「ここが富山城。由紀夫君って本当にここ来るの初めて?」
 従兄の健一が振り返る。俺は、その城の思ったよりも小さな外観にかなりがっかりしながら頷いた。


 俺、豊原由紀夫は、この夏、母方の田舎である富山に来ていた。
 随分前に亡くなった祖母の何回忌かの法事の為だが、高校生にもなってよく顔も覚えていない――小学生の頃に何回かしかあったことないからな――祖母の法事に付き合わされるというのは災難でしかない。本当ならクラスメイトと一緒に長野のペンションでバイトをする予定だったのに。
 着いた翌日からつまらなそうにしている俺を見かねて、従兄が市内観光をかって出てくれた。
「何にも無いところだけど、まあうちに居るよりましだと思うよ。どこか行きたいとこある?」
 そう訊かれて
「じゃあ、富山城」
 と応えてしまったのは、NHKの大河ドラマの影響か?


 しかし、今目の前にある富山城は、先日テレビで見たものよりもずい分こぢんまりとした佇まいだ。俺の顔色を読んだらしい健一が、ちょっと申し訳無さそうに笑った。
「この城址公園は本丸の一部だけで、このお城も後から建てられたものだから」
「ああ、そうなんだ」
「でも、この公園のこの部分はちょっとシンメトリーでベルサイユ宮殿風じゃない?」
「……違う、と思う」
 ベルサイユ宮殿には行ったことはないが、同じと言ったらど突かれるだろう、パリ市民に。
「ははは……じゃあ、中、入ってみようか」
 健一はさっさと城の中に入っていった。


 中に入ってわかった。
 この一見城のような建物は、まさに後から(資料によると昭和二十九年らしい)作られた博物館もどきで、中身はどう見ても古い校舎。入り口で二百十円を払ってコンクリの階段を上がっていくと、二階に展示場の入り口がある。ドアを開けると冷房が効きすぎていたが、今日みたいな暑い日には、まあ気持ち良かった。
「特別展示、やってる」
 健一の言う方に首を巡らすと浮世絵展をやっていた。
「ふうん」
 江戸時代の女性を描いた数々の展示。極彩色に彩られた艶やかな着物の柄が目を惹いた。
「こっちは役者絵みたいだ」
 言われるまま足を運んだ先に『梅若百種』と言う掲示があった。そこに並んだ絵を見た瞬間、俺は貧血でも起こしたように体が揺れるのを感じた。
 
 頭の中で、誰かが呼んでいる。


『助けて――お願い――ここに来て――助けて――――』






* * *


「気がついた」
 誰かの叫びに、俺はぼんやりと目の焦点を合わせた。
 目の前で、えらく造型の整った男が心配そうに俺を覗きこんでいた。
「よかった。心配したよ」
 泣きそうな顔で俺の顔に手を伸ばす。
 長い指で頬を包み込むように撫でられて、俺は違和感を覚えた。
(だれだよ、お前……)
 こんな知り合いはいない。
 知り合いでもないヤツからこんな風にされるのは変だろう?
 男は長い髪を後ろでまとめている。着物を着てるのは夏祭りでもあったのか。それにしては、浴衣というよりもこれは立派な着物だ。
 俺を見つめる瞳が何故だかいとおしそうに細められ、俺はますます落ち着かない気持ちになった。
 俺が口もきけず黙ったまま男を見返していると、慌しい足音とかしましい声が響いた。
「梅若、気がついたのぉ。よかったわぁ。」
 ふと部屋の入り口を見ると、これは時代劇に出そうな(いや、時代劇でしかありえない)ちょんまげの男が飛び込んできた。
(なんだよ? こいつっ)
「今、中村座さんにも人をやっているからね。でも心配しないで、身体がよくなるまでゆっくり休んでいていいのよう」
 小太りの男なのに、何故か女言葉だ。
 いや、そんなことより、こいつの格好は何なんだ?
『暴れん坊将軍』とかで見る町人ってやつか?


