「行かない」 「何で?」 「何ででも」 「このお兄様のライブを、見たくないのか?」 「見たくない」 「………………」 宇喜多家のリビングでの、兄弟の会話。 貴虎の眉間に深いしわが刻まれる。 ウッキーズのライブコンサートのチケットを渡そうとしたところ、巳琴が即答で断ったため、険悪な雰囲気になっている。 「前は、見に来たじゃねえか」 「前は、前だもん」 頬を赤くした巳琴が頑固に言うので、貴虎もようやく諦めた。 「わかったよ」 ぷいとリビングを出て行く後ろ姿を目で追って、巳琴はソファの上で膝を抱えた。 (だって、見たくないんだもん) 先月、貴虎のライブを見た時、巳琴は二つの衝撃を受けた。 一つは、貴虎のあまりのカッコ良さに。 もう一つは、その貴虎のあまりのモテように。 ギターを弾く貴虎に、群がる女の子の数々。 ボーカルの美樹原も人気があったが、貴虎のファンは比べ物にならないくらい過激だった。貴虎自身のセックスアピールの強さによるものか、過去の行いによるものからなのか、貴虎のファンは興奮すると脱ぐことも平気のイケイケが多かった。 (……イケイケって言葉、死語かな?) 巳琴は首をひねって、 (でも、本当にそんな感じだったんだもんっ) ぎゅっと膝を抱え直して、リビングテーブルの上に置き忘れられたチケットを睨む。あの場面を見た後、巳琴はショックで夢を見た。自分の目の前でギターを弾いていた貴虎が、百人の綺麗なお姉さん達に囲まれて、連れ去られていく夢。 どんなに泣いて叫んでも、貴虎は戻ってきてくれなかった。 綺麗でナイスバディなお姉さんに運ばれていきながら、貴虎はギターをかき鳴らして変な歌を歌っていた。 ♪きゅっ ぼん きゅーっ♪ ♪ぼん きゅっ ぼ〜ん♪ 目覚めてみればひょうきんな夢だが、見ていた最中は悪夢だった。貴虎のライブを見たら、また周りの女の人に嫉妬して、変な夢を見てしまう。だったら、ライブなんか見ない。貴虎の周りの女の人のことも、なるべく見ないようにしよう。 巳琴は、そう決意していた。 「ミコトくん」 学校の帰り、いきなり声をかけられて巳琴が振り返ると、美樹原がいつもの涼しげな美貌で微笑んでいた。 「今、帰り?」 「はい」 「偶然だね。駅まで一緒に行こう」 明らかに待ち伏せしていて偶然も何もないものだが、巳琴は素直に頷いた。 「今度のライブ、来られないって?」 「あ、はい……」 「新曲もあるのに、残念だなあ」 「……ごめんなさい」 「何で、来たくないの?」 「え?」 「だって、そんな時間に、ミコト君にほかに用事があるわけないし」 「はあ」 その通りだ。 「ライブハウスが苦手なのかな」 「それも……ありますけど……」 「けど?」 「あ、いいえ、何でもありません」 「ふうん」 うつむく巳琴の横顔に美樹原は訝しげに視線を送ったが、すぐに明るい声で言った。 「それより、ディズニーシーのチケットが二枚あるんだけど、今度の日曜一緒に行かない?」 「へっ?」 巳琴は、驚いて顔を上げた。 (美樹原さんって…….) 確かお付き合いは断ったはずだ、と巳琴は思った。 (僕が、貴虎兄さんを好きだってことも知っているのに……) 巳琴が言葉を無くしてじっと見つめると、美樹原はにっこり微笑んだ。 「ネバーギブアップ、ってね」 ああ、それも、死語じゃないかなあ、と巳琴は心の中で呟いた。 「別に二人で行ったからって、デートじゃないでしょ?――例えば、学校の友達の誰かとディズニーランドに行くとか言っても、それをデートだって言って、貴虎は怒ったりする?」 「それは、ないですけど……」 「ねっ?」 「でも、美樹原さんと二人って言うのは、やっぱりマズイです」 学校の友達とは訳が違う。貴虎は、絶対怒るだろう。そう思って応えたのだが、美樹原は妖しく目を細めて巳琴を見つめた。 「それって、僕のこと、ちょっとは意識してくれているってこと」 「えっ?」 「だって、そうでしょ?僕以外の人となら、二人で遊園地くらい行けるのに、僕とは行けないなんて、むしろすごく意識しているってことじゃないかなぁ」 「う……」 「僕のこと何でもないなら、昼間一緒に遊ぶくらい、何てことないんじゃないの」 「…………」 屁理屈で巳琴の口を封じて、美樹原は、ディズニーシーのチケットを、巳琴の制服の胸ポケットに差し込んだ。 「じゃ、日曜日、十時に舞浜駅、現地集合」 あえて待ち合わせ場所を自宅近くにしないのは『やっぱりやめます』と当日キャンセルされるのを避けるため。美樹原、なかなかの策士であった。 「来なかったら、ずっと待ってるからね」 一瞬だけちょっぴり切ない視線をおくって、美樹原は、駅の改札を逆方向に歩いて行く。その笑いを堪えきれずに緩む口許は、巳琴には見えない。 巳琴は、美樹原のペースに乗せられてしまったことを感じて、小さく溜息をついた。 「どーしよ……」 * * * 「巳琴っ」 教室に入ったとたん、吉村弘明(ひろあき)に名前を呼ばれた。