「でかしたぞ。ツヨムシ」
石祭の興奮もさめやらぬ翌日昼休み。学食で一つのテーブルを囲んで食事をする四人。
あの、かぐや姫との最後のキスシーンのドタバタで、沢木が泉に惚れていることは勿論だが、春日がそこに割り込んでいるという噂まで流れてしまっている。
しかも噂なので、春日が好きな相手が、泉なのか沢木なのか強なのかもはっきりしていないといういいかげんさ。でも、どうでもいい。四人とも噂を気にする人間ではない。色々な意味で。
「よく、自分の身を投げ打って、泉の唇を守った」
「お前に感謝される筋合いはねえ」
「ツヨくん」
「いや、俺だって、相手が泉君だったら遠慮して、唇にキスなんかしなかったよ。ホント」
その春日の言葉に、強は剣呑な顔で
「なんだよ、それっ」
「だから、泉君が相手だったら敦に殺されるけど、けなげにも身代わりになった弟くんだったからねえ、つい」
「ついで、舌入れるか」
沢木が突っ込む。
「べろちゅーの話はすんなっ」
強が、赤い顔をして怒る。泉が涙目で謝る。
「ごめんね。ツヨくん」
「泉が謝ることは無い」
沢木の台詞。
「そうだよ、悪いのはこの俺だからね」
ニッコリ笑って言う春日。
「お前らが、そんな風にしゃあしゃあと言うのも、変だと思わねえのかっ」
強は右手の拳を握り締めた。
「でもさ、敦。もし、自分が勝ってたら?」
そんな強を軽く無視して、春日が微笑みながら沢木を見る。
「泉君だと思って近づいて強君だったら、『でかした』とは言えないだろ」
「む、それは……」
沢木は目の前の泉を見る。泉は困ったように眉を寄せ、目元を紅く染めて見返す。潤んだ瞳が艶めかしい。
《ピーピーピー》
強の笛が鳴る。沢木がムッとして睨む。
「って、なんにもしてないだろ、まだ」
「変な目で泉を見るんじゃねえ」
「ツ、ツヨくん……」
その様子を眺めながら、春日が面白そうに目を細めて言った。
「もし、敦が勝って、相手が本当に泉君だったら、べろちゅーどころじゃなかったね。特設ステージの上で押し倒されていたかも」
「ええっ」
冗談だと思いつつも、真っ赤になる泉。笛を握り締めて、強が唸る。
「そんなことは、俺がゆるさんっ」
「……そんなことは、しないよ」
沢木は低い声でぼそりと言う。春日がそれに片眉を上げてみせる。
「おや、またキャラ変わった?」
「どういうキャラだよ」
「言ってもいいの?」
その言葉の終わらぬうちに、沢木が春日のみぞおちに突きを入れた。


「敦、さっきの突きは無いんじゃない」
役員会議の準備があって、泉、強と別れてから寄った生徒会室。春日がみぞおちをワザとらしく押さえながら、不機嫌そうに言う。
「手加減しただろ」
「人前で、どつかれるってのが、本意じゃないの」
「お前が、変なこと言い出すからだ」
「俺は、変なことなんか言わない。いつも……本当のことだけ」
そう言って、春日は沢木の前に回ると、正面から腕を伸ばして沢木の首に絡めた。
「本当のこと言われて困るようなことしているのは、自分だろ」
春日は、微笑んで自分の唇を舌で湿らす。
「あのな」
怒ったように睨みつけながら、それでも、沢木の手は春日の腰を引き寄せる。
下半身を擦り付けるように抱き合って、唇を重ねた。

