劇の撤収をしながら、春日の機嫌はすこぶる良かった。
すれちがった赤松かビクリと振り返る。一緒に資材を運んでいた児島に囁く。
「今、春日会長、鼻唄歌ってなかったか?」
「え?」
児島も振り返って春日の背中を目で追う。
「まさか……空耳だろ」
「……だよな」
あの春日が浮かれて鼻唄を歌うなどとは、とても考えられない。
しかし、考えられないほど、春日は浮かれていたのだった。
(強……)
保健室でのキスを思い出すと、頬が緩む。
顔に血を上らせて潤んだ瞳で見つめ返してきた強に、春日は絶対の手ごたえを得た。
(念願の両思い)
思えば、長い道のりだった。
七月に意識してから、強が帰ってくるまでの一ヶ月半、そして二学期が始まってからの一ヶ月。他の誰と遊ぶ事も無くひたすら強を待っていた自分を、自分で褒めてやりたい。
後輩に指示を出す声も、自然、弾むというものだ。
「ヤチ、どうしたんだ?」
沢木が訝しげに眉を寄せる。
「え?別に……」
そう応える顔が、キラキラと輝いて見えるのが、沢木には不気味だった。
「別にって、顔じゃねえが……」
小さくぼそりと呟いたものの、触らぬ神に祟りなし――用法間違っているが――そっとしておくのが無難だと判断した。


後夜祭のファイヤーストームの準備が始まっている。
各教室の、模擬店や展示で使った資材を、グラウンドの真ん中で燃やすのだ。生徒会時代劇の背景や角材なども、運び込まれていた。
「そういえば、泉がまだ戻ってきていないな」
沢木が、あたりを見回す。強に付き添って一旦部屋に帰ったが、戻って来たなら直ぐに自分の傍に来るはずだ。
「まだ、部屋かな」
「迎えに行けば?俺も一緒に行く」
春日が微笑んで言うのに、沢木は不審げに訊ねる。
「何で、お前も行くんだ?」
「強の足の様子も気になるだろ?」
「ああ、そうか」


ノックの音がして、そのまま部屋のドアが開かれた。
「泉、まだいるのか」
沢木が、普段通りに遠慮なく、あがって来る。
強のベッドサイドに座っていた泉は、はっと振り返って、沢木の後ろに春日の姿を見て、身をこわばらせた。
泉の赤い目を見て、沢木が笑う。
「何だ、また泣いていたのか」
「あっくん……」
「ただの捻挫なんだから、そんなに心配することないぞ」
沢木が言うと、強が上目遣いで睨む。
「たとえその通りでも、お前に言われると腹立つ」
強の目には、もう涙の痕は無かった。
「ファイヤーストームが始まるから、戻ろう」
沢木が、泉の肩に手をかけると、泉はぴくっと身体を震わせて、瞳を揺らした。
たった今、強に春日のことを諦めてくれと言ったばかりだ。自分だけ、沢木と一緒になんか、行ける筈が無い。
「ごめんなさい。僕……ツヨくんと一緒にいたいの」
泉の言葉に、沢木が瞠目する。
「何言ってるんだ、泉」
「……ごめんなさい」
沢木の目を見上げて、泉はきゅっと唇を噛んだ。
「強の付き添いなら、俺がやるよ」
沢木の後ろから、春日が声をかけた。
「いえ……僕が、付いていたいんです」
泉がほんの少し困ったように眉を寄せて、春日を見返す。
沢木が、その泉をじっと見おろしながら、低い声で言った。
「俺たち、二人一緒に学園祭を過ごすのは、今年だけなんだぞ」
三年生の沢木も春日も、来年はここにいない。
それは充分わかっているが、強を独りにして行くことはできない。
「ごめんなさい」
うつむく泉に、沢木が顔に朱を散らした。
「なんでっ……」
その様子に、ベッドに身を起こしていた強が、慌てて口を挟んだ。
「いいよ、泉、行ってこいよ」
「そうそう。強なら、俺がちゃんと見といてやるから、ベッタリ付きっきりで」
いつもの春日の冗談めいた軽口だったが、強は胸がズキンと痛んだ。
「ダメですっ」
勢いよく立ち上がった泉が、沢木の身体をぐいぐいと押して、部屋の外に押し出す。
その後ろにいた春日も、一緒に押し出された形になって、二人とも呆然とした。
「ごめんなさい」
最後にそう言って、泉はドアを閉めた。
鍵を掛ける音がする。
「って、何だよ、泉っ」
沢木が、叫ぶ。
沢木にしてみれば、今の泉の態度、全てが信じられない。
いつもいつも、素直で、大人しくて、沢木の言う事には逆らったことの無い泉。
何も、こんな大切な日に、反抗期に入ることは無いだろう。
春日も腑に落ちない顔をしたが、まさが自分がその原因だとは、このときは思いもしなかった。


ドアの鍵をかけると、泉は足早にベッドに戻って、横に跪いた。
「泉……」
強が、眉を寄せる。
「ごめんね、ツヨくん。うるさくしちゃった」
泉がニコッと笑う。無理しているようで、強は胸が痛む。
「本当に、行って良かったのに」
「嫌だ、ツヨくんの傍にいるの」
布団に包まっている強の腰にぽふっと頭を乗せて、上目遣いに見上げて微笑んだ。
「泉」
「ツヨくん」
ゆっくり、瞳で会話する。
ずっと昔から、黙っていてもお互いの気持ちが伝わる。
今感じるのは、お互いがとても愛しいという気持ち。

初秋の風にまぎれて、グラウンドの賑やかな音が聞こえてくる。
夜の帳が落ちて、もうすぐファイヤーストームの炎が天を焦がすだろう。
「ここからでも、見えるかな」
窓の外を気にして呟く強に、泉はふっと笑って、
「ここ、三階だけど……たぶん、校舎が邪魔で見えないよ」
腕を伸ばして、カーテンを開けた。
予想どおり、窓の外には見慣れた木々と、その奥には自分たちの校舎が見えただけだった。
そして、泉は、外の暗さに窓に映った自分たちの姿にはっとした。
(似ている)
ベッドの上で、どこか所在無げにしている強が、自分と似ている。
(双子だから……)
当たり前だと思っても、泉は胸が苦しくなる。
強は今まで、こんな表情(かお)をしていただろうか―――?



