次の日、週番の俺は朝から中里にこき使われ、工藤とは話ができなかった。いや、話す時間があったところで、例の話を蒸し返すのは難しかったが。
二時間目が終わった休み時間、自分のところの授業が終わるなり飛んで来たらしい前原が恐ろしい顔をして工藤を呼んだ。
そのまま、すごい勢いで工藤を引っ張っていく。
「何だ?今の」
「さあ」
高橋も首をひねる。
「葵、何かしたのかな」
「いや…」
それは無いとは思ったが、
「ヤキでもいれられそうな勢いだったな」
冗談半分に言ってから、顔を見合わせて、俺達は立ち上がった。


 前原と工藤はお約束の校舎裏にいた。
「前原、何、やってんだよ」
「あ、何よ、あなたたち」
「お前がすごい勢いで葵を引っ張っていくから、ヤキでも入れられてんじゃないかって心配したんだよ」
高橋が言うと、前原は顔をムッとさせた。
「なんで、私が工藤君にヤキいれんのよ」
「それくらいの、迫力だったんだよ。一体、どうしたんだよ」
「何でもないわよ」
前原は、腰に片手を当てて俺達をひと睨みした後、
「じゃ、工藤君、帰ろ」
工藤の背中を押した。
「とにかく、李下に冠を正さずだからね」
「う、うん」
「理科がどうしたよ?」
「高橋君には、関係ないの」
その時は、前原が何を言ってるのか、俺達二人とも全くわからなかった。

 その日の昼休み。
俺達は、久しぶりに三人で昼飯を食っていた。
「今日は、部室には行かないのか?」
「うん」
工藤は部活を始めてから、昼休みもよく部室に行った。だから、二学期になってからは、こうやって三人そろって昼を食うということは少なくなっていた。
「なあ、あの女たち、何かこっち見てねえ?」
「あ?」
高橋が顎で指す廊下側の窓を見ると、上級生らしい知らない顔が、確かに、こっちを覗き見ていた。
(何だ?)
と思ったその時、
「葵ちゃーん」
昨日工藤といた男が、教室の後ろの戸口から入ってきた。
「昼飯、食った?昨日のお詫びに、今日こそおごらせろよ」
(コイツも、何なんだよ)
「もう、食べていますから」
工藤が迷惑そうに言うのに、
「そんなこと言わないでさ。だったら、お茶。お茶ごちそうするから」
工藤の肩に手を廻す。馴れ馴れしい。
そして、ソイツは俺に気がついて、何故だかじっと見つめてきた。
(むっ…)
俺が不快そうな顔をしたからだろうか、
「わかりました、三隅さん」
工藤が立ち上がった。
「おっ、茶ァ飲む気になった?」
「どこでも付き合いますから、教室には来ないでください」
その三隅という男を教室の外に連れ出す。
(あ……)
俺も高橋も、呆気にとられて、それを見送るしかできなかった。
工藤がいなくなると、北沢が飛んできた。
「今の、あの三隅先輩だよな」
『あの』を強調するあたり、三隅ってのは有名人らしい。
北沢は、噂好きだ。校内のたいがいのゴシップに通じている。将来の夢は芸能リポーターらしい。
「昨日の今日で、またまた噂になりそうだな」
「噂ってなんだよ」
「えっ?知らないの?」
北沢の目が輝いた。
「あの三隅先輩と工藤が、付き合ってるって話」
突然の話に、俺も高橋も唖然とした。
「さっき窓から覗いていた先輩たちも、工藤の顔、見に来たんだぜ」
「…ばっ、馬鹿なこと言ってんじゃねえよ」
我に返った俺は、高橋の顔色を気にしながら言った。
高橋は、驚いたようではあったけれど、それほどショックでもなさそうだ。
俺の方がよっぽど動揺している。
「馬鹿なことじゃないよ。ちゃんと目撃者だっているんだし」
「何の?」
「昨日の夜、二人が誰もいない美術室で抱き合っていたって」
昨日の夜っていうと、あの後か?
(抱き合って……)
視聴覚教室の前でも、二人は抱き合うような恰好だった。
(工藤とアイツが……)
俺は内心の動揺を隠して、笑ってやった。
「誰もいないんじゃ、目撃者だっていないだろ」
「もぉ、そんな屁理屈言うなよ」
北沢は、チッチッと指を振った。
「本当なら誰もいない美術室に、たまたま用があって行った隣のクラスの女子が、暗い中で抱き合っている二人を見た…ってさ。驚いてしばらく見てたっていうから、見間違いじゃないんじゃない」
何と言っていいかわからずに黙っていると、北沢は訳知り顔でうなずいた。
「でも、工藤ってさ、男と付き合ってるって言われても、違和感無いよなあ」
高橋のほうを見て、悪気無さそうに言う。
「そういや、一学期は、お前とセットで『姫』とか呼ばれていたこともあったな」
高橋は苦笑いした。
なんだよ、高橋。
お前、あの三隅って男に工藤を取られていいのか。
お前の気持ちは、その程度だったのかよ。
納得いかない気持ちでいたところ、工藤がすぐに戻って来たので、北沢は慌てて自分の席に帰った。
「工藤、ちょっと、いいか」
俺は、どうしても工藤に問いただしたかった。
人目を避けるために、旧校舎の屋上まで上がった。
「工藤…お前が、高橋と別れたのって、あの三隅って先輩と付き合うためなのか?」
工藤の瞳が大きく見開かれた。黙って俺の顔を見る。
「何でだよ」
すぐに否定しない工藤に腹が立った。
「あいつの、どこが、高橋よりいいんだ」
高橋と別れたと聞いた次の日、別の男と噂になっている工藤に腹が立った。
「なあ、あの三隅ってヤツのどこがいいんだよ…あんなに、お前のこと好きな高橋より……」
嘘だ。高橋のことじゃない。
俺は『自分じゃない』ってことに腹を立てている。

