「生まれてきて、すみません」


 なんちゃって。
 僕、高原玲於奈(たかはられおな)は、ごくごくたまにこうして自分を反省する。もちろんシャレでね。
 たとえば、今、手にしている今度の期末試験の問題。こんなの事前にもらったりして、それで学年トップの成績なんかとっちゃったりして、みんなから羨望の眼差しなんか貰ったりすると、ほんの少しだけ悪いことしてるなって気になる。でも、少しだけ。それなりの代償は払っているんだし。
 それにしても、榊原の奴、今日は容赦なかった。久し振りだったからしょうがないけど。でも、体育用具室なんて、床は固いし埃臭いし。この次はせめて視聴覚室にしてもらおう。あそこなら、床クッションになってたし。
 榊原って言うのは、僕のクラス二年一組の担任。僕に試験問題横流ししてくれた人。それなりに男前だしセックスも上手い。すこしねちっこいけど、まあ慣れれば平気。というか、ちょっと良かったりして。
 彼のおかげで、僕は、ここ明王学園で勉強に苦労することなく、高校生活をエンジョイしている。明王は大学までエスカレーター式の都内でも名の知られた名門校だ。
 ここに入るために、中学時代、死ぬほど勉強した。
 あの頃が、僕にとって一番努力をした時代だと思う。
 人生五十年、もっとだけど、一生のうち一番努力したのが十四、五歳の一年間だけなんて……。
 やっぱり人間失格かな。


 十五歳のあの頃の僕。
 あの日まで、僕はちゃんと努力する人間だった。



* * *

 当時、僕たちの間で密かに流行っていた遊び。それは、コンビニでの万引き。万引きっていっても、大したものを盗るわけじゃない。せいぜい、マニキュアとか、口紅みたいな小物。あと、ガムとかチョコとかね。たまに、サンダルとかでかいものをパクる奴がいて、それには大笑いした。
 あ、マニキュアとか自分で使うためじゃないよ。クラスの女の子にあげたりして、すごく喜ばれたりした。
 あの頃の僕は、女の子にもかなりモテたんだよね。でも、明王は男子校だから、ここに来てから女の子にはとんとご無沙汰。まあ、今の僕には関係ないけど。男子校だからこそ、僕みたいなのの価値が上がっているんだろうし。
 とにかく、あの頃、みんな高校受験のプレッシャーやストレスでちょっとおかしかった。ちっちゃな犯罪をコソコソやって、後からみんなで笑って……。もともと真面目に進学希望の受験生の集団だったから、犯罪って言ってもそれ以上エスカレートすることもなかった。


 そして、あの日。中三の夏休みも終わって、いよいよ受験勉強が過酷になって来た二学期の、確か大手予備校の模試の帰り。仲間と立ち寄ったいつものコンビニで、僕は、ズボンのポケットに入れた右腕をいきなり捕まれた。
「きみ、今ポケットに入れたものを出しなさい」
 血の気が引いた。
「なんのことですか?」
 声が震えた。
「今、棚にあった口紅をポケットに入れただろう。出しなさい」
コンビニの店長らしいオヤジが、恐い顔で僕の腕をねじり上げた。
「いた、や、やめっ」
 抵抗したけれど、ポケットから転げ落ちた口紅がカラカラと乾いた音を立てて床に転がったとき、観念した。
 そっと周りを見たけれど、同級生の姿はみな消えていた。
「お前ら、前からしょっちゅうやってるだろう。知ってるんだぞ」
 オヤジは僕を引きずるようにして、近くの交番に連れて行った。
「まったく、こんな可愛い顔をして手癖がわるいなんて」
 オヤジはブツブツと文句をいいながら、僕を交番に押し込む。
「どうしたんですか?」
 中には、まるで警察学校を出たばかりといった感じの若い巡査がいて、うなだれた僕を訝しげに見た。
「万引きですよ」
「え?」
「ちゃんと調書を取って、学校に通報して、親も呼んでやってください」
 オヤジの言葉に、僕は青褪めた。

 親を呼ぶ? 学校に通報?

 言われてみれば、当然だ。すると僕の内申書は?
 僕は明王に入るため、中学二年から必死に勉強していた。合格ラインにものっている。ただストレスがたまるのはしかたないんで、仲間と一緒に軽い気持ちで、こんな形で発散していただけなのに。
 僕が震え始めたのを見て、その若い巡査は気の毒そうに眉を寄せて言った。
「何を盗ったんです?」
「これですよ」
 オヤジがカランと机の上に転がした。
 五百円の安っぽい口紅。こんな物のために僕の人生は台無しになるのか。この先ずっと前科者として生きていくことになってしまうのか。
 その巡査は目を見開いて訊いてきた。
「君が使うの?」
 バカか、お前。
 いくら僕が女顔でも口紅なんか塗るもんか。しかも、こんな安っぽいパールピンク。
 そうなじってやりたかったけれど、ただ首を左右に振るしかできなかった。
「だよね。君、男の子だよね?」
 間抜けにも念を押す巡査。名札を見たら青嶋と書いてある。
 詰襟の学生服きてるんだからわかるだろっ! と言いたかったけれど、やっぱり頷くしかできなかった。
「そんなことどうでもいいから、早く学校に通報してくださいよ」
オヤジが言う。
「まあ、まだちゃんと調書もとっていませんし」
 青嶋巡査はおっとりと言いながら、僕を椅子に座らせた。
 そこにコンビニの制服を着たバイトらしい若い女がオヤジを呼びに来た。
「すみません。業者さんが……」
「ああ、直ぐ行く」
 オヤジはチッと舌打ちすると
「じゃあ、おまわりさん頼みましたよ。そいつまだ仲間がいるんだから」


