それから俺達は、ごく普通の友人同士として高校生活を送った。
放課後ほとんど毎日美術部に行くようになった工藤とは、自然に付き合う時間も減り、俺は、高橋と二人でつるむことが多くなった。これは、以前からの付き合いを思えば自然なことだ。
二人で遊んでいるときに工藤の名前が出ることもあったけれど、それは本当に友達の一人として話題にするだけで、高橋と工藤の間にあったことを、俺達は忘れようとした。
 そして俺自身の思いも、誰に告げることも無いまま封印された。

 俺達は二年になった。

「なんか、きれいに別れたな」
クラス発表の掲示の前で、高橋が言った。
「お前との腐れ縁も、これまでか」
クラス替えで、俺達は、二組、四組、六組ときれいに別れた。よく見ると、六組の掲示に前原の名前があった。
「工藤、前原と一緒じゃないか」
「えっ、ああ、本当」
工藤が、首をのばして確認する。
「苛められるなよ」
高橋の言葉に、
「失敬ねっ」
後ろから、間髪いれずに応えが返った。
振り向くと、前原が両手を腰に当て仁王立ちしていた。
「げ、聞かれた」
高橋がわざとらしく震えて、工藤が笑い、前原も吹き出した。
「ヨロシクね、工藤君」
「うん」

 前原と並んだ工藤が意外に背が高くなっていて驚いた。一年の夏までほとんど同じくらいだったのに、今は、前原より頭半分大きい。前原は女子の中では小さい方じゃないから、工藤も百七十くらいはあるのか?
それでも工藤が小柄に見えるのは、俺や高橋はそれ以上にデカくなってるってことだ。
「どうした? 秋山」
「ん? いや、お前って、身長何センチあんだ?」
「え? 突然なんだよ。測ってないからわかんねえよ。健康診断、四月の末だろ?」
「ああ、そうだな」
俺も、自分の身長は知らない。
部活やってないと、測る機会も無ければ気にすることも無いからな。





「おら、パス、パス」
「左、ガラ空きだぞーっ」
「回せ、回せっ」
 四時間目の体育の授業は、クラス対抗のサッカーだった。男女分かれた隣のクラスとの合同体育は、こういう対抗戦というのが一番燃える。普段はなんだかんだ言ってても、こんなときはそれぞれがクラスの意地をかけて一つになる。
「秋山っ」
「ナイスパス」
サッカー部の坂口からきれいなパスが通って、俺はそのままゴールに向かって走った。俺は部活には入らなかったが、中学のときのクラブ活動はサッカーで、球技全般得意な方だ。
「行けーっ、秋山ぁっ」
「戻れ、戻れぇっ」
それぞれのチームのゴールキーパーが絶叫する中、俺は相手のゴールに向かってど真ん中を突っ切った。さすがに前をふさがれてしまって、左右どっちにボールを送るか一瞬考えたその時、左足に激痛が走った。
「ってえっ」
そのまま、グラウンドに倒れる。砂埃が顔の周りに舞い上がった。
「大丈夫か、秋山っ」
皆が駆け寄ってきた。俺は、寝転んだまま左の足首を押さえた。
「いってぇ」
「わりぃ」
隣のクラスの宮本とか言うヤツが、右手を差し出す。コイツが、俺の足にスライディングして来たらしい。
「大丈夫か」
「ああ」
宮本の手をつかんで起き上がると、痛みがズキンと走って、
「あんま、大丈夫じゃなかったかも」
ソックスをめくったら、ベロッと皮がむけていた。
「げっ、イタそーっ」
「秋山、保健室行って来い」
体育教師の橋山に言われて、
「っス」
俺はケツに付いた埃を叩いた。
「ホント、ごめんな」
宮本がすまなそうに俺の肩もはらった。自分も体操着を茶色に染めながら。
「いいって」
「秋山、俺、付いて行ってやろうか?」
「こら、高木、サボるな。宮本はイエローカードだな。試合、続けるぞ」
橋山がホイッスルを鳴らす。
俺は、見送るクラスメイトに片手を振って、保健室に行った。

