「ねえ、知ってた?」 放課後。 隣を歩く前原がうつむいてクスクスと笑う。俺達は互いの秘密を共有しあってから、何かと一緒にいる機会が多くなっていた。前原の方が、チョロチョロと近づいてくるのだ。今も、駅までの帰り道、俺の姿を見つけて追いかけてきたらしい。 「何を?」 「私と秋山君、付き合ってるって噂あるらしいよ」 「何だ、そりゃ」 「まあ、最近、よく一緒にいるけど。みんなに見られたのはあれだよね、七夕の日。私が秋山君の所にヨーヨー釣りに行ったじゃない?」 「ああ」 俺は七夕の夜を思い出し、浴衣姿の前原ではなく、工藤の顔を思い浮かべた。 こよりを渡すときに触れた指先。ふせられた長い睫毛。 「あの時、二人して浴衣着てたの、クラスの子にもからかわれたんだけど……」 工藤の隣には、高橋がいた。 「ちょっと、聞いてる?」 「聞いてるよ」 「もういいわ。それより、私、そのこと誰に聞かれたと思う?」 「何?」 「だから、私と秋山君が付き合っているのかって」 「どうでもいいし」 どうせ噂だ。 「工藤君」 その名前に自分の背中が強ばったのがわかった。 「工藤君が、私に聞いたの」 前原は、長い髪の毛をかきあげながら、空を見上げる。 「なんかさあ、自分の好きな人から『誰々と付き合ってるの?』って聞かれるの、ちょっとショック」 わかる気がする。俺も、柄にも無く一瞬動揺した。 「何て答えたんだ?」 「うん、付き合ってる……って」 俺は、前原の顔を見た。 「嘘よ、そんな怖い顔しないで」 「誰が」 怖い顔してるって言うんだよ。 「でもさ、いっそのことそうだったらいいのにって思っちゃった。だって、そうしたら、私たち二人して、こんな切ない思いすること無いんだもんね」 「別に、切なかないだろ」 「私は、切ないよ」 ポツリと言った前原に、俺はあらためて振り向いた。 「なーんてね」 前原は、ニッと笑った。 「だって、工藤君、罪作りだもん。そう思わない? なんか無邪気に可愛い顔して、私たちのこと振り回してるって感じ。いっそのこと嫌いになれたらいいのに。あーあ、セツナーイ。これが恋ってものナノネ」 前原の、冗談に混じえた、いつに無く弱気な発言。 (振り回すも何も――) 工藤は、俺達の気持ちなんか知らないのだから、前原の言っていることはむちゃくちゃだ。けれども、その前原の気持ちがわかるってのが辛いところだ。 「じゃ、付き合う? 俺達」 皮肉に笑って、訪ねてみたら、 「無理よ、お互い好きなタイプ違うもん」 ピシリと切り捨てられた。 「何だよ、お前が言ったんだろ」 「ふふふふ……」 俺は、前原のことを友人として好きだと思った。それは、親友に近い位置にまできていると。 「ねえ、工藤君が、私と秋山君のこと、似てるって」 「ああ?」 「山梨のペンション?」 「うん。叔父さん夫婦が今年から脱サラしてペンション始めてね。夏休みのピークのところだけ、人手が欲しいって言うのよ」 夏休みの近づいたある日、突然前原が言ってきた。 前原の叔父さんがやっているというペンションでのシーズンバイト。 「お布団の上げ下ろしが力いるから、男の子がいいって」 前原の言葉に、俺は思わず工藤を見た。 工藤だったら、よっぽど前原の方が力ありそうだ。 「工藤君は、私と一緒に配膳すればいいわよ。コーヒー運んだり……喜ばれるんじゃないかなあ、女子大生のお姉さまたちに」 前原が言って、高橋が顔を顰める。 わかりやすい奴だ。 「冗談よ、そんな顔しないでよ。っていうか、なんで君がムッとするのよ。でね、朝と夜だけ働いてくれれば、昼間は好きに遊んでいいって言ってるんだけど」 「バイト代っていくら?」 夏休みは、どうせバイトする予定だった。 金が欲しいって言うよりも、身体を動かしたり、何か新しいことをやってみたかった。 暇だと、色々考える。 例えば、工藤のこと―――。 「工藤君は?」 「うん、僕も、大丈夫」 「葵が行くんなら、俺もいくよ」 意外にも工藤と高橋も行くことになって、俺達は、夏の間一緒に過ごすことになった。 「叔父さん、労働力満ち溢れた若いの連れてきてやったわよ」 「翔子ちゃん、やり手婆みたいだな」 「何よ、ババアって」 「いやいや、助かったよ。ありがとう」 前原の叔父さんというのは、こういうペンションのオーナーだけあって年齢よりも若々しく、くだけた人で、俺達はすぐに打ち解けることができた。 「皆さん、よろしくお願いしますね」 奥さんも、感じのいい人だ。 