ご感想お礼SS

 仁志の部屋に泊まった朝、東京に今年三度目の雪が降った。

「うわ、すごい」
 カーテンの隙間から覗いて、窓の外を舞う雪に、僕は身震いした。
「どれ」
「開けるなよ、寒いだろう」
「子供は風の子」
「どこに子供がいるんだよ」
 僕は掛け布団に丸まった。寒いのは苦手だ。
「ああ、積もってるな」
 仁志は、上半身裸のまま窓の外に身を乗り出して下を覗き込んだ。最上階のこの部屋からじゃそうしないと地面は見えない。
「さすがに寒いな」
 窓を閉めてくれたので、ホッとしたら
「よし、出かけるぞ」
 いきなり言われて、仰け反った。
「どこに?」
「コンビニ」
「な、なんで」
 何もこの雪の中。
「コーヒー切れてるのに、さっき気がついた」
「そんな……」
 だったら紅茶でもいいじゃないか。と、渋る僕の腕を取って、
「ほら、服着ろって」
 無理やりベッドから引っ張り出すと、仁志はさっさとシャツを着て、クローゼットから革ジャンを出してきた。僕のためのセーターと厚手のコートも一緒に。
「まだ六時前ですケド」
「大丈夫、コンビニは24時間営業だから」
「そういう問題じゃなくて……」
 ぶつぶつ言いながらも逆らえないのは、惚れた弱みだ。
「これもしていけ」
 マフラーをふわりと首にかけられた。こんなことで胸が鳴る自分が、乙女チックすぎて恥ずかしい。照れ隠しに柔らかなマフラーに顎を埋めた。
「メガネはいらないよね」
 雪がついたら邪魔になるだろう。
「ああ」
 機嫌良さそうに仁志は靴をはいて、玄関のドアを開けた。



「どっち行くの?」
 マンションを出た仁志は、いつものコンビニとは逆方向に歩いた。
「栄町の方のコンビニに行く」
「それって遠い方じゃないか」
「散歩だ」
「勘弁して」
 それでも逆らえないのは、惚れた弱み。行って戻ってせいぜい10分だと思っていたのが、最低でも20分歩くことになってしまった。
 まだ日は昇っていないけれど、雪明りで十分明るかった。普段はうるさい道路も、雪が音を吸い取っているのか、妙に静かだ。
「見ろ、順一」
 仁志が嬉しそうに指差したのは、テニスコートだった。
「誰も足跡つけてない」
「そりゃあそうだよ」
 フェンスの扉は施錠されている。わざわざフェンスを登って入るヤツはいないだろう。とか思ったら、仁志はフェンスの低くなっている部分(それでも2メートル以上ある!)に手をかけて、ヒラリと飛び越えた。
「嘘だろ」
「順一も来いよ」
「信じられない」
 呆れながらも、結局フェンスをよじ登っているのは――以下、略。
「気をつけろよ」
「落ちたら受け止めろよ」
 冗談のつもりだったのに、
「任せろ」
 自信満々に両腕を広げられてしまった。
「嘘だよ、退けよ、飛び降りるから」
 シッシッとはらって、カッコよく飛び降りたつもりだったが、膝と手をついてしまった。
「だから受け止めてやるって言ったのに」
 右手を差し出されて、僕は、その手をパチンと叩いた。
「膝が濡れた」
「気にするな。ほら、あっちまで歩こう」
 仁志は楽しそうに白い雪の絨毯に足跡をつけ始めた。僕はその足跡を眺めながら、後ろを付いて歩いた。
 ふと思いついて、仁志の足跡を踏んでみた。
 仁志の靴の跡を踏むようにして歩くと、いつもの自分の歩幅より広くなって違和感がある。
(やっぱり足の長さの差か……)
 ちょっとだけ悲しくなっていたら、
(あれ?)
 いきなり歩幅が広げられた。と思ったら、今度はガニ股に、そして内股に。
「何やってんだよ」
 僕が足跡を踏んでいることに気がついたのか、
「子供みたいな真似して」
「どっちが」
 振り返って仁志は笑った。本当に子供みたいな笑顔にドキリとした。
「ひょっとして、仁志、雪、好きなのか」
 意外な事実に驚いて、思わず訊ねたら、
「何だよ、順一は嫌いなのか」
 質問で返された。
「嫌いじゃ、ないよ」
 寒いのは苦手だけれど。仁志が好きなら――。
「何だよ、嫌いじゃないって。どっち付かずだな」
 仁志は屈んで雪の塊を手に取った。
「嫌いじゃないんだから、好きってことだよ」
「好きなら好きって言え」
 いきなり雪の玉が飛んできた。
「うわっ」
「あははは」
「何するんだっ」
 続いて飛んでくる二つ目の雪玉に、しかたなくこっちも応戦した。
「くらえ」
「どこ投げてんだ」
 仁志は軽くかわして、ステップを踏むと、次の雪をつかむ。
 僕は、両手で雪をすくって投げつけた。白い雪が舞って、仁志の高そうな革ジャンを濡らした。
「ザマアミロ」
 言ってやったら、仁志は雪と雫を掃って、そして上目遣いにニヤリと笑った。


