「七夕、どうする?」
六月が終わると、クラスの中でこういう声が聞こえるようになる。
僕たちの通う星城学園は、駅からかなり離れたところにあるけれど、その駅周辺の商店街では毎年、七月の第一週が七夕祭りとしてたくさんの飾り付けが並び、その週末ともなると屋台が出てそれはにぎやかになる。みんな友達をさそって、親公認の夜遊びを楽しむ。
僕は、一昨年は近所のいとこと一緒に行ったけれど、正直、人ごみは苦手であまり楽しいとも思えず、去年は誘われたけれど行かなかった。

「葵、七夕、一緒に行こうぜ」
高橋君は、あれからしばらくしてから、僕のことを葵と呼ぶようになった。
「う、ん……」
あまり乗り気でない返事をすると
「どうした?」
心配そうに覗き込む。高橋君はいつも優しい。僕が行きたくないといえば、行かずにすむだろう。
「高橋、七夕来るなら、おれのバイト先来いよ」
秋山君が、高橋君の肩を小突いた。
「バイト?いつの間に、そんなことはじめてんだ?」
高橋君が驚くと、秋山君はにっと笑った。
「親戚の店だよ。ほら、あの食器屋」
「ああ、あそこ、お前のおばさんちだよな。あそこで?」
「七夕祭りの間、店先でヨーヨーつりとか出すんだよ。商店街のなんかあるらしくって」
「ふうん」
「おばさん一人で大変だから、土日、そこの番やってくれって頼まれてさ」
「で、バイト代もらうのか?」
「当たり前だろ?労働提供すんだから」
「ま、そりゃそうだ」
「工藤も来いよ」
秋山君が、いきなり僕のほうを向いたので、僕はドキッとした。
「ただで、釣らせてやるぜ、ヨーヨー」
秋山君が、僕に笑いかけた。心臓が高鳴る。
「いるかよ、ヨーヨー」
高橋君が言うと、秋山君はわざとらしくムッとした顔をして
「あ、そ。じゃ、高橋にはやらせねえ」
そう言われて、これもわざとらしく高橋君が擦り寄っていく。
「あっ、嘘、嘘、嘘です。ワタシにもやらせてください。ぜひ、只で」
「調子いいヤツ」
「ははっ」

僕は、秋山君の言葉を頭の中で繰り返していた。
『工藤も来いよ』




七夕祭りの夜。
高橋君と待ち合わせをしたのは六時半。
約束の、駅の時計の下に行ったら、もう来ていた。
薄い黄色のTシャツにジーンズ。制服じゃないから、いつもより一層大人びて見える。
「ごめん、高橋君、待たせた?」
「やっ、今、来たばっかだよ」
「そう」
「葵、飯、食った?」
「えっ?」
「夕飯」
「あ、うん、軽く食べてきた。あんまり、買い食いするなって……」
無理やりお母さんに食べさせられた。
「俺も、家帰って、腹減ってて二杯食べてきたんだけど、ここ来たらまた腹すいてきちゃったよ」
高橋君が、お腹をさすった。
「そうだね」
醤油のこげるおいしそうな匂いが漂っている。
高橋君が、僕を上から下まで見て、そしてニコッと笑った。
「何?」
「いや、制服じゃない葵も可愛いなと思って」
「ば、馬鹿なこと言わないで」
顔が熱くなる。
高橋君は、たまにこんなことを言って僕をからかう。
「だって、本当だってば」
「いいよ、もう」
僕は、目を伏せた。
こんな時僕は、くすぐったい気持ちと同時に、居たたまれない自己嫌悪を感じる。
高橋君に後ろめたくて。
「何、食う?」
「え?」
「焼きソバ、たこ焼き、五兵衛餅、広島風お好み焼き……」
「お腹にたまりそうな物、ばっかりだね」
「甘いもんだと、チョコバナナ、わた飴、焼きりんご……」
屋台を指差しながら指を折る姿が可愛くて、ふっと笑ってしまった。
そうしたら、高橋君が嬉しそうに笑った。
(えっ?)
「今の顔、いい」
「え?」
「今、笑った顔。お前、めったに笑わないから、すっげえ貴重」
「そ……」
(そんな……)
そんなことないと思っても、たしかに僕は、あまり笑わない。
秋山君の前では、緊張して。そして高橋君と一緒の時は、いつも後ろめたさが付きまとっていて。
「……ごめん」
僕は、どう言っていいか分からず、謝った。
「何、謝るんだよ。俺、喜んでるんだぜ?」
僕の髪をくしゃくしゃと撫でる。
「あ」
と、呟いて、高橋君が手を引っ込めた。僕が、不思議に思って見返すと
「シャンプー」
「えっ?」
「風呂、入ってきたんだ?」
並んで横を向いたまま、高橋君が尋ねる。
「うん、汗かいてたし、今日、遅くなるかも知れないって言ったら、先に入れ、って……」
「ふうん」
高橋君の顔が、赤くなった。
(なんだろう?)
そのときの僕は、本当に分からなかったのだけれど、後から気がついて顔に血が上った。
(変な意味に、とられたかな……)
僕にも、高校一年生程度の性知識はある。そして、高橋君が、僕に対して『そういう気持ち』を持つことも知っていた。
けれども、僕は、あの初めて告白された日以来、高橋君とはキスもしていない。
高橋君は、僕が嫌だということは、決してしないから。




