おまけSS 梅若の盂蘭盆
「ぼんぼん盆は今日昨日ばかり、明日は嫁のしおれ草」 表通りから、可愛い子供たちの歌声が聴こえる。 七月十三日から十六日は、盂蘭盆会だ。 どの家でも精霊棚(しょうりょうだな)を作って、迎え火を焚いて、祖先の霊を迎えるのだけれど、俺にはもっと大切な使命があった。 すなわち、梅若の霊を呼ぶこと。 俺が中村座の舞台に立つ時は、必ず降りてきているのは間違いない――でなきゃ、俺が踊れるわけが無いのだ――けれども、六、七月は芝居が無いから、もう一月半、梅若の霊を感じられずにいる。 その間に、俺には国光との関係も含めていろいろな事があったので、どうしても梅若と話がしたかった。 盂蘭盆会では、霊が帰ってくるのだと聞いて、ここしかチャンスは無いと思ったんだ。 先日、通りに売りにきた真菰を敷いて、精霊棚を間瀬垣で囲み、四隅に立てた篠竹に菰縄を渡して、その縄へ白茄子や赤茄子をつるした。棚の左右には禊萩、紫苑の葉花を飾る。下には真菰を横竹にして編んだ杉葉の垣を立て、上段には、ほうづき。 昨日のうちに静さんに教えてもらっていたので、初めてのわりに上手く出来たと思う 「国光、こんな感じでいいかな?」 奥の部屋に作ったそれを見せると 「おや、立派にできたね」 国光が、目を細めた。 「こんなに立派に精霊棚を拵えたのは初めてだ。ご先祖様が驚かないと良いけれど」 くすくすと、笑う。 「梅若にも、戻って来てもらわなきゃいけないから。あいつ、綺麗なものが好きそうだし」 国光の家にあったご先祖の位牌の横に、梅若の愛用していた簪と櫛を包んで置いた。位牌が無いので、これしか思いつかなかったんだ。 両手を合わせた俺を見て、国光はほんの少し困ったような顔をして笑った。 国光は、本当の梅若が死んでしまって俺がその代役として現代から江戸に呼ばれたのだという話を、本気では信じていない。 信じてもらえなくても構わない。 けれども俺としては、どうしてもはっきりさせとかないといけない。 『国光先生の絵が全て完成したら、私も思い残すことはありません。由紀夫殿をご自分の世界に帰して差し上げます』 梅若の幽霊がそう言った。 でも、それは困るんだ。 もう元の世界には、国光のいないところには、帰りたくないんだから。 「迎え火を焚くから、麻幹(おがら)を持って来ておくれ」 国光が呼ぶ。 「うん」 暮れ六ツの鐘を聞いて、俺たちは盆提灯をともして、門の前で麻幹を焚いた。 オレンジ色の炎が、暗い道をぽうっと照らす。 梅若は、ちゃんとこれを見て来てくれるだろうか。 隣にしゃがんでいる国光をちらりと見上げると、炎に照らされた端整な顔が優しく微笑んだ。 梅若はいつ現れるんだろう。 草木も眠る丑三ツ時というけれど、それまでには、まだ一刻半(約三時間)もある。 精霊棚の前で緊張して待っていると国光が入ってきた。 「梅若、まだ寝ないのかい?」 「うん」 と応える間に、国光は俺の後ろにぴったりと座って、右手を袷の胸に差し入れてきた。 「やっ、やめ……」 国光の指が俺の胸の尖りを弄るのを、邪魔するように押さえたら、今度はもう片方の手で、俺の腰を強く引き寄せた。 「やめろよ、国光。こんなとこで」 「こんなとこ?」 「ご先祖様が、来てるかもしれないんだぞ」 精霊棚を目で指して言うと、国光は含み笑いで俺の首に口づけながら言った。 「そういうのって、余計に、もえない?」 「ばっ、ばか」 振り払おうと身を捩ると、国光は、腕に力を込めて後ろからきつく抱きしめて、俺の耳を甘く噛んだ。 「んっ」 そこ、弱いんだよ。 びくっと肩をすくめて前かがみになると、国光は覆い被さるようにして俺の着物を襟元からはだけた。裸の肩が晒される。 「可愛い、梅若」 「あ……」 耳元と胸への刺激で、一瞬、流されてしまいそうになったけど、渾身の力で抵抗した。 (今夜は、駄目だっ) 「やめろったら、国光っ」 向き直って、睨みつけると、そのまま押し倒された。 俺の上に被さった国光の瞳に、妖しい色がさした。 「どうしよう。そんなに抵抗されると、かえって煽られるよ」 欲情に潤んだ国光の瞳に、俺の身体もカッと熱くなる。 