 そして僕たちはそのまま、いい年をした男二人で、白々と日が昇るまで雪合戦を続けたのである。



















*  *  *

 面白いものを見た。

 タクシーの窓から偶然目撃してしまった光景に、思い出し笑いなんかしていたものだから、玄関のカギを開けたときにも、リビングのドアを開けたときにも、中の気配に気がつかなかった。
「お帰り。朝帰り」
「文絵、来てたのか」
 早朝の陽(あさのひ)差し込むリビングで、わが婚約者様は、ゆっくりと紅茶を飲んでいた。
「何だよ、電話くれりゃ、帰ってきたのに」
 雪で電車が止まってしまったから、そのまま店で朝まで飲んでいた。
「よく言うわよ、やらしい顔しちゃって、そんなにいい子だったの」
「違うって」
 誤解されたらしく、俺は慌てて言った。いや、女の子が一緒だったのは事実だけれど、思い出し笑いは――
「雪に浮かれた犬が、喜んで庭駆け回っているのを見てさ」
「庭って?」
「正確には栄町のテニスコート」
「そんなところに犬が? 一匹で?」
 文絵は目を瞠って身を乗り出した。そういえば文絵は犬好きだ。
「二匹かな」
「犬だけ? 飼い主はいなかったの?」
「あはははは……」 
 おかしくなって笑ったら、文絵はムッとした。
「なによ、ねえ、どんな犬? こんな都心に野良犬はいないわよね」
「うん、純血種のドーベルマンと柴犬ってとこかな」
「…………」
 さすがに、文絵も気がついたらしい。
「そういえば、私も、雪に浮かれそうなのを一匹知ってるわ」
「うん」

 雪に湿った服を着替えて、俺も冷蔵庫からビールを取ってきた。
「ねえ、柴犬って感じなの?」
「うん、そうネ」
「私まだ紹介してもらってないのよ」
「文絵に苛められると思ってんじゃないの」
「失礼ね、そんなことしないわよ」
「どーだか」
 文絵のブラコンは筋金入りだからな。
 おかげで俺はずい分、可哀相な目にあっている。
「後で隣に押しかけちゃおうかな」
「うわー、馬に蹴られて死んじゃうよ」
「別に邪魔するわけじゃないじゃない」
「邪魔でしょ。雪遊びで冷たくなった身体を温め合ってるところに押しかけたりしちゃ」
 ワザと煽ってみたら、案の定、文絵は綺麗な眉をしかめた。
「朝っぱらからそんなことしてるんなら、そっちが悪いのよ」
「あーあ」
 隣の玄関をダンダン叩く文絵を想像すると笑えるけれど、さすがに後で仁志に恨まれそうだ。いや、仁志はどうでもいいとして、順一に恨まれるのはちょっとツライ。
「まあサ、お互い第一印象って大切じゃない。仁志が紹介するって言うまで待ってましょうよ」
「一度は紹介するって言ったのよ」
「あの時ね」
 張り切って勝負服ならぬ勝負着物を着て行ったけれど、順一にすっぽかされて会えずじまい。それでいつもなら文絵がキレるところ、仁志の激しいキレっぷりに、
『むしろ、なだめ役に回ってしまった』
 このワタクシが。と、後から悔しそうに言っていた。
「あの時は、付き合いはじめで浮かれてたんだろ」
「今も十分浮かれてるでしょ」
「まあネ」
 本当に押しかけかねない文絵に、いい提案をしてやった。
「じゃあ、いいもの聞かせてやるから」
「何?」
「ちょっと寒いけど、ベランダに出たら、アイツらのリビングでのやりとり、まる聞こえだから」
「やだ、なに、それって覗き?」
「いや、聞くだけ」
「ばっかじゃないの」 
 
 ――とか何とか言っていたくせして二時間後、俺と文絵は二人して、幸いにもすっかり雪の止んだベランダに出て煙草を吹かしながら、バカップルの会話に聞き耳を立てていた。って、俺らもバカップルだな。










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