休みに入って最初の日曜日。玄関のチャイムが鳴って、十哉は顔をあげた。 目の前に座ってお茶を飲んでいた学は、何事かといった風に十哉を見る。 「誰かお客さんが来た」 学に説明するように言って、十哉は立ち上がった。 (真紀子叔母さんが突然来たのかな。まさか) 真紀子からはあの後すぐに、家に遊びに来いと言う電話が入ったが、由美子が風邪をひいて寝込んだということで食事の約束は延期になっていた。 月の初めには集金も無かったはずだなどと、考えながらドアを開けると、十哉の高校の同僚宮内透が立っていた。 「宮内、どうしたんだ?」 「清水先生が美少女とデートしていたって、生徒から聞いてね」 「美少女?」 そして十哉は思い当たって、部屋の奥を見た。 宮内も一緒に覗き込む。 「いるのか?」 「美少女じゃない。男の子だよ」 「男?」 男の子だと聞いて、宮内は思わせぶりな視線をよこした。 その視線の意味を察して、 「亡くなった兄の子供だ。下衆な勘繰りをするな」 十哉はちょっと苛ついた口調で言った。 「下衆の勘繰りって?」 何も言われていないのに、宮内は靴を脱いであがった。 いかにも勝手知ったる様子。十哉は小さくため息をついた。 「こんにちは」 宮内は女子生徒に人気の高い優しげな風貌で、学に向かって微笑んだ。 学は、一瞬どうしていいかわからないようにその顔を見つめ、そして慌てて頭を下げた。 「こんにちは」 「こりゃ可愛いや。あいつらが美少女って間違えたのも無理ないな」 「何の用だ。宮内」 憮然とする十哉を無視して、宮内はリビングにおいてある大きなクッションの一つに腰をおろした。さっきまで十哉の座っていた場所だ。ペタリとラグに座った学の正面。 「ああそうだ。清水先生に、届け物」 十哉の勤務する高校の名前の入った封筒を差し出す。 「最後の会議、出られなかっただろ」 職員会議で配られたらしいプリントの束が入っていた。 「あ」 礼を言おうとした矢先、 「来客にお茶は出ないの?」 図々しく訊ねる宮内の言葉に、十哉はあからさまにムッとした顔を作った。 学が慌てて立ち上がった。 「ああ、いいんだ。学。俺がやる」 「そうそう、ここの主に任せておきなよ」 宮内は学に座るように手招いて、 「学くんっていうんだ」 と、テーブルにひじを突いて学の顔を見た。 舐めるように見つめる宮内の視線に、学は落ち着かない様子で目を泳がせる。 「そんな怯えた顔しなくて良いよ。取って食べたりしないから」 「宮内、学に変なこといったり、からかったりするなよ」 台所から十哉が叫ぶ。 「狭い部屋なんだから大声出さなくても聞こえるよ」 わざとらしく顔をしかめて、宮内が言い返す。 学は、突然現れた客にひどく戸惑った。 「ブラジルから来たって?大変だったね」 「……」 「どこに住んでいたの?生まれたのも、そこ?」 宮内は微笑みながら色々と尋ねてきた。学は考え考え返事しながら、そわそわと視線を泳がせた。早く十哉に戻ってきて欲しかった。 ようやく十哉がコーヒーの入ったカップを持ってリビングに入って来た時には、学は思わず安堵のため息をついた。 宮内が面白そうに目を細めた。 「ミルク、切れてるからな」 「あるじゃん」 学の飲んでいたカフェオレをチラリと見て宮内が切り返すと、 「それが最後の牛乳だったんだよ」 十哉は音をたてて宮内の前にカップを置いた。 「あ」 学は腰を浮かせた。 「どうした?」 「僕、買ってくる」 「いいよ」 「本当?嬉しい」 十哉と宮内が同時に言った。 「宮内?」 十哉の目が厳しくなる。 「あの、この間教えてくれたストアに行って来る。他に何か買ってくるものある?」 学が言うと、 「ごめん、ついでにタバコも買ってきて。ピエールカルダン、わかる?」 宮内が財布から千円札を取り出した。 「人の甥っこ、パシリに使うな」 「ううん。行って来る」 十哉は止めようとしたが、学は素直にそれを受け取った。何だかこの宮内という人は苦手だ。学はこの場から逃げたいような気持ちになっていた。 「店、わかるか?」 「この間も、行ったから」 早く慣れるようにと、十哉もたまに簡単な使いを頼んでいた。 玄関に行って急いで靴を履くと、学は飛び出して行った。 玄関のドアが音をたてて閉じると、十哉は宮内に向き直った。 「何しに来たんだ」 「プリントを届けに」 「嘘つけ。って、お前、ピエールカルダンなんて、吸ってたか」 突然思い出したように言うと、 「学生の時にね」 宮内はしゃあしゃあと応えた。 「今は無いんだよ。残念だ。ブランドはともかく、タバコは美味かったんだけど。デッドストックって聞いたときには、都内のタバコ屋探し回ったよ。新宿の小田急線乗り場のタバコ屋だったな、最後に買ったのは」 「何の話だ」 「ピエールカルダン」 「いいかげんにしてくれよ。何しに来たんだ。わざわざ休みの日に」 「話があるから来たんだよ」 宮内は薄く微笑む。 「タバコのか」 「そんなに怖い顔をするなよ」 宮内はポケットからマイルドセブンを取り出した。 「大事な話の途中で、お前が学校に来なくなったから」 「人を登校拒否児のように言うなよ。知ってるだろ」 「ああ、お兄さんのことはね」 タバコを灰皿に押し付けて 「でも、その子供を引き取るなんて、俺は聞いていない」 宮内は十哉をじっと見つめた。 