《愛と試練のリクルート面接》





「じゃ、最後に言い残した事があったらどうぞ」
「はい、わたくしは現在も続けているアルバイトを通して……」
(それって、履歴書に書いてあっダロ)
藤田弘樹は眉間にしわを寄せると、まるくなった鉛筆の先で面接結果表総合判断欄のCにぐりぐりと印をつけた。
南麻布にある自社ビルの最上階。長々と続く学生の言葉を聞き流しながら、窓の外の東京タワーを眺める。
(なんで、俺がこんなとこで面接官やってなきゃなんないんだ)

「お疲れ様」
昼休み。人事部採用室の机で用意された弁当を平らげた藤田の前に、柔らかい声とともにコーヒーが差し出された。藤田の同期、人事部の渡来和実(わたらい かずみ)。男の癖に線の細い女顔はいかにも文化系といった雰囲気で、スポーツマンタイプの藤田とは対象的だ。
「藤田、お前、面接時間短すぎ。三次面なんだから、せめて二十分は持たせてくれないと」
「バカ言え。履歴書読めば書いてある事、延々聞かされる身になってみろ。後は読んどきますって言いたくもなるだろ」
午前中からの面接にかなりウンザリしている藤田は、矢継ぎ早に文句を繰り出す。
「しかも、その履歴書がミミズの這ったような字で。そのくせ、資格のところにはボールペン字二級とか書いてあったりして。嘘つけこのヤロ!って叫びたくなったね」
「そんなの、俺なんか毎日だよ。藤田はまだ今日だけなんだから」
そう言いながら、渡来はにこやかに微笑んでいる。
「そりゃ、人事の仕事なんだから当たり前だろ。俺は違うっちゅうの」
藤田が椅子にふんぞり返って大きく身体を伸ばすと、頭上から咳払いが聴こえた。
「悪いね、藤田君」
「あっ、室長」
あわてて、身体を戻す藤田。
相手は人事部採用室の室長。藤田が入社した十年前にも人事部在籍。ちなみに藤田の三次面接はこの人だった。
「人事部の人間ばかりの面接じゃ、どうしても、ね。こんな時代だし、優秀な人材を見極めるためにも、やっぱり現場でバリバリやっている若手課長の意見をだね、是非、ね」
「あ、いえ、こちらこそ失礼しましたっ」
立ち上がって、直角に近く腰を折り頭を下げる。藤田はこの話の長い室長が苦手だ。
室長の後ろで渡来が、背中を向けて笑いを堪えている。
「私もね、ついこのあいだ面接して採用した君が、営業課長になって、こうして面接を頼まれるようになったのを見ると、なかなか感慨深いものが」
うなずきながら語り始める室長に
「あ、じゃ、そろそろ午後の面接が始まりますので、これで」
藤田は生真面目な顔を作って、ファイルの束を持つと、一礼して部屋を出て行く。
「宜しくお願いします。藤田課長」
わざとらしく渡来が頭を下げた。


藤田は中堅の損害保険会社「ジャパン海上火災」の営業課長で、普段は代理店の育成とそこから保険料収入をあげていくのが本職だ。しかし今年は『現場主義』を掲げた社長のツルの一声で、各部門の課長クラスが新卒採用の面接官を交互にやらされている。
営業管理職、しかも中間管理職の藤田にとって、四月は新年度の立ち上がりに多忙を極める時期で、新卒採用の面接などで一日つぶされるのは大いに迷惑だった。
(次もつまんない奴だったらさっさと終わらせて、課に電話入れてやろう)

ところが、午後一番の面接で入ってきたその学生に、藤田はひどく興味を惹かれた。
高木啓介というその学生は、リクルートスーツには見えない仕立ての良さそうなスーツを広い肩幅と厚い胸板で颯爽と着こなし、こう言うのも変だがサラリーマン姿が板についている。自信を覗かせる男らしい端整な顔立ちも、堂々とした受け答えも、とても学生には見えなかった。
(ああ、こいつ二十七歳なんだ)
履歴書に目を落として、そこに懐かしい大学と教授の名前まで見つけて、藤田は少し嬉しくなった。
「何で、早稲田出たあとアメリカの大学に入り直したの?」
おそらく、何度も訊かれているに違いない質問を、藤田も興味本位にしてみた。
「本気で勉強しようと思いまして」
「早稲田では勉強できなかったんだ」
藤田が少し意地悪そうに上目遣いで見ると、高木は素直に
「そうですね」
と言った後「あ、いえ、大学のせいでは無くて、勿論」と言葉を正す。
「早稲田の四年間では勉強は出来ませんでしたが、いい経験をさせてもらいました」
にっと笑う顔が、印象的だ。つい、藤田は口を滑らせた。
「俺も早稲田だよ。ゼミも高野教授だ。十年前だけどな」
「え?」
「あの教授のゼミじゃ、酒の飲み方くらいしか勉強させてもらえなかったろ?」
笑う藤田に、少し照れたようにうなずく顔はそれまでの顔とは別人で、少年のようにも見えた。