 ここに至って、俺は初めて自分の寝かされている状況を観察することが出来た。見たことも無い部屋。六畳くらいの広さ。天井が低く梁も壁も古めかしい。襖も、置いてある箪笥のようなものも、時代がかった代物(しろもの)で、こういうのどこかで見たと思ったら―――日光江戸村?
「……って、ここどこだよっ!!」
 がばっと起き上がると、その長髪の男と小太りの町人の目が丸くなった。



「梅若、大丈夫?」
 小太り町人が持っていた扇子で気ぜわしく俺の顔をあおぐ。
「やめてください。俺、何でこんなところに寝かされてんですか? 健一は?」
 俺の問いにも、その男はただ扇子を振って途方にくれた顔をするばかりだ。
「梅若、しっかりしてぇ」
 俺もキレかけている。
「だれだよ、それっ?! ここは富山城じゃねえのかっ? ここ、何処だよ。何で、俺が、こんな……」
「まだ、何か混乱しているのか」
 長髪男が眉を顰める。
 小太り男が剃りあがっている額に手を当てて首を振る。
「見つかったのがお稲荷さんの裏の池だったからねぇ。狐に憑かれちまったのかしら」
「何、言ってんだよっ」
 俺が興奮して怒鳴ると、長髪男がそっと俺の肩を押さえた。
「梅若、とにかく、もう一眠りするんだ」
 ゆっくりと俺の身体を布団に横たえる。
 抵抗したいのに、出来ない。身体が重い。
 自分がひどく疲れているのだと知った。

「倉木屋さん……しばらく梅若はここで預かります。すみませんが、中村座さんには倉木屋さんから、訳を話しておいてください」
「国光先生がそう言うんなら、喜んでそうさせてもらいますよ」
「ありがとうございます」
 二人の会話を遠くに聞きながら「一体何がこの身に起きたんだ!」「その訳というのを俺にも聞かせろ!」と、心の中で叫んだけれど、結局すぐに睡魔に襲われ、俺は意識を手放した。




 真夜中、人の気配で目を覚ました。
 何故真夜中だとわかったかなど、俺にだってわからない。ただ、真っ暗な闇とその空気がそう教えてくれたのだ。
 俺の枕もとに、俺が座っていた。
(幽体離脱?)
 残念ながら、驚く気力もなかった。
『由紀夫殿―――』
 俺が俺に呼びかけている。
 思いつめたような瞳に見つめられて、落ち着かなくて身体を起こした。枕もとの俺がうっすらと微笑んだ瞬間、背筋にぞぞぞっと悪寒が走った。
「お、おお、お前……」
 この不気味さは、まさか夏の風物詩―――幽霊??
「俺……死んだのか……」
 呆然と呟くと、俺の顔をした幽霊がニッコリ笑った。
 幽霊がニッコリすな!
『由紀夫殿は死んでなどいませんよ。ただ、私のために……ご自分の世界ではないところにいらしています』
「ど、どういうことだ?」
 顔は俺と同じなのに、幽霊らしく(なのか?)長い髪と白い着物姿のそいつは、申し訳無さそうに畳に指をついて、頭を下げた。
『私の名は、梅若。歌舞伎役者の端くれです』
「梅若……」
 あの男達が、俺をそう呼んでいた。
『はい。由紀夫殿は、死んでゆく私があまりにもこの世に未練を持ちすぎた為、この世界にお連れしてしまいました』
「この世界?」
 って、どの世界だ?

