もぎ太の散歩から帰ってくると、俺の家の前に誰か来ていた。
ドアチャイムを鳴らしているようだ。
(だれだ?)
近づいてみると、佐久間だった。
「え?どうしたんだ?」
大学では仲いいが、まだ家に来るほどの仲じゃない。俺が驚くと、佐久間はちょっと照れたように笑った。
「いや、何か、さっき様子が変だったからさ」
「うちの住所って……」
「あ、四月に作ったクラス名簿で」
「ああ、そうだな」
確かに。携帯に入れていない程度のクラスメイトの連絡先は、俺もその名簿で調べた。
まあ、電話番号はチェックしても、住所まで調べて来るって奴は稀だろうが。
佐久間は、稀で、マメな奴だった。
「代返、しといたぞ。あと、宿題も出たから、プリント」
「さんきゅ。大学生にもなって宿題かあ」
プリントを受け取ると、佐久間は俺の横に立っているラオ太をじっと見た。
ラオ太も、じっと見返している。
う、これって、どうよ。
突然、佐久間が言った。
「なんだ、桜木。付き合い悪いって思ってたら、こんな可愛い彼女がいたんだ」
「へ?」
「知らなかったよ。お前にコギャルの彼女いたなんて」
「コギャル……」
呆然とする俺の横で、ラオ太も首をかしげる。
「さては、おまえが今日半日おかしかったのは、この娘のせいか?」
佐久間はニヤリと笑った。
「高校生?中学生じゃないよね、まさか」
ち、ちょっと待て!
確かに、今のラオ太は小麦色の肌に染めたような赤い髪。
大きな瞳のまつげはクルリとカールしていてどう見ても女の子。もっと言ったらコギャル。
けれども、ラオ太は間違いなく男で――それは、俺が十分わかっていて――間違っても、俺の彼女になるわけがないのだ。
「佐久間、これ、男だから」
「えっ?」
佐久間がぎょっと目を瞠った。
「胸、ないだろ?よく見て……」
佐久間はもう一度、マジマジとラオ太を見て
「ごめん。わからなかったよ」
佐久間は申し訳なさそうに頭を下げた。そうして、
「俺、桜木の大学の同級生、佐久間武夫。よろしく」
屈託なく挨拶した。この人懐っこさが、佐久間の良いところだ。
しかし、ラオ太は黙っている。黙ったまま、俺の顔を見た。俺は焦って佐久間に言った。
「あ、こいつ、その、俺の従兄弟」
「従兄弟?」
「や、従兄弟の、はとこで……」
赤の他人。
「その……人見知りなんだ。悪いな」
「そうか。いいよ」
佐久間は、ニコッと笑って、
「で、名前は?」
俺に聞いた。
「う……ラオ太」
かあ、何か恥ずかしいぞ。
「ラオ太?本名??」
だよなー、そうだよなー。変だと思うよなー。
俺はますます焦った。
「いや、本名は、その……フ、ファ、ハ……ハラオ」
なんじゃ、そら!!自分突っ込み。
「はい?」
「……原雄って言うんだけど……、変だろ?で、ラオ太って愛称で呼んでるんだ……」
「はあ、なるほど」
俺の苦しい説明にも、佐久間はあっさり頷いてくれた。
「よろしく、原雄君」
やっぱ、いい奴だ、佐久間。

