異世界に消えてしまった兄を追って行ったシンが戻ってきた。
シンは、苦虫を噛み潰したような顔で母上に報告に来た。
僕はその場をはずすように言われたけれど、動かなかった。
母上は、僕に甘い。
そして、僕はシンの言葉に瞠目した。

―――あの兄が、このマーナ国のファラオが、異世界の男に名前を貰った?!






* * *


もぎ太が俺を起こす。
「ヒュン、ヒュン、ヒュン」
この苦しそうな切ない鳴き声は、もぎ太が餌をねだるときの鳴き声だ。俺の顔や口をぺろぺろと舐めて、何とか起こそうと懸命になっている。
もぎ太は、今までうちの母親が毎朝六時きっかりに餌をやっていたので、犬らしい律儀さで六時きっかりに餌をねだる。
体内時計がスイス製ラドウの高級腕時計並みだ。
「う、ん……もぎ、ちょっと、待って……」
昨日、ラオタと遅くまでイヤラシイことをしていたので、正直、六時起きはキツイ。
俺は、愛犬もぎ太に顔をいいようにされながら、目を開けられずに布団の上を転がった。
もぎ太が、せっせと俺の口を舐める。
「ヒュン、ヒュン、ヒュン」
ごめん。もう少しだけ、寝せてくれ。
「ヒュン、ヒュン、クーン、クーン」
もぎ太の鳴き声が切羽詰ってきて、唇への攻撃が激しくなる。
唇?
唇が執拗に攻められて、温かい舌が歯列を割って入ってきた。きつく舌を絡め取られて……
(もぎっ??!!)
ガバッと身を起こすと、ラオタの綺麗な顔が目の前にあった。
「んんー――――っ」
ラオタの唇が俺の唇をふさいで、ラオタの右手が、もぎ太を布団に押さえつけている。
もぎ太はヒュンヒュン鳴きながら、身体を捩って手足をバタバタさせていて、必死だ。
俺は、すっかり目が醒めて、ラオタを引き剥がすと言った。
「何、してんの?」
ラオタはその長い睫毛の下の大きな瞳で俺を覗き込むように見上げて言った。
「おはようのちゅう」
どこで覚えたんだ??
ラオタが家に来て、半月。いつの間にかテレビっ子になってしまった王様は、すっかり、この世界に順応している。
「本当は、ムギタがユータの唇を襲っていたから、奪い返したのだ」
勝ち誇ったように言うラオタ。ちなみに、ラオタはもぎ太のことをムギタと呼ぶ。
「ヒュン、クーン、クーン」
もぎ太は濡れた瞳で俺を見上げて訴えてくる。哀れなり、もぎ太。
「……放してやれよ」
俺の言葉にラオタが手を離すと、もぎ太はバッと立ち上がって俺に跳びかかって来た。餌が欲しいのだ。
「わかった、わかった、今、やるから」
俺は立ち上がって、一階の台所に降りた。
もぎ太の皿にドッグフードをざらざらと入れて、ヨーグルト(もぎ太はこれが好きだ)をかけていると、剣呑な視線を感じた。
(ラオタ……)
ラオタは王様だから、自分より先に誰かがサービスされることが気に入らない。
相手が例え犬でも……。
俺は、皿をレンジ台の上に置いたまま、ラオタに近づいた。
ラオタの目が、不満げに俺を見つめる。
「そんな顔しても、すごく可愛い」
俺がそう言うと、目の剣がすっと消えた。
「俺たちのご飯は、あとで一緒に食べような」
そう言って軽く口づけたら、そのまま頭を押さえ込まれて、舌を差し込まれた。
「んっ、ラ、オ……」
「んーっ」
ラオタの両腕が、俺の首に巻きつけられる。
(ラオタ……)
ラオタの舌が俺の口腔で暴れまわる。首に絡めた手が、うなじを弄る。
勘弁してくれ。ラオタ。それでなくても、朝は感じ易いのだ。
つい俺の腕がラオタの腰を抱いて、指先がラオタの小さいお尻を求めてさまよったとき……
「ギャン!!」
もぎ太が、もの凄い勢いで俺たちにタックルしてきた。