* * *
学園祭翌日。
朝のエントランスに、いつもなら泉を待っているはずの沢木の姿が無かった。
「沢木……どうしたんだろ。やっぱり怒ってるのかな」
泉の顔色をうかがいながら、心配そうに強が呟く。
泉はいつものように瞳を潤ませそうになったが、指先できゅっと目元をぬぐった。
「しかたないよ。僕が悪いんだし」
「泉……」
沢木が怒るのも、無理はない。
想い出になるべき最後の学園祭の夜を、すっぽかしたのだから。
(それでも、ツヨくんといたかったんだもの……)
「ツヨくん、僕、ツヨくんの足が良くなるまで、一緒にいるからね」
「え?いいよ、ただの捻挫なんだから」
「ううん、ちゃんと良くなるまで、一緒にいる」
本当は、足じゃなくて、心の痛みがなくなるまで――――と言いたいのだが。
泉は、強が春日を好きになっていることに気がついてしまった。
けれども、春日では強を幸せに出来ないと信じている。
強には絶対に幸せになって貰いたい。
そして泉は、自分が今まで何も考えずに沢木との幸せに浸っていたことも、申し訳なく思い始めていた。
(僕、今まで、自分のことしか考えてなかった……ツヨくんが元気になるまで、あっくんとのことは少しお休みしよう)
沢木なら、きっとわかってくれる。
―――そう考えた泉は、まだまだ考えが甘かった。

昼休み。
強と一緒に学食に行った泉は、トレイを持って並んでいる沢木の姿を見た。
ドキンと胸が高鳴った。
入り口で佇んだ泉とその横に立つ強を、沢木はチラリと見た。けれども、すぐにすっと目を逸らし、そのまま知らぬ顔で、一緒に並んでいる級友らしい男と話を始める。
(あっくん……)
泉は瞳を見開いて、その様子を見た。
沢木は、怒っていた。
もともと、何でも自分の思い通りにしないと気がすまない性格だ。
楽しみにしていた泉と二人のファイヤーストーム。それがダメになってしまった怒りが、そのまま泉に向けられている。
泉が可愛くて愛しいからこそ、一緒に居たかったからこそ、その泉の裏切りともいえる行為――沢木はそう思った――に、酷くムカついたのだ。
それは、泉が考えていたよりもずっと、深刻な状態。
「何だよ、あれ」
強が下唇を突き出す。
「……いいの、ツヨくん」
「だってさ」
「いいの、あっちで食べよう」
泉は、わざと沢木と遠いテーブルを選ぶ。
沢木が、眉間にしわを刻んでそれを見る。
百万石学園名物ラブラブカップルの、初めての喧嘩。

「泉、泣くくらいなら、沢木のところに行ってこいよ」
カレーを乗せたスプーンを口に運びながら、涙を零している泉に強が呆れた声を出す。
「……泣いてないよ」
コップの水を飲みながら、スンと鼻をすする。涙が、ポロポロと頬の上を転がっている。
(誰が、どう見ても、泣いてんだよ)
溜息をついて、強もグイッと水を飲んだ。
泉が自分に付き添っていたために、沢木との仲がマズくなるというのは本意ではない。
それでも昨日、無理に泉を行かせなかったのは、そうすると春日と二人きりになってしまいそうだったから。
『春日先輩は、ダメだよ。ツヨくん』
春日のこと、好きになりかけていたけれど、泉がダメだというならしかたない。
なんとなく、胸が痛むけれど、それも少しの間だけだ。
大好きな泉を悲しませるようなことは、強にはできなかった。

「強、足、どうだ」
学食を出たところで、後ろから声がかけられた。
振り向かなくてもわかる、春日の声。
前にまわって双子の前に立ち、美貌が微笑む。沢木と一緒ではなかったらしい。
「今日、何時に帰る?夕食前、部屋行っていいか?」
春日の言葉に泉が緊張するのがわかって、強も困った顔をした。
何だと訊ねるように首をかしげた春日の腕を取って、強は壁際に寄った。
「強?」
「あのさ、あの……保健室でのこと、忘れてくれ」
「は?」
強は顔を赤くして、睫毛を伏せたまま唇を尖らす。
「あれ、無かったことにしてくれよ」
「……って……??」
呆然とする春日に、
「じゃっ、そういうことだから」
強は小さく叫んで踵を返すと、右足を引きずりながら泉のもとに戻った。
「ツヨくん?」
泉が不安そうに声をかける。
「うん、大丈夫」
意味無くVサインをして、泉に微笑むと、強は教室に向かって歩く。
(大丈夫!あれが無かったことなら、また以前のようになれる)

―――なんとなく、胸が痛むけれど、それも少しの間だけだ―――




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