「工藤、お前のあの絵、入賞したぞ」

 森先生に言われた時、僕は、頭の中が一瞬真っ白になった。
呆然と佇む僕を、感激しているのだと勘違いした先生は、
「俺も、あれはいい作品だと思っていたんだ。おめでとう」
僕の肩を強く叩いた。
その衝撃で我に返って、僕は青くなった。
「入賞したとき……」
「何だ?」
「入賞したときって、どこかに、展示されるんですか」
震える声で尋ねる僕に、森先生はこの上なく晴れ晴れとした笑顔で言った。
「市民会館の一階のホールが特別展示場になるんだ。今度の日曜からだそうだ。楽しみだな」
(最悪だ……)
「僕が、コンクールに入賞したこと……だれにも言わないでください」
「何でだ?」
先生は、驚いた顔をする。
「どうしても……そう、あの……後で、驚かせたいので……」
「今言って、驚かせばいいだろう」
「先生っ!」
僕は、必死だった。
「お願いです。誰にも、言わないでくださいっ」
「ん?まあ、そこまで言うなら、まあ……」
「ありがとうございます」
「でも、どうせ展示されたら、すぐわかるぞ」
「………………」



 それから、日曜までの数日間、僕は生きた心地がしなかった。
日曜日が近づくのが、恐ろしかった。死刑執行を待つような気持ち。
僕がコンクールに入賞したことは、あれだけ先生に口止めしたにもかかわらず、なぜか知っている人もいて、いきなり『おめでとう』といわれる度に心臓が止まりそうになった。
そして、よりによってその噂は、その週末までに秋山君たちの耳にも届いてしまった。
「水臭いぜ。葵」
高橋君が、僕を小突いた。前原さんも唇を尖らせる。
「そうよ。あさってから市民会館に展示されるんですって?内緒にすることないじゃない。一緒に見に行きましょうよ」
「だ…だめ……」
僕は、背中に汗をかきながら答えた。
「何で?」
前原さんが、目を見開いた。
「その日、僕、約束があって……」
「そんなの、キャンセルしなさいよ」
「そんなわけには」
「だって、自分の作品でしょ?一番に見たくないの?」
僕が前原さんに詰め寄られていると、
「俺も、その日ダメだな」
秋山君が、ポツリと言った。
「昼から、親戚の家に行くことになっていて」
「キャンセルできないの?」
ああ、前原さんだ。
秋山君は、苦笑いして言った。
「法事でね。家族そろって行くことになってるから」
「そう。それは、しかたないわね。まあ、展示はその日だけじゃないから……」
僕は、内心ほっとした。
そして、考えていた。
日曜日の朝一番に行って、展示を下ろしてもらおう。
描いた本人が言えば、何とかなるんじゃないだろうか。
たぶん、なんとかなる。
(何とかならなかったら、せめて……あれだけは……)



 そして、日曜日。
僕は、市民会館の前でイライラとしながら開場時間の十時を待った。
係りの人が扉を開けたと同時に中に飛び込んで、自分の絵を探した。
恐ろしいほど目立つところに、僕の絵はあった。
教室で笑う、小学生の秋山君。
ああ、そして僕のつけたタイトルは、僕の名と並んで、金色のプレートに印字されていた。
(係りの人に言って……)
展示を取り下げてもらうにはどうしたらいいのかと考えた時、
「工藤」
後ろから突然声を掛けられて、死にそうになった。
僕のよく知る声。僕の大好きな―――
「秋山君……」
秋山君が、立っていた。
「ど、して……」
「法事、昼からだから……やっぱり……行く前に、見ておこうと思って……」
秋山君は、大人びた濃いグレーのスーツ姿だった。
そして、僕を見つめた後、あの絵に視線を送って呟くように言った。
「あれ……俺か……?」
顔に血が上った。
逃げ出したいのに、身体が動かない。
「あれ……あの、タイトル……」
秋山君の声も震えているように聞こえた。

知られてしまった。


『初恋』工藤葵


金色のプレートに刻まれたタイトルを見て、秋山君はどう思っただろう。
「ごめん……」
僕はうつむいた。
身体が震える。胸が苦しい。
そして次の瞬間、身体がグラリとゆれた。
それが秋山君に抱きしめられたからだとわかるまで、間があった。
「あ……」
(秋山君?)
秋山君の胸の中で僕は、何が起きたのか分からず、ぼんやりと秋山君の心臓の音を聴いた。
「工藤」
秋山君が、僕の髪に顔を埋めるようにして囁いた。
「俺も、お前が……初恋だった」
(え?)
たった今、聞いた言葉が信じられずに、僕はゆっくりと顔をあげた。
僕の目の前に、秋山君の端正な顔がある。
真剣な瞳が、僕を見つめる。

