「秋山、話があるんだけど…ちょっと…いいか」
 その日の夜。
部屋に戻った俺を、高橋が外へと誘った。
ここじゃできない話なのかと、俺は先に休んでいる工藤のベッドをチラリと見た。
「なあ、おい」
高橋は、気忙しそうにドアに手をかけて、俺を促す。
「わかったよ」
俺は、高橋の後ろについて出た。
ペンションの裏は、林になっている。
その脇の小道を上がっていけば、昼間の川へと続く道に出るのだけれど、俺達は林の奥へと歩いた。
先を歩く高橋は何も言わない。俺も黙ってついて行った。鈴虫の鳴く声と俺達が踏んで折る枝の音だけが、林の中に響く。
 かなり奥まで歩いて、ようやく高橋は振り返った。
星と月の光がかろうじて届くだけの暗がりで、俺達は向き合った。
「何だよ、話って」
なかなか話を切り出さない高橋に焦れて、俺から水を向けると、
「お前、工藤のこと、好きなのか?」
唐突に切りつけられた。
一瞬、ギクリとはしたものの、
「何を言い出すんだ?いきなり……ははっ」
俺はいつものようにごまかした。自分の気持ちを隠すのは、もう癖になっていると言っていい。
「今日、お前ら、何かあったんじゃないのか?」
「何かって?」
「工藤が、川に落ちて……」
「ああ、だから、溺れかけた工藤を、たまたま近くにいた俺が助けた。それだけだ」
「本当にそれだけかよ」
「何が言いたいんだよ」
俺は少し苛ついた。こんな回りくどい言い方は高橋らしくない。
「お前……」
「何だよ」
「お前、工藤になんかしようとして……それで工藤が川に落ちたんじゃ……」
「はあ?」
俺は、呆れて大声を出した。
「俺が工藤を川に突き落としたっていうのか?」
「そうじゃなくって、つまり」
高橋も声が大きくなる。俺はいきなり、高橋の言いたいことがわかった。
「ああ…そうか」
高橋の心配していること。
「俺が、工藤を襲うかなんかして、それであいつが川に落ちたって?」
高橋は黙っている。否定しないってことは、そういうことか。
俺は、吹き出した。
「バッカじゃねえの、お前」
俺は、笑った。さもおかしくて堪らないというふうに。
自分の後ろめたい気持ちを隠すため。昼間、工藤の裸に欲情した自分を隠すために。
「お前、自分がそういうシタゴコロ持ってるからって、全部の男をそんな目で見んじゃねえよ」
「………」
「工藤は、一人で落ちたの。まあ、信じられないだろうけど。俺だって、見つけた時はビックリしたからな」
笑ってごまかそうとしたけれど。
「……でも」
高橋は、まだ何か言いたそうだった。
「何だよ」
「午後から、お前ら、変だった」
「変って……なんだよ」
「すげえ、意識し合ってた」
「なわけ、ねえだろ」
動揺を悟られないように、俺は不機嫌そうに高橋を睨んだ。
本当は、意識した――工藤のこと。
軽口をたたきながらも、濡れた裸の胸とあの時の顔がずっと頭から離れなかった。
俺の首にしがみついた工藤の腕、抱きつくように寄せられた胸、暴れて絡んだ足の感触も、全て生々しく思い出される。
けれども、それを高橋に知られるわけにはいかなかった。
「お前、気にしすぎだよ」
「そうかな」
「そうさ」
俺は、つとめて軽い口調で言った。
「話ってのは、それだけか? だったら帰るぞ。……ったくバイト一日目だってのに、つまんねえ話で時間取らせやがったな」
背中を向けた俺に、高橋が、唐突に言った。
「だったら、お前、協力してくれよ」
「は?」
俺は、ゆっくり振り返った。
「お前、本当に、工藤のこと何とも思ってないんなら、俺に協力してくれよ」
「協力って、何だよ……」
「一日でいい……バイト終わる日でもいいから、一晩、俺と工藤あの部屋で二人っきりにしてくれよ」
二人っきり? 一晩?
それが何を意味するのか、今の俺にはわかり過ぎるほどわかった。
黙っている俺に、高橋はたたみ込むように言う。
「なあ、頼むよ」
「一晩って、俺にその間どこに行ってろってんだよ。野宿か?」
冗談で済まそうとしたら、高橋の腕が俺をつかんだ。
「前原のとこでも、リビングでも、どこでも」
高橋の真剣な目に、気圧された。
「頼むよ。工藤のこと本当に好きじゃないってんなら、俺の頼み、聞いてもいいだろ?」
俺の腕をつかむ高橋の手が震えている。
「秋山……」
この腕を振り払って『ふざけんな』と言えたら―――
『俺だって、工藤のことが好きなんだよ』と叫んでやれたら―――
けれど――
「いいよな、秋山……協力してくれるだろ」
切羽詰った高橋の声に、俺の唇は、意思とは違う動きをした。
「わかったよ」

 それを聞いて、あからさまにホッとした顔で、高橋は俺の腕を放した。
俺は、つかまれた腕をそっとさすった。
暗くてわからないが、あざになっているようだ。この、馬鹿力。
「悪い、秋山。俺、今日、ホント、おかしくってさ」
高橋は照れくさそうに頭をかく。もう、いつもの高橋だ。
「なんか、お前と工藤がいい雰囲気みたいな気がしてさ」
「何、言って…」
口の中に、苦いものが広がる。
「ごめん。もうこの話は無しな」
高橋が言って、俺は唇の端を曲げて笑った。
「工藤には、言わないよ」
「やめてくれよ」
高橋の、人が変わったような笑顔に、さっきの約束も冗談だったと、そう俺は思い込むことにした。



