第五話  順一視点

 ショックだった。

 仁志は、前から僕が誰かと飲みに行くことを嫌っていた。特に安田の名前を出すと露骨に嫌な顔をした。だから、年末からずっと会社の付き合いは断っていた。意外にヤキモチ焼きなんだ、くらいに思っていたのに――
『俺と初めて会った時も、酔っ払ってフラフラホテルまで付いてきただろ』
 そんな風に思っていたなんて。
 僕が安田と飲んで、誘われたらホテルにでも付いて行くって?
「ふざけんな」
 僕がそんないいかげんな男に見えるのか。そりゃあ、確かにあの時の僕は、自分でもよくわからないままフラフラ付いて行ったよ。でもそれは仁志が誘ったからだろ?
「お前が悪いんじゃないか」
 僕は今まで一度だって、会ったその日のうちに誰かと寝るような真似なんてしていない。大体、寝た相手は仁志が初めてだ。自分でも不思議だ、どうして仁志とだけあんなことができたのか―――
(いや……)
 不思議じゃない。仁志が魅力的過ぎたのだ。だから、会ったその日に捕まってしまった。
 でも、アイツはそう思っていなかった。僕のことを、酒くらいで誰とでも寝るような淫乱だと思っていたんだ。
(誰とでも――)
 屈辱に目の奥が熱くなった。そしてすぐに、
『すぐイイ声で泣きやがって』
 仁志の言葉を思い出して、顔に血が上った。
 確かに――仁志の前での僕は、淫乱と言われても仕方のないことをしている。仁志が好きだと言ってくれた声をあられもなく張り上げて――
「あ…」
 今までのことを思い出して、恥ずかしさのあまり立っていられなくなった。クリスマスの夜、洗面所やダイニングテーブルでのアブノーマルなセックス。理性を奪われ、流されるまま、それを悦んでいた自分。
(恥ずかしい……)
 仁志が誤解しても当然だ。




「大丈夫ですか?」
 背中から声を掛けられた。壁に向かってしゃがみ込んでしまっていた僕は、酔っ払いだと思われたらしい。
「あ、大丈夫です」
 僕は、慌てて立ち上がった。みっともない。
「無理しないで」
 まだ若いサラリーマン風の男が僕の腕を握って支えてくれた。他人にしては親切なので、会社関係など記憶の糸を手繰ったけれども、やはり知らない顔だった。
「あ、いいえ、酔っているわけじゃないんです」
 ふふっ、と男は笑った。酔っ払いはそう言うものだ、と言う顔で。
 そこに、
「順一」
 仁志の声がした。僕の腕を取って寄りそっている男に、いつもの獣のようなキツイ視線を送る。
「知り合い?」
 男が僕に尋ねる。
「え、あ、はい」
「じゃあ、大丈夫だね」
 男は微笑んで、僕を仁志に預けるようにして去っていった。
「誰だ?」
 仁志はその男の背中をしばらく見送った。
「知らないよ、僕のこと酔っていると思って助けてくれたんだ」
 僕の返事に、仁志はまた眉間にしわを刻んだ。ああ、また何か誤解されたんだろうか。
『酒飲むたびに、無防備になる』
 仁志は確か、さっきそう言った。
 けれども、振り返った仁志は静かな顔で
「車とめる所を探してて、遅くなった」
「……」
「送るよ。……アンタの家まで」
 ゆっくりと歩き出した。僕は、結局その申し出に従った。


 車の中で仁志は何も言わなかった。僕も何も言わなかった。思えば喧嘩らしい喧嘩を今までしたことなかった。これも喧嘩とは言えないかも知れないけれど。僕はただ、仁志の隣で、今までの醜態の数々を思い出しては居たたまれない気持ちになっていた。


