「今日からいよいよ、台詞合わせだ」 生徒会の劇の練習、実は今まではアクションシーン中心で、台詞は適当。 生徒会書記長児島が、自作の台本を持ってやって来た。 密かに同人活動もやっている児島。かなりの熱の入れようだ。 「おい、この『への七番』って何だよ」 強が、台本を開くなり剣のある声を出した。 「あ、それは、沢木副会長がそうしろって……」 児島が少しうろたえて、自然と沢木の背中に廻った。 「お前のコードネームだ。決まってるだろ」 沢木が平然と応える。 「何で、007が『への七番』なんだよっ」 強が歯を剥いて怒ると、沢木は笑った。 「江戸時代にゼロゼロとか、言うか」 「主役が『への七番』じゃかっこつかねえだろお」 「カッコは俺がつけてやるから、気にすんな」 台本を良く見ると、強はほとんど台詞が無い。代りに沢木は、『陰の』大ボスとは思えぬほどの目立ちぶり。 「お前、これ、企んだな」 強が上目遣いに見上げると、沢木はその頭を、子供を相手にするようにクリクリ撫でながら言った。 「お前のおつむじゃ、たくさん台詞覚えるの無理だろ?身体動かす分、極力、台詞は無くしてくれって……俺の親心というか、義理の兄心だぞ」 「だれが、義理の兄だよっ」 しかしながら言われてみれば、橋田ドラマのように長々とたくさんの台詞があったりしたら、そっちの方が地獄だ。強は、沢木の好意――かどうか、謎だが――を受けることにした。 「その代わり、最後に良いシーン入れてますよぉ」 児島が、沢木の後ろから顔を覗かす。 「最後?」 強が、パラパラと台本をめくっていって、クライマックスのシーンで固まった。 倒幕を企む闇の組織にさらわれた春日の局(ボンドガール)と、それを苦難の末助け出した『への七番(007)』との、濃厚なラブシーン。 「何だよ、これぇっ」 「007といえば、これは外せませんからね」 児島は沢木を見上げてにこっと笑う。沢木も満足げに頷いて、 「こういうのが無いと、受けないからな」 珍しく大衆を意識した物言い。 そこに春日が嬉しそうにやって来た。 「ナイス、児島。なかなかいいよ、この台本」 「そうですかぁ」 美貌の会長に褒められ、児島は舞い上がる。 「このクライマックス、もうちょっと演出してもいい?」 ニッコリ微笑む春日に、児島は目をハート型にして揉み手で応える。 「会長のお好きなように〜」 「何、考えてるっ」 春日に背中から抱きこむようにされながら、強はその胸の中でジタバタと抗った。 その様子に、少し離れた所から見学している泉が、不安げな表情をした。 「衣装の事なら、任せてくれたまえよ」 百万石学園理事長、前田利彦。加賀百万石の前田家の流れを汲むボンボン――といっても三十七歳、もう直ぐ不惑。確かに彼の生き様に既に惑いは無い――がニコニコと舞台の上の生徒達を眺めている。 「前田家の国宝級の着物は、恐れ多くて使えませんよ」 隣で沢木が応える。 「代々の時代劇で使われた衣装が山のようにありますから、大丈夫です」 「まあ、足りないものがあったら言ってくれたまえ。それにしても、君の衣装、それは……」 「はい?」 沢木の持っている《闇の組織の総帥》の衣装を見て、前田が懐かしげに腕を伸ばす。 「ううん、懐かしいなあ、これは私が学園の生徒だったころの『魔界転生』の衣装だよ。知ってる? 沢田研二……?」 「………いえ」 私立百万石学園生徒会時代劇、侮れない歴史である。 * * * 台詞あわせも済んだ翌週の日曜日。いよいよ、衣装をつけた通し稽古の日。本番は三日後に迫っている。強たちは、朝から大忙しだった。 「ツヨくん、すごい、本物の忍者みたいだよ」 泉が両手を胸の前でパチパチと叩いて、頬を染めて強を見る。 (本物の忍者って、何だよ) ちょっと照れながら、強は心で突っ込む。 本物も何も、上から下まで忍者の衣装だ。日光江戸村のからす屋敷だ。 そして、沢木は時代劇なのに――和装にはちがいないが――エリザベスカラーをつけて現れた。 「あっくん……」 泉が目を瞠る。 「沢木、なんだよそれ」 強は仰け反った。 沢木は飄々としたもので、むしろ面白がるふうに自分の襟をひらひらさせて言った。 「『利家とまつ』の信長のエリザベスカラーよりは、似合っているだろ?」 「うん、素敵、あっくん」 泉がぽうっと目元を紅く染める。 「泉……」 「あっくん」 (バカップル……) 強は白い目で、見詰め合っている二人を見た。 「お待たせ」 そこに、ボンドガール春日の局、美貌の生徒会長が現れた。 「お……」 強が、思わず息を飲んだ。 周囲の視線も、一斉に集まる。 「会長!美しすぎます〜」 豪華絢爛の着物を纏った女装の春日に、書記長児島もメロメロ。 「どうだ?」 ふふふと自慢げに微笑む春日。 「相変わらず、女装が似合うな」 沢木が呆れたように笑う。 「とても綺麗です」 これは、毒気に当てられたような泉。 「強、感想をくれないのか?」 