俺は、工藤のことも高橋のことも色々考えるのはやめて、この二週間は夏のリゾートバイトを楽しむつもりで来た。 「じゃあ、男の子二人は、こっちを手伝ってもらおうかな」 当たり前のように、前原の叔父さんは俺と高橋を呼んで、工藤は、ちょっと気まずそうに赤くなった。 前原が、 「いいの、いいの」 と笑っている。 「じゃあ、翔子ちゃんと工藤君…だったっけ?二人は、私と一緒にこっちを手伝って」 奥さんに言われて、 「はい」 前原は、嬉しそうに工藤の背中を押して、厨房の方に向かった。 ベッドメイクってのは、想像以上に大変だった。ここのベッドマットがしっかりしていて重いからだろう。高橋と二人で作業したが、やっているうちに首からも背中からも汗が噴き出した。 「俺、自分ちだって、こうゆうこと、したこと無い」 高橋が言う。 「つか、お前んち、布団だったろ?」 何度も遊びに行ったが、ベッドなんか見たこと無かったぞ。 「だから、したこと無いって言ってるだろ」 二人でシーツを持って、パンと引っ張る。 糊のきいた真っ白なシーツは、とても気持ちよさそうだ。 このまま、ここに倒れて寝てしまいたい――なんて、誘惑を覚える仕事だ。 「そこに手をいれて三角にすると、きれいにできるよ」 オーナーがニコニコと笑いながら言う。 「ウッス」 高橋は、意外に器用に角をたたんでいる。 「二人とも、初めてにしてはとっても上手だよ。うん、すばらしい」 「そうですか?」 オーナーは大げさに誉めて、俺達をいい気にさせておいて、 「この調子なら、今日から全部の部屋を任せられるな。空いているベッドもこの際、頼むよ」 すぐに地獄に突き落とした。 全ての部屋のベッドメイクを終わらせて、俺達がリビングに戻ると、 「お先に〜」 前原と工藤は一足先に仕事を終わらせて、のんびりとコーヒーなんか飲んでいた。 「俺もそっちがよかったよ」 「お疲れさま。後は夜までゆっくりしてね」 オーナーの奥さんに気の毒そうに言われて、俺は頭を下げた。 実際、この程度の労働は覚悟の上だ。 それより、この後は好きにしていいと言うのが嬉しい。俺は、山も川も好きなんだ。 「この後、どうする?お昼食べたら、川に行かない?」 「釣り?」 前原の言葉に、俺は飲んでいたコーヒーをカップに置いた。 「釣れるか?」 高橋がちょっと呆れたように言う。 「釣れたら、焼いて食おうぜ」 中学一年の夏、親父の田舎の八尾の川で、生まれて初めて岩魚を捕った。それ以来、俺は密かに釣り好きだ。親父にも何度か連れて行ってもらった。 「そう簡単に、釣れるかな?」 高橋が、もう一度言うので、 「競争するか?」 と言った。少なくとも、高橋よりは釣れる自信があった。 「いいぜ? 何を賭ける?」 高橋の言葉に、小学校の頃のことを思い出した。俺達は、よく競争した。 森林公園で捕った蝉の数、運ていの距離、鉄棒の連続前転の数。 『何を賭ける?』 その頃も、一番大切なものを賭け合った。ガンダムのプラモデル。サッカーボール……。 親に知られて、怒られて、後から全部返し合った。 今なら、何を賭ける? 高橋。一番大切なもの、賭けられるか? 「な、何だよ?」 高橋が、変な顔をして俺を見た。 「やっ、いいや……」 ばかばかしい。 「宿題全部、って言おうとしたんだけど、お前に解かせると大半間違ってそうだし、やっぱ自分でやるわ」 「何だよ、それ」 高橋と工藤のことは、考えない。 そう自分に誓ってここに来たんだ。楽しいリゾートライフのために。 その川は、ペンションの裏の道を山に向かって登ってから、また下ったところにあった。 キャンプ場とは離れているらしく、このシーズンというのに他に釣り人はいなかった。 「地元民しか知らない穴場よ」 前原が自慢気に言う。 「荒らされてなけりゃ、かなり釣れそうだな」 「腕次第よ」 前原らしい答えだ。 俺達の腕を疑っているのは、前原だけじゃなかった。 「魚って、ここで焼くの?」 「工藤君、どこで焼くつもりだったの?」 「ペンションに帰って」 「また三十分歩いて? 重たいバケツ、持って帰るの?」 「そんなに、釣れないと思って」 可愛い顔して、サラリと言ってのける。 「葵〜っ、そんなヒドイいこと」 高橋が大げさにヘコむ真似をする。 「あっ、ごめん」 工藤が、口に手を当てて困ったように俺を見た。 「工藤をあっと言わせてやろうぜ」 工藤に、釣った魚を見せたらどんな顔をするだろう。 大きな目を丸くして、バケツの中を覗き込むだろう。そして、いつものように控えめに感嘆の声を出す。 