夏休みが開けてまもなく、高橋と工藤の心配をする以前に俺自身に災難が降りかかってきた。 俺と前原が付き合っている――。 一学期からあった噂らしいが、二学期になると、バイトの話がどう曲がって伝わったのか、あること無いこと囁かれていた。 いちいち否定して回るのも面倒でほったらかしにしていたら、ある日 「秋山君、ちょっと」 前原に呼びつけられた。 珍しく前原の友人二人が一緒だったので、何だと目で訊ねると 「あ、私たちのことは気にしないで。ほら、二人だけで会うとまた噂になるだろうから、カモフラージュってことで」 髪の短い方の女が手を振って笑った。 「噂の真偽を確かめに来ただけじゃないの」 前原にピシリと言われて、その二人は顔を見合わせて笑った。 前原は、俺に向き直って 「秋山君も、泰然としているのはいいんだけど、否定するべきところは否定してよ」 それほど怒った様子でもなく言った。 「何?」 「うちのクラスの男子がね。秋山君、私と二人でうちの親戚の家に行ったって。秋山君が自分で言ってた、って」 「二人でなんて、言ってねえよ」 俺が自分で言ったとしたら、心当たりがあるのはアレだ。 二時間目が終わった休み時間、便所で手を洗っていたら後ろから膝をカクッとやられた。 振り返ると、前原のクラスの武藤が笑っていた。 「聞いたぞ」 「何」 「夏休み、前原んちの別荘に行ったんだってな」 「ああ、その話ね」 「オヤジさんにも挨拶したって?」 「オヤジさんじゃなくて、オジさんだろ?」 「お前、うちのクラスの男にやっかまれてるぞ。前原、チョー人気あるから」 「そうなのか?」 「ああ」 大きくうなずく武藤を見ながら、 (ま、顔もまあまあだし、そういうこともあるんだろう。人の好みはそれぞれだ) くらいに考えて、武藤の顔ではっと思い出した。 「そういや、武藤、休み前に貸した本、どうしたよ」 「何だっけ?」 「FFの攻略本だよ」 「あっ、忘れてた」 「返せよ、いいかげん」 「わりい、わりい」 と、まあこんな会話だった。 武藤は、他人の噂話をベラベラしゃべるヤツじゃないから、たぶんそのときの会話を聞いていた誰かが噂にしたんだろう。 「高橋君だって工藤君だっていたのに、何で私たち二人っきりって話になってるの?」 「俺が知るかよ」 前原は、不満そうに唇を尖らせ、腰に手を当てる。 「どうせなら、工藤君と噂にして欲しかったわよ」 「それは、ダメよぉ」 オブザーバーの一人が言った。 もう一人も、 「そうそう、工藤君は私たちのアイドルだもんね〜」 その言葉に、俺は振り向いてその二人の顔を見た。 その俺を見て、前原がクスリと笑った。 「気にしないで、変なの、このヒトたち」 「何よ、翔子」 「ちょっと工藤君と仲がいいと思って」 「ちょっとじゃないモン」 「クヤシー」 何なんだ、この会話は。 「工藤君って可愛いから、一部の女子に人気あるのよ」 「へえ」 前原の言葉に、俺は素直にうなずいた。 正直『前原がチョー人気』と聞いたときより、うなずけた。 「葵上とか葵の君って、陰で呼ばれているのも、本人は知らないよね」 「知らないだろ、そりゃ」 何だかおかしくて笑った。 「その辺のムサイ男子に無い、はかなげな雰囲気がいいのよね」 「ねーっ」 この二人に言わせれば、俺も『ムサイ男子』の一人なんだろう。 確かに、工藤は、その辺の男とは別格だと俺も思う。 (しかし…葵の君…) 古風な名称が可笑しい。 次の日、その『君』が、突然部活を始めると聞いて、俺たちはちょっとだけ驚いた。 「美術部?」 その日、三人で昼メシを食っているときに、工藤が『美術部に入ろうと思う』と言って、高橋が驚いた声を上げた。 「うん」 「葵って、美術、好きだったのか」 「好きっていうか…いつか…描きたいものがあって……」 工藤の言葉に、思わず反応してしまった。 「へえ、何?」 工藤が描きたいもの。 「……秘密」 工藤は、ちょっと言葉に詰まって、そして恥ずかしそうに言った。 「何だよ、それ」 余計に気になった。 工藤が高橋の方を向いて笑って、高橋がそれに応えるように笑う。 あれからこの二人は、ひどく穏やかな恋人同士になっているようだった。 工藤と絵という組み合わせが、あの小学校の図画の時間を思い出させた。 『清水君、席、換わろう』 『何で?』 『だって、清水君、仲いいし』 あれは、俺を避けたんだろうか? そういえば一学期の始めの頃、工藤は俺と話す時、やたらビクビクしていなかったか? 「なあ、工藤」 「え?」 俺は、小学校の時、お前に何かしたのかと聞こうとして、やめた。 「……何でもない」 ガキの俺が知らずに何かしてたとしても、それは「今さら」の話だし、工藤は今、俺の目の前で笑っている。 仲の良い友達の一人として――。 