「……ごめん、もぎ太」
俺は、レンジ台の上の皿をとって、もぎ太の前に置いた。
ラオタは怖い顔で、もぎ太を見ている。
頼むから、俺のいないところで虐待とかしないでくれよ。


「ユータ、大学行かなくていいのか」
トーストをほおばりながらラオタが聞く。ちなみに焼いたのもバターをぬったのも俺。
「言っただろう?今日から夏休みだよ」
「夏休み……」
「大学行かないでいいから、一緒に遊べるぞ」
「本当か?」
ラオタの顔が輝いた。
そういう顔を見ると、俺も嬉しくて胸がぎゅっとなる。
本当は、ラオタの服やなんやお金もかかるので、バイトもしたかったんだけど、その間ラオタを一人にしておくくらいなら、生活費のために送ってもらっている仕送りを削った方がマシかと思ったのだ。
なんか、ツクシくんだな、俺……。
まあ、おかげさまで充分な仕送りを貰っているので、ラオタとの生活に不自由はない。でも、親が知ったら驚くどころの騒ぎじゃないだろうな。
覚悟はしているけどな。

「夏休み、どうする?」
俺が訊くと、ラオタは少し興奮したように頬を染めて訊き返す。
「どうするって?……どういうことだ?」
「だから、海に行くとか、山に行くとか、ディズニーランド行くとか……」
もぎ太がいるから、日帰りしかダメだけど、それでも朝から出かければ、色々なところを楽しめるだろう。
「海……」
ラオタが頬を染めて呟く。
ラオタの国には、海がないらしい。
テレビで初めて海を見たとき、ラオタはひどく驚いていた。
「海、見て、みたい」
やっぱり。
「なるべく静かな海がいいな。この時期は難しいけど、探してみるよ」
俺が言うと、ラオタは花のように笑った。

とりあえず、食事の後はもぎ太の朝の散歩だ。
俺は二階に上がって、着替えることにした。シャワーを先に浴びるか迷ったが、どうせ散歩で汗をかくのだから、帰ってからにしよう。
そして、俺の部屋のクローゼットを空けた瞬間、中から巨大なものが転がり出てきて、俺は叫んだ。
「うわわああぁぁっ」

俺を死ぬほど驚かしたその物体は、半月前に会ったラオタの国のシンだった。

「な、なな、何で、こんなところから?」
俺が呆然と立ち尽くすと、シンはその巨体ともいえる長身をかがめて、跪いて言った。
「お久し振りで御座います。ユータ様」
答えになっていないんだけど。
「何だ?今の叫び声は?」
ラオタが階段を駆け上がってくる。
「シン?!」
「ファラオ、お元気そうで、祝着に存じます」
って、だから何で俺の部屋で主従の再会なんかやっちゃってるワケ?
「何故、ここに?」
ラオタも不思議そうに辺りを見まわす。二階の窓は、昨日寝る前に閉じられていた。
まさか、昼のうちから忍び込んでいたとは、言わないよな。
そしたら、俺たちのハズカシイところも見られていたりして!!
と、赤面する俺を無視して、シンは跪いたままラオタに恐ろしいことを言った。
「例の王宮の次元の空間を、この部屋につなげることに成功いたしました」
ひっ?
「この部屋に?」
ラオタが首をかしげる。
「はい。マーナ国の科学の勝利です」
シンは晴れやかに微笑んで立ち上がり、俺のクローゼットを開く。
「どうも、この扉とつながってしまったようですが」
ドラえもんじゃねえっ!!!

「あの山に出てしまうと、ユータ様の家に着くまで、人目に立ちますので」
って、どういう意味だ?
直接なら『これからちょくちょく寄らせてもらうよ』ってな意味なのか?
言葉も無く見ている俺の目の前で、シンはクローゼットをバタンと閉めた。
と、次の瞬間跳ね返されるように扉が開いた。
シンの長身がグラリと揺れた。
「今度は、なんだっ?」
俺は、自分の声とは思えない素っ頓狂な声を出してしまった。
扉の奥から、ほっそりとした白い足が現れた。土足だよ、おい。

ユラリと姿を現したのは、人形のように綺麗な少女だった。

ラオタが目を瞠った。
シンが驚愕の叫びをあげる。
「弟ぎみっ」
弟?
って、これで、男なの??




HOME

小説TOP

NEXT