巳琴は、人ごみの中を駆け出した。
眼鏡がないのでガンガン人にぶつかっている。その様子は遠くからでもちょっと目立ったので、自然に人が道をあけたが、立ちふさがる人間もあった。
走ってくる巳琴を胸で受け止める。
「あ……」
「ミコトくん」
貴虎とは別に巳琴を探していた美樹原。
「みき、はら、さん……」
巳琴は美樹原を見上げ、そして、うっと泣き出した。
おりしもその場所は、ディズニーシーの出入口に近い――ホテルミラコスタのまん前だ。
(チャンスかも)
とっさに美樹原がそう思ったことは責められない。と、思うがどうだろう。
とにかく美樹原は、泣きじゃくる巳琴の肩を抱いてミラコスタの中に入った。
「ちょっと、待っていて」
巳琴を椅子に座らせて、ホテルマンとの交渉にあたる美樹原。しかしながら、休日のミラコスタは満室だ。
「最上階でもかまわないけど」
強気に言ってみたが、そこも満室。不機嫌に柳眉を顰めると、ホテルマンは
「少々、お待ちください」
と、席をはずした。
「お待たせいたしました。東京ベイホテル某でしたら今日空き室があるそうです」
「そう」
美樹原は、人差し指の背で顎をなで、
「ここより格が落ちるけど、仕方ないね」
そう言って、ホテルマンに優雅に微笑んだ。
「ありがとう」
「いえ」
ディズニーシーのスタッフに、他所のホテルの空室状況を確認させるという大技の末、美樹原は巳琴をホテルに連れ込むことに成功した。
巳琴は、最初のうちこそ貴虎に言われたことがショックでベソベソ泣いていたが、ホテルにチェックインするにあたって、さすがにおかしいと思った。
「美樹原さん……なんで、ここ?」
「だって、巳琴くんが泣いているから」
美樹原は、優しく微笑む。
「人前で泣くのは、恥ずかしいでしょう?」
「それは……」
確かに高校生にもなって、人前で泣くなんて恥ずかしい。
そう思って、巳琴はうつむいて顔を赤くした。
「で、でも…もう、大丈夫です」
とりあえず、涙は引っ込んでいる。
「まだ、赤いよ」
美樹原は両手で優しく巳琴の頬を包むと、目許を親指でそっと拭った。
「ちょっとだけ、休んでいこう、ね?」
下心ありあり。
しかしながら巳琴には分からない。巳琴は素直に頷いた。
「じゃあ、顔洗ってきます」
泣いた後の顔が恥ずかしくて、巳琴がバスルームに行こうとすると、美樹原が腕を掴まえて引きとめた。
「ああ、待って」
せっかく酒が残っていていい感じなのに、ここで頭をすっきりされては困るというのが美樹原の思惑。
「はい?」
「その前に、ちょっと落ち着くのにお茶のもう、ねっ」
「はあ」
巳琴をストンとベッドに座らせて、美樹原は紅茶を作ってカップに注ぐ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
素直に両手で受け取って、コックンと飲む巳琴の喉を、美樹原はじっと見詰めた。
「なんか、ちょっと……」
「苦かった?濃すぎたのかな」
「いえ……」
巳琴の目が再びトロンと潤んだ。
(はやっ!)
美樹原は、効き目の速さに驚いた。
いや、悪い薬を入れたわけじゃない。
巳琴がむちゃくちゃ酒に弱いと知って、バーカウンターのミニボトルからほんの少しブランデーをたらしただけである。
それも下心によるものだが、責められない。と、思うがどうだろう。
「美樹原さん……」
「何?」
「何か……身体が……」
「身体が、どうしたの?」
「熱い、です」
(うっ……)
顔に血を上らせ、薔薇色に染まった巳琴の顔。ちなみに美樹原の血は、別のところに集まっている。
「あつ……」
巳琴の指が、シャツのボタンにかかる。
「大丈夫?」
美樹原が、それを助けるように指を伸ばす。
巳琴は可愛らしく首を振って、
「熱い」
喘ぐような声を出した。
「ミコトくん……」
シャツを脱がせて上半身を裸にすると、巳琴は自分から座っていたベッドに横になった。
「気持ち……いい……」
ひんやりしたベッドカバーの感触が気持ちよいのだろう。巳琴は寝返りをうつと胸と頬とをそのすべすべしたキルティングのカバーに擦りつけるようにした。
巳琴のほくろ一つない白い背中が、美樹原を誘う。
「ミコトくん……」
指先でそっと背骨の線をなぞると
「んっ……」
巳琴は、甘い声を洩らした。
(いけそう……)
美樹原はゴクリと喉を鳴らすと、自分も徐に上着を脱いだ。