「んっ、んん」
噛みあうように唇を重ねながら、沢木は春日のベルトを外して、シャツを捲り上げる。生徒会室の奥の倉庫室。二人が生徒会役員になったときに、内側からも鍵がかかるようにしてしまっていた。
「あっ、んん……ふっ」
沢木の指が下から上へと胸を弄ると、春日は切ない吐息を漏らした。小さく立ち上がった突起を擦られるといつものことだが、身体が痺れて震える。
「あんまり、時間、無い」
口づけの合間に、切れ切れに、春日が言うと
「自分で誘っといて、何だよ」
沢木が、怒ったように囁いて、耳朶を噛んだ。
「あん」
(誘った、か)
甘ったるい声を出しながら、春日は考えた。
確かに、今日は自分から誘った。
昼間の沢木が、いつもと違ったから。いや、今日の昼に限らず、羽根邑泉を知ってからの沢木が、今までと違うから。
自分勝手で、傲慢で、他人の気持ちよりも自分の意志を何より優先させてきたこの男が、泉のこととなると、別人のように感じられることがある。
もともと春日は、沢木が、まさか泉を本気で好きになっているとは思っちゃいなかった。
いつものように手を出して、ちょっと遊んで、くらいに考えていたのに。沢木は未だに泉に手を出せないでいる。
(本当に、敦が変わってしまったのか知りたくて、誘った。その通り)
そして、自分を抱くこの腕は、何も変わっていないことを教えてくれた。
激しくて、熱くて、力強い。
次第に沢木の愛撫に翻弄されて、思考も途切れがちとなり、春日は大きく喉を反らせると、悩ましい声で鳴き始める。
「ヤチ……」
「あっ、敦……あっ、あつ…ん……はぁ、んっ……」
「ほら、時間ないんだろ、イケよ」
胸に口づけたまま、低く掠れた声で沢木が囁く。舌先で、突起を下から上へと執拗に舐めあげる。そして沢木の右手が、濡れて震える春日の雄を激しく責めたてた。
「やっ、ああっ、あ……」
沢木の手の中に、自身を開放して、春日は大きく溜め息をつく。気だるい陶酔感に酔いながら目を開けると、沢木が自分のベルトを外している。
沢木自身の着衣が、全く乱れていないのに、春日は内心苦笑した。
「ヤチ、次は俺の番だぞ。時間無いから、口でやれ」
大きく猛った沢木のそれを頬に突きつけられ、春日は赤い唇を曲げてクスリと笑った。
(これが、敦なんだよ)

その沢木が何故、泉に対してだけは違うのか、それは実のところ沢木自身もまだよくわかっていなかった。


* * *
怒涛の石祭も終わってはや数週間。学園に平和が戻ってきた。といって別に今まで危険に晒されていた訳でもないが。
沢木は、放課後の生徒会室でその日あった会議の資料をまとめながら、羽根邑泉のことを考えていた。あの日屋上で好きだと告白して以来、弟強の監視をかいくぐって、少しずつ泉との距離は縮まっている。けれども、未だに泉の身体には手を出せずにいる。沢木にとって、こういうゆっくりとした展開は今までには考えられないことだ。
焦る気持ちが無いと言えば嘘になる。けれども……
(相手が泉なら、それでもいいか)
それほど、泉は特別だった。