「ずっと、お前のことが、好きだった」

これは、夢だ。
なんて、都合のいい。
なんて、幸せな。

 ぼんやり霞む視界に映る秋山君の顔、それは、小学生の頃憧れたあの眩しい笑顔によく似ていた。













「まったく、卒業間近にこんなどんでん返しがあるとはね」
前原さんは、最後にとっておいたらしい大きなイチゴに細長いフォークをぶすりと刺して言った。
「今日のこれは、秋山君のおごりだって言っておいてね」
「あ、僕が払うよ。前原さんには、お世話になったし」
実はコンクールの表彰式、前原さんに代わりに出てもらった。
「あら、工藤君には別にご馳走してもらうわよ。もっと高いもの」
そう言って、前原さんは思い出したようにふき出した。
「でも、まさか男の子が描いたなんて、だれも思ってなかったみたいね」
ポケットから市の広報誌の切り抜きを取り出した。
「ほら、工藤葵さんの作品『初恋』は、幼い日の憧れを女子高校生らしい瑞々しい感性で――」
「やめて」
顔にかあっと血が上る。前原さんは、クスクス笑って、そして頬杖をついて言った。
「いいなあ。秋山君」
「え?」
「彼とは、ずっと同士だと思っていたのに。実は、最初から差がついてたんだな」
意味がわからずに、僕が目で問い掛けると、
「工藤君って、鈍感」
前原さんは、笑った。
「私だって、ずっと工藤君のこと、好きだったんだよ」
あまりのことに、食べかけていたケーキのスプーンを落としてしまった。
「あーあ」
前原さんは、いつものようにきびきびと
「すみませーん、スプーン落としちゃったんでお願いします」
ウェイトレスに叫んで、僕の前で軽く手を振った。
「大丈夫?」
「あ、うん……」
僕は、目の前の前原さんをじっと見た。
小学生の時おかっぱだった女の子は、いつのまにか髪を長く伸ばし、今は軽くウェーブをかけて整った顔を女性らしく見せている。
でも、聡明そうな瞳の輝きも、意志の強そうな口許も、あの頃から変わっていない。
「前原さん……」
僕は、どれだけこの人に助けられただろう。
「ごめん、僕……全然、気がつかなかった」
「やだ、いいわよ」
前原さんは、手を伸ばして僕の頭を叩く真似をした。
「大体、工藤君、自分の好きな相手の気持ちだって気がついていなかったんだからね。――私は知ってたけど」
「えっ?」
「言ったでしょう、同士だと思ってたって……一度、話したことあるんだ、そのことで」
(そのこと、って、僕のこと?)
前原さんは軽く頷いた。僕が口に出さなくてもわかってくれる人。
「一年生の一学期、私たち噂になったことあったでしょ?」
「うん」
「あの頃、秋山君、よくうちのクラスに来ていて。後から聞いたら、高橋君が工藤君のこと好きだって宣言したからで」
あの頃のことを思い出すと、胸の奥がほんの少し疼く。
「あの時の秋山君に何となく感じるものがあって、聞き出しちゃった。上手いのよ、私」
前原さんはペロッと小さく舌を出した。僕は、思わず微笑んだ。
「親友に先越されて、身動き取れなくなっていたみたいね」
(秋山君……)
「でも、お互い好きだったんだ、ずっと。なんか、すごいよね」
「前原さん……」
再び顔に血が上って来るのを感じる。
「羨ましいな。ううん、工藤君と両想いになった秋山君が、って言うんじゃないの」
僕の目を見て前原さんは、ものすごく綺麗に微笑んだ。
「二人とも―――羨ましいくらい、素敵な回り道してる」
「そ…」
「嫌味じゃないわよ」
そして僕の後ろに視線を送って、器用に片眉を上げた。
振り向くと、ウィンドウの向こう側から秋山君がガラスを軽く叩いて合図した。
「やっと来たか。さ、食べ終わっちゃったし、お邪魔したくないから帰るわね」
前原さんがゆっくり立ち上がる。
秋山君が、店のドアについたカウベルを鳴らして入ってくる。
すれ違いざま前原さんは、秋山君の胸を拳で小突いた。
秋山君は、振り返って笑う。

眩しい。

秋山君の笑顔は、誰に向けられていても、眩しくて、いつも心惹かれる。
(でも……)
僕の前の席に、秋山君が座る。
僕を見つめて、最高の笑顔を見せてくれる。

ようやくわかった。
自分に向けられる笑顔は、何よりも、僕を幸せにしてくれる。

「待たせて、ごめんな」
秋山君の言葉に、僕は首を振った。







END





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