「恋しているな」 「わっ?」 三時限目の授業が終わって、テキストをかたづけていた時、いきなり同じクラスの佐久間が、俺の顔を覗き込んで言うので、俺は仰け反った。 「何を、突然言い出すんだ?」 佐久間はわかったように頷きながら言った。 「今日数時間のお前の様子を見れば、一目瞭然」 「何が?」 「桜木勇太は恋をしているっ」 びしっと俺の鼻先に人差し指を当てて断言する佐久間武夫。 「ヤメテクレ……」 俺が、誰に、恋しているって言うんだよ。 「だって、お前、朝からぼんやりしているし。話し掛けても心ここに在らずだし、溜息をついているかと思うと、ふいに心配そうに宙を見上げているし」 ううう。言われてみれば、その通りだ。 今日、月曜日は朝から授業があるので、俺はもぎ太の散歩を済ませた後、ラオ太ともぎ太を留守番させて、家を出てきた。 もぎ太の留守番はいつもの事だが、ラオ太の留守番は、初めてなので(当たり前だ。昨日拾ったのだから)はっきり言って心配だ。 今ごろ何をしているだろう。 火は使わないように、そして台所にも入らないように言っておいたが、うっかり何かやってしまっていたら、どうしよう。 まさか、火事なんか出しちゃいないだろうが、怪我の一つもしてないだろうか。 何しろ、ここは初めての世界(らしいの)だ。 ラオ太のことを考えると、心配のあまり、無意識に眉根が寄っている俺。 (こんなことなら、一緒に大学に連れてくれば良かった!) 「それだ!その哀愁漂うその顔が、恋する男の顔。モノに出来ない乙女のハートに悩み、苦悩する青春」 佐久間が言った。 「いいなあ、お前、その顔あれば、どんな乙女心もゲットだぜ」 言ってること、矛盾していないか?佐久間。 「そういう冗談に付き合っている暇は無いんだよ」 俺は立ち上がると、教室を出た。 やっぱり、今日は帰ろう。 「あ、おい待てよ」 佐久間が追いかけてくる。 佐久間と俺は学生番号一番違いで、必修の授業では常に班が一緒になるので、自然と仲良くなった。佐久間は遊び好きで面倒見もよく、しょっちゅう合コンを企画している。俺も誘われるのだが、もぎ太の世話があるので、残念ながらほとんど参加できていない。 「どこ行くんだよ、この後、必修あるだろ?」 「代返しといてくれ」 「んな、五十人そこらの必修じゃ無理だよ」 「じゃ、いい」 とにかく俺は、家に帰りたかった。 慣れない所で、ラオ太がどうしているか。 ああ見えて、淋しがり屋だったりして。 昨日、一瞬だけ見た心許無げな瞳が甦る。 (王様っていっても、まだ、子供なんだから) 駅まで走って、焦って電車に跳び乗って、苛々する気持ちを押さえながら、中央線の車窓の景色を見るうちに、最悪の想像まで浮かぶ。 最悪って何かと聞かれると、もう、色々。これで、俺は心配性なのだ。 もぎ太をまるまる一晩一匹にしておくことが出来ずに、合コンを断るほどだからな。 駅から家までも、全速力で走って帰って、部屋に飛び込むと…… ラオ太はPS2で遊んでいた。コントローラーを握ったまま振り返る。 「ユータ、早かったな」 ……お前、むちゃむちゃ順応早すぎ。 * * * 「心配して損した」 俺が、がっくり膝をつくと、ラオ太が不思議そうに見上げる。 「どうした、ユータ、何があった」 「いや、何も」 何も無くて、よかった。 俺が帰ってきたので、愛犬もぎ太が騒ぐ。いつも、大学から帰ると散歩に出してやっているからだ。期待に溢れた目で俺を見上げて、尻尾をブンブンと振る。 「わかったよ、もぎ太」 俺は、ラオ太と一緒にもぎ太の散歩に行く事にした。 犯人は、必ず現場に戻る。って、関係ないけど。 「現場、百訪」 俺は、ラオ太を拾った場所に行ってみることにしていた。 何故、ラオ太があそこに倒れていたのか、手がかりが見つかるかもしれない。 今日のラオ太は俺の服を着ているから裸じゃないが、できれば人目に立ちたくない。ラオ太の明るい色の髪も、小麦色の肌も、綺麗な顔も目立つから。 ご近所さんに『どちらさま?』と聞かれても、答えようが無いし。 霊園に向かって歩きながら、曲がり角が近づくと、ほんの少し緊張した。 (ここは、橋田婆ぁの出現スポット……) しかし、そこに人影は無かった。 (ほっ) そうだよな。そうそう毎日出会ってたまるか。 と、思った瞬間後ろから声が。 「ゆうちゃん、散歩かい」 ひっ! 振り返ると、橋田婆ぁが、同じくボケ仲間の堀のバアさんと、広田のジイさんと並んで立っている。