仁志と付き合いはじめて二ヵ月がたった。マサキと呼んでしまっては言い直しをさせられていたおかげで、名前だけはようやく慣れたけれど、未だに慣れないことがひとつある。

「だから、俺が払うからいいって言ってるだろう」
「お金の問題じゃないよ」
「じゃあ何だよ」
「…………」

 僕たちがいったい何を言い争っているかというと、クリスマスをどう過ごすかということについて。僕は、仁志と一緒ならなんでもいいのだけれど、たとえばホテル代にしても食事代にしても僕にも負担させてほしいし、負担できるくらいのところで楽しみたい。けれども、この学生のクセに大金持ちの仁志は、
「せっかく押さえたんだから、素直に泊まれよ」
 藤嶋グループ傘下のお台場の高級ホテルのスウィートルームに予約を入れてしまった。しかも、二十五日が土曜で休みだからといって二泊も。一泊の料金が僕の二か月分の給料で、聞いたとたんに僕は卒倒しそうになった。
「なんでそんな無駄遣いができるんだ」
「初めてのクリスマスを過ごすのに使う金が、無駄遣いか?」
「だったら、僕も半分払う。だけど、二泊分は無理だから一泊にしてくれ」
「俺が二泊したいんだよ」
「そんな、勝手な」
「何で勝手なんだよ、俺からのプレゼントだって思えばいいだろ」
「そんな高すぎるプレゼント、受け取れない」
 こんな感じでさっきから堂々巡り。いいかげん疲れてしまって、僕は大きくため息をついた。
 そんな僕を横目で見て、仁志がボソリと言った。
「順一が何でそんなにこだわるのか、わかんねぇよ。今までの奴らはみんな喜んでくれたけどな」
(むっ)
「……だったら」
 マズイと思ったときには、口から言葉が飛び出していた。
「今までの奴らと一緒に泊まればいいだろう」
 仁志の眼が獰猛な獣のそれになる。
「どういう意味だ」
 怒らせたとわかったけれども、後には退けない。
「言葉通りだよ」
 立ち上がって踵を返しかけ、慌てて財布から千円札を出す。コーヒー代だって自分の分はちゃんと払いたい。
「待てよ、おい」
「悪いけど、もうその話はしたくない」
「なんだと」
 オーキッズを飛び出して、追いかけてこられるのを恐れた僕は(小心者だ)、駅とは反対方向に走った。
 会社の前を通りかかると、まだ灯りがついていた。
「まだ、誰かいるんだ」
 今日は仁志と待ち合わせをしていたから、七時前にはオフィスを出たのだが、そのときに残っていたのも五、六人だった。金曜日なのに珍しく安田の顔があったから、ひょっとしたらと思って、寄ってみることにした。
「おっ」
「あ」
 エレベーターホールで偶然その安田と一緒になった。
「何だよ、忘れ物か」
「あ、いや、そうじゃなくて……」
 困った。特に理由はないのだが――。
「安田に会いたくて」
「えっ…」



