「兄上、お久し振りです」 少女のような『弟ぎみ』がラオタに縋りついた。 「兄上のことが心配で心配で……ユニアは夜も眠れませんでした」 「その割に、顔色は良いな」 ユニアと名のった弟がメソメソと抱きつくのに、ラオタは、何故か感動した様子も無く佇んでいる。 「ラオタ……」 呼びかけると、ラオタは困ったように俺を見た。俺も困ったふうに眉を顰めて言った。 「とりあえず、二人とも靴脱いでもらって……」 ユニアはシンに靴を脱がせてもらった。そういうところは兄弟一緒だが、タイプは正反対。兄が炎なら弟は水といったところか。ちなみに、ユニアというのはあっちの言葉で『二番目』を指すらしく、名前ではないとのことだ。 「……長兄に何かあったら、ファラオを継がねばなりませぬので。王家の一族は全員、伴侶ができるまで名前は無いのです」 ユニアが、午後の紅茶氷入りを飲みながら応える。 「何かあるのを、望んでいるのだろう」 ラオタがぼそりと言うと、シンが軽くたしなめた。 「いいのです。シン。兄上は、昔から私を誤解していらっしゃる。とても、淋しいことですけれど……」 そう言って、一瞬睫毛を伏せたあと、俺のほうを見て儚げに微笑んだその顔は、ちょっとこの世のものとは思えない美しさだ。 俺が、ドキッとしていると、不機嫌そうにラオタが言った。 「で、何をしに来たのだ。弟」 シンも慌てて 「そうです、ユニア様。貴方様までこちらの世界にいらっしゃるなど。女王陛下はご存知なのですか?」 ユニアはにっこり微笑んだ。 「母上なら大丈夫」 ユニアがそう言ったとき、ラオタの眉がピクリと動いた気がした。 「それに、私は、兄上が伴侶として選ばれた人にどうしてもお会いしたかったのです」 ユニアが俺をじっと見つめる。 作り物のように綺麗な顔に見つめられると、緊張で胸苦しくなった。 ラオタと一つ違いと聞いていたから、まだ十五歳位だろうに何故か圧倒されるぞ。これが王家のもつオーラってやつか? 「帰れ」 不意にラオタが厳しい声を出した。 それこそ、他者に否と言わせない王者の声だ。 シンは条件反射でソファから滑り落ちて跪いている。 ユニアは少しも怯まず、ラオタを見つめて言った。 「もう少し、兄上の側にいとおございます。母上にもそう言って参りましたし」 「ユニ……」 「ユータ殿、お願いします」 ユニアがくるりと振り向き俺を見つめる。 「ユータっ」 ラオタもじっと俺を見る。 王家兄弟のオーラに挟まれて、庶民の俺はただただ、たじろいでいた。 「ニ、三日ならいいんじゃないかな……」 俺はどちらかと言うと、来客を断れない性格。 ユニアがぱっと顔を輝かせて、あたかも辺りが、銀の粉が舞ったように明るくなった。 対照的にラオタの周りが、どす黒くくすんだ―――気がする。 ラオタは黙って立ち上がると、二階に上がっていった。機嫌の悪い証拠。 「あ、すみません、どうぞごゆっくり」 二人にそう言って、俺はラオタを追いかけた。 案の定、俺の部屋でラオタは、不機嫌そうに足を投げ出して座っている。 「ラオタ……」 ラオタはそっぽを向いて目を合わせない。 「どうして、そんなに嫌がるんだ?弟だろ?」 ラオタの薄い肩に手をかけながら訊ねると、ラオタは俺をキッと見上げて言った。 「お前は……ユータは、あいつの本性を知らない」 本性?? 「ええと、ああ見えて、すごく性格が悪いとか?」 とても、そうは見えないが……。 ラオタはまたうつむいて黙っている。 俺はラオタの顔を両手で包んだ。 「ラオタが、そんなに嫌なら帰ってもらうように言うけど……でも、せっかく俺に会いに来てくれたんだろう」 ラオタがピクリと反応する。 「できれば、良い印象を持って帰ってもらいたいんだ。なんか、調子いい話だけど。ラオタの恋人として認めてもらいたい、っていうか……」 ラオタがゆっくり顔を上げて、睫毛を震わせて俺を見た。 「ユータ」 唇が薄く開く、奥に小さな舌の先が覗く。その誘うような表情に、いつものように口づけた。 ラオタの両腕が俺の首に廻されて、ぎゅっと握り締める。俺も片手でラオタの背中を抱いて、空いた手でラオタの柔らかな明るい色の髪を弄っていると、後ろから咳払いが聞こえた。 はっと振り返ると、シンが気まずそうに立っていた。 かああ、やっぱり見られてしまった。 