美樹原は巳琴の背中にそっと覆い被さって、その滑らかな感触を自分の肌で感じた。
「ミコトくん……」
うっとりと囁いて、うなじに口づける。
「ふ……」
巳琴はため息のような声を洩らして、うつ伏せていた顔を動かした。巳琴の横顔、長い睫毛が震える。美樹原はそっとその横顔に指を滑らせ、薄く開いた唇に指先を忍ばせた。
「ん……」
巳琴の唇が自分の指を咥えるさまに、美樹原はゾクリと背中を震わせた。
体重をかけないように背中からそっと抱きしめて、指先でゆっくりと巳琴を犯す。
(ちょっと……たまんないかも)
自分の雄が痛いほど反応するのを感じつつ、それでも美樹原はまだるっこしいほどゆっくりと巳琴の肌を愛撫した。
(だって、もったいないもんね)
目の前の丸い肩が可愛らしくて、つい軽く歯をあててしまう。
「んんっ」
巳琴は眉を寄せて寝返りをうった。
うつ伏せていた巳琴が仰向けになって、裸の胸が明るい光のもとに晒される。
そう、外はまだ明るいのだ。
(かわいい……)
巳琴の白い胸を飾る薄紅色の突起に美樹原は目を奪われ、そっと指先で触れた。
ピクン、と細い身体が震えた。
調子に乗って摘んでみると、薄い皮膚が赤く染まった。
ゾクゾクしながらその紅色の突起に唇を寄せた。口に含んで舌の先で味わうと、
「やっ……」
巳琴が声をあげて身じろいだ。
「やめて、兄さん……」
ピクと美樹原の眉が跳ねた。
(兄さん……)
貴虎の顔が浮かんで、思わず萎えそうになった。
(いけない)
気を取り直して身体を起こして、巳琴の顔を眺める。上気した頬。ほんの少し寄せられた眉。薄く開いた唇から小さく覗く前歯が愛らしい。
(やっぱり可愛い)
貴虎とは全く似ていないその小さな顔に、キスの雨を降らせると
「くすぐったいよ、兄さん」
巳琴は目を閉じたまま笑った。
「う……」
美樹原は考えた。
(イメクラ…….)
兄さんという言葉を受け入れる状況が必要だった。
(僕は巳琴君のお兄さんで、いや、両親が再婚して新しく出来た兄弟って設定にしよう。そして、その両親がいない隙についに結ばれる……)
ちょっと萌えた。
(弟は新しく出来た兄さんのことが好きで、でも、男同士だからそんなこと口に出せなくて悩んでいたんだけれど、弟の無意識に誘う視線に気づいた兄が、ついに道を踏み外す……)
とか妄想している美樹原も、とっくに道を外れている。
「ミコト……」
しっとりと口づけて舌をからめたけれど、巳琴の反応は無かった。
いや反応が無いというより、むしろ、
「んーっ」
右手をグーにして、顔をこすって
「むにゃ……」
寝ている。
「み、みこと、くん?」
覗きこむ美樹原の目の前で、巳琴は安らかな寝息を立てている。
「………………」
美樹原は、大きくため息をついた。

「まったく、こんなチャンスもう二度とあるかどうか……」
呟きながら美樹原は巳琴にシーツを掛け直すと、自分も一緒に入ってそっと巳琴を抱きしめた。
その感触は温かくて優しくて、胸の奥が熱くなるほど。
「こういうのも、ありかもね」
巳琴の華奢な身体をすっぽりと包み込んで、美樹原も眠った。

ピピピピピピ……

「あれ……?」
巳琴は電子音で目を覚ました。
見慣れない天井。自分を抱いている温かな腕。
「ええっ!」
ガバッと起き上がる。
「ん?」
美樹原も目を覚まして、
「ミコトくん、起きたの?」
すぐに電子音に気がついて、
「ああ、僕が目覚ましかけておいたんだ」
ベッドサイドのデジタル時計のスイッチを切った。

「み、みき、はら、さ、ん?」
巳琴は愕然としている。
自分を抱きしめていた美樹原の裸の胸から目が離せない。
そして、自分も裸だ。
(し、下、は……?)
そっと手を伸ばすと、どうやらパンツは穿いている。
(でも……)
そっと自分の裸の胸に視線を落として、胸についている紅い痕に目眩を起こしそうになった。
「ぼ、僕……」
真っ赤になってシーツを手繰り寄せた巳琴に、美樹原はちょっとしたいたずら心をおこした。
微笑んで優しく囁く。
「よかったよ」
「うそっ!」
巳琴は叫んだ。
手を出せなかった悔しさで、美樹原はもうちょっと遊んでみようと考えた。
「ミコトくんって、意外と大胆なんだね」
「え?」
「もっと、もっと……って、もう僕の方がもたなかったな」
ふっと睫毛を伏せてみる。
「そんな……」
巳琴は、呆然とした。
でも、夢の中でかすかに記憶している。口づけの感触。胸への甘い刺激。
「僕……美樹原さんと?」
顔を伏せて呟くように尋ねると、美樹原は笑いを堪えて言った。
「うん。ミコトくんが、誘ったんだよ」
(僕が……)
いくらお酒によっていたとはいえ、そんなこと――巳琴は、ショックを受けた。
お酒に関しては、昼間ディズニーシーで飲んだことしか覚えていない。
その後、何故こうなったか、ショックのあまり記憶も曖昧。
混乱している巳琴に美樹原はたたみこんで言った。
「こんなことになっちゃったんだから、責任とってもらおうかなあvv」

