散歩が終わってからもラオタの機嫌は悪かった。 ユニアは、そんな状況を楽しむかのように、俺にベタベタくっついてくる。 ひょっとして、ユニアが意外に性悪っていうのはこういうところだろうか? とにかく俺としては、ラオタの誤解を解きたかった。 俺がユニアにいい顔をしてしまうのは、ラオタの恋人としてその弟にも認めてもらいたいという気持ちからなのだ。ようは、愛するラオタとの関係強化のためだ。なのに。 (……どうも、逆効果になっている気がする) 「ユータ殿、ユータ殿」 ユニアがにこやかに笑いかけてくる。 「はあ」 俺は、なんとも間抜けな声で返事する。 「喉が渇いたので、何かいただけますか」 「ああ、さっきのでよければ」 そして、ラオタにも当然尋ねる。 「ラオタも何か飲むか」 「私はいらない」 ぷいと二階に上がっていった。 やれやれ。 午後の紅茶をグラスに注いで、ユニアに渡す。 「ありがとうございます」 王家の人間にしては、えらく丁寧な口調に、俺は恐縮した。 「どういたしまして」 そして、俺はラオタのことが気になって二階に上がることにした。 その俺のシャツを掴んで、ユニアが不思議そうな顔をする。 「ユータ殿」 「何か?」 「これ、何か変じゃないですか?」 俺がさっき渡したグラスを目の前にかざして、 「味がさっきと違います」 「え?」 まさか、いくら真夏でも、冷蔵庫に入れていたものがそうそう腐るはずは無い。 俺は、グラスを手にとってクンと嗅いでみた。 「匂いは、変じゃないけど」 「でも、味が違うんです。ちょっと飲んでみてください」 「はあ」 言われるままに、グラスに口をつけた。 「別に、変じゃ……」 と、そこまで言って、俺はクラッと目眩を感じた。 (な、何だ?) 膝が震えて、その場にうずくまりそうになった。 「大丈夫ですか?」 ユニアが俺を支えて、ソファに寝かせてくれた。 「あ、ごめ…大丈夫……」 と言いつつ、あんまり大丈夫じゃないなと感じた。 身体が痺れたようになって、自由がきかない。 「苦しそうですね」 ユニアが、俺のシャツの前を肌蹴る。 え? 何、してんだ? ユニアが薄笑いを浮かべて俺の服を脱がしているのを見て、初めてわかった。 (一服、盛りやがったなっ!!) 心の中では叫んだが、痺れた身体は動かない。 だんだん、気が遠くなる。 ユニアの唇が、俺のそれに重なった。 「何をしているっ」 どれほど時間が経ったのか。ラオタの怒り声に意識を取り戻した。 青くなって震えているラオタの前で、俺は、いや、俺たちは……裸だった。ソファの上で。 (うそだろっ) 誤解だと叫びたいのに、まだ薬が残っていて、身体が動かない。 ユニアが恥ずかしそうに顔を伏せる。 「兄上、申し訳ありません、ユータ殿が……」 (俺が、何だとおっ) 心で叫んでも、やっぱり身体は動かない。 俺のこの姿は、ひょっとして、浮気を見つかって硬直している間抜けな夫に見えてしまうのか?? ラオタは目から炎を噴きそうな勢いで、俺たちを睨んでいたが、手近にあった服を投げつけて、いきなり二階に駆け上がった。 (待ってくれ、ラオ……) 俺は、手を伸ばそうとしてかなわず、がっくりとソファから床に転げ落ちた。 ユニアが面白そうに俺を見下す。 この、綺麗な顔して、えげつない野郎め! 「兄上は短気ですからね」 ふふふと笑って、身支度を整えると、さっさといなくなった。 * * * ようやく身体の自由が戻ったとき、家の中には誰もいなかった。 俺の部屋のクローゼットの扉が開いている。良く見ると扉にマジックでへたくそな字が書いてある。ラオタの字だ。 『かえる』 かえる……蛙ってことは無いだろうから……これはひょっとして…… 『実家に帰らせて頂きます』 ってことかあ―――――っ??? 「どうしよう」 声に出していってみると、かなり情けない気分になった。 あの王様のラオタが自分から戻ってくるとは思えない。 ここはひとつ妻に逃げられた亭主よろしく、実家に迎えに行くべきなのだろう。 (でも、もし戻って来れなかったら……) クローゼットの奥に潜む闇を見て、俺はゾクッと悪寒に震えた。 行ったことの無い世界に通じている闇。ラオタたちは行き来ができても、俺も大丈夫だという保障は無い。 