麻雀甲子園関東大会第一次予選。 物々しいが、要は全国大会の前の予選。関東地区の代表を決める大会だ。 「と、と、東京ドームでやるんですか?」 リクが怯えた声を出す。堤と東がその両脇でうなずいた。 「全国大会は甲子園でやるんだけど、関東大会は東京ドームなんだ」 「さすがに応援団も気合が入っているなあ」 堤はジャビットくんのメガホンを首からぶら下げている。 普段は野球をするグラウンドに、全自動麻雀卓がずらりと並んでいる。 「な、何人、出場するんですか?」 「三人だろ?」 「僕たちのことじゃなくて。全員でっ」 「うーん、分からないなあ」 「そうだよ。お前、高校野球の予選で、全部で何人出るんでしょうねえなんて考えるか?」 「それは……」 「何人出ようと、俺たちの目指すものはたった一つ!」 「全国大会の切符を手に入れるんだ!!」 (ひょえええ) 盛り上がる二人の先輩に挟まれて、リクは不安でいっぱいになった。 何しろあれから全く練習をしていないのだ。 ビギナーズラックを強化するためとか言われて、麻雀の本すら読ませてもらえなかった。 お陰で点数計算が出来ないのは当たり前、それどころか、ここに来てリクが完全に覚えている役満は片手であまる。 その二つが天和と地和。そして平和(ピンフ)も字面が似ているから役満だと思っている。 (どうせ役満なんて狙ってあがれるものじゃないから、いいけど、でも……) 不安に胸を押しつぶされそうになって、桜井の姿を探す。 麻雀ビギナー強化の一環として、桜井とも丸一日引き離されていた。 堤曰く、 「伝説の雀師の持つオーラが、リクのビギナーオーラを消すかもしれない」 桜井は納得しなかったが、堤と東と何故かジョニー高林の強い意見でそうなった。 「桜井さんは、何処に行ったんだろう」 呟くリクの前を、テレビカメラを担いだ男たちがドヤドヤと通った。 「な、何?」 「テレビ局のカメラだ」 「見たまんまだな」 「何で、テレビ?」 呆然とするリクに、東が応える。 「この麻雀甲子園ってテレビ中継されるんだよ。っていうか、テレビ番組の一つだってば。ウルトラクイズみたいなもんだな。もっとマイナーだけど」 「ひっ!テレビ中継?!」 「東京ドーム貸切るのにいくらかかると思っているんだ。スポンサー無いと無理だろ?」 「だって、先輩、こんなの出ても何も無いからどこの高校も出ないって、言っていたじゃないですか」 「ああ、何も無いよ」 「優勝してもカップ貰えるだけで、ニューヨークに行ける訳じゃないし」 「ギャラも無いしね。もちろん、公の場でやるからお金もかけらんないし」 「ま、テレビに映れるだけでいいなーんてさもしいヤツには、ちょっとは出る価値があんのかな?」 「俺たちは、そんなの別にねぇ」 「ねぇ」 ねえねえと顔を見合わせる二人を残し、リクはフラフラとその場を離れた。 頭の中が真っ白だ。 麻雀ド素人の自分が、テレビ中継でお茶の間の皆さんに恥を晒してしまうのだ。 ひょっとすると家族も見るかもしれない。 三つ違いの姉は、怒りまくるかもしれない。 「もーっ!私まで恥ずかしくって、外歩けないじゃないっ!!!」 ヒステリックな声が頭の中でこだまする。 お母さんは泣くかもしれない。 「お前を、そんな子に育てた覚えはないよ」 そして、実直なサラリーマンの父親は、この不況下、ていよく息子を理由にリストラにあって、一家四人は不幸のどん底―――リクの妄想は果てしなく広がった。 (嫌だぁっ) 突然、リクは駆け出した。 この場から逃げ出したかった。 「おっと」 突然、前に立っていた男にぶつかった。 「あっ」 顔を上げると、高校生にしてはかなり大人びた風情の、端正なルックスの男がリクを見下ろしていた。 「どうした?」 訊ねる声も渋かった。 「あ、いいえ……すみません」 頭を下げて通り過ぎようとすると、その男がリクの腕を掴んだ。 「待てよ、そんな顔でどこ行こうってんだ」 「え?」 リクは顔に手を当ててゴシゴシこすった。 何も付いてはいない。ちょっと涙目だったかも知れないけれど、そんな顔とはどんな顔だろう? 困ったようにその男を見返すと、 「そう、その顔」 男はリクの顔を両手で包んだ。 「かわいいな」 「ひ?」 「怯えたようなつぶらな瞳、小さい鼻、うっすら前歯が覗く誘うような唇。好みだ」 ああ、何かどこかで聞いたことある。 リクは、ある種の男たちに妙に気に入られるフェロモンを持っていたのだった。 「どこに行くんだ?帰るのか?俺は新宿東高校の今泉。よかったら、これから出る俺の応援をしてくれよ」 「えっ、いいえ……」 「それとも、ひょっとしてお前も選手なのか」 「あの……」 リクが言葉に詰まっていると、突然後ろから声がした。 「そうだ。そいつはうちの選手だ」 はっと振り返ると、桜井が立っていた。 リクの身体を奪い取るように引き寄せ、背中にかばって 「ちょっかい出すのは、やめてもらおうか」 今泉を睨みつけた。 「桜井……久し振りだな」 今泉が驚いたように呟いた。 「また麻雀を始めたのか」 桜井は、背中のリクを振り返って応えた。 「ああ、こいつのためにね」 「ほお」 今泉の目がきらりと光る。 「堤の奥様、何だか面白いことになっていませんこと?」 