「国光……」 (駄目……かも……) 俺が自分の限界を感じて目を閉じかけたとき、突然、国光の身体から力が抜けた。 「えっ?」 そのまま押しつぶされてしまって、慌てて胸の下から這い出ると、国光は眠っていた。 ぴくりともしない。 「国光??」 『見ているほうが恥ずかしいので、それくらいにしてください』 精霊棚の方から静かな声がして、振り向くと白い着物姿の俺――すなわち、梅若――が座っていた。 「梅若」 『お久し振りです。由紀夫殿』 幽霊の梅若は、うっすらと微笑んだ。 『私に、話したいことがあるのでしょう?』 ほんの少し小首をかしげただけで、長い黒髪がさらさらと肩を滑り落ちる。 「ああ」 慌てて身繕いをして、俺は梅若の霊に向き合った。 「俺、お前と、約束したけど……」 緊張して声が掠れた。 「あれ、無しにしたい」 梅若は、黙ったまま俺の言葉を促がす。 「っていうか、絵が出来上がっても、俺はここに居たいんだ」 国光が梅若百種を全て描き上げても、元の世界に帰りたくない。 『いいのですか?』 梅若が囁くように言う。 「そりゃあ……元の世界の、親父や母さん、友達のこと考えると……寂しくなくは無いけど……」 口に出すと、やっぱり胸が締めつけられる。 「でも……でも……国光の傍に居たいんだ」 知らず涙が出た。 「ずっと、国光と一緒にいたい……」 梅若はそっと手を伸ばして、俺の涙を拭うように、頬に指を滑らした。当然ながら触れる感触は無かったけれど、不思議に温かいものが身体に流れ込む。 「梅若……俺……」 『由紀夫殿……私も、そうなれば良いと思っていました……』 「え?」 『由紀夫殿と一緒に、中村座の舞台に立ちながら、このままずっと、由紀夫殿がここにいてくれたらと――そう思っていました』 梅若は白い顔で微笑んで、三つ指をついた。 『これからも、よろしくお願いいたしますね』 部屋の中なのに、生暖かい風が吹いて、盆提灯の蝋燭がゆらめいた。梅若が消えてしまう気がして、慌てて言った。 「あのさ、また、会えるよな」 梅若は、黙って首をかしげる。 「また、こうやって、話をできるよな、俺たち」 『……そうですね。また、来年の盂蘭盆会に』 「そんな、そんなに先なのか?」 『こうして、姿を現すのは、これでなかなか疲れるのですよ』 ふふふ……と梅若が笑う。 心細げに顔を歪めた俺の肩を抱くように手を差し伸べて、梅若の霊は、 『舞台の上では、いつも一緒ですよ……由紀夫殿……いえ、梅若……』 囁いて、ゆらりと立ち上がる。 「あっ、待って!」 今にも、姿を消してしまいそうだ。 俺は、まだ聞きたいことがあった。 「梅若、お前っ、お前、本当は、国光のこと―――」 最後まで言わせずに、梅若の霊は消えてしまった。 妖艶な微笑を残して―――。 「んっ……」 国光が小さくうめいて、目を開けた。しばらく天井を見ていたが、がばっと起き上がって、俺を見る。 「わ、私は……まさか……寝てしまったのか?」 「うん」 そうとしか、言いようが無い。 俺の顔をじっと見て 「それで、泣いてしまったの?」 国光は指で、俺の涙のあとを拭った。 「ばっ、ばか……」 そんなんで、泣くかっ。 顔を赤くすると、国光がぎゅっと抱きしめてくる。 「すまないね、梅若。私は、どうかしたんだよ」 「ん……」 梅若の霊のせいだけどね。 梅若と話したことを伝えるのは、また今度にしよう。 それより…… 「国光、この部屋は……駄目……」 国光のいたずらな指先を軽く押さえる。 「なんで?」 「ご先祖様が、たくさんいるよ」 「また……」 笑い飛ばそうとして、 「また、寝ちゃうよ?」 これには、うっ、と言葉に詰まり、そして破願した。 「よおし」 と、俺を横抱きにすると、そのまま隣の部屋に連れて行った。 そこには、準備良く布団が敷いてある。 「ここなら、いいんだな」 「んっ……」 布団に倒れこみながら、俺は、満ち足りた気持ちで、全身で国光を感じた。 おわり 2002.9.20 |
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