 コンビニのオヤジがいなくなって、僕は青嶋巡査と二人向かい合って座った。
「ええと、じゃあ、一応君の名前を教えてくれる?」
 僕の身体がビクッと震えた。
 名前を聞かれたら、次は、学校だ。そして、自宅の連絡先。
(いやだ……)
 僕は、じわっと涙が出てきた。その目で、じっと青嶋巡査を見詰めると、彼の顔が赤くなったような気がした。
(?)
 実を言うと僕は、持って生まれた母親似の女顔のおかげで、しょっちゅう女の子に間違えられるだけでなく、色々なところで変な男に声をかけられたりしていた。
 わずらわしいとしか、思ったことなかったけど……。
 試しに、甘えた声を出してみた。
「ごめんなさい。僕……友達におどされてたんです」
 嘘だ。
「おどされた?」
 驚いて聞き返す言葉に、僕はこっくり頷いた。
「あのお店で、何か盗ってこないと、いじめるって……」
「だれに?」
「言えませんっ」
 思い切って青嶋巡査に抱きついてみた。
「きみっ」
 青嶋巡査がうろたえた。
 涙を溜めた目で、巡査をじっと見上げる。
 彼の息が荒くなった気がする。
(いけるかも……)
「おまわりさん…僕……」
 そっと顔を寄せ、耳元に息がかかるようにしてみた。
 何しろ、前科者になるかどうかの瀬戸際だ。持っている限りのフェロモン出してやる。


 そして、それは成功した。成功して性交。つまんないシャレ。
 息を荒げた青嶋巡査は、僕を奥の部屋に連れ込むと慌しく服を脱がした。
 派出所の奥って畳の部屋があるんだ。泊まりの番とかあるからかな。初めてみる場所に好奇心を刺激されたけれど、それ以上の刺激が直ぐに与えられた。
 青嶋巡査の唇が、荒々しく僕のそれに重なる。
「あっ、ん」
 わざと甘えた声を洩らすと、すぐに力強い舌が入ってきた。
 大人の男の人とこんな形でキスするなんて、人生何があるか分からない。
 ああ、でも、上手だ。
 僕はすぐに気持ちがよくなった。
「んっ、んん……うふ…ンッ」
 送り込まれる唾液に苦しくなって喉をそらすと、唇の端から唾液が零れた。青嶋巡査がゆっくり唇を離すと二人の間に糸を引いて、ひどくエロかった。
「あぁん」
 ここで冷静になられちゃ困ると思って、間髪いれずに甘えた声を出して、巡査の喉元に軽く噛み付いた。甘噛みってやつ? それは結構刺激的だったようで、巡査は僕を畳の上に押し倒して裸の胸にむしゃぶりついてきた。
「あっ、やだ。あ……あん、あ、あっ」



 それにしても、初めてなのによくできたと思う。叔母さんが読んでたそれらしい雑誌とかで仕入れていた知識がものをいったな。青嶋巡査の鍛えられた逞しい身体を見せつけられたときは、正直、ちょっと恐かったけど、前科者にはなりたくない。
「やさしく、して…ね?」
 声を震わせてささやくと、彼は荒い息をつきながらも頷いて、ゆっくりと指を入れて来た。

(いっ……てーっ!!!)

 痛い、痛いなんてもんじゃない。いや、痛いんだけど。こんな痛いの初めてだ。
 そりゃそうだ。
 処女喪失だからね。
 しかし、親指くらいでこんなに痛かったら、アレが入ってきたらどうなるんだろ?
 勘弁して欲しい。
「ん―――――――っ」
 僕は、歯を食いしばって、その指の痛みに耐えた。涙がぼろぼろと流れ出る。
「ごめん、大丈夫?」
 青嶋巡査が僕の顔を覗き込んで、困惑した顔をした。
 こうして見ると、身体だけでなく顔もなかなか良い男だ。
 おっとしかし、ここで彼に理性を取り戻されたら、まだ未遂ってことになるのか?
 前科者とバックバージンを量りにかけて、僕は言った。
「いいの……来て……」
 青嶋巡査の股間のモノがまた一回り大きくなった。
(切れるなぁ、確実に……)






 そうして、バックバージン喪失(切れ痔持ちのおまけ付き)の代償と引き換えに、僕は万引きの件を不問にしてもらった。
 そして、このとき知ったのだ。
 僕の身体は、武器になるということを。