学級委員長をしている活発でしっかり者のクラスメイトだ。 「なに? 弘明くん」 「お前、今度の日曜、空いてる?」 「え?」 一瞬考えて、そういえば、美樹原と約束があったと思い出した。 「その日は」 空いていないと応える前に、弘明が言った。 「皆で、ディズニーシー、行かないか?」 「えっ?!」 「俺んちの親の会社で安くチケットが買えてさあ。四枚あんだけど、巳琴も行かないか?」 「…………」 (何で、よりによってディズニーシー?) 美樹原に誘われたのと同じ所で、巳琴は驚く。 つい最近出来たばかりの大人気アミューズメントパークだから、こういう偶然は不思議じゃない。とは言うものの、日にちまで一緒と言うのはどうだろう。 「今週末の、日曜だよね?」 巳琴は、眼鏡の奥の瞳でおずおずと弘明を見る。 「ん、ああ。都合、悪い?」 「うん……」 「そっかあ、巳琴が来れないんなら、日を変えるかな」 弘明がぽそりと言う。 「そんな、僕だけのために、だめだよ」 巳琴は慌てた。弘明は、どこか少しふてくされたように、 「だって、お前、この日ダメなんだろ?」 手の中のチケットを爪ではじく。 そのとき、巳琴の頭に閃いた。 「じゃあ、みんなで一緒に行く?」 「は?」 弘明が、顔を上げる。 巳琴は、 「実は、その日、僕も兄さんの友達と、ディズニーシーに行くことになっているんだ」 美樹原とのデートに同級生を誘うと言う、大胆な提案をしてしまった。 日曜の朝、巳琴が出かける準備をしていると、貴虎が珍しく起きてきた。 ギクリとしながら、朝の挨拶。 「お、おはよう、兄さん」 「ん?ああ、出かけるのか?」 「うん……学校の、クラスの……弘明くんとかと……」 一緒だと言うのは、嘘では無い。 美樹原のことは、言おうか言うまいか、ずい分悩んだけれど言えなかった。 「ふうん……俺も、今日は出かけるから、帰りは遅い」 「あ、そうなの?」 「ああ」 貴虎は、ボリボリと腹を掻きながら、バスルームの方に消えていった。 巳琴は罪悪感を覚えつつも、それ以上何も訊ねられなかったことにホッとして、貴虎がシャワーから出てくる前に家を出た。 待ち合わせをした駅に行くと、弘明たちはもう先に来ていた。 「おはよう、巳琴」 「おはよう、弘明くん、透くん」 「よっす」 「あれ?武志くんは?」 「タケは、ちょっと遅れるって電話があった。でも、もう来るぜ」 「そうなんだ。僕も待たせてゴメンね」 巳琴がぺこりと謝ると、弘明も透も慌てたように言った。 「そんな、巳琴は遅れちゃないぜ」 「ああ、俺たちが張り切って早く来ただけだし」 二人の様子に、巳琴は微笑んだ。 とたんに、弘明と透が頬を染めた。 残念ながら、巳琴はそんなことに気が付くタイプではなかったが。 武志が合流して、到着した舞浜駅。 美樹原は、改札から吐き出されてくる大勢の人の中から巳琴の姿を見つけて、優雅に微笑んで、そして次に、その後ろにぞろぞろ付いて来る男三人に、美しい顔を引きつらせた。 「えっと、ミコトくん、この人たちは?」 微笑んだ顔をこわばらせて、巳琴に尋ねると、 「僕のクラスメイトです。偶然、今日ここに来るって言うんで、一緒に来たんです」 ちょっと困ったように笑って、 「こっちから、吉村弘明くん、小石透くん、松岡武志くん」 ご丁寧に紹介までする。 「初めまして」 「……っす」 「よろしくお願いします」 三人三様の挨拶。 美樹原は、目眩がしそうになった。 (なんで、こんなにコブがついて来てんだよ!) 「ええと、まさか君たち、中まで、僕たちと一緒にまわるとか?」 美樹原が微笑みながら――でも、目は笑ってはいない――訊ねると、 明が挑戦的な目をして言った。 「俺たち、四人で来たんです。あなたが巳琴と一緒だっていうんなら五人でまわりますけど?」 美樹原は、ムッとした。 弘明は、内心このひどく綺麗な顔の男に動揺していた。 しかし、それを顔に出すわけにはいかない。 (これでも、俺は……学級委員長なんだから!) 関係ないと言えばそうだが、とりあえず。 しっかり者のレッテルに恥じない男でいたい。でないと、巳琴にも相応しくないと思っている。 そう、この吉村弘明は――ついでに言っておくと小石透も――密かに巳琴が好きだった。 その弘明が、美樹原に同じ匂いを嗅ぎ取った。 (兄さんの友達とか言っていたけれど、どうもそれだけじゃなさそうだぜ……) 美樹原と弘明の間に、火花が散った。 一方、当事者巳琴は、美樹原はともかく弘明の気持ちなど知る由もないので、その場の雰囲気も全く読めず 「じゃあ、皆でまわろうよ」 ニッコリ笑った。 内心、ほっとしていた。 (これで、兄さんに、嘘をついたことにならないよね) 美樹原も一緒だけど、友達三人が一緒だから、これはデートじゃない。 貴虎を裏切ったことにはならない。 |
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