「やっぱり、名前が無いのは不便だ」
少年王がうちに来て、ものの十分で俺はそう思った。
「何故?『ファラオ』ではダメなのか?さっきのように『王様』でもいいぞ」
少年王が、ソファに長々と寝そべって言う。
どう見ても、客の態度ではない。俺よりくつろいでるよ。おい。
「そういう呼び名だと、つい卑屈になるんだよ、さっきみたいに」
「ヒクツ??どういう意味だ?」
「日本語それだけしゃべれて、そういう単語は解らないのか」
さすがは王様だ。
「名前など、勝手に付けるな」
寝そべったまま、不愉快そうに眉を顰めた。
そういえば、こいつの国(どこだよ)では、ファラオの名前は、死んで初めてつくのだと言っていたな。
「じゃ、名前じゃなくて、あだ名」
「あだ名?」
「単に、呼びかけるための記号だ」
「では、ファラオで良いだろう?」
「だから、王様とかエライ意味が込められると嫌なんだよ」
「言ってる意味が、解らんぞ」
「もういい。かってに決めた」
俺は、頭に浮かんだ言葉を言った。
「ラオ太だ」
「………………」
桜木家の男子には必ず『太』がつく。ちなみに祖父ちゃんは『重太』で親父は『健太』だ。
以前買っていた文鳥は『文太』だった。
「ラオ太、決まり」
「良くわからんが、好きにしろ」
好きにするよ。
そして、ついでに俺は言った。
「ラオ太、そのカッコはまずいから、服を着てくれないか?」
はっきり言って、十五、六歳(推定)の少年の裸が目の前をチラチラするのは目の毒だ。別に、そっちの趣味があるわけじゃない俺だが、これだけ綺麗な子が家の中で、裸でいるって言うのは、かなりマズイ。
「服とは、いまユータが着ているようなものを?」
「ああ、俺の服、貸してやるよ」
俺は、優しいお兄さん風に、ニコッと微笑んでやった。
「いやだ」
「何で?」
「変だから」
お前なあっ!!!
「裸の奴に言われたくない」
俺は無理やり、Tシャツを頭から被せた。
男物のフリーサイズのTシャツだったが、ラオ太の華奢な身体ではかなり大きかったようだ。首周りは大きく開いて鎖骨が際立ち、下は太腿がちょうど隠れるあたり。
(さっきより、いかがわしい気がするのは何故だ……)
ラオ太はちょっと嫌そうにシャツの胸元をつまむと、そのままクンクン嗅いでいる。
「洗濯しているから、綺麗だよっ」


「で、ラオ太、これからどうするんだ?」
ペットボトルのアイスコーヒーをグラスに注ぎながら、俺は訊いた。
「これから?」
「だって、自分の国に帰らないといけないんだろ」
「来た早々、もう追い返す話か?冷たいのだな、ユータ」
ラオ太は、不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。
って、お前の事、心配してやってんだろっ!!
「追い返そうなんて思ってねえよ。お前が、自分で心配にならないか、聞いてるんだよっ」
グラスをテーブルにどんっと置きながら言うと、ラオ太はそっと俺を見上げて言った。
「ユータが良ければ、しばらくここに居させて欲しい……」
俺は、その表情にドキッとした。
さっきまでずっと王様らしく不遜な顔ばかりしていたラオ太の、一瞬心もとなげに揺れた瞳が、むちゃくちゃ可愛らしく見えた。
「いや……別に……構わないよ、俺は」
そうだよな。いきなり、訳のわからない世界に連れてこられたんだ。
まだ子供だし、不安じゃないわけ無い。
「どうせ部屋は余っているし、ラオ太が好きなだけ居て、いいぞ」
俺がそう言うと、ラオ太はニッコリ笑って、ソファに寝そべった。
「では、脚を揉め、ユータ」
って、お前、何様っ!!

結局、俺はソファに座って、膝にラオ太の脚を乗せて揉んでいるし。
ラオ太はうつ伏せになって、気持ちよさ気に喉を鳴らしている。
俺はこのままラオ太の下僕として生きていくことになるのだろうか。
とほほな気持ちになっていたら、ラオ太がくるんと仰向けになった。俺の膝の上ですんなりと伸びたラオ太の脚が跳ねる。
「ユータ、上手いな」
仰向けに寝そべったまま、ラオ太が笑う。
「今度から、ずっとお前に揉ませてやるぞ」
(俺以外に、他に誰がいるってんだよ?)
と、突っ込みたかったが、ラオ太の顔を見ると、思わずこう言っていた。
「はは、ありがたき幸せ」