* * *


「渡来!」
「あ、藤田、お疲れ様」
面接から戻ってきた藤田を渡来が立ち上がって迎える。
「渡来、こいつ!こいつ内定。で、俺のところに配属してくれ」
面接用のファイルを手渡しながら、藤田はやや興奮気味に言った。
「はあ?何言ってんの」
当然ながら、渡来は面食らっている。
「だから、こいつ、高木啓介。俺の後輩なんだよ」
「早稲田なら死ぬほど来てるよ」
「じゃなくて、できるんだよ、営業。あれは絶対、使える男だ。絶対採用!」
「……ずい分、気に入ったようだね」
「ああ。絶対俺のとこに配属な!」
「来年の四月のことなんかわからないよ」
嬉しそうな藤田の顔を横目で見つつ、渡来は履歴書を確認した。
(高木啓介、ね)
履歴書の写真を見つめつつ、渡来は何か考えたふうに首を傾け、前髪を掻きあげた。


* * *


「藤田課長ぉ、二次会、二次会」
部下の西山が藤田の右腕を掴む。
四月の締め切りも終わったある夜。今月代理店になってもらった税理士センセイを接待した後、藤田は二人の部下と一緒に西新宿の街をふらふらと歩いていた。
「俺は、今日はもう帰るぞ」
そう言って腕をはらおうとすると、反対側からも平手という入社三年目の部下が腕をとり
「そんなあ、家で待っている奥さんがいるわけでもなし、もう一軒くらい行きましょうよ」
「うるせえ、そんなの関係ないだろ」
課長の中でも異例に若い藤田は、独身ということもあり、しょっちゅう部下に誘われては飲みにつき合わされている。そのたびに奢るのも厳しいものがあるのだが、これも管理職の務めかと諦めている。
「ほらほら、課長」
「こっちこっち」
部下に両脇から挟まれ両腕をとられた藤田は、連行される罪人のように居酒屋のドアをくぐらされた。
「あー、もう、しかたねぇなあ」
と言いながらも、こういうのも実は嫌いではない藤田だった。


「ちょっと、トイレ」
「またですか課長……早く戻ってきてネ」
「なんで、酒飲んでるときのトイレって、一度行くと近くなるんでしょうかねぇ」
「知るか、ばぁか」
フラフラとトイレに言って用を足した藤田は、席に戻る途中、前から歩いて来た背の高い男とすれ違いざま軽くぶつかった。
「あっ、と、すみません」
「いえ」
藤田は、相手の男を見て思わず小さく叫んだ。
「あっ」
綿シャツとジーンズというラフな格好だが、その顔は忘れていない。
「高木啓介!」
フルネームで呼ばれて、高木も藤田の顔を見る。その背広の襟元についたままの社章を認めて、思い出した。
「あ、ジャパンマリンの」
「そう、ジャパンマリンの!」
かなり飲んでいる藤田は、お調子よく自分の顔を人差し指で指すと、次に、気安く高木の背中を叩いて言った。
「内定通知、届いたか?絶対来いよ!俺のとこに来い!」
高木は、今度こそ驚いたように目を瞠ると、たっぷり十秒は藤田の顔を見つめた。
さすがに藤田も不審な気がして、訝しげに眉を寄せ、小首をかしげた。
それを合図のように、高木が言った。
「残念ですが、一週間経っても連絡をいただけなかったので、ご縁が無かったと思っていましたが」
「はあ?」