 それが冗談じゃなかったと言うことをあらためて知るのは、それから一週間ほど過ぎた夜だった。

 あれから俺達はごく普通に、リゾートバイト特有の短時間に集中する激務をこなし、空いた時間に山に行き川に行き――夏休みを謳歌した。
工藤も、学校にいるときよりも生き生きしているようだった。三回目に行った釣りでは、初めて自分でウグイを釣って、それは二十センチほどの小さなものだったけれど、とても嬉しそうだった。前原には相変わらず弟のように可愛がられて、俺はそんな工藤をほほえましく見るたび、その工藤を切ないほどにジッと見詰める高橋に気がついた。

 その夜は、恒例のラウンジでの集いの中で、珍しく工藤がビールを飲んでいた。
「工藤君、お酒大丈夫なの?」
自分は缶チューハイをグビグビ飲みながら、前原が驚いた声を出した。
「あ、うん……」
「大丈夫!今時、缶ビール一本くらいで酔ってちゃあ、立派なオトナになれないわよ」
工藤に酒を飲ませたのは、女子大生グループのリーダー格のこの女だ。
ここには二泊目で、初日の夜から工藤のことを可愛がっていた。
前原は、それがちょっと気に入らないらしい。
「無理して飲むこと無いんだからね。工藤君」
「あら、多少の無理が人間を成長させるのよ」
「そうそう、千里の道も一歩からよ、翔子ちゃん」
「ザルへの道は、一本の缶ビールから」
同じグループの女子大生たちの合いの手に、
「別にザルに成長する必要はありません。工藤君はホストじゃありません。お姉さまがたのお相手は、あっちのゴツイ二人でどうぞ」
俺達をピッと指す。ラウンジに明るい笑い声が起きる。
何だかんだ言って、前原は持ち前のキャラで、ここの宿泊客とは馴染んでいる。
工藤が小さく笑いながら、立ち上がった。
見上げた前原に
「トイレ」
小声で囁く。
俺の前を通るとき、ほんの少し足元が危なっかしい気がして、
「大丈夫か」
腕を支えてやったら、見返してきた瞳が色っぽく潤んでいてドキリとした。
「ゴメン……ビール一本なのに、酔っ払っちゃったのかな」
恥ずかしそうに、熱を測るように額に手を当て、微笑む顔から目が離せなかった。
「俺が付いて行くよ」
高橋が俺から引き離すようにして、工藤の身体を支えた。
「大丈夫だよ、一人で」
「いいから。俺も、便所行きたかったんだよ」
高橋は工藤を急き立てるようにして、ラウンジから連れ出した。

 戻ってきたのは、高橋一人だった。
「どうした?」
「やっぱり眠いから、先に部屋に帰るって」
「ああ、それがいいな」
これ以上ここにいたら、あいつ、お姉さま軍団のいいカモだ。
そう思って、俺がビールを一口飲んだ時、高橋が小声で言った。
「あの約束、覚えてるよな」
「えっ?」
高橋が立ち上がった。俺も後に続いた。ラウンジでは相変わらず泊り客の宴会が続いている。
「約束って……」
嫌な予感がした。
「俺に、協力してくれるって言ったよな」
高橋の声は固かった。それ以上に俺の声も固かったと思う。
「まさか、今夜、部屋空けろって言うんじゃないだろうな」
「まさかじゃねえよ」
「ざけんなよ。アイツ、酔っ払ってんだろ」
俺は、はっきり怒りを感じた。酔った工藤に手を出そうとする高橋に。
「酔うほど飲んじゃいない。眠いだけだって言ってた」
「だからって…何も……」
「今日しか、ダメなんだよ」
「何でだよ」
「勇気出ねえ。今しか…俺……」
(何を……)
酔って色っぽくなった工藤に我慢できなくなっただけだろう、と毒づきそうになり、すぐに自分も同じだと言うことに気がついて唇を噛んだ。
「協力してくれるんだろ」
高橋が俺を睨むように見た。
こんな顔を見たのは、初めてだった。
「工藤のこと……何とも思ってないんだろ」
「俺は……」
心臓がドクンドクンと鳴るのがわかった。そのまま耳の後ろでも激しい鼓動を刻む。
(言ってしまおうか……)
チャンスかもしれないと思った―――俺の気持ちを、本当のことを、この高橋に知ってもらう。
あの高橋が宣言した日、本当は言いたかった俺の――

不意に、あの日の高橋の声が甦った。
『お前の親友は、俺だよ。そして、俺の親友もお前だ――高橋昭の親友は、秋山周介だ』

『親友』――俺を縛る。
小学校の頃からの付き合い。たくさんの思い出。一緒に怒られ、一緒に泣いて、そして誰よりもたくさん、一緒に笑った。中学でのバレンタイン事件。体育大会、修学旅行、卒業式のバカ騒ぎ。どれも忘れられない――高橋との思い出。

「秋山…頼む……」
高橋が、声を震わせて、頭を下げる。
俺は右手の拳を一度だけ強く握って、そして黙ってラウンジに戻った。
「サンキュ」
高橋がため息のような声で言ったけれど、聞こえないふりをした。


「あら、二人は?」
前原が、何本目かわからない缶のプルトップを引きながら俺を見上げる。
「飲み過ぎらしい」
「ええっ?全然、飲んでなかったじゃない」
「お前に比べりゃね」
「何よ」
前原が下唇を突き出す。オーナーの奥さんが困ったように笑う。
「本当よ、翔子ちゃん、もうそれくらいにしておいて」
「高一でこれじゃあ、将来オソロシイわよね」
「早くお姉さま方の仲間に入りたいですぅ」
女子大生の輪に混じって笑う前原を見ながら、俺は、新しい缶を開けて一気に飲んだ。

 何も考えられないくらいに酔っ払って、このラウンジで潰れてしまえばいい。

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