「やだな、言いかけてやめられると…気になるよ」 工藤は、まつげを伏せて、食べていたパンを両手でちぎった。 そのパンが工藤の唇に運ばれるのを見ながら、 「絵、描いたら見せろよ」 そう言ったら、工藤はちょっと顔をあげて 「いつか…見せられるものができたら……」 困った顔で微笑んだ。 そして、俺たちの二学期は、ゆっくりと過ぎていった。 工藤が美術部に入ってから、俺たちは三人でいることが少なくなった。 俺はともかく、工藤と高橋が一緒にいなくなったことが気になる。 あのとき高橋は『今まで通り』だと言ったのに。 恋人同士として落ちついたと思ったのは、俺の勘違いだったのか。 「おい、秋山」 放課後帰ろうとしていた俺を、世界史の中里が呼び止めた。 「はい」 「すまんが、明日使うから、これを持ってってプロジェクターを準備しといてくれ」 フィルムの箱を渡された。 何で俺がという顔をしたからだろう、中里が言った。 「お前、週番だろ」 「あ、そうだった」 別に一人でもできる作業だが、なんとなく自分だけがやるのは貧乏くじのような気がして、俺と一緒に当番の浅田を捜した。 けれども、ヤツはいなかった。 もう帰ったんだろう。 しかたないので視聴覚室まで行くと、廊下の先に工藤がいた。 上級生に絡まれているのかと思ったけれど、少し様子が変だった。 「やっ…やめて下さい」 「立てないんだろ?」 「ちがい、ます」 工藤は、その上級生に抱きしめられるようにして、腕の中でもがいている。 (誰だよ、コイツ) 何となく見覚えのある顔。 男のくせにきれいな顔をしているから、どこかで見て記憶に残っているのかもしれない。 じっと見ると、その男はしれっとした顔で俺を見返した。 (気に入らねえ…) 工藤は、顔を赤くして壁にへばりついている。 「工藤、俺、中里に明日のセッティング頼まれてんだけど、手伝ってよ」 「え?」 この場から、工藤を連れ去りたかった。 「俺と、浅田が週番なんだけど、アイツ帰っちまって」 「う、うん」 「葵ちゃんてば」 軽薄そうな呼びかけも、気に入らなかった。 なんなんだよ、コイツ。 何で、工藤を抱きしめていたんだ。 何で、工藤は、抱きしめられていたんだよ。 「それじゃあ」 工藤はペコッと頭を下げて、俺の横に並んだ。 「今の人、美術部の先輩?」 「…うん」 何で美術部の先輩に、こんなところで抱きしめられていたんだよ。 そう訊ねたかったのに、上手く言葉が出なかった。 俺は、自分で思っている以上にカッカしていた。 「さっき…」 「えっ?」 工藤が俺を見た。大きい目が見開かれている。 「何でもない」 俺がやきもちを妬くのは、間違っている。 黙って歩く工藤の横顔を見るうちに、少し気持ちが落ちついて、そして俺は、前から気になっていたことを尋ねた。 「なんだか久し振りだな。工藤と二人だけで話しすんの」 「あ、うん」 「あのさ」 「なに?」 「高橋と、別れたのか?」 工藤が、息を飲んだ。 「高橋君から…何か、聞いた?」 工藤の唇が震えた。俺を見つめる瞳が緊張している。 「何も」 俺の言葉に工藤はホッとしたように息をついて、一瞬真っ白になっていた顔に血が上って、頬がふわりと桃色に染まった。 「高橋は何も言わないけど、お前たちが一緒にいなくなったのは、見てれば分かるからな」 二人が別れてくれた方がいいのか、悪いのか。 俺は、自分でもよくわからない気持ちで念を押した。 「別れたんだろ?」 工藤は、小さく頷いた。 (やっぱり…) はっきりしたことで、余計に自分の気持ちがわからなくなった。 高橋だから許せると思った。諦めようとも思った。 いや、本当は諦めきれない気持ちもあって――。 でも、親友の高橋だから――アイツの望んだことだから――。 「何で?」 「え?」 「何で別れたんだ?」 何故、高橋と別れたんだ。 あの夜のことが原因なのか。 (それとも、ほかに何かあるのか……) 「おおい、秋山」 突然の大声にビクッとした。浅田だ。こっちに向かって走ってくる。 「ごめん、俺、いたんだけど」 「あ、帰ったんじゃなかったのか」 「ああ、ちょっと隣のクラスに」 浅田はケロリと笑って、工藤を見た。 「あ、工藤、代わりにやってくれるつもりだった?」 「あ、う、うん」 「わりぃ、やるから俺。っていうか、俺、あのプロジェクター、いじってみたかったんだよねえ」 機械オタクらしい浅田の言葉に、工藤はうなずいて踵を返した。 「あ、おい、工藤」 工藤は立ち止まってゆっくり振り返った。 「えっと…」返事を聞きたかったのに、 「また…後で…」 浅田が邪魔だ。 工藤は、唇をきゅっと結んで静かにまつげを伏せた。 |
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