高橋と工藤はつき合うようになったらしい。
あの後二人の間にどんな会話があったのか。そんなことは分からなかったし、別に分かりたいとも思わなかった。
俺は高橋に負けたんだ――工藤が好きだと、堂々と宣言した高橋に。


「秋山君、今日、お昼どうするの?」
工藤がおずおずと訊ねてくる。最近一緒に食わないから気を使ってるんだろうか。
「昼? ああ、パン買って……そのまま、あっちで食ってくるから、お前ら二人で食えよ」
俺が言うと、工藤の頬が赤く染まった。そして、まるで傷ついたように黙ってそっと睫毛を伏せる。俺はその表情に胸がざわつく。

 こんな顔は見たくない。見ると胸が騒ぐ。

 俺はなるべく二人の傍にいないようにした。でないと、自分が抑えられなくなりそうだった。
「じゃあ、な。急がねえと売り切れちまうから」
わざと明るい声を出して工藤に背を向け、購買にパンを買いに行く。
その途中で、隣のクラスの前原と会った。
「あれ? 秋山君、今日も一人なの?」
「俺が何人もいるように見えるか?」
「何、言ってんのよ」
前原は、呆れたように笑った。
「パン買いに行くの?」
「ああ」
「ちょうど良かった。私もなの」
「何が、ちょうどいいんだ?」
「だって、混んでるでしょ。秋山君、腕長いし、一緒に買ってよ」
「腕長いって、そんなの褒められてもな」
「褒めてるわけじゃないわよ」
「お前な」
 この前原翔子という女は、工藤と中学から親しかったらしい。
たまに工藤にクッキーやらケーキやらを作って来ている。
最初にそれを見た時は、コイツと工藤がデキてるのかと思ったけれど、そうじゃなかったらしい。何故って工藤は今、高橋と付き合っているんだからな。
「秋山君って、最近うちのクラスに良く来てるよね」
「ああ、武藤がいるからな」
武藤っていうのは俺や高橋と同じく外部から来たヤツで、受験の時に知り合って仲良くなった。
「何で? 工藤君たちと一緒にいたくないの? 喧嘩でもした?」
前原ってのは、女のくせに思ったことをはっきり言うヤツだ。その上、女だから妙に勘も鋭い。
「……別に」
そんなつもりは無かったのに、声が不機嫌になっていた。
「ふうん……」
前原は俺の顔を横目で見た。
「何だよ」
「別に」
前原はさっきの俺の口調を真似た。
「いい感じにムカつかせてくれるヤツだな」
俺が言うと、前原は
「一人でかってに、機嫌悪いんじゃない」
そう言って笑った。
「親友の高橋君を工藤君に取られて不機嫌なの? それとも…」
前原は、突然大きな黒い目で俺をじっと見つめた。
「工藤君を、取られて不機嫌なのかしら?」
俺は、とっさに言葉を失い――そんな自分を、死ぬほど後悔する羽目になった。




「隠さなくていいわよ、私の秘密も教えてあげるわね」
前原はあっけらかんと言った。
「私も、工藤君が好きなの。ずっと」
その言葉に俺は唖然とした。
さらっと自分の手の内を明かして、すっと人の秘密の中に入って来る。前原を恐ろしいヤツだと思った。
「私たち、同士ね……ココロザシじゃないほう」
「何、言ってんだ」
「私のほうが女だから分があるかな? でも、工藤君が高橋君と本当に付き合っているんだとしたら、逆かあ」
「だから、何、言ってんだよ」
「まあ、いいわ。私、小学校からずっとだもん、まだ待てるわよ」

小学校から、ずっと―――。
前原の言葉に、胸が疼いた。
それなら、俺だってそうだ。

『まだ待てるわよ』

「お前……」
「何?」
「つえぇな」
俺の言葉に前原はニッと笑った。
そして俺たちは奇妙な親近感を得、それから友情といって良いものを感じるようになった。






 七月の初めに、七夕祭りがある。
俺は叔母さんに頼まれて駅前商店街の祭りに参加することになった。
参加といっても当日飾りつけなんかの手伝いをして、夜、叔母さんの店の前でヨーヨー釣りの兄ちゃんをやるだけだけれど。
「周ちゃん、悪いわね」
「いいよ、バイト代もらうし」
叔母さんはうちの親父の妹だけれと、親父とは歳が離れていてまだ三十チョイ過ぎだ。正確な年齢はわからない。教えてくれないから。
結婚もしないで一人で輸入食器の店を開いているのを、親父はたまにブツブツ言うけれど、うちの母親のほうは羨ましがっている。俺も中学の時、母親より叔母さんの生き方のほうがカッコいいと言ってしまって、親父に殴られたことがある。
 その話をしたら、叔母さんは親父が怒るのは当たり前だと言って笑った。


「周ちゃん、これ着て」
「えっ?」
叔母さんの手から浴衣を手渡されて、俺はちょっとうろたえた。
「なんで、こんなの?」
その時俺は、テキ屋の兄ちゃんらしくちょっとよれたようなTシャツと好い感じに擦り切れたジーンズ姿だった。
「うちの店の前でやるんでしょう?イメージを損なわないようにして欲しいもの」
「やるんでしょう? って、叔母さんが決めたんだろ? ヨーヨー釣りってのは」
「金魚は死んだら気持ち悪いし、ワタ菓子やかき氷は口に入れるものだから何かあったら怖いしね」
言いながら叔母さんは裏口に荷物を取りに行った。
「ヨーヨーも破裂することあるよ」
「その時、被害を受けるのは周ちゃんでしょ?……ホラ」
決して軽くは無い空気入れを、投げてよこした。
「あぶねッ」
「とにかく、せっかく浴衣用意したんだから着てちょうだい」
「……はいはい」