保健室のドアを開けて、中にいた相手を見て
「は?」
俺は間抜けな声を出した。
白衣を着て丸い椅子に腰掛けていたのは、あの三隅だった。
「おや、秋山くん」
何故か俺の名前を呼んで微笑む。
「何で、あんたがここにいるんだ」
卒業しなかったと聞いたけれど、保険医になっていたのか。いや、そんなはずはない。
「留守番頼まれて」
「留守番って……紛らわしいんだよ、そんな白衣着て」
「これは俺のいつもの服だよ」
三隅は可笑しそうに笑う。確かに、ところどころに絵の具の汚れがついていた。
「怪我したの?どれ」
「自分でやる」
何でコイツに手当してもらわないといけないんだ。俺は、薬品の棚から消毒薬を探した。
「それじゃないよ、こっちこっち」
三隅は手際よく消毒薬と脱脂綿、擦り傷用らしいスプレーの缶、そして包帯まで取り出した。
「スプレーだけでいいです」
「包帯、巻かせてくれよ」
「冗談」
何かやりたそうに覗き込む三隅を無視して、俺は自分で消毒薬を塗った。かなりしみたけれど、三隅が見ていると思うとグッと我慢できてしまった。
「イタソー」
「痛くないです」
「オトコらしーっ、カッコいーっ」
何なんだ、コイツ。

 俺が自分で手当している間、三隅は頬杖ついて俺を見ていた。
俺は、突然思い当ったことを口にした。
「何で、この時間にいるんです?」
留守番を頼まれるにしても、今は授業中だろう。
「三年は、今日は模試なんだよ」
「あんた、じゃなくて、先輩は、受けなくていいんですか?」
一応先輩だということを思い出して、言い直した。
「俺は、大学受験はしないからね」
このふざけた先輩は、去年も三年生だったにもかかわらず、後期の試験を全てすっぽかしてわざと卒業しなかった。おかげでうちの高校の最長老生徒だ。卒業しなかった理由は、色々と噂になっていた――高校生画壇デビューを果たすためとか、恋人のためだとか――が、本当のところは知らない。
「何で、去年卒業しなかったんですか?」
「できなかったんだよ?」
「わざとでしょ?」
「ふふふ…」
三隅はいやらしそうに目を細めた。
「美術部の後輩に、離れがたい子がいてさぁ」
工藤のことだ。
「卒業したって、会えるでしょう」
付き合っているのだから。
「うーん、そうだねぇ」
三隅は、丸い椅子に座ったままクルリと半分回って、ベッドに座っていた俺と正面向き合った。
「秋山君、葵ちゃんの絵、見たことある?」
工藤の名前を聞いて、ドキリとした。
(葵ちゃん)
その呼び方にはまだ少しムカつくけれど、しかたない。
「いいえ」
「勿体ないなあ。一度見るべきだよ」
「…………」
優位に立ったヤツの物言いに、思わず眉間にしわが寄る。
(見たくても、見られないんだよ)
一度、スケッチブックを持った工藤と廊下ですれ違ったとき、
「見せろよ」
と言ったけれど、工藤は照れた様子で頑として拒んだ。
俺もそんなにムキにはならなかったけれど、コイツは毎日見ているのかと思うと、やっぱり妬ましい気持ちになる。
前原から、三隅が工藤の絵をマンツーマンで指導しているとも聞いた。
「あいつ……工藤、なんの絵描いてんですか?」
工藤が、あの瞳で何を見つめているのか知りたい。
俺も、相当、未練たらしい。
「うーん、そうねえ」
三隅は、腕組みした。
「まあ、今は練習だから、色々描いているけどねえ」
的を射ない応えに、質問を変えた。
「あいつ、どんな絵描くんですか?」
こっちの質問の方が難しいと思ったのに、三隅は、即答した。
「素直な絵を描くよ」
そして、
「あの子の性格そのままに、素直な、真っ直ぐに対象を見据えた、とても優しい絵を描く。葵ちゃんらしい、優しい絵だよ。うん、前は優しいばっかりだったけど、最近は少し強さも出てきたかな」
髪をかきあげながら何かを思い出すように微笑む三隅に、激しく嫉妬した。
「そうですか」
俺は、立ち上がった。
「卒業までに、一度、見ろよ」
俺の背中に向かって言う。
「見せてもらえればね」
保健室のドアを閉めながら小さく応えた。