巳琴は静かに顔を上げて、美樹原を見つめて言った。
「わかりました」
「へっ?」
美樹原は綺麗な顔に似合わない素っ頓狂な声をあげた。
「わかったって……?」
「こんなことになったの、僕のせいなら責任とらないといけないですよね」
巳琴の言葉に、美樹原はうろたえた。
(まさか本気にされるとは……)
巳琴は思いつめたような顔で美樹原を見つめる。
「僕、美樹原さんとお付き合いします」
(ひ?)
事の展開に、美樹原自身がついていけない。
そんな美樹原の動揺を知らずに、巳琴は睫毛を伏せるとシーツを握り締めてポツポツと話し始めた。
「正直……自信ないんです」
「えっ?」
「貴虎兄さんの周りにはいつも大勢女の人がいるし、今日だって、内緒でデートしているし」
(ああ、タカトラのことね)
美樹原は黙って巳琴の言葉を待つ。
「これから先、今までのように兄さんのことずっと想っていられるか……自信、無いです」
「ミコトくん?」
意外な言葉に、思わず顔を覗き込む。
「兄さんに知られないで想っていた時はこんな風に考えたことなかったんです。でも、兄さんが僕のこと好きだって言ってくれたから、なんか変に期待するようになって……そしたら、なんだか、前より辛いことが多くなって……」
「ミコトくん」
美樹原は、巳琴の頭を胸に抱いた。
「タカトラは誰より君のことが好きだよ」
(あ、何言ってるんだ、自分)
巳琴の気持ちが切なくてつい敵に塩を贈る真似をしてしまい、内心自分を責める美樹原。
しかし、巳琴はそれには応えず
「……それに、僕、何となく最近思うんです。兄さんの僕を好きだって言う気持ちはひょっとしたら、やっぱり兄弟だからかな……って」
美樹原の胸の中で、小さく鼻をすすった。
「僕が他の人を好きになるのが、嫌なだけじゃないかなって」
ぎゅっと胸に顔を押し付けてくる巳琴が可愛くて、美樹原は抱く腕に力を込めた。
頭の中で、色々と考える。
貴虎が巳琴のことを好きなのは間違いない。しかし、確かに貴虎は相変わらずライブじゃ女をはべらしているし、今日の相手はともかく、結構遊び歩いている。巳琴が不安になるのも無理はない。
ここはひとつやっぱり自分が巳琴を幸せにすべきじゃなかろうか。
「……確かに、貴虎は独占欲の強い男だからね」
美樹原の言葉に、巳琴の身体がピクリと震えた。
「可愛い弟が僕なんかに取られそうになったから、ムキになったと言えなくもない……」
「ふ……」
巳琴の両手がぎゅっと握り締められて、美樹原は胸を痛めた。
(また可哀相なこと言ったかな……)
ここで良心が疼かなければ、美樹原はもっと早く幸せになっていた男。
「でも……そうじゃないかも知れないし……やっぱり、本当にミコトくんのこと好きなのかも……」
フォローにまわってみたりして――今ひとつ詰めが甘い。
しかし、そんな美樹原に神が味方したのか、巳琴の言葉。
「でも、僕、美樹原さんとつき合った方が幸せなのかもしれない」
「えっ?」
「美樹原さんとだったら、こんなに不安な気持ちにならないし……」
「そ、そう……?」
「それに……」
巳琴は、顔を赤くして蚊の鳴くような声で言った。
「美樹原さんと、こんなことしちゃったんなら……やっばり、美樹原さんとおつき合いしないといけないと思う」
「こ、んなことって……」
美樹原は小さくゴクッと喉を湿らすと、やはり小声で訊ねた。
「タカトラとも、したことあるんでしょう?」
巳琴は胸の中でふるふると首を振った。
「途中までだけ……」
言いながら、恥ずかしそうに小さくなる。
「いっつも、痛くって……出来なかった」
ドドーン
美樹原の頭の中で花火が上がった――嬉しかったのか?
「でも、美樹原さんとはできたんでしょう? お酒のせいかも知れないけど……」
巳琴はそっと顔を上げた。
恥ずかしそうな上目遣いが、鼻血が出そうになるほど艶めかしい。
「ミコトくんっ!」
美樹原は、巳琴をぎゅっと抱きしめて叫んだ。
「やっぱり君をタカトラには渡したくない」
「美樹原さん……」
美樹原は、もう嘘でも何でも、巳琴を自分のものにするなら手段は選ばないと決意した。
「じゃあ、これから家に帰って、タカトラにはっきりと言おう」
「……はい」





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