「あそこが、秋山のおばさんちだぜ」
高橋君が指を指す先には、僕もよく知っている食器屋さんがあった。外国から取り寄せているらしい繊細で綺麗な食器がウィンドウに並んでいて、僕もつい目を留めることがあった。その店先にちょっとした人だかりができている。
その真ん中に、秋山君の笑顔があった。
「おしいっ!はい、残念賞」
「ええっ、もう一回やらせて」
「しょうがねえなあ」
小学生くらいの子供に囲まれて秋山君がいた。自転車の空気入れのようなもので、手際よく風船を膨らませている。
(浴衣だ……)
藍染めの浴衣を着た秋山君は、驚くほどかっこよかった。
「繁盛してんな」
高橋君が声を掛ける。
「おう、来たか。やってけよ」
秋山君が、白い紙縒り〔こより〕を差し出す。
「全部取っていってもいいか?」
高橋君がしゃがんで、紙縒りの釣り糸を構えた。
「取れるか、ばあか」
そういって、秋山君は、それまで水に浮いていた輪ゴム――その先に紙縒りの先の鉤を引っ掛けるのだ――を次々沈めていった。
「あっ、バカ、沈めんなよ」
「また、浮いてんじゃん」
「濡れてるとダメだろ」
「いや、うちのはそういう問題じゃないんだな」
「なんだよ」
「やってみれば、わかるって」
笑い合っている二人の顔が、眩しかった。
小学生のころ、休み時間に羨ましく眺めた光景と同じ。
「ゲッ、ちぎれた」
「ふっふっふ」
「げっ、また……っていうか、持ち上がんねえぞ、おい」
「ふーっふっふっ」
「おい、秋山、このヨーヨー、すっげー重いんだけど?」
「今ごろ気がついたか、うちのヨーヨーは入っている水の量がなんと三倍、かっこ当社比だ」
「何が、かっこ当社比だ、普通のヤツだせ」
「あはははは……」

白い歯を見せて笑う、秋山君が眩しかった。
一緒に笑っている高橋君が、羨ましかった。
僕は、いつまでたってもこの仲間には入れないんだと思った。

ふと、秋山君が僕を見た。
「工藤も、やってみろよ」
「えっ?僕は……」
「工藤には、特別にこっち出してやるぜ、お子様用」
小さいバケツに入れていたヨーヨーをザッと水槽に空けた。
「それは、水少なめだから、軽いぞ」
「ずりいぜ、秋山」
高橋君の文句を無視して、秋山君が紙縒りを差し出す。僕が、それを受け取ろうとした時、指先が触れた。
「あっ」
指がジンと痺れたようになって、紙縒りを落としてしまった。水槽の中で、白い紙がふやけていく。
「ご、ごめん」
慌てて、それを拾うと、
「ああ、いいよ、いいよ。鉤、危ないから、こっちよこせ」
秋山君が、大きな手のひらを差し出す。
「ごめんね」
心臓が早鐘のようになる。
「ほら、もう、落とすなよ」
もう一度秋山君が紙縒りを握らせてくれたけど、僕は、指先が震えて、ヨーヨーを釣ることは出来なかった。
「貸してみな」
僕の後ろで焦れ焦れしていた高橋君が、
「やってやるよ」
僕の持っていた紙縒りを奪って、赤いヨーヨーを釣った。
「見ろ〜、どうだ、秋山」
「お子様用で取って威張るな」
「うるせえよ、ほら、葵」
高橋君は、僕にそのヨーヨーをくれた。
僕は、笑おうとして、失敗した。
「葵?」
「……なんでもない」
僕は、立ち上がって踵を返した。