 二年の二学期の終わりに、進路希望の提出がある。
よそよりも遅いのは、うちの生徒のほとんどがエスカレーター式に上の大学に進学するからだ。そりゃそうだろう。大学受験の厳しさを逃れるために、みな中学、高校での受験をがんばってきたんだから。
星城大学は私大の中でも、それなりに名の知られた大学だ。外部から星城大学を受験するヤツも大勢いる。何も中にいる俺たちが、わざわざ外の大学を受験することはない。だから、進路希望というのは、どこの大学に行きたいかというより、どの学部で勉強したいかを聞くようなものだった。

「秋山、お前、学部どこにした?」
昼休み、俺のクラスに来た高橋が訊ねる。
「うん」
「やっぱ、経済とか、商学部ってのが、就職の時には有利なのかな」
高橋の口から『就職』なんて言葉が出たので驚いた。
「お前、堅実だな」
「やっ、別に。だって特にこれを勉強したいってもんが無かったら、フツーはつぶしが利くとこって思うだろ?」
「そうか」
「理工とかにすると、就職先しぼられるからな」
「そうでもないだろ?今だったら、理系の方がいいんじゃないか?」
「いや、そんなこと無いって。理系だと院まで行かないと就職キツイってよ?」
「ふうん」
急に、自分の将来というのが現実味を帯びてきた気がした。
 俺は、将来、何をしたいんだ。


「俺、外部受験しようかと思うんだけど」
夕食の時間に突然言ったら、案の定、母親は目を剥いた。
「何言ってるの、周介」
持っていた茶碗を置いて、向かい側から身体を乗り出す。
「エスカレーター式で星城大学行きたいって、あんたが言ったから、高校から高い学費払って行かせてあげたんでしょう」
「そうだけど」
俺は味噌汁の椀をズズッとすすった。どうでもいいが、我が家では朝も夜も味噌汁が出る。高橋に言わせたら、味噌汁は朝だけのものらしいが。
俺が黙っていると、珍しく早く帰って来ていた親父が言った。
「外部って、どこを受けたいんだ」
「どこって決めてはいないけどさ」
まだどこの大学かいいかなんて、調べちゃいない。
ただ、学部はぼんやりと決めていた。
「航空宇宙学科に行きたいんだけど」
自分が何をしたいのか、将来なりたいものは何なのか、自分なりに考えた。
子供の頃なりたかったもの…プロ野球選手、サッカー選手、釣り師、玩具屋、パイロット、ロボットを造る研究者…どれも子供らしい夢の選択だったけれど、その中で今でも追えそうなもの――。
「航空宇宙学って、ロケットつくるの?」
母親が目を丸くする。
「ロケットとは限らないけど」
「そういや、周介は、昔から飛行機が好きだったな」
親父に言われて、少し照れくさい。
「まあ、決めたわけじゃないけど」
「当たり前よ。決めるときは相談しなさいよ。学費出すのはこっちなんだからね」
「はいはい」
だから、今、言ってみたんだろ。
「まあ、私は反対しないよ。周介の将来だ。学費のこととか考えないで、自分が何をやりたいのか、よく考えなさい」
「アリガト」
「もう、あなたったらホント周介には甘いわ。お兄ちゃん聞いたら怒るわよ」
国立大学に行っている優秀な兄貴を引き合いに出されて、俺は肩をすくめた。
「あいつは、好きで公立に行ったんだろう」
「奨学金まで貰ってくれているのよ。ありがたいわ」
親父が俺を可愛がるのに対抗して、母親はどっちかというと兄貴びいきだ。
これ以上ここにいるとマズそうなので、俺は、飯をかき込んだ。
「とりあえず、もうちょっと考えるよ」
「あ、周介、片付けて行きなさい」
「ご馳走さま」
部屋に帰って、もう一度考えた。

 俺は、何をしたいんだろう。
高校に入学するときの目標は、ただ漠然と工藤と同じ高校に行きたいというものだった。それも、高橋に便乗した形。
工藤のことがなくなった今、星城というのはただの器だ。その中にやりたいことがあれば、わざわざ外に出ることはない。無ければ、別のところで……。
(そういえば、工藤は、どうするのかな)
ときおり廊下ですれ違うだけになってしまったけれど、それでも、たまに話をすると嬉しい。工藤を諦めようとして、あの後、女の子とも付き合ったりしたけれど、やっぱり工藤以上に好きな相手は現れなかった。
(やっぱ、離れた方がいいかもな)
いつまでも未練たらしい自分を笑って、とりあえず進路希望は外部受験とだけ書いた。

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