* * *


翌日。
「おい!渡来。渡来和実っ」
叫びながら藤田が人事部のドアを勢いよく開ける。中にいた全員の視線が集まった。
慌てて渡来が立ち上がり
「フルネームで呼ぶなよ、じゃなくて、静かにしろよ」
「お前っ。何で高木の内定が出てないんだよ」
食って掛かる藤田に、渡来はあせって
「ちょ、ちょっと、ここじゃなんだから、こっち」
藤田の背中を押して採用室のミーティングルームに押し込め、自分も続いて入り、ドアを固く閉めた。ゆっくり振り返ると
「人事のこと、そんな大声で言うんじゃないよ」
眉間にしわを寄せて、低い声でたしなめる。
「だって、俺が採用しろって言った奴、何で落としてんだよ」
藤田は憮然とした顔で、渡来を睨む。
「彼ね、新卒にしてはちょっと年がいき過ぎてんだよね」
藤田の視線をかわして渡来は溜息混じりに言う。
「は?そんなの、最初からわかってんだろ。その上で三次面まで来て、その面接した俺がいいって言ってんのに、何で落とすんだよ」
「だから、人事のことは色々あるんだよ」
「いろいろって何だよ。じゃ、あの日の俺の面接は何だったんだよ」
「藤田」
「社長の手前、ポーズでやっただけか?『一日面接官さん』って、俺はアイドルか?そうなのか?西田ひかるなのか??」
興奮して、言っていることが訳わからなくなりつつある藤田。
「そんなこと、だれも言ってないよ。落ち着け、藤田」
渡来は、ぜえぜえいう藤田の背中を優しくさする。
「なんで、そんなにあいつに固執するんだ?」
渡来が呆れたように聞くと
「固執って、いうか」
藤田もようやく落ち着いて
「……だって、このクソ忙しいのに面接官なんかやらされて、一日つぶされて、その中で、たった一人、うちの課に欲しいって思えた奴なんだぜ」
「欲しい、って?」
渡来がオウム返しに聞き返す。
「ああ、それが、かってに落とされてて。何でか知りたいのは、当たり前じゃないか?」
「うーん」
渡来は腕を組んで、その綺麗な顔をうつむけたが、直ぐにきっぱり顔をあげて言った。
「不採用の理由は、人事上の守秘義務で申し上げられません」
「渡来っ」
そこに、ノックの音がした。
「渡来補佐、室長がお呼びです」
「ああ、はいはい、今行きます」
渡来は、藤田の肩をぽんぽんと叩いて
「じゃ、この話はまた後で。後で必ず行くから、大騒ぎするなよ」
渡来は足早に戻っていった。
残された藤田は、部屋を出ようとして、ふと壁際に並んだキャビネットに目が行った。
(確か、この中には……)
不採用になった学生の書類がしまわれている。藤田は、そっとキャビネットの引き出しを開けて、中を探った。面接日順に入っているので高木啓介の書類はすぐに見つかった。
面接結果表を見ると、藤田が書いていた内容が、微妙に修正されており、総合判断欄は、藤田がつけたマルが丁寧に消されて、代わりにD(採用不可)にマルがついていた。
(あっ、渡来の野郎)
「下手なモザイク入れやがって、じゃなくて、小細工しやがって」
ブツブツ呟きながら藤田は、そのファイルを抜くと手近にあった社内便の封筒に入れて、採用室を後にした。
(後で、どういうことかとっちめてやる)


