四時限目が終わると、待ちかねたように、一年松組の教室に利一が弁当を持ってやってくる。いつもの光景だ。 「おおっす。あれ?泉は?」 きょろきょろと泉の姿をさがす利一。 「便所」 どんなに仲良しでも、連れションはしない。羽根邑家双子の掟、その一だ。 何しろ、双子が並んで用をたしていたら悪目立ちしてしょうがない。 「便所か。どの便所だ?」 迎えにいきそうな勢いの利一の腕を、がしっと掴んで、強はしみじみと言った。 「お前も、気の毒だよな」 「は?」 強は、溜息をついた。 あの沢木に泉を取られるくらいなら、まだこの人の好い利一にくれてやったほうがマシだった。いや、本音は誰にも渡したくない。でも、とにかくあの男だけは……。 「何だよ、強」 「おまえさぁ、泉に好きな奴できたら、どうする?」 「ええっ?」 利一は、驚愕に、細い目をこれ以上なく大きく見開いた。 「うそ、だろ?」 その顔を見て、強は利一が今まで以上に身近に感じられ、同病相憐れむといった口調で言った。 「お前って、いつから泉が好きだったんだっけ?」 「いつ、って……」 利一は、強の前の席にがっくりと腰を下ろした。 「小学校二年のとき。運動会で、俺ころんだろ」 「だったか?」 「ああ、百メートル競争でさ。俺、お前ほどじゃねえけど、足速かったし、練習ではいつも一番だったんだよ」 「ああ」 「それが、本番でころんじまって、ビリだったんだよな」 「そういやなんか、あったな。そういうこと」 「ああ、で、泣きたいくらい悔しかったけど、泣かねぇよな、普通」 「…………」 「そしたら、泉が走ってきてさ、俺の膝の泥を払いながら、ぽろぽろ泣くんだよね」 「思い出した」 強は、その前の組で、一番でゴールしていた。 『ツヨくん、すごいね』 自分はビリだったのに、花のように嬉しそうに笑った泉の顔が浮かぶ。 「……で、その泉の顔見たら、もう心臓がぎゅっと痛くなって。あのとき俺、本気で泉が好きになった」 「利一……」 幼馴染の切ない告白と、自分のやるせない気持ちが綯い交ぜになって、強も柄にもなく泣きそうだった。 そこに、今一番聞きたくないバリトンボイスがふってきた。 「おい、強。泉はどうした?」 「さっ、沢木」 座ったまま見上げると異常に高いところから、沢木が見下ろしている。 突然現れた美形の生徒会副会長に、クラスの視線が遠巻きに集まっている。 強は、すっくと立ち上がって沢木を睨む。 「泉といるときは泉君で、いないときは呼び捨てかよ」 「は?」 沢木はほんの少し眉を上げて見せて、次にニヤッと笑うと 「今度から、直接呼び捨てにさせてもらうよ……『泉』って」 最後の『泉』と呼びかける口調をめちゃめちゃいやらしそうに言った。 「お前っ」 強が拳を握りしめたところで、泉が教室に戻ってきた。 「あ、沢木先輩」 驚いて目を潤ませるその表情に、利一はショックをうける。 「ひ、ひ、ひょっとして、さっきの、泉の……」 好きな奴、と続きそうな利一の言葉に慌てた強は、沢木の腕を掴むとぐいっと引っ張って、無理やり教室の外に連れ出そうとした。 「な、何する」 「いいから、ちょっと」 泉が沢木に惹かれていることをまだこいつに教えたくはない。それより、先に確認しないといけないことがある。 「話がある」 そう言ってぐいぐい引っ張っていく強に、沢木は大人しくついて行った。 校舎の陰で、二人は向き合った。 沢木は面白そうに目を細める。 「話って、何だ?」 「わかってるだろ。泉のことだ」 「泉の?」 沢木は顎に手を当てて首をかしげる。強の言いたいことは検討がつくが、何と言ってくるのか楽しんでいるといったところ。 「お前、本当に、泉のこと好きなのか?」 苦しそうに尋ねる強。沢木は平然と応えた。 「ああ」 「そんな、あっさり言うなっ」 「じゃ、どんな風に言えばいいんだ」 「い、泉は、泉はなぁ」 強の声が震える。 