* * *


「なんだよ、ドキドキさせんなよ。見ろ、へんな汗かいただろ」
 安田は、わざとらしく、おしぼりで額の汗を拭ってみせた。
 ここは会社の近くの居酒屋、昼は定食が安くてうまい。なんとなく顔を見ようと思っただけだったのが、その場の流れで「ケーケンホーフな」安田に相談したいことがあるということになり、ここで夕飯を食べながら話をすることになった。近場の洒落た店は金曜の夜だから空いていなかった。
「僕の、いとこの話なんだけど」
 ベタだとは思いつつ、取りあえずそう切り出した。さっきの仁志との会話を、やや曖昧に、かなり無難な話に、置き換えて尋ねてみた。
「安田ならどう思う?」
 僕の問いかけに、安田は豚の角煮を口に押し込みながら、不思議そうな顔をした。
「どうって、そのいとこってのは、何が不満なんだ」
「不満というか……そんな無駄遣いしてまで、クリスマスを過ごす意味あるのかな」
「好きな相手と最高のシチュエーションでクリスマスを過ごしたいっていうのが無駄遣いか」
 安田は仁志と同じことを言った。
「だ、だって、そんなことしなくても、二人で過ごせば、それだけで良い思い出になるじゃないか」
「いや、そりゃそうだけど、じゃあ何で、世の中のカップルはクリスマスにわざわざ店予約するのよ」
「…………」
「二人でいられりゃ、どこだっていいだろうケド、それでも何かしたいのがクリスマスなんじゃないの」
「そうかもしれないけど……」
 何だか自分が間違っているような気になって来た。おかしい。さっきまで絶対自分が正しいと思っていたんだけれど。
 さばの味噌煮を口に運びながら、僕は考え込んでしまった。
「まあ、そのいとこには、せっかくのプレゼントなんだからありがたくもらっとけと、そして代わりに自分でできる範囲のお返しをしろって、俺ならそう言うね」
「う……ん」
 その時、僕のポケットの携帯電話が鳴った。
(あ、電源切ってなかった)
 着信表示は、案の定というか、藤嶋仁志。デジタルの時刻表示は、別れてから四十分ほど。
 一瞬迷ったけれど、
「ごめん、ちょっと」
 立ち上がって、入り口まで行って、出たとたんに、
「どこに居るんだよ」
 不機嫌そうな声。
「まさか家に帰ったとか言うんじゃないだろうな」
「……会社」
 の近くの居酒屋、とは言いづらい。
「なんだ? 会社に戻ったのか」
「う、ん」
「待ってろ、迎えに行く」
「えっ、いいよ、来なくて」
 あせって応えたけれど、
「さっきは、悪かった」
 いきなり言われて、驚いた。
「言わなくていいことまで言った」
(あ……)
「それ『今までの奴ら』の話?」
「悪かったよ」
 あまりに素直に謝る仁志に、くすぐったい気持ちで
「僕も、ごめん。ちょっと意固地になってた」
 僕もちゃんと謝ることが出来た。
 安田の忠告のおかげでもある。
「じゃあ、クリスマスのことはもう一度話をしよう」
「うん」
 穏やかな気持ちでうなずいたのだが、
「もう会社の近くまで来てるんだけど、入って大丈夫か」
「えっ」
 思わず声が裏返る。
「ダメだ。ええと、そう警備が、警備員が……」
 何を言っているんだ、自分。
「えっと、動かないで。すぐ行くから」
 携帯を切ると席に戻って、
「ゴメン、行かないと。ここのは、月曜に清算する。いや、おごるから。本当にゴメン」
 ゴメンを繰り返しつつ、鞄をつかんで飛び出した。
「あっ」
 運の悪いことに、仁志は居酒屋のほとんど前辺りまで来ていた。
「順一? なんだ、人が頭冷やして飯も食わずに探し回ったってのに、ちゃっかり食べてたのか」
「あ、ゴメ…」
 謝りかけたところに、
「芦田、お前コート忘れてるぞ」
(げっ)
 安田が店から出てきた。仁志のこめかみに青筋が立ったのが見えた気がした。
「さすがに寒いだろ」
 僕が丸めてテーブルの下に入れていたコート。ああ、何でそんなものを忘れたりしたんだ。安田は仁志に気がついて、
「あれ?」
 僕の顔と見比べた。
「あ、ありがとう、安田……あ、もういいから、その、本当にゴメン」
 僕は今日一体何回ゴメンを言えばいいのだろう。仁志を気にする安田を、居酒屋の方に追いやり、店内に押し込み、恐る恐る振り返った。
「アイツと飲んでたのか」
 背筋が凍った。コートを着てないせいじゃなく。
 仁志は、いつか僕をこのビルの近くで待っていた時に、安田と会って(そのときしか会っていないくせに)その後、妙に気にしていた。仲がいいのかとか、普段どういう付き合いなのかとか。
「俺から逃げて、アイツのところに行ったのか」
「そういうわけじゃ…」
「言い訳は、身体に聞いてやるよ」

 そして、さっきの電話とは大違いに、ひどく機嫌の悪くなった仁志に、いつものホテルに連れて行かれ、翌日が休みで本当によかったと思える散々な目にあったのだけれど、まあ、自業自得かもしれない。




当日に続く




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