その日の夜。事件は起きた。
いや、事件というほどのことじゃない。しかし……。

「寝る場所作ってやるから、その前に風呂入れよ、こっちだから」
うちの家は、親父が頑張って注文建築で建てたものだから、風呂は自慢できるくらい広い。とか思ってたら、
「狭いな。これで、風呂か?」
……ファラオ様から見たら、子供用ビニールプール並みですか。
まあ、いい。
「風呂、入るんならここだから。お湯も溜めてある。で、これをこっちにひねるとお湯、こっち水……」
俺が、バスルームの使い方を教えようとすると、ラオ太はひどく驚いた。
「ひとりで入れと言うのか?」
俺はもっと驚いた。
「一緒に入れって言うのかっ?!」
俺は、しばらく硬直した。
そういえば、聞いたことがあるぞ。身分の高い人は入浴も御付きが一緒で、それでもって、身体も洗って貰ったりして……。
自分の想像に、鼻血がでそうになった。
いや、相手は男の子なんだから、それも変だが、俺は顔に血を上らせて首をブンブン振りながら言った。
「ダメ、ダメ、ダメ、ダメ」
「ユータ?」
「風呂は、独りで入るものだ」
拳をぐっと握って俺が言うと
「独りで入ったことなど、無い」
真面目な顔で、ラオ太がじっと俺を見る。
そうなのか?恐るべしファラオ……。

結局、俺は風呂に入って、ラオ太の背中を流しているし。
……こればっかだよ。
しかも、酷いことに俺は服を着たままだ。Tシャツと短パンだけどな。

あの後、俺があきらめて、一緒に入ろうと服を脱ぎ始めたら、ラオ太は激しく動揺した。
「な、な、何故、お前まで服を脱ぐのだ」
「ぬ、ぬ、脱がないと、風呂、入れないだろ」
ラオ太の動揺が伝染して、おれもカンでいる。ラオ太が目を瞠って叫んだ。
「まさか、ファラオと一緒に、湯につかる気かっ」
「……………………………………」
ようは、あれか。
一緒に風呂に入るってのは、身体洗ったりしてもらう、あれね。
で、俺は、浴室には入れても、湯には入れないのね。
すっかり下僕だ。

ラオ太は、椅子に座って脚を伸ばして、背中を擦られながらいい気になっている。
すべすべとした背中に、泡立てたスポンジを滑らせながら、ちょっとだけおかしな気分になった。
(バカか、相手は男の子だ)
そう思ったが、石鹸の泡が、うなじから肩甲骨の谷を滑って落ちていく様子に、ドキリとする。
(ヤベ……)
誓って言うが、俺はそっちの趣味は無い。
けれど、ラオ太の華奢な背中は、色っぽかった。
(マズイ。まずいぞ……)
大体、いつまで背中洗っているんだ。
背中だけでいいのか?
前はどうする。
前と言ったら、あそこは……
「うっ」
俺は本当に鼻血を出してしまった。
慌てて、鼻を押さえる。
ポタポタと落ちた血が石鹸の泡と混ざって浴室の床をピンクに染める。
「どうした?ユータ?」
ラオ太が慌てて振り向いた。
正面から直視したラオ太の裸体に、よけい頭に血が上った。鼻血、吹き出る。
「ごめん、ダメだ……もう」
俺は、ヨロヨロと浴室を出た。
「ユータ……」
ラオ太が俺の背中に声をかける。
「……のぼせやすいのだな」

……ちがうよ。

結局、ラオ太は独りで風呂から上がってきた。
「悪かったな。大丈夫か?」
照れくさいのもあって、ラオ太の顔がまっすぐ見れず、ぶっきらぼうに言ったが、ラオ太は気にした風も無く、ニッコリ笑って言った。
「うむ。ひとりで出来た」
某消費者金融のCMのようだな。

「じゃ、ラオ太。布団敷いたから」
俺の部屋の隣の和室。以前は、お袋たちの使っていた部屋だ。
来客用の布団を敷いて、枕をポンポンと叩く。
ラオ太は布団をじっと見て、ポツリと言った。
「ここで、独りで、寝るのか」
うっ。
今のは、どういう意味だ。
『ここで』が嫌なのか?『独りで』が嫌なのか?
それとも、どっちも嫌なのか???
俺がリアクションに迷っていると、ラオ太は俺を見上げて、俺のTシャツの裾を引っ張って言った。
「ユータ……」
「な、何?」
「伽(とぎ)を命ずる」
何それ――――――。

結局、俺は和室にもう一組布団を敷いているし。
もう、パターン化されている。
伽といっても、よく時代劇にある助平な殿様が奥女中に命ずるアレではなかった。
ラオ太は布団に潜り込むと、隣の布団の俺に向かって笑いかけて、自分が寝るまで何か面白い話をしろと言った。
面白い話といえば、近所では橋田婆ぁネタが一番なんだが……この場合、そういうものを指している訳ではないだろう。
「昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんが住んでいました……」
桃太郎とかぐや姫と、花咲じじいが一緒くたになった御伽噺を適当に話しているうちに、ラオ太は眠ってしまった。
その寝顔は、ちょっと感動するくらい可愛らしかった。

ラオ太が何者で、どこから来たのか、何故あんな所に倒れていたのか……
疑問はいっぱいあるが、それらが全てどうでも良くなってしまうほど、可愛い寝顔だった。
昼間行き倒れていたときは、そんな風に思いもしなかったんだが。
たった半日で、情が移ったのか?

それとも……




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