おまけSS  祐四郎お家事情

 一石橋を渡って、まっすぐ家に帰ろうかそれとも少しだけ寄り道しようかと迷っていたとき、後ろから声をかけられた。
「梅若」
 振り向くと、そこにはいつもの『お忍び仕様編み笠ルック』の
「祐四郎!」
 松平二万五千石の若殿様が立っていた。
 そう、本来、祐四郎などと呼び捨てにしたら、無礼討ちで切られてしまうような相手だが、俺は最初の出会いがアレだったので何となくこう呼んでいて、祐四郎も許してくれている。
「どうしたのだ、木刀など持って。剣術の稽古でも始めたのか?」
「うん、八丁堀の長谷部さんの所で見てもらっているんだ」
 国光の家に帰ってからも、稽古を続けたいと頼んで、週に二回ほど長谷部さんの役宅に通わせてもらっていた。長谷部さんの都合がつかないときも誰かしらが見てくれる。腕にも少し筋肉らしいものがついてきて嬉しい。国光は、あまり良い顔しないけどね。
「長谷部? 八丁堀の長谷部兵庫か?」
「知っているの?祐四郎」
「まあ、お前ほどではないが、有名人だからな」
「ふぅん」
「何故、その者の所にわざわざ?」
「え? ああ、本当は道場とか通った方がいいんだろうけど……そこまで本格的にはできないし……」
「違う、違う。お前なんか、その辺の道場に行ったりしたら、大変な騒ぎになる。そうではなくて、何故、その……」
 ふっと祐四郎は周囲を見て、
「立ち話もなんだから、その辺の店に入ろう」
 俺の手を取って歩き出した。


 ごく普通の蕎麦屋の入れ込みで、蕎麦がきをご馳走になりながら、祐四郎に近況を話した。祐四郎には国光と喧嘩をしたときにも世話になっていたので、お礼も言いたかったのだが、なにぶん、こっちから松平の若殿様に連絡をとるのも憚られ、結局心配をかけたままになってしまっていた。
「というわけなんだけど……その節は、本当に、ごめん」
「なるほど」
 祐四郎は、その男らしい顔の顎を摩りながら――こういう仕草は、どう見ても年下には見えない――口の端で笑った。
「寄りなど戻さず、私の妾になってくれたら嬉しかったのだが、な」
「そんな。二万五千石の若殿様が何を言ってるんだよ」
 俺が呆れて唇を尖らすと、祐四郎はふふっと笑って、酒の杯を空けると、突然唄った。
「君と寝ようか 五千石とろか 何の五千石 君と寝よ」
 朗々とした声が響いて、店中の視線が一斉に集まる。
 ち、ちょっと! お忍びじゃなかったのっ?!
「知っているだろう? 藤枝外記。うらやましい男だ」
「俺は、別に、綾衣さんになりたいとは思わないよ」
 湯島天神に住む旗本が吉原の遊女と心中した事件はちょっとした話題で、芝居の題材にしようかという話も一時出たらしく、中村座の人たちから聞かされていた。
「それより、目立ちすぎ。……いいの?」
 俺が心配すると、祐四郎は目を細めて
「じゃあ、そろそろ行くとするか」
 と、ゆらりと立ち上がった。
 外に出ると、いつの間にか日も落ちて辺りは薄暗くなっている。もう半刻もしないうちに暮れ六ツ(日没)だろう。
「暗くなったな、悪かった、引き止めて。国光が心配しているだろう」
「ううん。長谷部さんの家に行ったときは、いつも遅くなるし、泊まることもあるから」
 さすがに度々だと国光の機嫌が悪くなるから、今日は静さんに夕飯を進められたのを遠慮して帰ってきたのだ。
 結局、祐四郎と食べることになったけど。
「送っていこう」
「うん。ありがとう」
 風が気持ちいいので川沿いをブラブラ歩いた。
 竜閑橋に差し掛かったとき、向かいから侍の二人連れがやって来たので、俺は少し道を譲るように左に寄った。

「御免!」
 すれ違った侍の一人が、振り向きざまに刀を抜いた。
 ひっ?!!!
 祐四郎が身体を沈めてそれを避けると、自分の腰のものを掴む。
「何者だっ?」
「松平祐四郎正勝だな。訳あって、お命頂戴いたす」

 何? 何? 何なんだよっ!!