* * *


「あ、藤田課長、お戻りですか。よかったぁ」
自分の課に戻ると、入社二年目一般職内勤の飯田華子が小走りで駆け寄ってきた。顔はかわいいのだが、仕事はいまひとつ。それでも、生まれ持った愛嬌のおかげで『華ちゃん、華ちゃん』とみんなから愛されている営業三課のアイドルだ。
「藤田課長にお客様です。応接室にお通ししています」
「客?」
「会社名、伺ったんですけど、発音良すぎてわかりませんでした。外資系です」
「外資?」
そんな約束入っていたかな、と藤田は今日のスケジュールを頭の中で思い出しつつ、応接室のドアを開けた。
「どうも、お待たせして、え?」
と、中にいる人物に気づいて言葉を失う。
そこには、相変わらずスーツの良く似合う高木啓介が、にこやかに座っていた。
華ちゃんは、『なんとかユニヴ』というのを外資系と判断したらしい。
「おま、いや、きみ、高木君。どうしたんだ?何で、ここに?」
自分も向かい合うソファに腰掛けながら、藤田は内心動揺しつつ尋ねた。
「藤田さんが、『俺のところに来い』って言ったからですよ」
高木は、女だったら誰でもクラリと来そうな魅力的な笑顔で言った。
「え?あ、ああ」
昨日のことが思い出される。そして、藤田はハッとして
「俺、ひょっとして名刺渡した?」
そんな覚えはなかったが、十年と言う歳月が培った営業体質、飲んだ席で知らない間に名刺を渡していることは一度や二度では無い。
「いえ」
高木の言葉に、少しホッとしながら
「じゃ、名前教えたのかな、俺」
「いえ、それも」
「え?じゃあ、何でわかったんだ。俺のこと」
やり手の若手課長と持ち上げられる事はあっても、実のところ藤田はそんなに有名人では無い。それ以前に、ジャパンマリンはそれほど小さい会社ではない。顔が分かるくらいでは、訪ねて来るのは不可能だ。
「ゼミのOB名簿です。面接のとき聞いていましたので、高野教授のゼミだったって」
「あ……」
(調べたのか、わざわざ?)
「お名前を受付に言ったらすぐ教えてもらえました。人事部の人だと思っていたんで、少し意外でしたけど」
微笑む高木を見つめながら藤田は、自分の発言が軽率だったことを反省した。

『俺のところに来い』

「あの…高木君」
自分の力で人事が動かせるとは、当然、藤田も思っていない。
自分の言ったことを信じてやってきたらしい高木に、心から申し訳ない気持ちになった。
「ごめん。俺、いいかげんなこと言ってしまったんだけど、その……」
心持ち下を向いて気まずさに紅く染まる頬を掻きながら、ぼそぼそ話す藤田を見つめて、高木は小さく呟いた。

「可愛い」

「は?」
よく聞き取れず、藤田が顔をあげる。
高木は立ち上がって、ソファテーブルを廻ると藤田の方に近づきながら
「いいんですよ。俺は、採用してもらおうと思って、ここに来たわけじゃありませんから」
「え?」
じゃ、何しに?
と、いう面持ちで藤田が高木を見上げる。
高木はゆっくりと藤田の前に来て、テーブルをずらすと片膝をたてて跪いた。
(バブルの頃によくいた黒服みたいだな)
などと、ぼおっと見ていたら、藤田はいきなり両手を、のせていたソファの肘掛に押さえつけられた。高木の手が重なっている。
「な、なに?」
「キスしていいですか?」
「は?!」
高木の唐突な質問に、藤田の頭は一瞬機能を停止する。
高木は、その端正な顔を近づけながら囁く。
「俺、藤田さんに会いたくて来たんですよ。面接の時もいい感じだと思ってましたけど、昨日の『俺のとこに来い』で、完全にやられちゃいました」
(なな、何が、やられたって?)
藤田は言葉も無く高木の顔を見つめる。
高木は、そんな藤田の顔を見てクスリと笑うと、もう一度、今度ははっきり呟いた。
「ほんと、可愛い」
(いいっ?!!)
高木の唇が藤田のそれをふさぐ。
「ちょっ」とヤメロと言おうとして開いた藤田の唇を割って、高木の舌がするりと滑り込んだ。
高木の舌が藤田の口内を蹂躙する。それ自体が生き物のように動いて、逃げる藤田の舌を強くきつく絡め取る。
「んー、んんっ、んーっ」
藤田はもがくが押さえつけられた両手はびくともせず、圧し掛かられた身体も動かせない。高木の身体が藤田の両足の間に入り込む。
(やめろってばっ、やめて、くれっ!!)
現在百七十八センチの藤田は、昔から一度だって小柄だと言われたことも無ければ、面と向かって可愛いなどと言われた事も無い。それが、高木の前では赤子のような無様なありさまに、知らず涙が出そうになる。