「ああ」 「……すげえ泣き虫なんだ」 「……知ってるよ」 沢木はちょっと拍子抜けしたように応えた。 「ただの、泣き虫じゃねえぞ。信じられないくらい毎日泣いてんだからなっ」 「うんうん」 あの可愛い顔がアノときはどんな風に泣くのかと、沢木は想像して締まりなくニヤついた。そんな沢木の妄想など露知らず強は続ける。 「例えばだな。あいつ、中学三年の期末試験のとき、消しゴム忘れてきて泣いたんだぞ」 「はあ?」 「十五歳にもなって、消しゴム忘れて泣くんだ。どうだ」 「どうだといわれても」 「あきれないか?」 「ん、まあ、可愛いじゃないか」 「続きもあるんだ」 「え?」 「それで、俺が消しゴム半分やるって言って、消しゴム割ったら……」 「割ったら?」 「消しゴム割ったって言って泣くんだ」 「う」 「いいかぁ、大の男が、っていうかとりあえず十五にもなって、消しゴムを割っちゃったって泣くか。」 「うーん」 「うさぎの耳とったとか、蛙の脚とったとかじゃねえぞ、消しゴムだぞ相手はっ」 「相手というか……」 「おかげで、あいつはそのときの試験で初めて学年十位以下になっちまったんだ。それまで絶対五番内から外れたこと無かったのに……どうだ、ちょっと変だと思うだろ?ちょっと鬱陶しいとか思わなかったか?」 「んー、まあ、ちょっと……」 強がたたみ込むように言うので、ついつられて沢木が頷くと、 「わははははは。語るに落ちたなっ!」 突然、強が勝ち誇ったように叫んだ。 「なに?」 「沢木敦!やっぱりお前に泉は渡せねえ」 「どういうことだ」 「ああいう泉を、ちょっとでも普通じゃないって思うような奴に、泉の将来は託せねえ」 強は沢木に指を突きつけて言う。 「俺はなぁ、あんな泉を十六年近く傍で見てきたんだよ。泉の全てを受け入れることが出来るのはやっぱり俺だけだ」 「…………」 「あいつは、泣き虫だ。尋常じゃねえ。でもな、あいつがこの先何リットル、何トンの涙を流し続けても、俺は全てこの胸で受け止めてやるっ」 拳を握りしめて宣言する強。 ぱんぱんぱんぱん…… 突然、沢木が手を叩いた。 「いや、感動したよ」 「沢木?」 「猛烈に感動した」 「わ、わかってくれたか?」 「ああ、君の愛にはかなわない」 「そ、そうか」 かあっと、強の顔に血が上る。 「じゃ、そう言うことで」 沢木は、ちゃっと右手を額の前で振ると、さっさと立ち去った。 (沢木、結構いい奴じゃないか) 強はその場でたたずんで、その後姿を見送った。 教室に戻ると、泉の姿が無い。 利一によると、やっぱり心配だからと強と沢木の後を追ったらしい。 「どこに行ったんだ?」 心当たりを探したが、泉の姿はどこにも無かった。 五時限目の授業が始まる時間になっても教室に戻ってこない泉に、強は青褪めた。 自分も授業をサボって、先生に見つからないよう校内を探す。 (寮に帰ったのかな……でも、何でだ?) と、そのとき、屋上に続く階段が目に入って、はっとして強は駆け上がった。 はたして、泉はそこにいた。 給水塔の壁にもたれて、ぼんやりと空を見上げている。 「泉っ」 強が駆け寄ると、泉はぼうっと潤んだ瞳で見返した。 「あ、ツヨくん」 「お前、どうしたんだよ。授業サボるなんて、お前らしくないぞ。何かあったのか?」 早口で言う強を、泉は困ったように見返して、いきなりぽろぽろと泣き始めた。 「泉っ、どうした」 「ツヨくん、僕……」 「どうした?」 「僕」 「うん」 「沢木先輩に、告白された」 「は?」 強は一瞬頭の中が真っ白になった。 「沢木先輩、僕のこと、好きだって」 「……沢木が?」 「うん」 そして、沢木の言葉を思い出して、泉は真っ赤になって言った。 「沢木先輩、僕の全てを受け止めるって、僕がこの先何リットル、何トン涙を流しても、全部自分の胸で受け止めてくれるって」 感動に声震わせる泉。 強は怒りに頭からぶすぶすと煙を立ち上らせる。 (あ――の――や――ろ―――) * * * 沢木は、五時限目の授業中ずっと、ついつい緩んでしまいそうになる口許と戦っていた。 あの強の強烈な宣戦布告を受けて沢木は考えた。 (アレはただのブラコンじゃない。あんな強力なライバルが泉と同室だとしたら、悠長なことはしてられない) 急いで泉を探しに行くと、たまたま自分達を追いかけてきたらしい泉と会った。 「あ、沢木先輩」 驚いたように見開かれた泉の瞳。 その瞳に吸い込まれそうな感覚にクラリとしながら、とっさに腕を掴んで、沢木は泉を屋上へと連れ出した。 「あの、ツヨくん、いえ、強は……?」 ほんの少し怯えたような表情が、嗜虐的な気持ちを起こさせる。それと同時にアマアマに甘やかしてめちゃくちゃ可愛がりたい衝動も。 「大切な話がある」 そうして、『好きだ』と伝えたときの泉の顔。 頬がさあっと薔薇色に染まり、大きな瞳に涙が溢れる。泣くだろうことは十分予想できたが、あんなに可愛いとは予想の範疇を大きく超えていた。 「泉」 たまらず抱きしめると、一瞬身を硬くしたけれどゆっくりと身体を預けてきた。 (ま、告るとき強の台詞をパクったのは単なるシャレだけどな。この次はちゃんと俺の一世一代の台詞で愛を語ってやろう) そしてゆっくり唇を重ねると、泉の右手が怯えたように自分の胸を押した。それをそっと抑えて、指を絡ませると、恥ずかしそうに握り返してきた。 舌の先で唇をつついても、固く閉ざされたまま。少なくとも、ディープキスは知らなかったらしい。無理に舌を差し込むと、あっと小さく声を出した。 舌を絡めようとすると、恥ずかしそうに逃げていく。泉の口腔での甘美な鬼ごっこに新鮮な感動。ようやく絡めとってきつく吸い上げると 「んん……んっ……ん」 切ない声を漏らした。そのときの泉の声を思い出すだけで、授業中なのにイケてしまいそうだ。 角度を変えて、何度も深く口腔を犯すと、そのたびに絡ませた指がきつく握り締められる。苦しげに寄せられた眉も、閉じた瞼の震える睫毛も、酷く淫らで艶めかしい。我慢できずに片方の手で、泉のブレザーのボタンをはずしてシャツの上から胸を弄ると、泉は 「あっ、や……っ」 と、小さく叫んで唇を離した。 その瞬間、唇から小さく覗いた舌先と、恥ずかしそうに伏せられた目元の紅さが胸に痛いほど官能的だった。 あそこでチャイムが鳴らなかったら、たぶんあのまま屋上で押し倒していただろう。 「泉」 呼びかけると、恥ずかしそうにゆっくりと上目遣いに見上げてきた。 まさか、その色っぽい表情は、計算してるんじゃないよなと、疑いたくなるほど……。 「今夜七時に、俺の部屋に来てくれ」 囁くと、泉は小さくこくりと頷いた。 (夜、七時……) またもや、頬が激しく緩みそうになる。 (いかん、この俺ともあろうものが) 自分を叱咤しつつも、夜になったらどうしてやろうかと考えるとどうにも押さえが利かない沢木。 三つ離れた席から春日が、訝しげにそれを眺めていた。 そのころ、屋上では泉の衝撃の告白に強が怒りに燃えていた。 「沢木には、告白されただけか?」 下を向いて薔薇色の頬に感激の涙を零す兄、泉を覗き込み 「なんか、されなかったか?」 「え?」 泉の顔が、火がついたように真っ赤になった。 「何かされたんだなっ」 強が詰め寄ると泉は蚊のなくような声で言った。 「……キス」 「えっ?なんだっ?」 「キス……された」 「なにぃっ」 強は叫ぶ。 「そそそ、それだけかっ、ほほ、他にはっ」 「他……」 泉は沢木の手がシャツの上から胸を滑ったときの感覚を思い出して、ピクリとしたが 「別に……」 「本当かっ?」 「たぶん」 「たぶんて何だよおっ!」 強まで今は涙目。 泉は真っ赤になっている。強にガクガクと揺すられ、頭がクラクラとした。 「何か、熱い」 急に強にもたれかかる。 「あっ、おい、泉」 「熱い、ツヨくん……」 そのまま、泉は強の胸に倒れこんだ。 |
HOME |
小説TOP |
NEXT |