『由紀夫殿の言葉でいうなら江戸時代―――浮世浮世の華のお江戸でございます』

 俺は、本当に残念ながら、驚く気力がなかった。








「で、お前が、俺を呼んだって?」
 呆然としながらも質問できる俺は、自分でも知らなかったが、かなり順応性の高い人間だったのかもしれない。
『はい、私はまだ駆け出しではございますが、それなりに名の売れてきた役者でございます。実は、絵師の歌川国光先生に私の絵を描いていただけることとなり、下絵もいくつか出来上がったところでございました』
 国光……たしかあの長髪の男のことを小太りの男がそう呼んでいた。
『その小太りの男というのは、版元の倉木屋さんですよ』
 って、お前! 人が考えていることわかるんなら先に言え!
『すみません』
 梅若は口許を白い着物の先で隠した。
 おちおち考え事もできやしねえ。
 でもそれじゃ俺の聞きたい事は、言わなくても解って貰えるんだな。
『はい、全てお話し申し上げます。私の死んだ理由というのは、もう他愛も無い……夜道を暴漢に襲われるという良くある話でございます』
 良くあんのかっ?!―――怖ぇぞ。
『由紀夫殿も、夜道にはお気をつけください』
「て、問題じゃねえだろ……」
『堀に沈められながら私は思いました。あの絵を完成させるまでは、死にたくない―――国光様のお傍にいたい』
 俺の動揺を無視して、梅若はシクシクと泣きながら話を続ける。
『けれども、朽ちてゆく身になにができましょう。誰か、誰か、私の代わりに国光様のもとで、あの絵を完成させて欲しい……そう強く願った時、私と同じ顔を持つあなた様が応えてくださいました』
「俺は、応えちゃいねえぞ」
『いいえ、応えて下さいました』
 梅若が俺をキッと見る。
『ここにいらして下さったではありませんか』
「それは……」
 俺が教えて欲しい。
 何故あの富山城の一室からこんなところまで飛んで来られたのか。
 俺の疑問をきれいに無視して、梅若が俺の手を握った。はっきりとした感触も無いのにひんやりするまっ白な手。再び背筋に悪寒が走る。
『お願いします、由紀夫殿。私の代わりに梅若として絵を完成させてください』
「そんな、無理だ」
『お願いします』
「俺には俺の都合ってもんがあるんだよ。大体、俺がいなくなって、あっちじゃどうなってるんだ? 親父たちだって心配してるよっ」
『大丈夫。由紀夫殿にとってこの世界は過去。こちらにいらっしゃる間、あちらの時は動きません。絵が完成したらあの富山城のあの時間に帰して差し上げますよ』
「え?」
(絵?)
 言っとくが、洒落じゃねえ。
 梅若はくすりと笑った。
『国光先生の絵が全て完成したら、私も思い残すことはありません。由紀夫殿をご自分の世界に帰してさし上げます』
 俺は、たっぷり三十秒、俺と同じ――いや、パーツは同じでも明らかに俺より美しいと思える――顔を見つめた。
 長い睫毛の下の思いつめた瞳、幽霊だからか青褪めた白い顔。
 赤い唇をきりっと結んでいる。
「今、お前、どこに居るんだ?」
『……ここに』
「違う。お前の身体だよ。どこに……眠ってんだよ」
 梅若の瞳が揺れた。
『どことは、申せません……深い深い水の底です。どうぞ、探さないでください。醜く腐った姿など、誰にも見せたくございません』
「梅若……」
『この身は朽ちるとも……国光先生の筆で、私の……美しかった姿を残したい』
 うつむいて唇を噛む。
 肩を震わせる梅若のその姿に、俺は胸を打たれてしまった。
「……わかった。絵が出来上がるまでだな」
『由紀夫殿』
 梅若が顔を上げる。
「絵が出来上がるまでって条件で付き合うよ。俺の顔なんかが役に立つんならな。その代わり、終わったらちゃんと元の世界に帰してくれよ」
『ありがとうございます』
 梅若は嬉しそうに言うと、ゆらりと立ち上がった。
 音も立てず部屋の隅に滑るように移動すると、振り返ってもう一度俺を見つめて微笑んだ。
『本当に……ありがとうございます。約束ですよ……由紀夫殿』
 その顔が――さっきまでの切なく哀しい風情をかなぐりすてて、酷く妖しく見えたのは、気のせいだろうか?



 次の日の朝、絵師の国光とやらが俺の様子を見に来た。
「梅若、気分はどうだい?」
「あ、ああ」
 一晩寝たので――あんな話の後でもぐっすり眠れた俺は、やはり順応性が高い――疲れもすっかり取れていた。
「大丈夫だ。それよりあんたの絵、さっさと完成させなきゃな」
 俺が言うと、国光はきょとんとした。
 せっかくの端整な顔が間抜け面になっている。
「なんだよ、絵、描いてんだろ?梅若の」
 っと、今は、梅若は俺か。
「俺の絵っ! 描いてんだろ? ねえのかよ? ああっ?」
「梅若……」
 国光が唇を震わせる。
「どうしたんだい? その話し方……すっかりべらんめえになっちゃって」
「は?」