 僕のアパートの前まできて、仁志は車を停めた。シートベルトを外した時、僕のその手を仁志の左手が握り締めてきた。
「順一」
 低い声が甘く囁いて、右手が僕の首に回る。男らしくセクシーな厚めの唇が覆い被さってくる。
「んっ」
 ズキン、と腰に衝撃がきた。
「やめ……」
 両手で仁志を突き飛ばした。キスだけでイキそうなほど感じた自分が、恥ずかしかった。
「順一?」
「ゴメン」
 僕は唇を拭うと、仁志の顔を見ることも出来ず、そのまま車を飛び出し、アパートの外階段を駆け上がった。
「そう何度も逃がすか」
 玄関のドアを開けると、仁志も一緒に入ってきた。
「やめろ」
 出て行ってくれと言おうとした唇は、再びふさがれた。
 靴を脱ぐことも許されず、抱きしめられる。仁志の長い腕が僕の腰を巻き取り、大きな手のひらが尻をきつく掴む。
「んんっ」
 鼻から抜けるような声をあげてしまって、恥ずかしさに身体が震えた。
(嫌だ)
 これじゃあ、仁志の言うとおりだ。
 触られたくらいで、女みたいに声をあげる自分が浅ましい。
「やめてくれ」
 全身で抵抗すると、仁志は腕を緩めた。
「なんだよ、まだ怒っているのか」
「違う」
 僕は玄関に膝をついた。さほど広くないそこで、仁志はドアに背中を預けて僕を見下ろした。
「なあ、順一、さっき」
「ゴメン、仁志」
 最後まで言わせず、僕は下から睨むように仁志を見た。
「帰ってくれないか」
 仁志は一瞬驚いたように僕を見た。この顔は前にも見たことがある。そうだ、デニーズの駐車場で僕が別れを切り出したとき。
「どういう意味だよ」
 獰猛な獣が大人しく言うことを聞いてくれる筈もなく、仁志は苛立たしげに覆い被さってきた。
「やめろ」
「嫌だね」
 玄関に押し倒され、キッチンに続くフローリングの床の上でコートとジャケットをいっぺんに脱がされ、中途半端に下ろした袖の部分で腕の自由を奪われた。
「やっ」
 慣れた動作でベルトを緩められ、シャツを捲り上げられた。
「んっ、あっ」
 仁志の冷たい指が胸の尖りを擦り、全身に走った痺れに女のような悲鳴をあげた。
「ああっ……」
(嫌だ)
 こんな所で押し倒されて、胸を弄られて悦んでいる自分が嫌だ。
「嫌だ、やめろっ」
 首を振ったら、そのうなじに口づけられた。
「あ…っ」
 きつく吸われてそこからも甘い痺れが生まれる。仁志に触られるたび、口づけられるたび、どうしようもない快感に理性を飛ばされていくのがわかる。
 怖い――。
『すぐイイ声で泣きやがって』
「違う!」
 大きな声を出したら、仁志が身体を起こした。
「違う? 何が」
 問い質すように僕の顔を見て、そして眉を寄せた。
 そっと触れる指先が、僕の目尻を拭う。
「泣くほど嫌か」
(え……)
「イヤよイヤよも――って言うから……」
(仁志……?)
「悪かったな」
 立ち上がって、玄関のドアを開ける。
(仁志っ)
 出て行く仁志を引き止めようと――引き止めないといけないと――頭では思ったのに、声が出なかった。


 玄関にひとり残され、自分の姿に自嘲の笑いが漏れた。腕はコートと上着で拘束され、薄い胸を晒して、ズボンは半分脱がされてずり落ちている。靴も脱いでいないのに。
「なんてカッコだ」
 情けない。こんな格好をさせられて、それでも僕は感じて、勃っている。仁志は気がつかなかったのか。少しだけホッとしてバスルームに向かった。
「ん……はあ……」
 勃ちあがったものを、我慢できずに自分で慰めた。浅ましい身体が情けなかった。