『すごい、こんなに釣れたんだ』 ひどく幼稚な想像に自分でも呆れるけれど、たくさん釣って工藤を驚かせてみたいと思った。本当に、ガキくさくて、よく考えるとダサイ――でも、マジだった。 高橋と別れて、俺は下流の方に行った。 さっき来る途中に、ダムのようにせき止められたところがあったから。用水の周りは釣りスポットが多い。なるべく静かな、人のいないところで、いいポイントを見つけたかった。けれどもその『ダムもどき』は今ひとつで、もう一度俺は来た道を戻った。 川沿いのなだらかな斜面。 ふと下を見ると、川にせり出した大きな岩がある。 ああいう岩の下にはひっそりと魚がいたりする。岩魚は無理でも、ウグイくらいはいそうだ。 下りてみると、誰かが焚き火をした跡があった。 (人が荒らした後じゃ、ダメか) そう思ったとき、岩の下から水の動く音がした。 魚にしては変だと重いながら、近寄って下を覗き込んで、俺は息を呑んだ。 工藤が、いた。 「工藤?」 首まで水の中に浸かって、岩にしがみ付いている。 「何、してんだよ?」 工藤は、呆然とした顔で俺を見上げた。 困ったような、途方にくれたような、自分でも信じられないといった顔。 俺は、突然、おかしくなった。 「落ちたのか?」 川にはまっている工藤が、おかしくて可愛くて、俺は笑いながら右手を差し出した。 工藤は、じっとしたまま、俺の手を取らなかった。 ただ、俺の顔を見ている。 俺は差し出した手の持って行き場が無く、そっと引っ込めた。 「高橋、呼んで来ようか?」 ほんの少し苦い思いで訪ねたら、 「ちがう」 工藤が叫んだ。 「違うよ、秋山君、そうじゃない。僕はっ」 両手を伸ばした工藤は、つかんでいた岩を離したために、プクンと水中に沈んだ。 「工藤っ!」 慌てて腕を伸ばしてつかまえようとしたら、その手に工藤がしがみ付いてきた。 「あっ、バカ、工藤」 十分に用意できてないまま、容赦ない力で引っ張られて 「わっ」 情けないことに、俺まで川に落ちてしまった。 工藤は、めちゃくちゃに俺にしがみ付いてくる。 川の中で、俺達はまるで抱き合うように絡み合った。 「暴れるなよ、ほら」 「や、だ。秋山君っ、秋山君っ」 工藤の華奢な腕が、俺の首に回る。 立ち泳ぎしようにも、工藤の腕が、足が、邪魔をする。 川は想像以上に深かった。 「工藤、このままじゃ二人して溺れるだろ、少し離れろ」 「嫌だ、秋山君、助けて」 「助けるから、そんなしがみ付くなって」 「秋山く……」 バタバタしながら、工藤の頭が、また水中に沈む。 「工藤」 その頭をつかんで、首を左腕に引っ掛けた。工藤の身体は、上手い具合に反転して、俺の身体から少し離れた。 その隙に、川岸に向かって泳いだ。 じたばたしている間にも、下流に向かって流されていたらしい。 そのまま、流れに逆らわずに、少しずつ岸へと近づいた。 暴れていた工藤が急に大人しくなってしまって、一瞬、焦って左腕に抱えた顔を見る。 固く閉じられた睫毛、薄く開いた唇が苦しそうに震えているのを見て、息があることを確認できた。 (工藤……) 「げほっ、げほっ」 川に上がった工藤は、両手をついて咳き込んでいる。 「暴れるから、水、飲むんだよ」 ハンドタオルを絞って投げて渡すと、苦しそうにそれで顔を拭いた。 「なんか、うちの猫を初めて風呂に入れたときみたいな暴れ方だったな」 川の中で必死になって暴れていた工藤を思い出すと、助かった安堵感も手伝って、笑いがこみ上げる。 「ほら、シャツ脱げよ。ビショビショじゃねぇか。絞ってやるよ、お前、握力もなさそうだしな」 俺は、笑いが止まらなくなりそうなのを我慢して、工藤のTシャツを絞ってやった。 「ああ、でもさっきの力は結構強かったよな、あれ、火事場の何とかって言うやつか」 Tシャツを返そうと振り返って、俺は、瞬間、固まった。 水に濡れた工藤の髪が額や顎に貼り付いて、その先から落ちる滴が、うなじや鎖骨を滑って裸の上半身を伝う。 華奢な肩。晒された裸の胸。 男とは思えない白い肌に、桜色の飾り。 思わず見惚れた俺を、工藤の無防備としかいえない顔が、静かに見つめ返す。 (な、何を、俺は……) 不意に性的な衝動を覚えて、俺は乱暴にTシャツを投げつけた。 「さっさと、着ろよ」 「う、うん……」 Tシャツを着る工藤を、目の端で盗み見る。 俺は、動揺していた。 俺は、裸の工藤に、間違いなく欲情していた。 |
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