でも、行かないとラオタには二度と会えないかもしれない。 この半月一緒に過ごしたラオタの声や姿が甦って、俺は心を決めた。 (迎えに行く) そして、一度リビングに下りてもぎ太を抱き上げた。あっちの世界にどれくらいいることになるかわからない。その間、もぎ太だけをここに置いておくわけにはいかない。 「もぎ、一緒に行こう」 もぎ太はよくわからず(当たり前だが)舌を出して尻尾を振っている。 俺は、クローゼットの扉を開けて、もぎ太を抱いたまま、奥に飛び込んだ。 「うわあぁぁっ」 落下する感覚。浮遊感。ぞくりとする震えが背中を走ったが、一瞬だった。 「…………ここは?」 俺は、見たことも無い部屋に立っていた。 見たこともないのは、当たり前だ。異世界なんだから。たぶん。 しばらく呆然としていた俺の目の前で、突然扉が開いて、二人の男が飛び込んできた。 「動くなっ」 「大人しくしないと、命の保障は無い」 な、何だ?? 二人の大きな男が、両脇から俺を挟み込む。俺の腕の中のもぎ太が興奮して暴れた。 「あっ、もぎ太」 もぎ太が俺の腕を抜け、右側にいた男に飛びかかった。 「あっ」 ギャン 「もぎ太っ」 もぎ太に飛びつかれた男は、もぎ太を振り払って地面にたたきつけた。 「何をするっ」 その男に掴みかかろうとしたら、突然後頭部に激痛が走った。 「った、っっ……」 そして、俺の記憶が途切れた。 気がつくと、暗い部屋にいた。 両手が、壁に縫い取られたように貼り付けになっている。 なんだか、ジーザス・クライスト・スーパースターっていう感じだけど、そんな悠長な場合じゃないのかも。 闇に慣れてくると、あたりに置いてある物が、確かな意味を持って目に飛び込んできた。 (ひょっとして、拷問部屋?!) 何で? 何でいきなりこんな部屋に連れ込まれているんだ? そうだ。もぎ太は、どうなったんだ? そして…… 「ラオタ!」 俺は、ラオタを追ってここに来たのに。 突然男たちに取り押さえられて、そして、こんなところに閉じ込められている。 「誰かっ!誰かいるのか」 大声を出してみたけれど、暗い部屋に自分の声が空しく響いただけだった。 「ラオタっ」 「もぎっ!もぎ太っ、無事か」 叫ぶと、さっき殴られた後頭部がズキズキと痛んだ。 これだけ痛いと言うことは、逆に、殴られてからそんなに時間は経っていないんだろう。 それにしても、俺がここに閉じ込められたのは、何故なんだ。 まさか、ラオタがそうしているなんて、考えたくないけれど。 最後に見たラオタの顔が浮かんだ。怒りに震えていたあの顔。俺を殺したいほど怒っていたと言ってもおかしくはない。 (ひょっとしたら……) つい、気弱になったけれど、頭を振ってその考えを追い払う。 ズキン また頭が痛んだ。 頭の痛みに唇を噛んで耐えたら、次には胸が痛くなった。 (ラオタ……会いたい……) どれくらいそうしていたか判らないが、突然扉が静かに開いた。 細く白い影が部屋の中に滑り込んできた。 「あっ、お前はっ!」 思わず声を荒げた俺の前に、ユニアが白皙の美貌で微笑んでいる。 「お、まっえぇっ、さてはお前が、俺をここに閉じ込めたんだなっ」 ぎしぎしと身体を揺すって叫んだ。 壁につながれた両手の手首が痛んだが、そんなこと構っていられないほど、俺は怒りに燃えていた。 「どういうつもりだっ」 「そんな、大声出さないで下さいよ」 ユニアはクスクスと笑って言った。 「もっとも、大声を出しても、ここの声は外には漏れませんけどね。扉は二重になっていますから」 「何をっ」 ユニアは、すいと近くの壁に向かって歩を進めて、壁にかかっていた細長い鞭のようなものを取り上げた。 って、『ような』じゃなくて、モノホンの鞭だ。 「お、お前、まさか……」 ユニアは、楽しそうにその鞭の先を唇に当てて、近づいてくる。 「それで、打とうとか、思ってる?」 ああ、現実味が無い。 ごく普通の平凡な大学生の俺が、何で鞭打たれなきゃなんないんだよ。 「そうですね」 ユニアが俺の顎を鞭の先でくすぐって、ゆっくりその手を振り上げた。 ひゅんと、風を切る音がした。 |
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