ご注意!!
タイトルからつい想像してしまう「ファラオの墓」とは何の関係も無ければ、当然その竹宮惠子先生と何の関係も無く、
ましてや竹下景子さん(三択女王>古!)とは、もっと関係ありません(笑)
その日俺は、愛犬もぎ太を連れて、いつもの散歩コースをたらたらと歩いていた。 「あちいなあ、もぎ太、なっ」 俺は、上からの強い日差しよりも、アスファルトからの照り返しに顔を顰めた。 夏になるとアスファルトの道路は、裸足で歩くと火傷するほど熱くなる。いや、俺は裸足で歩くことは無いが、もぎ太が裸足だからかわいそうだ。かといって、犬に靴を履かせるマダムらの気は知れないが。まあ、とにかく、早く土の上に行かないと。 信号が変わりかけている。俺は走って渡って、霊園の入り口に飛び込んだ。 俺の住んでいるF市には、都内でも有名なでかい霊園がある。ようは墓場だが、俺ともぎ太の散歩コースとはまさにその墓場の中だった。 墓場といっても春には桜が満開で、花見客も大勢訪れる。その後はつつじが咲き誇る。 そして今は、梅雨明けに急に濃くなった緑が目に眩しい季節だ。 もぎ太と一緒に日陰を選んで歩いて、周りに人がいないことを確認すると、俺はもぎ太のリードをはずした。もぎ太は一直線に跳んで行く。 俺はその後ろ姿を見て目を細めた。 『霊園内で、犬は放さないで下さい』 まるで俺の悪行を見計らったように放送が流れた。 しかたないから、追いかけるふりでもするか。 「おーい、もぎ、もぎ、もぎ太」 山のほうまで行ったかな。 霊園の隣にはS山という武蔵野キスゲで有名な山があるのだ。 もぎ太がその山の方から跳び出してきて、俺の傍まで来ると、またくるりと踵を返して跳んで行った。 「なんだ?」 もぎ太が籔の中に鼻面を突っ込んでいる。かろうじて見える尻尾が左右に大きく揺れている。 「ううん。まさか、ここ掘れワンワン?それとも、一億円くらい拾ってくれたか?」 もぎ太の傍に近寄って、茂みの中を覗き込んで、俺は息をのんだ。 なぜならそこには、裸の男が倒れていたからだ。 「な、なんだ、こいつ……」 その男は、いや男というより少年か、腰に薄い布を纏っただけで、ほとんど全裸に近かった。よく焼けた肌だが、髪が赤いのは染めているのか、地毛なのか? 彫の深い整った顔立ちも、何となく、日本人と思えない。 「行き倒れか?」 係わり合いになりたくねえー。 率直な気持ち。 そっとその場を離れようとしたのに、もぎ太の奴が災害救助犬よろしくそいつの顔や唇を舐めて起こしている。 「やっ、やめろ、もぎ」 引き離そうと近づいたとき、その少年がぱっちり目を開けた。 「げっ」 その少年は、むっくり起き上がって、じっと俺を見つめた。 瞳を開くと、その少年の女の子めいた美しさがはっきりわかった。 俺も、目が離せない。 二人で、じっと見つめ合っていたが、おもむろにそいつが言った。 「お前、だれだ?」 「そりゃ、俺の台詞だよ」 こんな所で、裸で寝ているような奴に、誰何されたくないぞ。俺。 「…………」 そいつは、再びじっと俺を見て、言った。 「私は王である」 「は?」 「名前は、まだ無い」 「嘘つけっ」 それが、俺、桜木勇太と怪しいファラオとの出会いだった。 * * * 「嘘では無い。私の国では、王は死んで初めて名前を与えられるのだ。生前の王はファラオと呼ばれる」 「ファラオ……」 聞いたことあるぞ。っていうか、私の国ってどこだよ!! 俺が尋ねると、その少年ファラオは首をひねった。考え込んでいる様子に、俺は思わず 「記憶喪失?」 ありがちな設定で尋ねてみた。 すると、その少年ファラオは、軽蔑したように俺を見て言った。 「私の国の名はマーナ。美しい砂漠の国だ。どこだと訊かれたから、今いるここからどう説明するか悩んだのだ」 ああ、そうかい。 「何しろ、ここがどこか、何故自分がここにいるのか判らないのだ」 それって、記憶喪失より異常な話じゃないか? 「で、お前はだれだ」 「あ、俺は桜木勇太。この近所に住む大学生だ」 「大学?」 「うん、一年」 おかげさまで受験勉強から解放されて、幸せ一杯のはずだった。親父の転勤さえ無ければ……。 この春、俺の進学と同時に親父が大阪に転勤になって、お袋もそれについて行った。 俺は入ったばかりの大学があるから、当然東京に残ったのだが、大阪の社宅が犬を飼えないため、もぎ太の世話を一手に引き受けることになったのだ。 