「人違いということは、無いのだな」
 祐四郎が刀を構えなおしたのを見て、俺は血の気が引いた。
 最初の一太刀で切ることに失敗した侍は、もう一人と共に二人がかりで祐四郎を挟んでじりじりと間合いを詰める。
 俺は木刀を持ってはいたが、情けないことに、その場から一歩も動けなかった。
 そのとき、疾風のように近づいた影が、その侍の一人を後ろから袈裟懸けに斬った。
 
 血飛沫!!

「うわあぁぁっ」
 叫び声をあげて倒れる侍に、もう一人が気をとられた隙に、祐四郎の刀が動いた。
「うおっ」
 祐四郎の刀を間一髪で避けて、それでも腕を切られたらしい侍は、そのまま橋の欄干を飛び越えて水に沈んだ。
「若様っ」
「正勝様っ」
 わらわらと、武家らしい男が駆け寄ってくる。
「お怪我は?」
「大丈夫だ」
 祐四郎は刀を鞘に納めながら、最初に駆けつけた、侍を切った男に向かって言った。
「館脇、見事であった」
「は」
 館脇(たてわき)と呼ばれた侍は、表情一つ変えず淡々と頭を下げた。
 あれだけ血飛沫を上げながら、返り血一つ浴びていない。相当の使い手なのか。それにしても、何でこんなに落ち着いている?
(人を斬ったんだぞ、おい!)
「この者は、いかがいたしましょう」
 後から駆けつけた一人が死んだ侍を見ながら言うと、祐四郎はにべもなく
「ほっておけ……と言いたいが、そうもいくまい。陣内、お前が始末をしておけ」
 そう言ってから、俺を振り返った。
「くさくさする。飲みなおしだ。梅若、付き合ってくれ」
 俺は、まだ動揺が収まっていなく、うなずくこともできなかった。
 何しろ、人が斬られたのだ。血飛沫が上がったのだ。
 いくらここが江戸時代でも、時代劇のようにそうそう切り合いがあるもんじゃない。
 なのに、目の前で見せられた惨状。

「梅若?」
 祐四郎は、欄干に身体を凭せかけて動けない俺に手を伸ばした。
「何だ。震えているのか?」
 俺の肩を抱いた。
「歩けるか?」
「うっ……」
 思わず、祐四郎の胸に縋った。そうしないと、足が動かないからだ。
 祐四郎は、俺の荷物をとって館脇という侍に渡し、
「館脇、お前も来い」
 嬉しそうに歩き始めた。まだ下駄を上手に運べない俺を両腕で支えて
「道行二人、だ。襲われて、良いこともあったな」
 喉の奥で笑う。
「ばっ、ばか……」
 言ってんじゃねえっ! と言いたかったが、残念ながら、声も上手く出なかった。男らしくないって言われそうだけど、考えて欲しい。ごく普通の男子高校生が殺人現場にいあわせたら、どういうショックを受けるか。

 まあ、今は『ごく普通』からは程遠い生活だけど。




* * *


《吉兆》という高級料亭の一室に、俺たちは入った。館脇さんは隣の部屋だ。
「梅若、落ち着いたか?」
「う、うん」
「怖い目にあわせて悪かったな」
 申し訳無さそうにじっと見つめるので、俺は少し気まずくなって顔を伏せた。
「こっちこそ、ごめん。何にも、出来なくて……」
 そう、俺はただ怯えて佇んでいただけだ。
 剣術の稽古をしているなんて偉そうに言っても、結局、何にも出来ない。
「梅若……」
 正面から回って、俺の隣に片膝ついて座ると、祐四郎は、両手で俺の 顔を包んで上を向かせた。
「……可愛いな。梅若」
「え?」
「口、吸ってもいいか?」
「は?」
 祐四郎の唇が降りてきて、重なった。目と目が合う。
「だっ、だめっ!」
 両手で胸をぐいと押し、顔を離す。
「何、考えてんだよっ、人がちょっと油断した隙にっ」
 ふははは、と、笑って祐四郎は、また自分の膳の前に戻った。
「あんまり、可愛いからだ。許せ」
「ったく……」
 けれども今の一件で、すっかり俺は、自分を取り戻した。