「やっぱり狐かしらねえ」
 版元の倉木屋大五郎が、扇子で自分をあおぎながら溜め息を吐く。
「それだけは違う」
 俺がむっとして言うと、国光が庇うように俺の肩を抱いた。
「色々あって、不安定になっているんだよ。けど、無事に戻ってきてくれたのが何よりだ。私たちは気長に待とうじゃありませんか」
 悪いが、俺はそんなに気長には待てないけどな。
「そうねえ、あんなに綺麗だった黒髪もバッサリ切られて、裸同然で池のほとりに捨てられてたんだもの。よっぽど酷い目にあったのよねぇ」
「倉木屋さん」
 国光はたしなめるような眼差しを送った後、俺を振り向いて優しく微笑んだ。
「梅若、何も覚えていないのなら無理に思い出すことは無いよ」
「……うん」
 俺は、この時代のことも良くわからないし、何より中村座の女形っていう梅若の生活が全くわからないので、安直だけれど記憶喪失のふりをさせてもらった。だまされるこいつらも単純だが、梅若に呼ばれてやって来た未来人とか考えるほうが難しいだろう?
「それで、絵のことだけど」
「ああ」
 国光の瞳がいっそう優しくなる。
「私の絵のことだけは覚えてくれているんだね。嬉しいよ、梅若」
 だってそれを完成させなけりゃ、俺は元の世界に帰れねえんだよ。
 俺の内心を知らず、
「あたしも嬉しいですよ。それだけは、忘れてもらっちゃあ困ります。今を時めく歌川国光先生の描く美人画は、絵草子屋でも飛ぶ勢いで売れてますからねえ。今度は中村座の看板女形梅若を描くってって、江戸の町でも前評判がすごいのなんの……」
 倉木屋は得意顔でペラペラしゃべる。
「梅若には早く元気になってもらって、国光先生にいい仕事をして貰わなくっちゃ」
「俺はもう元気だから、直ぐにでも執りかかってくれよ」
「無理をするな」
「無理なもんか。もうすっかり元気だっつーのっ」
 と叫んだところで、襖の向こうから声がした。
「そりゃあ、良かったよ。梅若」
 はっと振り返ると、四十がらみの渋い男。
 縞の着物をパリッと着こなした、背筋の伸びた粋な立ち姿は―――
「座長(ざがしら)
 倉木屋が大声を出す。
 やはり、これが中村座の座長か。
「梅若の具合が気になってね」
 俺の顔を見て、痛々しそうに顔を顰めた。
「ひどい頭にされちまったね」
 ほっとけよ。これでも自分じゃ気に入ったヘアスタイルだ。
「座長、梅若は、ちょっと……」
 国光が小声で囁く。
 座長は軽く眉根を寄せると、口の端を歪めて
「ああ、聞いてるよ。しょうがないだろこんな酷い目にあっちまって、可哀相に。おかしくもなるってもんだ」
 腕を伸ばすと、俺の髪を梳くように撫でた。
「髪はカツラでなんとかなる。綺麗な顔が無事で何よりだったよ、梅若」
 そして、続いた次の言葉に、俺は目眩を起こしそうになった。
「舞台が、お前を待っているからね」



「舞台……今から……ですか?」
 呟く声が裏返る。
「無理ですよ、座長。梅若は病みあがりなんですから」
 白目を剥きかけた俺に代わって国光が必死に断ってくれたが、座長も引かなかった。
「元々『八百屋お七』は梅若のために選んだ演目だからねえ。梅若急病の為って言って藤若が代役に立っているんだけど、客足もだんだん鈍くなってて……」
 正座して背筋はしゃんと伸ばしたまま、座長は大げさに溜め息を吐いた。
「いよいよ看板を下ろそうかって時になって、松平の若殿様が見に来るっていうじゃないか」
「松平の?!」
 倉木屋も国光も目を瞠ったところを見ると、大した人物が来るらしい。
「そう、それで、お七はくれぐれも梅若でって、そこの御家来衆からもきつく言い渡されてね」
 座長が腕を組んで眉間にしわを寄せた。倉木屋が気の毒そうに相槌を打つ。
「そりゃあ、梅若が出ないわけには、いかないわねえ」

 ちょっと待て!
 どんな偉いやつが来るか知らんが、いや、偉いお人の前ならなおさら、俺が舞台に立つわけには行かないだろう?
 何しろ俺は、芝居どころか、盆踊りだって踊れねえんだっ!
 俺の内心の叫びは、座長には届かない。

「そういう訳でね。病あけに悪いたぁ思うが、出張っておくれよ、梅若」
 うそ〜っ!!
「今日お前が舞台に出てくれなかったら、いくら江戸三座と謳われてるうちだって、お取り潰しにあいかねないんだよ」
 そんな!!
 最後の頼みの綱とばかりに国光を見ると、辛そうに眉を寄せながらも
「いつもの通り出来なくても一生懸命やれば大丈夫だよ、梅若。でも、くれぐれも身体に無理はかけないでおくれ」
 そう言って俺の頭を抱き寄せた。
 ってことは、俺は舞台に立つのか??
「先生、うちの大事な商品に手ぇつけないでくださいよって、前にも言いましたよね」
 座長は俺を国光から引き剥がすと、そのままぐいぐいと引っ張っていった。
 表には用意良く駕籠が待っていた。ねじり鉢巻に短い袖を粋に捲り上げた駕籠かき兄さん達の二の腕の太さに驚く間もなく、俺は駕籠の中に押し込められた。
「行っとくれ」
「へいっ」
 座長の言葉に、威勢良く駕籠が走り出す。
「ち、ち、ちょっと待てっ。俺は、無理だっ、出来ねえよっ」
 駕籠の中でがくがくと揺れながら叫んだが、駕籠かきの
「えっほい、えっほい」
 の掛け声に、かき消されているようだった。


 ―――――――――どうなるんだよ。おい。




HOME

小説TOP

NEXT