「ふふふ、ライバル登場で、ようやくジャンプ系になってきたな」 「友情、努力、勝利!」 「友情じゃなくって、この場合愛憎だけどな」 「努力も、してないな」 「勝利は、欲しいな」 勝手に語る二人の視線の先で、桜井と今泉は火花を散らし、リクはうさぎのように震えていた。 「ふ、どうやらやはりお前とは、決着をつけないといけない宿命だな」 宿命と書いてさだめと読む。今泉はクールに口の端を歪めて笑った。 「そうだな」 見返す桜井も負けてはいない。 (ふえーん、なんか怖いよ) リクは思わず桜井の背中のシャツをつかむ。 その時、出場者に集合を呼びかけるアナウンスが流れた。 「俺とあたるまで負けるなよ」 「そっちこそ、な」 「フッ…」 去っていく今泉の姿を桜井の背中から覗いて、リクが訊ねた。 「今の人、誰ですか?」 「今泉竜平、三年前、中学生のくせに『雀荘荒らし』と呼ばれた男だ」 「ほお、今のがあの今泉竜平か」 堤が、鼻の上の眼鏡を押し上げながら現れた。 「あいつか、なるほどね」 東も訳知り顔でうなずいた。 「中学生の時にハタチくらいに見られていたっていうからどんなオヤジかと思っていたら、なかなか男前じゃないか」 「まっ、堤さんたら、あんなのが好みなのね」 東の冗談を無視して、堤は言った。 「東のリュウヘイと西のショウの戦いが見られるなんて、ラッキーだな」 「東のリュウヘイと西のショウ……」 リクは口の中で小さく呟いた。 三年前、桜井は、東京の西部三多摩地区で脱衣麻雀ゲーム王として名を売っていたが、同じ頃東京の山手線沿線の雀荘では、今泉が大人を相手に賭け麻雀でボロ儲けしていた。 どっちも当時中学生としていかがなものかと思うが、高校生になってパッタリと姿を隠した『西のショウ』と違い、『東のリュウヘイ』はいまだに新宿や池袋の雀荘で雀鬼と恐れられていた。 「桜井さん……」 黒目がちの瞳を不安げに揺らして桜井を見上げるリクは、まだ桜井のシャツを握り締めたままだった。 桜井は、安心させるように笑って言った。 「大丈夫、あんなヤツに負けるかよ」 その言葉は力強くて、男らしい顔にクラリとしたけれど、同時にリクは思った。 (でも、これって、団体戦なんですけど…) 麻雀甲子園関東大会予選、第一試合。 麻雀だけれど試合という。何しろ目指すは、甲子園だ。 堤は、巨大なモニターに分割して映るそれぞれの卓を見た。 一卓に二台のカメラが付いて、各自の牌が見られるようになっている。 カメラは今まさに、リクの配牌を映し出した。 「うおおっ!チンイツイーシャンテン!!」 何のことだか分からない人に解説すると、同じ種類の牌だけで作る役『チンイツ(清一)』にあと一手でテンパイ(リーチ)という、うまくいったらあと二手であがれる状態だ。 萬子の並ぶ画面を堤が食い入るように見ると隣から声がした。 「チンイツだけじゃない、一と九が対子になっているから、チューレンポウトウ(九蓮宝燈)だって狙える手だぞ」 「うおっ、高林、またもやどっから湧いて来た」 「ふふふ、超魔術麻雀団の一員として、私も応援させてもらうよ」 手には、しっかり麻雀の本。 「勉強もしてきたんだよ」 「そりゃあ良かったな」 とか言っているうちにリクがツモった。 萬子の二。 「おおっ!」 モニターを睨んで、二人が同時に叫んだ。 リクは小首をかしげて、その牌を自分の牌の中に丁寧に入れると、おもむろにその隣にあった一萬を捨てた。 「ぎゃっ!」 二人同時にのけぞった。 「い、イーシャンテンから、リャンシャンテンになってしまった」 「っつーか、あれでテンパイだったろ?メンチン」 二人の見る前でサクサクとツモが進んで、またもやリクの番。 「あっ!また萬子だ」 「再びイーシャンテンかっ?」 「いや…」 リクは、また一萬を捨てた。 「リャンシャンテンですら無くなってしまった……」 「フィルムを逆回しで見ているようだ……」 そして、次のツモでは筒子をツモって、九萬を捨てている。 「チンイツが消えた」 「わかった」 堤が頭を抱えた。 「一、九、字牌を切れという基本に、忠実に従っているんだ」 その後も、あがる機会を自ら遠ざけつつ、そのうちにリクはロンあがりの出来ない状態にまで陥っていた。自分の捨てた牌が他人から出てもあがれない。いわゆるフリテン。 「あああ、チンイツイーシャンテンがどうしたらあんなくそ手に…」 堤が愕然としていたら、 「あっ、ツモ」 モニターの中で、リクがニッコリ笑った。 「タンヤオ」 リクは、あがれた事実に頬を薔薇色に染めたが、会場のモニター前では何千人ものため息が風速千メートルだった。 そうしてリクがビギナーズラックを無駄に消費していた隣では、桜井が伝説の雀師の名に恥じない大あがりを重ねていた。 四暗刻(スーアンコ)、清老頭(チンロートー)といった派手な役満の間に、リーヅモやメンタンピンなどの小役をそつなくこなし、すべての局が終わったときにはひとり勝ち。 東が、振り込みまくった分を補ってあまりあった。 「何とか二回戦に進めるな」 「ああ」 堤とジョニー高林が額の汗をぬぐう。 麻雀甲子園予選は、まだ始まったばかりだ。 |
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