「お兄ちゃん、これ」
「自分で釣るんだよ」
「どうやって?」
「これで、引っ掛けるんだよ」
「オレやる、オレやるっ」
「待て、待て、順番な」
どこから沸いてきたのかと思うくらい大勢のガキに、いつの間にやら囲まれてしまっている。その父兄らは、
「懐かしいなあ」
などと言いながら、すっかり子どもを預けた気になって、缶ビールの立ち飲みとかしている。俺は保父さんにでもなった気がした。

 学校の奴らが来るにはまだ早い時間だ。

『工藤も、来いよ』

 俺がそう言ったとき、工藤は驚いたような顔をした。
前から気になっていた。工藤は俺が話し掛けると一瞬ビクッとする。そしてそのあとは、こっちが気恥ずかしくなるくらいじっと見つめてきたり、時には逆に気まずい様子で目を伏せたり……その表情のひとつひとつに、俺はあいつの気持ちを推測しようとしたのだけれど、まったく掴めなかった。

『お前、昔、工藤のこと苛めたりしたっけか?』

 四月の頃高橋に言われてまさかと笑い飛ばしたけれど、ひょっとして知らないうちになんかやっていたのかもな。
小学校卒業間近の図画の時間に工藤に避けられたことを思い出して、嫌な気分になった。

(工藤は……今日、高橋と一緒に祭りを見ている)

「お兄ちゃん、僕にも」
「えっ?ああ、はいはい」
ボンヤリしかかった俺を、小学生の集団が引き戻す。
そしてそいつらと一緒になって遊んでいたとき、子どもらの後ろに背の高い男がぬっと現れた。
「繁盛してんな」
高橋だ。隣には頭一つ半くらい小さな工藤が並んで立っている。
「おう、来たか。やってけよ」
「全部取っていってもいいか?」
高橋がこよりを握って、しゃがむ。
「取れるか、ばあか」
やたら水を入れて重くしたヨーヨーに変えてやったら、高橋はこよりを次々ダメにしていった。
「おい、秋山、このヨーヨー、すっげー重いんだけど?」
「今ごろ気がついたか、うちのヨーヨーは入っている水の量がなんと三倍、かっこ当社比だ」
「何が、かっこ当社比だ、普通のヤツだせ」
「あはははは…」
俺たちのやり取りを工藤がじっと見ていた。

「工藤も、やってみろよ」
「えっ?僕は…」
工藤が困ったような顔で俺を見た。どこか子どものような頼りない表情に
「工藤には特別にこっち出してやるぜ、お子様用」
つい軽口を叩いて、小さな子供用に分けていた軽いヨーヨーを水槽に入れた。
「それは水少なめだから、軽いぞ」
「ずりいぜ、秋山」
高橋の文句を無視してこよりを差し出すと、工藤がそっと指を伸ばして来た。
指先が触れた。
「あっ」
工藤がこよりを水槽に落とした。水槽の中で、白い紙がふやけていく。
「ご、ごめん」
工藤は慌てたようにそれを拾った。白くて細い指先が水の中に沈むのを見てドキリとした。
「ああ、いいよ、いいよ。鉤が危ないから、こっちよこせ」
手を差し出すと、
「ごめんね」
工藤は拾い上げたこよりを俺の手のひらに乗せた。
工藤の指先が小さく震えていたのに気がついて、俺の心臓が鼓動を刻む。

 たまに――こういう時がある。
 まるで――工藤が俺に気があるんじゃないかと思う時。

 それは都合のいい勝手な解釈だけれど、今、目の前で恥ずかしそうにうつむいている様子を見ると、これが女だったら、いや、高橋とつき合っている工藤じゃなかったら、絶対誤解するってものだ。
本当のところは、俺のことを苦手な工藤が怯えているだけかもしれない。
(…チッ)
「ほら、もう、落とすなよ」
自分の考えに自嘲気味に漏れる笑いを堪えて、もう一度こよりを渡した。
今度は落とさないように、そっと手を包むように握って渡したら、工藤の顔が赤くなった気がした。
また、都合のいい夢を見そうになる。
実際は、七夕飾りの色とりどりの短冊に反射した光が工藤を照らしただけだろう。
不器用な手つきでヨーヨーを釣ろうとする工藤の後ろで、高橋がじれったそうに覗き込んでいる。参観日の母親みたいだ。子どもが問題を解けないのを心配そうに見ている。
俺はおかしくなってクスリと笑った。
焦れた高橋が、とうとう工藤からこよりを奪った。
「貸してみな。やってやるよ」
子どもを押し退けて、親が黒板の前に立ったといったところか。
「見ろ〜、どうだ、秋山」
赤いヨーヨーを釣り上げた高橋が自慢げに笑う。
「お子様用で取って威張るな」
「うるせえよ、ほら、葵」
高橋は工藤にそのヨーヨーを渡した。
その様子がいかにも恋人同士らしくて、胸が疼いた。
俺が目を伏せた隙に、
「葵?」
工藤が立ち上がっていた。高橋が不思議そうに声をかけると、
「なんでもない」
工藤は背中を向けて駆け出した。
高橋が追いかける。
「葵、どうしたんだよ」
突然二人がいなくなるのを、俺は呆然と見た。


 追いかけたいという気持ちも起きたが、ただの痴話喧嘩だ。
俺の出る幕じゃない。
そう思うと、ふたたびズキンと胸が痛んだ。



HOME

小説TOP

NEXT