「何だ、シン」 むちゃくちゃ不愉快そうなラオタの声。 シンはいきなり跪いて重々しく応えた。 「はっ、私は一度マーナに戻りまして、無事にこの空間がユータ様の家に通じたことの報告をせねばなりません。それに、ユニア様がいらっしゃったことも……私は、聞いておりませんので……」 裏を取ってくると言う意味か? 「そうか」 無表情に言うラオタに一礼すると、シンは俺のクローゼットに向かった。 振り向いて、小さな声で俺に言った。 「では、ユータ様、色々とご面倒をおかけ致しますが、宜しくお願いいたします」 シンはクローゼットに消えた――――本当にあそこが、出入り口なのか。 この突然の来訪者によって、俺は、大切なことを忘れていた。 もぎ太の散歩。 汚い話で恐縮だがもぎ太は外でしか排泄しないから、必ず朝一度外に出すことになっている。今日は、いつもの時間より大幅に遅れていて、何だか恨みがましい目で俺を見ている気がする。 「ごめん、もぎ太、今出してやるからな」 (さて、その間王家の兄弟には、どうしてもらおうか……) 「私も、一緒に」 ユニアが微笑む。 「ダメだ。お前は、ここで待っていろ」 ラオタがすげなく言う。 「そんな、私もこちらの世界を見てみたい。ねえ、ユータ殿、お願いします」 「あ、いや、そう、ですね」 ユニアが俺の胸に手を添えて切なげに見上げてくる。困った。ラオタをチラリと見ると、顔に不愉快という文字を貼り付けたようになっている。 とはいえ、ラオタが俺と一緒に散歩に出るというのなら、ユニアを一人置いておくわけにもいかないだろう。 「じゃあ、さほど見るところもないけど、皆でいこうか」 ラオタがふくれている。ユニアは嬉しそうだ。 『では、ユータ様、色々とご面倒をおかけ致しますが、宜しくお願いいたします』 シンの言葉が甦る。こういうことか……。 出かけるにあたって、ユニアの服をどうするかでまたもめた。 ラオタに買ってやった服を貸そうとするとラオタがムッとしたので、俺の服を貸そうとしたら、よけい怒った。どうすりゃいいんだよ。 「別に、私はこのままで構いません」 ユニアが自分の服をぴらぴらさせながら言う。確かに、ラオタの登場時(裸だった)と違って、白く長いそれは、見ようによってはワンピースにも見えなくない。 女の子だってことでいくか。 「じゃ、そういうことで」 玄関で待ちくたびれているもぎ太にリードをつけると『やっとだ!』といわんばかりに尻尾を振って喜んだ。 「じゃあ、いつもの散歩コースを」 王家ご一同様、二名だけど、ご案内。 そして、いつもの曲がり角で一瞬緊張する。こういう場合のお約束として現れそうな人物がいるからだ。 「おや、ゆうちゃん、今日は大勢でお散歩だね」 はうあっ。 やっぱり出た!橋田婆ぁ。 ひとり、ふたり、大勢、という計算で言うのなら、今日の橋田婆ぁも大勢一緒だった。 「おおっ、よし子っ、よし子じゃないかっ」 逸見のじいさんが叫んでユニアの肩を掴む。ユニアが驚いている。そりゃそうだろう。 逸見のじいさんはボケてしまって、綺麗な女の子を見ると死んだばあさんの名前を叫んですがりつくという、迷惑度合いでは橋田婆ぁと一、二を争う老人だ。 ちなみに、橋田婆ぁ、広田、逸見、堀の老人四人でハ行の『フ抜け』カルテットとご近所では呼ばれている。そんなことは、どうでもいい。 「逸見さん、この人はよし子さんじゃありません」 俺は、逸見のじいさんからユニアを引き剥がした。 ユニアが怯えて、俺の背中に回る。 「いいや、よし子じゃ、よし子じゃ」 「じいさん、よし子さんにしちゃ、ちょいと若すぎないかねえ」 堀のバアさんが言うと、広田のジイさんも 「それに、よし子さんにしちゃ、髪も長いのう。伸びたのかのう」 そういうレベルじゃ無いだろう! 「ゆうちゃん、この人も、綺麗な服きているねぇ」 「おお、ワシも見えるぞ」 「広田の爺さまは負けず嫌いじゃ」 「よし子ぉ、よし子ぉーっ」 あああ、腑抜け四人のボケ会話炸裂。ユニアにすがりつく逸見のじいさんを追い払いつつ、俺は散歩を続行しようと努力した。 ユニアを守って、気がつくと肩を抱くような格好になっていた。 はっ! 物凄く剣呑な視線を感じた。 おそるおそる振り向くと……ラオタが俺とユニアを睨んでいる。 ……勘弁してくれ。 |
HOME |
小説TOP |
NEXT |