「あがっていくだろ?」
わざわざ家まで来てくれたのだから、ここで返すわけにも行かない。
そして、玄関に入って、ちょっと躊躇した。
(ラオ太の靴……)
「わり、佐久間、ちょっとコイツもって待ってて」
もぎ太のリードを預けて、佐久間を玄関の外で待たせると、俺は慌ててラオ太の靴を脱がせた。こんなところを見られたら、どういう関係だと疑われるからな。
ラオ太は悠然と脚を差し出して、靴が外れると、さっさとリビングに入っていく。
今日は、洗う必要はなさそうだ。
「お待たせ、佐久間」
玄関のドアを開けると、佐久間は、興奮したもぎ太に跳びつかれて困った顔をしていた。
「ごめん、ごめん」
「いいけどさ。犬は嫌いじゃないから」
しかし、もぎ太に跳び付かれて、佐久間のジーンズは汚れている。
「ああ、ホント、わりい」
もぎ太の足を洗うのと、佐久間にタオルを渡すのとでバスルームに入って、何やかやしてリビングに入ったら、王様は例によって長々とソファに寝そべっていた。
「ラオ太、お客様だから、ソファ、半分空けてくれる?」
出来るだけ優しくお願いしたら、チラと俺の顔を見て、プイと起き上がった。
「いいのかな」
佐久間が、遠慮がちに座る。
三人掛けだから、余裕はあるはずだが、佐久間は何故か気を使って端っこに座っている。
そんな佐久間を申し訳なく思って、俺は愛想よく言った。
「アイスコーヒーとCCレモンどっちがいい?」
「あ、じゃあ、CCレモン」
「オッケー」
台所からCCレモンを入れて来て、グラスを佐久間に渡す。
「サンキュ」
佐久間が受け取る。
ラオ太には炭酸は如何なものかと思って、アイスコーヒーを入れてきた。昨日も飲んだし。
「ラオ太は、こっち」
アイスコーヒーを渡そうとしたら、ラオ太の手が、グラスを飛ばした。
「え?」
俺の手から飛んだグラスが床に落ちて、コーヒーが撒き散らされ、氷が転がった。
「な、何すんだっ、ラオ太っ」
カッとして怒鳴ると、ラオ太はギッと俺を睨み上げて、リビングを出て行く。
「なっ…ラオっ!!」
背中に怒鳴ったけれど、ラオ太は知らん顔で二階に上がっていった。
「ど、どうしたんだ?」
佐久間がヒビっている。
「いや、ごめん、変な奴なんだ」
そう言って、俺はまたバスルームに行ってタオルをかき集めて床を拭いた。
「あ、いいよ、佐久間はそれ飲んでいて」
手伝ってくれようとする佐久間にそう言ったが、佐久間は丁寧に転がった氷を拾って、台所の流しに捨てに行ってくれた。
「ごめん」
「いや、何か、俺……嫌われたのかな、彼に」
佐久間が何とも言えない表情で言うので、申し訳なさでいっぱいになった。
「ごめん。そんなことない。あいつが……変なんだよ」

その後、早々に佐久間は帰っていった。
俺は怒りで頭に血を上らせて、二階に上がった。
「おいっ、ラオっ」
ラオ太は窓側の壁に背中を預けて、足を投げ出して座ったままこっちを見ている。
その顔に反省の色は全く無い。カッとしたまま俺は詰め寄った。
「さっきの態度、何だよっ」
ラオ太は、じっと俺を見上げて、言った。
「あの者は、誰だ?」
「え?」
「あの者は、ファラオより偉いのか?」
「………………」
「ユータはあの者にも、仕えているのか?」
「………………」
「お前は、私とあの者と、どっちのものなんだ?」
真っ直ぐに見つめる瞳は、痛いほどだった。
俺は、ガックリ膝をついた。
さっきまでカッカしていたのが、急にヘナヘナと力が抜けた。
ラオ太のそばにズリズリと膝でにじり寄る。力が抜けすぎて歩けない。
ラオ太の前まで行って、子供に言うように、優しく尋ねた。
「俺が、お前より先に、佐久間にジュース渡したのが、気に入らなかったのか?」
ラオ太は、真っ直ぐ俺を見る。
「俺が、あいつに仕えているように見えたのか?」
ラオ太は、真っ直ぐ俺を見ている。
「あのさ」
俺は小さく溜息をついた。
「おれは、誰の奴隷でもないし。佐久間に先に飲み物を出したのは、佐久間がラオ太よりも後からうちに来た、お客様だからだよ」
ラオ太の瞳が、探るように翳った。
「ようは、ラオ太のほうが、より俺の身内だったってこと。わかる?」
ラオ太がほんの少し小首をかしげる。
「こっちの世界じゃね。飲み物出したり、何かしてあげたりするのは、その人に仕えているからじゃなくて、何て言うのかな、その人を歓迎するって気持ちを表しているんだよ」
「歓迎?」
俺を見つめたまま、ラオ太が呟く。
「そう、ようこそいらっしゃいました、って気持ち」
「じゃあ、ユータは、昨日、私を歓迎してくれたのか」
ラオ太の言葉に俺は頷いた。
「ああ、俺はお前の奴隷になったわけじゃないぞ。お前を歓迎する気持ちで、色々やってやったの。それは、この際、はっきり言っとくからな」
本当は、ラオ太のファラオペースにかなり流されていたってのが大きいんだけど、ここで奴隷になるわけにはいかないからな。
「そうか……」
ラオ太は、複雑な表情で俺を見上げる。
う、なんか、胸が痛む。
「やっぱ……仕えてくれる人が、欲しかったか?」
思わずそう尋ねると、ラオ太は少し考えるふうに目をそらしたが、すぐに俺の目を見て言った。
「いや、いい。ユータは、私の、友達なのだな」
「ああ」
ホッとして俺は笑った。
本当は俺のほうこそ、拾ってきた子犬程度に考えたりもしていたのだが。
これで、一応対等になったということか。
俺が笑ったのを見て、ラオ太も笑った。
それは、胸にしみるような眩しい笑顔だった。







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