《カチャ》

その時、応接室のドアが細く開いた。
中を覗いたその男は驚愕に顔を白くして、室内に身体を滑り込ませ、後ろ手にカギまで掛けると低く叫んだ。
「藤田に、何をしてるっ」
高木が、肩越しに振り返る。
その胸の下で、首まで真っ赤にした藤田が、情けないことに涙目で呟く。
「わ、わたら、い……」
渡来は大股に近づくと、その細い腕からは考えられない力で藤田から高木を引き離した。
「渡来、何で、こ、ここに」
恥ずかしい場面を見られたショックに声を震わせて藤田が尋ねると、渡来は
「さっきの話の続きをしようと思ってね。まさか、話題の人物が来ているとは思わなかったが……華ちゃんが、来客の名前を高木って言ったんで気になって覗いたのは、正解だったな」
高木を憎々しげに睨みつける。
高木は、悪びれずにソファに座りなおすと、長い足の上で両手を組んで言った。
「たしか、二次面接でお会いした方ですね」
「ああ、人事部だ。あの時、通過させたことを今ほど後悔したことは無い」
綺麗な顔を歪めて吐き捨てるように言う渡来に、高木はにっこり笑って応える。
「感謝します。お陰で俺は、藤田さんという人に出会えました」
「ふざけるなっ、大体、何でお前がここにいるんだ。お前とうちの会社はもう何の関係も無いはずだろう」
「会社はそうですけど、藤田さんとはこれから関係を作るところですよ」
「何を!」
「俺は、藤田さんに一目惚れです。この出会いは大切にさせていただきます」
悠然と言い切る高木に、渡来は
「昨日今日会ったくらいで、勝手なこと言うな」
と、叫んでおいて、やおら藤田に向き直ると
「こういう形で告白したくはなかったが、こうなった以上、もう悠長なことはしてられない」思いつめた顔で言った。
「藤田。俺は、お前が好きだ」
(ひっ?)
藤田は信じられないものを見るように、例えるなら自分の部屋に見ず知らずの人物の死体を発見したかのような驚きに青褪めた顔で、渡来の顔を見た。
渡来は真剣な瞳で言葉を続ける。
「十年前から。新人歓迎会で一緒に『仮面舞踏会』を歌って踊ったあのときから、お前を愛している」
混乱する藤田の頭の中で、懐かしの仮面舞踏会の曲がグルグルと廻った。

「結局、俺達は同じ種類の人間みたいですね」
高木がニヤリと笑うと、渡来は高木を冷たく睨みつけ
「厳密に言うと違うが、な」
(なんだ?)
藤田には訳がわからない。
「そうですね。わかりますよ。俺は藤田さんを抱きたい方だけど、あなたは藤田さんに抱かれたい、そうでしょう?」

ちゅどーん。

藤田の頭の中で、核爆発がおきた。
「藤田を抱くだとお?やめろ!お前のへその下であんあん言う藤田なんか見たくない!」
おぞましそうに眉間にしわを寄せる渡来に、高木も眉をひそめて
「俺だって、見せたくないですよ」変態じゃあるまいしと呟きながら「それ以上に、藤田さんの下であなたがあんあんいう姿も見たくないですけどね」
「俺は!」と、言い返しながら「……見せてもいいかな、そういう刺激は嫌いじゃないし」
考え考え、呟く渡来。
「変態ですね」
「なんだと?」

(こ、この二人は、何を言っているんだ??)
藤田の目はウツロ。
目の前で繰り広げられるハブとマングースの対決のような、いや、もう少し美しいところで言うと、飢えた雄狼と気の立った雌豹の睨み合いのような情景に、藤田はただただ呆然としていた。ちなみに藤田の役どころは、瀕死のシマウマといったところ。
「でも、これで話は簡単になった」
いきなり高木が藤田に向き直る。渡来も藤田をじっと見た。
高木が真面目な顔で訊く。
「藤田さん、男、抱くのと抱かれるのと、どっちがいいですか?」

ぱたり

藤田は、ぐったりとソファに倒れこみ、そのまま動かなくなった。


* * *


「で、高木に内定を出すのか」
額に手を当て、虚ろに藤田が尋ねる。
昼休みも終わる時間。会社の医務室。あれから藤田はここで寝かされていた。
食事をしそこなった藤田に、渡来がコンビニのとれたて弁当を差し入れている。
渡来はしゃあしゃあと答える。
「しかたないだろ。あいつはこれからもお前にちょっかい出してくるだろうし、それなら少しでも目の届くところに置いておいた方がいい」
(それで、そう言うお前は、ちょっかい出してこないんだろうな)
少し怯えたように自分を見る藤田に、渡来はにっこり微笑むと
「大丈夫。お前のところには配属しないから、安心しろ」
「いや、そうじゃなくて」
藤田弘樹、まさか自分の人生にこのような衝撃が待ち受けているなど、今まで考えもしなかった、エリート営業課長三十三歳。
リクルート面接などやったのが間違いだったと、大きく溜息をついた。





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