「お前に言う義理があったか?」 「冷たいな」 「どっちがだ」 「本気なのか?」 「何が?」 「俺と別れるって」 「宮内…」 十哉はため息をついた。 「別れるも何も、俺たちの付き合いは初めから…」 「身体だけって?」 煙を細く吐き出して、宮内は目を細めた。 そしてタバコを灰皿に押し付けると、 「だったら、これからもそれでいいじゃないか。何で今更、別れるとか言うんだ」 「だから別れるとかじゃなくて、もうお前とは寝ないって言ってんだよ」 「何で?俺が浮気したから?」 「浮気って言うのは変だろ?俺は別にお前の恋人じゃない」 「恋人じゃなくてセフレね」 宮内は、ふいと腕を伸ばして十哉の首に指を這わせた。 「なあ、俺がアイツと寝たのを怒っているんなら謝るよ。俺は、お前との関係は壊したくないんだ」 そう言って微笑む媚びを含んだ宮内の瞳を見返しながら、十哉は考えた。 同じ高校で教鞭をとる宮内と身体の関係が出来たのは二年前だ。 転任する教師の送別会の夜、互いの性癖を偶然知って、酔った勢いも手伝ってそのまま関係を持ってしまった。お互い恋人とは別れたばかりで生理的な欲求も高まっていたところ、身体の相性も悪くなく、そのままずるずると関係を重ねているうちに、いつの間にやらセフレという間柄になっていた。 宮内に対して恋愛感情が無かったのかと、目の前の整った顔を見て改めて考えてみても、『無かった』としか言えない。 それは宮内も同じだと思う。 互いに秘密を守れて、後腐れなくつきあえる相手。 それは確かに楽だった。 宮内に自分以外にもセフレがいることも知っていた。そのことで宮内を責める気などさらさらなかった。けれど―― 「なあ、十哉」 宮内の唇が十哉のそれに軽く重なる。指先がわき腹を撫で、太腿へと降りる。 「やめろよ」 「また、抱いてくれよ…」 唇を寄せたまま、宮内が囁く。 股間に伸ばされる指を抑えて、十哉は言った。 「そういうセリフは、坂上に言ってやれよ」 「……」 坂上というのは、この三月卒業した生徒だ。一ヶ月前、思いつめた顔の坂上が 『宮内先生と別れてください』 と言ってきたときには、驚いた。 生徒に手を出したのかという驚きはもちろんだったが、それ以上に坂上の真剣な目に圧倒された。宮内がどんなつもりで相手したのかは知らないが、坂上の本気は痛いほどに伝わってきた。 自分にはもう何年も無い、一途に人を愛するという気持ち。 「あんな…子供…」 宮内が自嘲的に唇を歪めた。 「子供に手を出したのはお前だろ」 「迫られたんで、ついね」 「つい、で寝たのか。自分の生徒と」 「卒業するのがわかっていたからね。まあ、ちょっと…自分でもおかしいとは思ったよ。後で、ね。あの時は…普通じゃなかった…」 十哉の身体に指を這わせながら、ポツリポツリと宮内は呟く。十哉は宮内を身体から引きはがそうとした。 「とにかく、お前とのことは、俺はもう」 その言葉を最後まで言わせず、宮内が強引に唇を重ねてきた。 先ほどの触れるだけのキスと違って、かみ合うように唇を重ねると深く舌を絡めてくる。 その舌に思わず応えそうになって、十哉は二年間の習性と言うものに苦笑した。 その時、ガタンと音がした。 ハッと二人が振り返ると、学がリビングの入り口に座り込んでいる。 まるで腰を抜かしたといったその様子に、十哉は思わず自分の唇を手の甲で拭った。 学は真っ赤な顔で二人を見つめている。 宮内はほんの少し気まずそうに笑って、十哉の膝の上に乗り上げていた身体を離した。 「早かったんだね」 「あ…」 顔に血を上らせたまま 「タバコの名前、わからなくなって…ご、めんなさい…」 学は、言い訳のように応えた。 「しょうがない。自分で買いに行こう」 宮内は立ち上がった。 十哉は、こんな状況で一人だけ逃げるのかと恨みがましく宮内を見上げたが、特に引きとめもせず黙って見送った。 「せっかくのコーヒーだけど、また今度いただくよ。じゃあ、清水先生。またね、学くんも」 座り込んだ学の横を通り過ぎる時、宮内の手が軽く学の肩に触れ、学はピクッと身体を震わせた。 宮内の帰った後、気まずい沈黙が訪れた。 十哉は腹をくくった。こうなった以上、隠しておけるものでもない。 「驚かせてすまない」 学がじっと十哉をみる。 まだ頬が赤い。 「男同士のキスシーンなんか見せられて、びっくりしたかもしれないが、俺はゲイなんだよ」 学の瞳が見開かれた。 「ゲイって、わかるか?」 十哉の言葉に、学は小さくうなずいた。 「そっか…最近の小学生は物知りだな」 冗談っぽく笑って見せたが、学はじっと身を固くしたままだ。 「気持ち悪いとか思われてもしょうがないけどな」 十哉の言葉に、学は何か言いたげに瞬きをした。 十哉は早口で付け加えるように言った。 「まあ、恋愛対象が同性だって言うだけで、あとはいたってノーマルだよ。もちろん血のつながった甥っ子に手を出すような不埒な真似もしない」 学の目をみて、ふっと微笑む。 「だから、変な心配はしないでくれよ」 学はその言葉に、ほんの少し苦しそうに眉を顰めた。 |
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