げげげ、三位一体でボケパワー最大出力だよ。 「おや、この子は昨日の」 橋田婆ぁがラオ太を見て小さい目を見開くと、堀のバアさん、広田のジイさんにコソコソと何か話している。 何なんだよ……。 いきなり、堀のバアさんが叫んだ。 「あたしにだって見えるよっ」 広田のジイさんも、負けずに大声を出す。耳の遠い老人は声がでかい。 「わしじゃって、見えるわい。裃(かみしも)つけとる」 「裃じゃなくて、ブルマーだよっ」 「橋田さんは、相変わらず、ハイカラじゃ」 「裃じゃあ」 な、何なんだ……。 三人の老人が、ラオ太を指差しているのを見ると、どうも昨日の『裸の王様』の続きらしい。 こんな奴らに巻き込まれるわけにはいかない。 自分でまいた種だけど。 「いくぞ」 俺は、ラオ太の手を握って走った。 「あ?」 ラオ太は、びっくりしたようだが、素直に走って付いてきた。 霊園の北口から飛び込んで、後ろを振り返る。 流石に、追いかけては来なかった。当たり前だ。追いかけて来たらホラーだ。 ほっとしながら、霊園の道を山のほうに向かって歩くと、ラオ太がきょろきょろと周りを見て言った。 「ここは、何だ?」 ああ、そうか。知らないと、解らないだろう。 「ここは、霊園。いわゆる墓場だな」 「墓?誰のだ?」 「誰って……色々な人の」 「色々?」 「うん、色々」 有名人から、一般ピープルまで。 「そんなに大勢入っているのか?」 「だって、この石一つに何人か入ってるぞ。石一つに、一家系」 「えええっ」 ラオ太は驚いている。 「こんな小さな石の中に、何人も……酷い」 いや、酷いといわれても……都心の住宅事情、墓事情っていうか、土地はまだまだ高いっつーか。 「私の父の墓ですら、ここ一帯くらいの広さはあるぞ」 うーん、それはまさしく、ファラオの墓。 「……まあ、そうなんだろうな」 「うむ、そして、私の祖父の墓はもっと大きい」 自慢気に言うラオ太。 「へえ、どれくらい?」 「約、三万ヘクトチョモル」 ごめん、その単位、わからない。 しかしながら、ラオ太から聞く、ラオ太の国の話には興味をひかれた。昨日はそんな話、出来なかったから、俺は色々と質問をした。国のこと、家族のこと。 砂漠の国。王制。王に仕える様々な部族。 聞くほどに、ラオ太の国はエジプトに似ている気がした。 「エジプト?」 「うん、違うかな」 「そんな名前は、知らん」 「そうだな。あ、じゃ、アレ」 「ん?」 「スフィンクスは?名前はどうか知らないけど、顔が人で身体が獅子で」 「おお、それなら知っている」 ラオ太が瞳を輝かす。ああ、やっぱり!なんだか嬉しくなった。そして、ラオ太が言う。 「背中には翼があって、下半身は魚という、陸海空オールマイティの獣神だ」 ……魚だっただろうか?? どうも、エジプトからタイムスリップしたという説はびみょーになって来た。 とりあえず、ラオ太を見つけたS山に入ろう。 「ここに倒れていたんだ」 S山のふもとの繁。 「何か、覚えているか?」 「さあ」 ラオ太は首をかしげる。しょうがないから、もぎ太にも頼ってみる。 「もぎ太、何か怪しいものは無いか」 警察犬よろしく現場を探らせるが、しょせん、甘やかされて育った室内犬。好き勝手に草むらに鼻を突っ込んで、前足で土を掘って、最後はマーキング(おしっこ)。 「ダメだな、こりゃ」 「なあ、何で、いきなりここに来たんだろうな。お前、自分の世界では、どこにいたんだ?ここに来る直前は、何をしていた?」 俺が尋ねると、ラオ太は細い眉を顰めて、困った顔をした。 「わからない」 「え?」 「よく、覚えていない」 「そうか」 ラオ太の表情が曇ったので、この話は、ひとまず止めることにした。 「じゃ、せっかく来たんだから、上まで行こう」 「え?」 「山のてっぺん、っていってもそんなに高くないけどさ、結構、見晴らしいいんだ」 俺は、もぎ太のリードをはずした。 もぎ太は喜んで山を駆け上がって行く。 その後ろを、俺とラオ太でついて行った。 「滑る」 ラオ太がボソッと言った。 見ると、確かに、ラオ太のサンダルのような靴は、山を歩くには向いていないようだった。 「ごめん、気がつかなかった」 俺が手を伸ばすと、ラオ太は素直につかまった。 頂上までほんの少しの距離だったけれど、手をつないで上って、なんとなくドキドキした。 (あーもう、だから相手は、男の子だっちゅーのっ) |
HOME |
小説TOP |
NEXT |