「沢木先輩」
そこに泉が珍しく一人で入ってきた。
「先生にお願いして、印刷かけて貰いました。まだ全部じゃありませんけど」
刷りあがった寮生名簿を重そうに抱えている。
「強はどうした?」
「ちょっと、補習で……」
「居残りか」
言いながら沢木は立ち上がって、泉の腕から名簿を取り上げようとした。重そうで見ていられない。
「あっ」
急に軽くなって、逆にバランスを崩した泉がよろける。
「あ」
沢木は慌ててその泉の身体を支えた。ばさりと名簿の束が床に落ち、泉が沢木の胸に倒れこんだ。
「あ、すみ、ません」
泉は顔に血を上らせながら、落としたものを拾おうと身体を離そうとした。
「泉」
沢木の腕が、そのまま泉を包み込む。
「あ……」
沢木の胸に抱かれて、泉は身体がじんと熱くなるのを感じた。
「泉」
耳元で、沢木が囁く。泉の心臓が跳ねた。
(キス、される?)
いつの間にか、自分でもそれを望んでしまっている。泉はそっと顔をあげて、上目遣いに沢木を見つめた。
その目が、言葉より強く誘っている。沢木は片手で泉の顔を包むと、ゆっくりと唇を重ねた。泉もそれに応える。
沢木とのキスは、今まで経験の無かった泉にとってあまりに甘美な刺激だった。繰り返し絡められる舌に、口腔だけでなく、体中がかき回されるように乱れる。
「ん……っう……ふ……」
無意識に甘えた声が出る。腕はきつく沢木の背に廻されて、シャツをギュッと握りしめている。
けれど、沢木の指が身体を求めて動くと、泉はとたんに身を固くした。
「や……」
「泉」
「ごめ、な、さい」
腕を突っ張り、身体を離す。
そんな泉を見て、沢木は小さく溜息をつく。
(まだ、だめか)
口づけに感じている泉は、決して自分を拒んでいない。それは十分わかるのに、それ以上のことになると何故これほど頑なに拒絶するのか。
それでもいいと、さっき思ったばかりだが、やはり我慢できない気持ちになる。
特に、こんなに可愛い顔を見せられると。
「ごめんなさい。沢木先輩」
泉は両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、長い睫毛を伏せてほろほろと涙を流している。
「ひょっとして、結婚するまで許してもらえないのかな」
冗談交じりに沢木がからかうと、泉はハッとしたように見返した。
「え?……マジ?」
沢木は、その泉の一瞬ひどく真剣になった顔に動揺した。
「ほんとに、結婚するまでしちゃいけないって思ってる?」
まさかと思ったが、泉だったら考えられるとも思った。
「そんな……」
泉は恥ずかしそうにうつむいて
「結婚なんて、できないでしょう」男同士なのに、という語尾はもう聞き取れないほど小さくなった。
「ごめん。冗談」
沢木は謝りながら、泉の頭を優しく撫でた。
その『結婚』などという言葉を出した自分に照れてしまい、沢木はふざけたように言った。
「泉が、全然やらせてくれないから、つい意地悪言ったんだよ」
「沢木先輩」
泉は困ったように沢木を見上げた。
沢木の瞳は、いつものように優しかったが、どこか傷ついているようにも見えた。
強との約束『羽根邑家双子の掟、その七』、話した方がいいのだろうか。話したら強は怒るだろうか。でも、黙っているのは、沢木に対して酷いことをしているような気もする。
(どうしよう。ツヨくん……沢木先輩……)
所在無さげにのろのろとかがんで、落とした名簿を拾い集めながら泉は考えた。
沢木も黙ってしゃがんで名簿を拾う。
同じ冊子に手を伸ばし、偶然沢木の指が触れたとき、不意に泉は顔を上げて言った。
「キスより先のことは、しちゃダメだって」
「え?」
唐突な泉の言葉に、沢木が驚いて聞き返す。
「……しないって、約束したんです」
泉が睫毛を伏せる。
「だれと?」
「……ツヨくん」
(あの野郎)
沢木は内心で毒づきかけたが、
「お父さんたちに紹介するまでダメだって」
泉の言葉に瞠目した。
泉は、拾った名簿を沢木に渡すと、窓の方に寄って外を見た。
日が落ちかけて薄くオレンジ色に染まった空を見上げて、一回深く、深呼吸する。
「僕たち『双子の掟』って、色々あるんです。ほとんどツヨくんが作るんですけど」
くるっと振り向いて、窓にもたれ、小首をかしげて微笑む。
「羽根邑家双子の掟、その七。お父さんたちに、ちゃんと紹介していない人とキスより先のことはしちゃいけない。って」

沢木は、ゆっくり窓辺に歩み寄った。
「じゃあ、泉のご両親に紹介してもらったら、いいの?」
両手を、泉を挟むように窓の桟について、上から顔を覗き込む。泉の顔がまた少しだけ泣きそうになる。
「ご両親に、泉さんをくださいって言えばいいのかな?」
掠れたような低い声で、優しく囁くと
「……先輩」
泉が、真面目な顔で沢木を見上げた。