「あの、祐四郎を襲ってきた侍は、何だったんだ?」
「ああ?」
 杯を重ねながら――さっきから一体どれだけ飲んでるんだ――祐四郎は、そっけなく言った。
「ただの、辻斬り」
「んな訳ねえだろっ!ちゃんと、お前かどうか確かめて、襲ってきたじゃねえかっ」
 俺も酒が入って、相当、口が悪くなっている。
「んーっ、そうだったか?」
 酒でほんの少し赤くなった顔で、祐四郎はとぼけた。
「そうだよ」
 祐四郎が話してくれないと言うことが、かえって気になった。
「何だよ。俺には言えないことなのか? 俺は、一つ間違ったらお前と一緒に殺されていたんだぞ。教えてくれてもいいんじゃないか?」
 むきになって言うと、祐四郎は困った顔をして俺を見た。
「そんな顔、するな。梅若」
 え? そんな顔……って、どんな顔だ?
 俺が顔に両手をやると、祐四郎はクスと笑って俺を手招きした。
 ついつられて横に行く。
「お家の恥だからな。あまり言いたくないのだ。でも、梅若は、特別だからな」
 祐四郎が額を寄せてくるので、俺はちょっと緊張してゴクリと唾を飲み込んだ。
「私の母というのは、もう亡くなってしまったが、父上の正室ではないのだ。私は妾腹の子供だよ」
 そうだったのか。
「既に亡くなった一番上の兄と、二番目の兄が正室の子。そして、三番目の子は、この私と同腹の兄だが、これも一年前に亡くなった」
(そういえば……)

『松平の大殿様も、まさか上の三人が続けて亡くなるたァ思ってなかったからずっとほったらかしにしていたのが、突然総領扱い』
 座長(ざがしら)の言葉が脳裏に浮かんだ。

「今、私の家には、病気がちでもう子供の生めない正室と、若くて色っぽいがいかにも一癖ある側室、お万の方が住んでいる」
「お万の方?」
「ああ、そのお万の方が、三年前に子供を産んでね。男だった。五郎丸と呼んでいるよ」
 話しながらも祐四郎は、微笑んだような口許にグイグイと酒を流し込んでいる。
「お万の方は、どうあっても、その五郎丸に松平二万五千石を継がせたいらしい」
「ええっ……それって……」
(まさか……まさか……)
「お兄さんたちが、亡くなったのって?」
「一番上と二番目の兄は、五郎丸の生まれる前に亡くなっている。病でね。義母上(ははうえ)に似て、体の弱い人たちだったそうだ。けれど……」
 祐四郎は、何杯目かもわからない杯をぐっと空けた。
 一瞬、瞳に暗い影がさす。
「私の兄上が死んだのは、何者かに襲われて殺されたのだ」
「そんな……」
「武家では、そういったことは、例えば一人前の武士が辻斬りにあって殺されるなど、お家の恥として決して表には出さないから兄上の死も流行り病のせいにされたよ」
(それって、やっぱり、そのお万の方が仕組んだことなのかな……?)
 眉をひそめて祐四郎の顔を見ると、俺の考えを察したらしく、わざと軽い調子で言った。
「まあ、証拠は無いが、私が元服して以来、何かと周辺が騒がしくなったのも事実だ」
「そんな、そんな人、追い出しちゃえばいいじゃないか」
 俺は、拳を握り締めて訴えた。
「父上が、ね。そのお万の方に、骨抜きにされているんだよ。まあ、それで家を潰すようなことにはならないだろうけれど。うちは、用心も給人もしっかりしているし」
「そんなの……だって、酷いよ」
「……証拠は、無いのだ。あったとしても、父上は認めんさ。な、梅若、ちょっと……」
 祐四郎は、身体を横にしながら、俺の膝に手を置いた。
「え? 何?」
 慌てて後退ろうとしたが、しっかりつかまれて動けない。
 祐四郎はそこにぽんと頭を乗せてきた。
 これって……
「膝枕?」
「ちょっとだけ、な……眠くなった……たのむ」
「ちょっと……って、そんな……」
 膝の上の顔を覗き込むと、長い睫毛を閉じた歳相応の少年の顔。
 どうしよう。
 なんか、動けないよ。こんな顔で、眠られちゃうと。

 俺は、このいつも好き勝手に遊んでいるような若殿様にも、他人に言えない辛いことがあるんだということを知って、胸がチクリとした。
みんな、色々な思いを胸に抱いて生きているんだ。

 祐四郎も、長谷部さんも、静さんも、そして、俺と国光も……。

 祐四郎の鼻の頭がうっすらと汗をかいているのに気がついて、懐紙でそっと拭った。祐四郎は、ちょっとだけくすぐったそうに瞼を動かしたが、そのまま眠っている。

(ごめん、国光。これって、浮気じゃないよね?)

 朝帰りの言い訳をなんとしようか考えながら、俺は口許をほころばせた。





おわり




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