「ごちそうさま」 強は、まだ少し顔を赤くしたまま立ち上がった。 「え?まだいいだろ」 藤代が驚いて顔を上げる。 「泉が、具合悪いって言っているし。やっぱ、帰る」 こんなセクハラ野郎に付き合っている場合じゃねえ。 強は食べられるだけ、食べておきながら、そう思った。 「そっか……もっと色々話したかったんだけど、また今度な」 藤代は案外あっさり頷いて、煙草を持たないほうの手をひらひらと振った。 その様子は感じが良かったので、強はちょっとだけ申し訳ない気もして、もう一度繰り返した。 「ホントにごちそうさま……美味(うま)かった」 「どういたしまして」 * * * 寮に帰ると、具合の悪かったはずの泉が沢木、春日とラウンジ前で立ち話をしていた。 「泉」 「あ、ツヨくん、おかえりなさい」 強の姿を認めて、泉がいつもの可憐な微笑を見せた。 「お前、身体、もういいのか」 「え?」 「泉?」 強の言葉に、泉以上に沢木が驚いた。 泉は、うろたえた。 「え、大丈夫だよ、うん」 「大丈夫って。お前」 強の言葉を最後まで言わせないように、頬を染めた泉が遮る。 「ううん、大丈夫なの」 「だって、身体だるいって、ベッドに入ってたろう。起きていいのか」 「やめて、ツヨくん」 泉が顔を赤くして、強にすがり付く。 「どうしたんだよ。やっぱ、熱あるんじゃねえの」 強が、泉の額に自分の額を当てようとすると、それを沢木が横から奪うように抱き取った。 「泉、具合悪かったのか?」 心配そうに顔を覗き込む。 「ち、違うの、あっくん」 「俺の、せいか」 辛そうに眉間にしわを寄せる沢木に、強はムッとして叫んだ。 「何で、お前のせいなんだよっ!」 「ツヨムシ……」 「泉が具合悪いのが、何で……」 沢木に向かって唇を尖らす強に、泉は半泣き。 「やめてぇ、ツヨくんっ」 「どうしたんだよ、泉」 強は訳がわからない。 ぷ―――――――っ 堪えかねたように、春日がふきだす。 「何だよ、春日」 「強、泉は女の子の日だったから、そういうこと大声で言われたくないんだよ」 春日は、細く長い指を口許に当てて苦しそうに笑う。 「はあ?馬鹿じゃねえの、春日。泉は男なんだから生理なんかねえよ」 今度は春日に向かって剣呑な顔をする強の後頭部を、沢木が殴った。 「馬鹿はお前だ」 「てっ」 「ヤチ、その馬鹿に今の学祭の話、伝えておいてくれ」 「らじゃー」 まだ、春日はクスクスと笑っていた。 沢木が泉を抱き上げんばかりにしながら、部屋へと連れ帰っている。 「大丈夫だから、あっくん。僕、一人で歩けるから」 「無理するなって、言っただろ」 二人の会話を聞きつつ、春日は内心突っ込んだ。 (お前が、無理させたんだろ?『あっくん』) そして、目の前の強を見て、再び頬が緩む。 「何なんだよ、あれ」 頭の後ろを摩りながら憮然とする強。 春日は、沢木の言っていたことを思い出した。 「そうそう、強。今度の学祭のことだけどね」 百万石学園では、毎年十月の第一週に学園祭を行っている。 「例年通り、生徒会でも劇をやるんだけど、今年は春に強が言っていた『和装007』にしようかって話が出ているんだ」 「007やるのか?」 「うん、でも和装」 春に行われた百万石寮の『石祭』同様、ここ百万石学園のイベント関係は、先代理事長からの趣味で、やたら和風が多い。 生徒会の劇も毎年時代物であることが伝統になっていた。 「強の『和装007〜お庭番は二度死ぬ』は、ウルトラクイズの出る前は、結構、票を集めていたからね」 「そういえば、そんな案、出した気がする」 「でね、せっかくの発案者だから、強に主役をやらせてやるよ」 「はあ??」 春日の爆弾発言に、強が目を剥いた。 「だって、俺、生徒会、関係ねえぞ」 「うん、だから、発案者につき特別待遇」 「そんな特別、結構だっ」 「そう、結構な話だろ」 「そのケッコウじゃねえっ」 「まあまあ、いいから少し付き合って」 春日は、強の肩に手を廻すと、ラウンジに誘導する。途中、自動販売機でアイスオーレを買うと、ソファに座った強に渡した。 強は、大人しく受け取ってゴクゴク飲んだ。 春日の女性的ともいえる気遣いや語り口には、強も沢木に対してほどの抵抗ができない。 成田空港で、泉への失恋が決定的になった時、傍にいて慰めてくれたということも、心のどこかに引っかかっている。このところついつい一緒にいてしまう理由の一つだ。 「生徒会役員じゃない奴が、主役なんて変だよ」 「いや、むしろ生徒会全員、強の参加を希望しているんだよ。とても強くね」 強の言葉を、春日は、大きく首を振って否定した。 「何で?」 