「先輩、僕を幸せにしてくれますか?」

真っ直ぐ自分を見詰める泉の瞳。その狂おしいほど愛らしい顔で、まるで逆プロポーズのような言葉。沢木は心臓を掴まれたように感じ、身動きも出来なかった。
ふっと泉が吹き出す。
「冗談、ですよ」
頬を染めて泉が笑う。口許に白い指を当ててクスクスと笑いながら、長い睫毛の下の瞳は潤んでいる。
沢木はたまらず泉をきつく抱きしめた。
「先輩?」
「する」
「え?」
「幸せにする。絶対するから」
「せん、ぱい」
「幸せにするから……泉……」
泉の華奢な身体を強く抱きしめ、その肩口に顔を埋めると、沢木は何度も繰り返した。
「泉を幸せにする」
「沢木先輩」
泉は両腕を沢木の背中に廻して、切ない溜め息をついた。閉じた睫毛の間から真珠色の粒が零れ出る。
「嬉しい、です」


* * *
「純愛してるな」
沢木のベッドで春日が微笑む。
「うん」
「お前が、そういう奴だって、知らなかった」
「俺も」
「じゃあ、もうこういうこと、止めといたほうがいいかな」
春日が沢木の裸の胸に指を滑らせ、固くなった突起の上でくるくると擦りあげる。
沢木はくすぐったそうに目を細めて、身を起こすと同じく裸の春日の上に覆い被さる。
「泉を好きだという気持ちも、お前を抱きたいという気持ちも、俺にとっては本物だ」
「ふふ」
「ダメか?」
「俺はかまわないけど…」
その先を言わせず、沢木が春日の唇をふさぐ。
「んっ……」
互いに舌を絡め合い、互いの唾液を飲んで、互いの敏感な部分に指を這わす。
この一年の間に、相手の身体の隅々まで覚えてしまった。
沢木の慣れた愛撫に喉をそらしながら、春日は羽根邑泉のことを考えた。
そして、ふと、沢木も自分を抱きながら泉のことを考えたりするのだろうかと思い、その瞬間、思わず甘美な震えが走って自嘲した。
(あの可愛い泉ちゃんのために、もうそろそろ終わりにしてやろうか……)
そう考えながらも、押し寄せる快感に春日は次第に自分を失っていく。
「んっ、ああっ、敦っ……」
「ヤチ」
「いいっ、ああっ」
大きく背中を弓なりにそらして、春日は切ない声をあげた。


そのころ、泉は強と二人で話をしていた。
「それで、沢木は何て言ったんだ?」
「お父さんたちに会いに行ってくれるって」
「げっ」
「夏休み。お父さんたちが帰って来れないなら、僕たちでアメリカ行こうって言ってたでしょう?」
「ああ」
「沢木先輩も、一緒に行くって」
「マジかよ」
強は、眉間にしわをよせて唇を尖らせた。
けれど、泉がこの上なく幸せそうな顔をしているので、それ以上何も言えなかった。
「ごめんね」
「え?」
「双子の掟のこと、しゃべっちゃって」
「別に、それは……」
羽根邑家双子の掟。小さいときから、強が泉に守らせたくて勝手に作った決まり事だ。強のわがままで決めたことも沢山ある。その時々に作っては消滅したものもあったけど、泉はいつも素直に頷いて聞いてくれた。

『いいか、泉。これは、羽根邑家双子の掟だ』
『うん、わかった、ツヨくん―――わかった』
小指を絡ませて、真剣な顔で頷く泉。素直で、純真で、心優しくて、可愛くて、泣き虫で……

「泉」
強は泉を抱きしめた。
「ツヨくん?」
「……会って、会って、何て言うのかな。あいつ」
泉の髪に顔を埋めてくぐもった声を出す。
「ツヨくん」
「泉とお付き合いさせてくれ、とか、言うのかな」
「…………」
「泉さんをくださいとか言うのかな」
「ツヨくん……」
「親父、驚くよな」
泉は、自分の髪が濡れたように感じた。そしてすぐに、強が泣いているからだと気づいた。何故だか、自分の胸も締め付けられるように痛む。
「笑っちゃうよな」
「ツヨくん」
泉は自分を抱きしめる強の腕をそっと包んで抱き返した。
「泉……」




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