「何で…秋山君が?」
工藤に言われて、息を飲む。
そうだ。工藤と付き合っていたのは高橋だ。高橋が怒るならともかく――いや、本当に別れたのなら怒ることも無いんだろう。さっき、高橋は、怒っちゃいなかった。
高橋がよしとしているのに、俺がどうこう言うことじゃない。そんなこと、わかってる。
「俺は、あいつの…高橋の、親友だから……」
違う。
俺は、自分が、悔しいんだ。
「お前…あれだけ、高橋に世話になってたじゃねえか」
高橋を理由にしているだけだ。
「あんなに、色々、やってもらって……」
違う。
自分が悔しいんだ。せっかく俺があきらめた、いや、あきらめようとした工藤と別れちまった高橋。そしてその後、俺の知らない上級生と付き合っているという工藤。

 また、俺は、何もできなかった――。

無意識にフェンスを握り締めて、金網が手の中でギシッと鳴った。
その時、突然、工藤が言った。
「人を、好きになるって…人を好きになるのって、そういうんじゃないと思う」
「工藤?」
「よくしてもらったからとか、世話になったからとか…そういうんじゃない」
振り返ると、工藤の静かな瞳が、俺を見据えた。
「その人が……例え、自分を見てくれなくても、構わない。僕がその人を見つめることが出来るだけで……その人の近くにいられるだけで……例え、その人の笑顔が、僕以外の人に向けられていても、その横顔を見られるだけで……嬉しい」
「工藤……」
「人を好きになるって、そういう気持ちだよ」
ゆっくりと言い終わった工藤の髪が、風にそよいだ。

控えめなのに、強い意志。
いつのまにか、工藤は変わった。
いつもいつも、黙って微笑んで俺達を見ていた、教室の隅の儚げな少年。
今、しっかりと意志を持った目で俺を見つめる。
真摯な瞳の奥に、芯の強さを覗かせる。
「お前、変わったな……」
俺は、驚きと賞賛の入り混じった気持ちで呟いた。
「……強く、なった」
「ありがとう」
俺の言葉に、工藤は、笑った。
まぶしいほど、綺麗な笑顔だった。


「ごめんな、俺、余計なこと言った」
「秋山君」
「これからも……俺達、友達でいてくれよな」
目の前の工藤が愛しすぎて、思わず髪に触れた。
一瞬くすぐったそうに目を細めた工藤を、衝動的に抱きしめたいと思ったけれど、ぐっとこらえて背中を向けた。
工藤に触れた右手に未練が残る。

 変わったのは、誰のせいだ。あの、三隅って先輩か?
そう思うと、嫉妬で胸が苦しくなる。
工藤は、美術部に入って変わった。
あの先輩と会って、変わったんだろう。
高橋じゃダメだったんだな。そして、俺でも――。

 でも、俺達は、友達だよな。いつまでも、友達だよな。

 
 俺は、今度こそはっきりと工藤のことをあきらめようと思った。



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