「うっ」
思わず唸って、下を向いたが、想像した痛みは襲ってこなかった。
そっと顔を上げると、ユニアがおかしそうに俺を見下ろして笑った。
「なあんちゃって」
「は?」
「いくら僕でも、そこまでプッツンしてないよ」
「なん……」
ふふふとユニアは笑うと、鞭を投げ捨てて、俺の顔を両手で触った。
「ユータが兄上を追ってくるのは、わかっていたからね。僕の兵士に言っておいたんだ」
何か、口調まで変わっているぞ。この小僧。
「俺を、どうするんだ」
「さあ、どうしようかな」
ユニアは楽しそうに俺の顔を撫で回す。
「やめろっ」
「うふふふ」
「ラオタは?ラオタはここにいるんだよなっ」
ラオタは俺のことを知っているのか?
「そりゃあ、ここは兄上の城だからね。今は母上が女王だけど」
「ラオタに会わせてくれ」
「冗談。そんなことしたら、兄上が僕に何をするかわからない」
ユニアは、わざとらしく怯えた顔をしてみせた。
「じゃあ、ラオタは、俺がここにこうしていることを知らないんだな」
「当たり前でしょう」
「そうか……」
少しだけ、ホッとした。
ラオタが俺を怒っていて、こういう責めを負わせたいと思っているのだとしたら、悲しかったからだ。
「何、安心した顔しているの?バカじゃない?それだけ危ないってことだよ」
「へ?」
そうだった。

「何故、俺を……」
「こんな目にあわせるか?」
「ああ」
「一言で言うのは難しいけど」
ユニアはまた俺の顔に手を伸ばし、徐々に手を滑らしながら、首、胸と指先を這わせた。
「僕って、昔から兄上のものが欲しくなっちゃうんだよね」
「へ?」
「兄はファラオで、僕は二番目。いつもいつも兄上がうらやましかった」
ユニアが睫毛を伏せる。
「兄上がいる限り、僕にはファラオの座は来ない。だからこそ、ファラオの座以外で兄上が持っているものは全部欲しかった」
「ユニア……」
「おもちゃでも、服でも、宝石でも、友達でも、家来でも、ペットでも、何でも……兄上が気に入ったものは全部自分の手に入れたくなるんだ」
(お、恐ろしい奴……)
『お前は……ユータは、あいつの本性を知らない』
ラオタの言葉が甦る。
そりゃ、子供のときから好きなもの横取りされていちゃ、兄弟仲も悪くなるだろう。
「兄上が、異世界で伴侶を見つけたって聞いて」
ユニアが不思議な色を宿した瞳で俺を見た。
「どうしても、欲しくなったんだ」
「ば……」
俺は動揺に声を裏返してしまった。
「ばか言うなよっ」
ユニアが小首をかしげる。
「欲しいとか言われて、はいどうぞって言うような話じゃないだろ。恋人とか、その、伴侶ってのはっ」
身体を揺すって訴えたので、また両手の手首が痛んだ。
「しばらく、ここにいたら気持ちも変わるかもよ」
「何?」
ユニアがほくそえむ。
「別に、急いでないもの、僕は」
両手のひらで俺の胸を撫で回すと、ユニアは低い声で言った。
「それに、兄上が、ユータに興味を無くしてしまったら……僕も執着はしないから……」
どういうことだよ!!
「……しばらく、ここにいてね」
優雅に微笑んで、ユニアは出て行った。
どういうことだ?最後の一言。
下手すると、俺、ここにつながれたまま一生を終わるのか?


「腹、へった……」
そういや、朝、トースト食べたっきりだったよな。
今何時だ?両手を広げた状態ではりつけになっていて、腕時計を見ることも出来ない。
でも、何時って言うのもおかしいか。次元が変わってるんだからな。
ずい分長い間、ここにいる気がする。
でも、今日の朝起きたときは、ラオタがいて、もぎ太がいて、一緒にご飯食べて……
そうだ。海に行く話をした。
ラオタは海を見たことないから……。
『海、見て、みたい』
小さく言って、頬を染めたラオタの顔が浮かぶ。
『なるべく静かな海がいいな。この時期は難しいけど、探してみるよ』
そう言ったら、花のように微笑んだ。幸せそうな、可憐な笑顔。
「ラオタ……」
急に胸が苦しくなった。
もう、俺は、ラオタに海を見せてやれないのか。
もし、俺がこのまま死んでしまったら、誰か別の男が、ラオタを連れて行くのだろうか?―――――ラオタが初めて見る海に。
嫌だ。
「ラオタ……」
もう一度、呟いたら、目から熱いものが流れた。
「ラオタ……」
自分が泣いていると気がついたのは、しばらく経ってからだった。
「ラオタぁ――――――っ」
両手を握り締めて、喉から血が出そうになるほど叫んだ。
ゴホ ゴホッ
咳き込んだけど、血は吐かなかった。
かわりに両手の手首が酷く痛んで、たぶん擦れて血が出ているなと感じた。

ふと、扉の向こうが騒がしくなった気がした。外の音が聞こえるはず無いのだから、扉が開きかけているということか?
「いけません、こちらは」
「どけっ、どかないか」
ラオタの声?
「ファラオっ」
悲鳴と共に扉が大きく開かれて、まぶしい光と共に、ラオタが現れた。
少年らしい、華奢な身体が逆光に浮かび上がって、輝いている。
「ユータっ」
叫んで駆け寄ってくる。
「ラオタ」
夢じゃないかと目を瞠った。俺の足元に、もぎ太が跳びついてきた。
「もぎ……」
ラオタが俺の顔を見て、唇を震わせる。
「ムギタが、いきなり現れたから、お前がこっちに来たってわかった」
「ラオタ」
「でも、こんなところに……こんな……」
そして、ハッとしたように後ろを振り向き叫んだ。
「何をしているっ!さっさとはずさないかっ」
「はっ」
俺を閉じ込めたのとは別の男らしい、兵士が一人駆け寄ってきて、俺の両手の錠をはずした。
「ラオタっ」
両手が自由になると、俺は真っ先にラオタを抱きしめた。
「ユータ」
ラオタの両手も俺の背中に廻され、ぎゅっと力を込めてきた。
ラオタの髪に口づけ、耳に口づけ、そして唇に口づけた。
誰が見ていようと、気にならない。
死んでしまうかと思ったときに、血を吐くほどに欲した相手を、唇で、全身で感じたかった。

永遠に続くかと思われた口づけは、静かな、それでも凛としてよく通る声で遮られた。
「ファラオ……私に、その方を紹介していただけますか」
ラオタがゆっくり唇を離して、振り返った。
「母上……」





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