春日が形の良い紅い唇を持ち上げて、ニッコリ笑うと、強は顔を赤くしてぶっきらぼうに言った。 「……デカイよ」 確かに、草履まで入れると春日の局は百八十を越す大女だった。 「つれないわ、強ったら」 わざとらしく額に手を当ててよろめいて、春日は強に寄りかかる。 「重いっ、重いんだよっ」 強が、真っ赤になってそれを押しのける。 大女に羽交い絞めにされる華奢なくの一のような有様に、周囲は笑ったが、泉だけはふっと睫毛を伏せた。 「ははははは、よくここがわかったな、への七番」 「お前が、総帥か?春日様を放せ」 「七番殿っ」 「ここが、お前の墓場だ。やってしまえ」 「はっ」 「うっ」 「ああ――――っ」 舞台の上では、衣装をつけた生徒会の面々が、通し稽古『和装007』を熱演している。多少わざとらしい台詞はご愛嬌だ。 クライマックスも近づいた、強のアクションシーンの山場。 田代雄介に教わった殺陣を決めて、バク転も成功し、強は、最後の見せ場《宙乗り》の準備に舞台の袖に走った。 《宙乗り》 猿之助がスーパー歌舞伎でよくやるアレである。このアクションシーンの最大の見世物で、強は舞台の上で宙吊りになって、ボンドガール春日を悪の総帥沢木の手から奪うことになっていた。 「オッケー、はまったぞ」 強のベルトにフックをかけた、お手伝い係の赤松。 「強、行きまぁす」 最近見た再放送アニメの主役を真似て気合をつけると、強は、走り出てジャンプした。 強の脚が舞台の床を力強く蹴ったと同時に、宙乗りのロープが三人がかりで引かれる。 このタイミングが難しくて、何度も練習したものだ。 「春日様っ」 ふわりと宙に浮いた強が、反対側の袖にいる春日に向かって腕を伸ばすと、春日は嬉しそうに目を細めて 「七番殿ぉ」 と、両手を差し出す。 (そんなにニヤニヤするなっ) 強は内心で叫んだ。 春日の腕を掴んで引き、その着物を抱きかかえるようにすると、自分の背中のロープを春日の身体に近づける。 さすがに強が春日を抱き上げるのは無理だから、春日には自分でロープを掴んで貰うことになっていた。 そして、春日がしっかりとロープにしがみついたら、またも宙乗りがあるのだが…… 二人の身体が一旦高く浮いた直後に、ロープが緩んだ。 「えっ?」 「うわっ」 同時に叫んだ二人の身体は、舞台に叩きつけられた。 落ちる瞬間、強は、春日が自分を庇って抱きしめて、下になったのに気づいた。 「かっ、春日っ?!」 「っ、つうっ……」 強を胸に抱いた春日が美しい眉を顰めて、小さく唸った。 「春日、大丈夫かっ」 強が青くなって春日の顔を覗き込むと、 「強こそ、大丈夫?」 目を開いた春日は、鮮やかな微笑を返した。 ドキン 強は、自分の心臓が跳ね上がる音を聞いた。 「ツヨくんっ!!」 「大丈夫か?」 「怪我は?」 二人のもとに、わらわらと人が駆け寄る。 泉はショックでポロポロと涙を零している。 沢木の身体にしがみついて、真っ青な顔で強と春日を見るが、身体が震えて近づけない。 沢木は、大丈夫だと、その背を撫でた。 ロープを引いていた赤松たちが、泉と春日を取り囲み、土下座のように頭を下げる。 「すみません、すみませんっ」 「練習のときと違って、むちゃくちゃ重かったんで、手が滑ってしまって」 「本当に、すみませんっ」 口々に謝る三人に、春日は 「そんなに、気にするな。着物の重さを計算に入れていなかったんだ」 よっ、と、強を乗せたまま起き上がった。 胸にすがりついていた強が、慌てて春日の上から退いた。 舞台に座り込んだまま、頬を紅く染めて、真っ直ぐに春日を見つめる。 「春日、本当に平気か?」 春日は、ふっと笑った。 「ああ、着物が良いクッションになってくれたよ」 「そ、っか」 ほっとした。 どきどきどきどき………… ほっとしたはずなのに、まだ、心臓がドキドキと鳴っている。 これは宙乗りから落ちたから、そのショックだ。 顔がこんなに、熱いのも――――――――。 強は、舞台の上にへたり込んだまま、混乱した気持ちをもてあます。 「ツヨくんっ」 ポロポロと泣いていた泉がようやく駆け寄って、強の身体を抱きしめた。 沢木は春日に手を差し出し、その身体を引き上げ、立たせると 「このシーンは危険だから、演出を変えるぞ」 と、周囲の生徒を見渡して言った。 「ツヨくん、ツヨくん」 ぎゅっと抱きついて泣き続ける泉の背中をぽんぽんとあやすように叩いて、強は立ち上がろうとした。 (つっ……) ズキンと足首に痺れが走った気がした。 「ツヨくん、怪我してない?」 泉の涙に潤んだ瞳が、強をじっと見つめる。 「全然。春日が下になってくれたから……」 ニッと笑って、わざとぴょんぴょん跳ねてみる。 やはり、足は痛かった。 (ひねったかな……でも、我慢できないほどじゃない) せっかく、春日が庇ってくれたのだ。 怪我したなんて、いっちゃダメだ。 |
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