「だって、007といえば、アクションだろ」 「うん」 強は、アクション物が嫌いじゃない。というより、むしろ好き。 「運動神経のいい奴じゃないと、007なんてできないよね」 思わせぶりに、春日が強に流し目を送る。 「う、うん」 強はアイスオーレを、また一口飲む。 「沢木には悪の大ボスをやってもらうとして、それに対抗する主役には、沢木に張り合える運動神経のいい人材が必要なんだ」 「ふうん」 強はいつの間にか、カップを両手で握り締めている。 「でも、生徒会には、いない。困った……」 春日が、わざとらしく溜め息をつく。 「で、発案者でもある強に助けてもらいたいんだよ」 だったら、無理にアクションにこだわることは無いだろう。 けれど、強はそんなことまで頭が回っていない。 「そうなのか……」 春日は、強の単純ぶりに、内心、笑いを噛み殺している。 「そういうことなら、しょうがねえな」 「引き受けてくれる?」 「ああ」 そう応えて、ふと、強にも一つだけ疑問が湧いた。アイスオーレを口に運びながら訊ねる。 「でも、春日も運動神経よかったじゃねえか」 「ああ、俺はね」 春日がニッコリ笑って応えた。 「ボンドガールだから」 ブ――――――――――ッ 強は口の中のオーレを全部、吹き出した。 「汚いな、強」 自分のシャツに思い切り掛けられたオーレの茶色い染みを摘んで、春日が綺麗な顔を顰めた。 「ごめん、っていうか、お前が変なこと言うからだ」 「変?何が?」 そういいながら、春日はシャツのボタンをはずし始めた。 「何してんだ?」 強が、動揺する。 「染みになるから、水につけるんだよ」 「ここで?」 「だって、そこに水道があるんだから、早いほうがいいだろ」 男ばかりの寮だから、夏の間、上半身裸野郎はゴロゴロいたが、春日は普段からきちんとしていてめったに裸でいることは無かった。いや、きちんとしているからかどうか、理由は若干不明な点もあるが、とりあえず強はそう思っている。 その春日の突然のセミヌードに、強はうろたえてしまって、さっき喫茶店で藤代から聞いた言葉が甦った。 『知らない?セックスフレンド』 かああああっ 強の顔に血が上る。 シャツを着ていたときは、線が細く見えた身体が、裸になると意外に筋肉が付いているのがわかる。肩から腕にかけての筋肉や肩甲骨が、春日の手の動きに合わせて動くのが、何だか艶めかしい。 春日が藤代と一体どんなことをしていたのかなどと考え、 (そういえば春日は前に沢木とも……それに、俺……) 勢いついでに連想ゲームのように、自分が一度春日にヤラレタことまで思い出してしまった。強は慌てて春日から目をそらすと、カップの中の氷を口に流し込んで、ほおばりながらガシガシと噛み砕いた。 (あ、あいつ、あの、藤代って野郎が変なこと言うからいけないんだっ) ラウンジの入り口直ぐにある手洗い場で、春日がジャブジャブとシャツを濯いでいると、通りかかった寮生の一人がからかった。バスケット部の主将、鐘崎。 「おっ、春日のセミヌード拝めるなんて、今日はラッキー」 「五秒以上見たら、金、取るよ」 シャツを絞る手を休めず、下を見たまま、春日が薄く微笑む。 「いくらだ?」 「千円。五秒毎」 「高いな、まけろよ。二時間分買うから」 「ははは……」 春日は笑いながら、シャツを広げた。 「お前、そっちの趣味、あったっけ?」 シャツの染みを確認しつつ春日が訊ねると、鐘崎はやはり笑って、応えた。 「いや、実はデカイ男はダメだな。綺麗でも」 そして、ソファに座る強のほうを向いて言った。 「アレくらい小さくて可愛ければね」 離れていないため会話まる聞こえの強が、分かり易いほどムッとした。 鐘崎に小さいと言われたのが、腹が立つ。バスケット部の大男から見たら、確かに小さいかもしれないが、それでも、泉よりは伸びているのだ。 「アレはだめ」 春日がクスクス笑いながら強を見た。 「強は、俺がキャン待ちしているんだから。なっ」 「なっ、じゃねえよ」 春日がこのところよくこんなふうにかまうので、寮でも誤解されている。 強はそう思って、眉間にしわを寄せると立ち上がった。 「どうした?」 「もう、話は済んだよなっ」 アイスオーレの入っていたカップを遠く離れたゴミ箱に投げ捨てる。 「ナイッシュー」 鐘崎が口笛を吹いた。 「強、バスケット部入らないか?身長伸びるぞ」 「うっせえよ」 小さいながらも肩をいからせて歩く後ろ姿を見送って、鐘崎は大きく笑い。春日は楽しそうに目を細めた。 |
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