「葵、どうしたんだよ」
高橋君が追いかけて来る。胸が痛い。
人ごみを抜けたところの駐車場で、捕まってしまった。
「葵」
「ごめん、高橋君」
「何、謝っているんだよ」
とられた腕を取り戻そうとしたけれど、高橋君は放してくれなかった。
「俺が、お前がやってるの横から取ったから怒ってるのか?」
「違うよ」
「じゃあ、どうしたんだよ、いきなり」
「ごめん、高橋君」
「だから、わかんないよ。何、謝ってんだよ」
僕は、高橋君をだましている。
指先が触れただけでも震えてしまうくらい、秋山君のことが好きなのに、そのことを隠して高橋君と付き合っている。
高橋君に、甘えている。
「ごめん―――」
「葵?」
高橋君の顔が、心配そうに歪んだ。

(もう、付き合えない)

どうして、言えないんだろう。言わなくちゃいけないのに。
「僕は……」
声が震えた。
「葵」
突然、高橋君に抱きしめられた。
びっくりしていると高橋君の唇が僕の口に降りてきて、すぐに舌が差し込まれた。
「んっ……んんっ」
首をひねったけれど、動かない。
薄暗い駐車場のトラックの陰で、僕は、高橋君に身体ごと抱きしめられる。
(嫌だ……やめて……)
懸命に力を込めて押し返そうとしたら、逆に、高橋君が前に出で、僕の背中がトラックに押し付けられた。
「んっ」
高橋君の舌が、僕の舌を追って動く。
息が苦しくて、じわっと涙が出てきた。
(やっ……)
高橋君の手が、僕のシャツのしたに入ってきた。
脇腹をすり上げられてゾクッとしたと思ったら、指の先で胸を弄られて、身体が竦んだ。
(嫌だ、嫌だ、嫌だ)
首を振ると、目尻から涙が落ちた。
(どうして……?)
高橋君は、僕の嫌がることはしなかったじゃないか――――。
高橋君の指が動くたびに、悪寒によく似た痺れが走る―――けれど、よく似ているのに違うのは、僕のからだの中心が次第に熱くなっていること。
信じられない。
嫌なのに、勃っているってこと?
そして僕のお腹に当たっている高橋君のそれも、熱く固くなっている。
(嫌だ――−)
自分の身体も高橋君の身体も疎ましくて、身を捩った。
その時
「おい、何してる?」
太い声がして、高橋君がはっとしたように動きを止めた。
(誰か、来たんだ)
僕は、高橋君とトラックの隙間から滑るようにして抜け出すと、そのまま一目散に走った。
トラックの運転手だろうか?
それとも、商店街の人?
高橋君がその人に何て言い訳しているかなど、その時の自分にはどうでも良かった。
ただ、その場を離れたかった。
商店街の賑やかな音楽。左右に並んだ笹の葉の匂い。屋台の呼び込み。父親に手をひかれた子供の笑い声。そんなものが、すべて疎ましくて、少しでも早く家に帰りたかった。




その夜、高橋君から家に電話が掛かってきた。
「葵、電話よ。高橋君って人から」
名前を言われなくても、電話がなった時に高橋君だとわかった。
「もう眠ったって、言って」
「いいの?」
「うん」
どうせ月曜日には顔を合わせることになるのだけれど、それでも今は、話をしたくない。
(月曜日に……)
顔をあわせて、僕は、どうするのだろう。

付き合えないって、ちゃんと言える?
そして、その理由を聞かれたら?

布団にもぐって、膝を抱える。

本当のことは―――絶対に言えない。





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