶ。
「ダロムビ―――――ム」
さすがに、植物系怪人らしく、景気良くしゅぼっと燃え上がり、一瞬の後に灰になった。

* * *
マンションに戻って氷川の後頭部に濡れタオルをあてる。
「うわー、すげえコブ」
「おそかったか」
「でも、コブくらいですんでよかったじゃねえか」
なにしろ小三男児は死んじゃったんだからな。
「まあね」

「でもさ、やっぱり合体変身って、どっちかの意識が無いとダメなんだな」
俺は、さっきの事を思い出してポツリと言った。
氷川は後頭部の濡れタオルをおさえたまま、俺の顔をじっと見て、ちょっと言いづらそうに咳払いをした。
「なに?」
「いや、こういう事になったんで、この際言っておくよ、大地」
「何を?」
「はっきり言うと、『僕の』意識が無いとダメなんだ」
「は?」
「この『僕が』合体変身するって考えないと、ダロムワンにはなれないんだよ」
一瞬、氷川の言葉の意味がわからず、俺は呆然と奴を見つめた。
氷川が、申し訳無さそうに見つめ返す。
「それって、どういうことだよ」
何故だか悔しくて唇が震える。
「俺の意思じゃ、変身できないってことか?」
氷川は、黙ったままだった。俺を見つめる色素の薄い瞳が翳りを帯びる。
俺は、衝動的に氷川に口づけた。俺より頭半分背の高い氷川の襟を掴んで、噛み付くように。氷川の綺麗な顔が目の前にある。
――――変身は、しなかった。
氷川が突然俺の背中に腕を廻して抱きしめてきた。
「大地」
俺の髪に顔を埋めて、氷川が言う。
「すまない。ダロムの声が聴こえないのも、君が本当は普通の高校生だからだ」
「氷川?」
俺が最初にそう言ったとき、お前、否定したじゃねえか。
「一目惚れなんだ」
「は?」
「僕は、僕と一緒に戦ってくれる半身を探して、ずっと旅していた。都内だけどね」
「はあ」
「そして、君を見て感じたんだ。君しかいないと」
「…………」
「君がダロムの戦士だと言ったのは、そうでも言えば、運命だと思って受け入れてくれるんじゃないかと思ったんだよ」
ちょっと、待て。
「おい、氷川。ってことは、別に俺じゃなくても、お前が別の奴を選んでいたら、そいつがダロムワンになったってことか」
「別の奴なんか選ぶものか」
「そういう意味じゃなくて!」つい、きつい口調になった。
「俺は、お前に会わなきゃ、ダロムワンに変身することは一生無かったって事だよな」
「……うん」
しぶしぶ答えた氷川の言葉に、よくわからないが、無性に腹が立った。俺は自分がダロムの戦士だと信じて、それこそあの日運命を受け入れたんだ。それが、それが―――――。
気がつくと、俺はボロボロ泣いていた。自分でも理由の付けようの無い涙が、ボロボロボロボロと頬を伝う。嗚咽はあげたくないから唇をギュッとかみしめた。
(俺は、ダロムの戦士じゃなかった。俺にはダロムの声は聴こえない……)
「大地」
慌てたように、氷川が俺の顔を覗き込む。
泣き顔を見られるのが悔しくて下を向いたら。そのまま氷川の肩口に額を押し付けられた。
「泣かないでくれ、大地。君のそんな顔を見ると後頭部よりもずっと胸が痛む」
お前の後頭部など知ったことか。
「大地、君が好きなんだ」
ふざけるな。
「君に僕のパートナーになってもらいたかった」
かってなこというな。
「大地、君を、愛している」
かってなこと―――。
我慢していた嗚咽が、喉から洩れた。
俺は、いつのまにか氷川の背中に腕を廻して、そのシャツを握り締めていた。
涙に霞む目でそっと氷川を見上げると、自分も酷く傷ついたような氷川の瞳が覗き込む。
「氷川……」
「大地」
氷川の唇が、ゆっくりと降りてきて、俺の唇をしっとりと押し包む。

次の瞬間。眩しい光が二人を包んで―――――――――

「氷川、お前……」
ダロムワンになった俺は、呆然と頭の中でつぶやく。
氷川は照れくさそうに
「うん。『合体したい』って思った」                
ちゃんちゃん




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