 仁志に何と言って謝ろうと思いながら、言葉が見つからないまま三日が過ぎた。もともと自分から電話を掛けるのは苦手で、いつも仁志からの連絡を待っていた。今回に限っては、仁志から連絡がない。これはそうとう怒らせてしまったのかと、暗い気持ちになった。
(怒らせただけだろうか……)
 ひょっとして、怒って、呆れて、嫌になって、そして今ごろ僕以外の誰かと――
(バカ)
 疑うな。
 仁志がこんな僕のことを愛してくれているのは、よくわかっているじゃないか。そう、こんな僕のことを。けれども時たま不安なる。僕なんかの、一体どこがいいのかわからない。仁志ほどの男なら、他にいくらでも理想的な恋人を作れるに違いないのに。
(マズイ)
 落ち込んできた。僕の悪い癖だ。勝手に色々考えて、そして勝手に落ち込む。そんなに仁志のことが気になるなら、電話したらいいだろう。
携帯電話を取り出して再び悩んでいると、手の中のそれがいきなり震えた。一瞬、仁志からかと思ったけれど、着信の表示は――
「正輝くん?」
 仁志の従兄弟だった。
「やあ、順一サン、これから時間ある?」
「え、あ……」
「っていうか、俺、もう新宿着いてるんだよね。遅くなってもいいから、仕事終わったら来てよ」
 正輝の言った店は、最近西新宿にできた巨大インテリジェントビルの地下一階のカフェバーだった。昼間はともかく、夜は混んでいてまず入れない。なんとかいうカリスマバーテンダーがいて、オリジナルカクテルが人気らしい。そんな店でもどういう魔法か、正輝はしっかりカウンターの一番奥二つの席をキープしていた。
「ゴメン、待たせて」
「こっちが勝手に待っていたのよ」
 正輝は僕の顔を見て、
「順一サン、やっぱメガネにしたんだ。いいじゃん、似合うよ。どう? もう肩こりなくなった?」
 当り障りのない話を始めた。
 そして、僕の頼んだマンハッタンが届いてから、煙草に火をつけるとおもむろに切り出した。
「なーんてサ、今日俺が呼び出した訳、バレてるよね」
「うん」
 わかっている。仁志のことじゃなくてなんだというんだ。
「俺もさ、大概お節介だって思うんだけど、アイツがへこんでるなんて珍しいだろ? ちょっと気になってさ」
「へこんでる?」
「ああ、ま、一見何も変わってないよ。でもね、それが怖いっていうか、フツーはキレるでしょ、アイツ。順一サンがドライブすっぽかした時みたいにサ。あれも大変だったけどね」
「…………」
 返す言葉がなく、マンハッタンのグラスを空ける。
「だから、それが変に静かなのは、そうとう落ち込んでいるんじゃないかと」
 正輝は、ふうっと紫煙を吐いて言った。
「なあ、何があったか知らないけど、許してやってよ」
「許す? 許すも許さないも、仁志は何も悪くないよ」
「へ?」
「悪いのは、僕だ」
「どういうコト?」
「……言えない」
 言えるか。僕が仁志の前で淫乱女みたいになるのがみっともなくて恥ずかしいから、触られるのが怖いなんて。
「……そうか」
 正輝は、うなずいた。
「言えないなら、無理に言うことないよ」
 空になったグラスを軽く掲げて、カウンターの中に声をかけた。
「マスター、おかわり、同じヤツ。あ、こっちの彼にも」
 二杯目のマンハッタンがきて、それから他愛無い話を重ねながら、またおかわりをして―――








「あれ?」
 気がついたら、ベッドの上にいた。自分の部屋じゃない。
「イタタ……」
 まだ朝じゃないだろう。会社は? 間に合うよな。
 痛む頭を押さえて半身を起こして、そこがどこだかわかった。
「あ…」
 仁志の寝室だ。カチャリとドアが開いて、部屋の主が現れた。僕が起きているのに気がついて、
「水、飲むか」
 バーカウンターの下の冷蔵庫を開いた。
「……うん」
 グラスに注がれたミネラルウォーターを口に含みながら、懸命に記憶を辿った。
(あっ)
 正輝に飲まされて、酔っ払って、最後は何だか全部しゃべらされていた気がする。
『なんだよ、結局ノロケられてんのね、俺』
 最後に聞いた言葉がよみがえった。


 両手でグラスを掴む。顔があげられない。


「ったく……やっぱりアンタ、酒はいるとヤバイよ」
 ベッドの端に腰掛けた仁志の声にそっと顔を上げてみると、正輝から聞いてしまったのだろう、ひどく珍しい照れくさそうな顔があった。






完 





70万ヒット記念突発連載『狼70』でした。
お題はほとんどキーワードくらいにしか使われなくなりましたが、ま、お許しください。
書いているうちに順一が、二十五にしちゃ幼いよ、おいおい、ってなってしまったのは、
やはり私が究極の若者スキーだからでしょう。やっぱ受けは可愛くないとね。
ちょっと勘違いしがちで、グルグル悩んでくれないとね。

というわけで、70万ヒットありがとうございました。また80万ヒットでお会いしましょう〜。この二人とね。
ちなみに最後に登場した謎の(笑)サラリーマンとカリスマバーテンダーは次回の伏線です。
と、自分の首をしめておく。

他の駄文もよろしく♪



お礼SSは、90のスタートにあたりアップしました。東京の雪の日。 短いです。

  




HOME

小説TOP

お礼SS