朝と夜の散歩があるから、コンパもでれなきゃ、今日みたいな日曜日でも、遠くに出かけることも出来ない。きっと夏休みも、もぎ太の世話で終わるのだ。 考えてみると、なかなか寂しい大学生だ。 「では、お前のうちに世話になろう。ユータ」 「は?」 俺がつい物思いに耽っているうちに、話はとんでもない方向に動いている。 「何で、俺んち?」 頬を痙攣させながら尋ねると、そのファラオは平然と言った。 「お前が、第一発見者だろう?部屋が汚いとか、狭いとか気にしないから安心しろ」 「いや、汚くも、狭くもねえけどよ……」 オールヌード(に近い)男と並んで歩くのは、自分が裸と同じくらい恥ずかしい。 ファラオにじゃれ付くもぎ太をせかしつつ、俺は足早に歩いた。 ファラオは、珍しいものを見るように周囲を見渡しているが、自分が裸だという自覚は無いらしく、いたって悠然としている。 もっと早く歩いてくれっ! (どうか誰にも会いませんように……) とか思っていると、通りの角から橋田婆ぁが現れた。 橋田婆ぁは、もうすぐ六十歳らしいが、最近いきなりアルツハイマー症にやられたらしく、ボケている。ボケた上に話好きの性格は変わってなくて、ご近所での迷惑指数は急上昇だ。 「ゆうちゃん、お友達かい」 俺の肩をガシッと掴んで、金歯を見せて笑うとファラオを指差した。 ファラオは橋田婆ぁの頭をじっと見つめている。 ちなみに橋田婆ぁの頭は真っ白だが、てっぺんにちょこんと真っ黒なヘアピースが乗っている。ボケる前からのトレードマークだった。 髪が白くなる前のあだ名は『ヅラデーション』だったが、今は『おにぎり山』と呼ばれている。ご近所さんの裏投票で『モノクロ』を僅差で押さえたネーミングだ。 そんなことはどうでもいい。 「何で、この人裸なんだい」 おっ、橋田婆ぁ、今日はまともなのか? と思ったのも束の間、橋田婆ぁはそのしわだらけの顔の小さい目を精一杯見開いて叫んだ。 「まさか、あたしになんかする気かいっ」 するかっ!! それより何だよ、このツーショット。『おにぎり山』と裸の少年ファラオ。 出来れば赤の他人になって、さっさとこの場を立ち去りたい。 「ねえ、何で裸なんだい」 怯えたように尋ねる橋田婆ぁ。手は俺の肩を掴んだままだ。 「橋田さん、この人、裸じゃありませんよ」 「へ?」 「立派な服を着ているでしょう、王様みたいな」 俺はちょっと自棄になっていた。それにこの王様は、さっきから自分を裸とは思っていないようだし。 「でも、この服は心の綺麗でない人には見えません。あと、ボケた老人にも」 「あたしゃ、ボケちゃいないよっ」 「じゃあ、見えますね?立派なマントと金モールとかぼちゃのブルマが」 「見えるよっ」 見えるか、ボケ! 「それは、よかった。じゃ、そういうことで」 俺は、橋田婆ぁの手を引き剥がし、ファラオの背中を押した。 「行きましょう、王様」 「うむ」 ファラオは、まさに王様らしく威風堂々と歩いた。 俺は、その背中に回した手が、直接肌に触れたその感触にドキリとした。 あまりに、すべすべと滑らかだったので。 「王様、この粗末な家でございます」 何だか俺は自棄になった上に、卑屈だ。 「うむ。世話になるぞ」 少年王が、遠慮なく上がっていく――土足で。 「……王様、とりあえずその草履のような靴を脱いでください」 「ん?」 腰布しか着けてないのに、靴は立派に履いていた。 「脱ぐのか、わかった」 そう言って、ファラオは玄関に立ったまま。 俺も、じっと立ったまま。 何で自分ちの玄関で、じっと立ってなきゃいけないんだ。そうだ、ファラオが前をふさいでいるからだ。 その王様は、きょとんとした顔で俺を見上げる。そして言った。 「早く、脱がせろ」 「はい?」 ファラオって奴は、自分で靴も脱げんのか? 結局、俺は、少年ファラオの靴を脱がせて、ついでに言うと、脚が汚れていたのでバスルームで洗ってやった。自分で洗わせたかったのだが、あまりに堂々と脚を差し出すので、ついつい江戸時代の旅籠女中のような真似をしてしまった。 一瞬、屈辱に唇を噛みそうになったのだが、思いなおした。 (もぎ太と同じだ) ちなみにいつももぎ太の散歩の後、俺は、もぎ太に同じことをやっている。もぎ太は柴犬だけど室内犬だから。今日は、もぎ太の足を洗う前に、少年王のおみ足を洗う羽目になったというだけだ。 「しかし、子犬じゃないんだから、人ひとり拾ってきて良かったのだろうか……」 今さらではあるが……。 |
HOME |
小説TOP |
NEXT |