第二話 安田視点
「あっれえ、芦田、どうした?」 朝出社すると、俺の同期の芦田順一が見慣れないものを付けていた。 「お前、メガネしたっけ?」 「あ、いや」 書類を整えていた芦田は、俺の顔を見て恥ずかしそうにメガネを外した。 「ちょっと慣らしていこうかと思って」 「目、悪かったのか」 「うん、まあ」 芦田は、慌てたようにメガネをしまう。そのケースにブランドのロゴを見つけ、 「また高そうなメガネだな、買ったのか」 何の気なしに訊ねたら、 「あ、うん、買って……買った」 さっさと机の中にしまった。 「見せろよ」 「…………」 「別に恥ずかしがることないだろ、似合ってたよ」 芦田は大人しいから目立たないけれど、端正な顔をしている。メガネをかけると、清潔そうな雰囲気がより際立つから、うちの女の子たちも黙っていないだろう。 しかし、さっきのブランドは芦田の趣味とは遠い気もした。携帯電話を買いに行った時もそうだったけれど、芦田は実用的なものを好む。スーツもネクタイも、趣味は悪くないが派手なブランドのものは持っていなかった。のに―― 「あれ、このネクタイ、どうした?」 「えっ?」 芦田の胸元を飾っている薄いブルーのネクタイ。印象的な幾何学模様と光沢、新宿のデパートのマネキンがしていたのを覚えていた。シャネルだ。 「今年のだろ」 たしか三万くらいしたはずだ。 「あ、うん……」 芦田は落ち着かないそぶりで、隠すように喉元に手をやった。 「芦田がシャネルとは意外だな」 いつだったか、アルマーニの一万五千円のネクタイでも「高い」とか言っていたのに。 「うん」 芦田は少し赤くなった。 「あ、ひょっとして彼女からのプレゼントか」 「違うよ。いや、その、自分で買った」 「ふうん」 気がつけば手袋とか、マフラーとかも、いつの間にやら芦田らしからぬブランド物にすり変わっている。 何かあったのか。 まるで急に生活が派手になった女子高校生を心配するように、俺は芦田が気になった。なにしろ芦田は俺と同期だが、どうにも保護欲をかき立てる、言うならば『一億人の弟』タイプなのだ。俺には弟はいないが、芦田みたいな弟なら欲しかった。前にそう言ったら、芦田は嫌な顔をしたけれど。 「そう言えば町田の奴が、忘年会やれなかったから新年会したいって言ってんだけど、今週の金曜どうだ」 「え? あ、ゴメン、その日は都合が悪くて」 「そうか。じゃあ、その前日の木曜は?」 「今週は、夜、ずっと……」 「そっか」 「ゴメン」 ひどく申し訳なさそうな顔をする。 「いいさ、年明けは色々忙しいだろ。また来週にでも」 そう言ったとき、芦田がわずかに困ったように眉をひそめたので、俺はふと予感がした。 ひょっとして、芦田は、今週だけじゃなくて夜出られない理由(わけ)があるのだろうか。思えば年末あたりから急に付き合いが悪くなった気がする。俺がそう訊ねると、 「そういうわけじゃないんだ、ただ、ちょっと……」 ためらうそぶりで視線を泳がせて、 「そのうち、安田には話す、から」 小さく口ごもった。 「何だよ、気になるな。今、話せよ」 「いや」 「ひょっとして」 思い当たることがある。 「あの男が関係してるのか?」 印象的な男だった。 一度目に会ったのは、朝。出社してきた時、ビルの前で芦田をつかまえて獣じみた恐ろしい顔で何か言っていた。そういえば、あの時、芦田は泣いていた。二度目は夜だった。居酒屋で飲んでいて、呼び出された。その時は、俺はよくわからないまま芦田に追い返されたんだよなあ。 あいつは何なんだ。 「なあ、あの男は」 「ゴメン、安田。そのうち、必ず話す」 俺の言葉を遮るように芦田は立ち上がった。逃げるようにホワイトボードに行き先を書いて、そのまま部屋を飛び出して行く。残された俺は、なんともいえないモヤモヤッとした気持ちを抱えて、午前中の仕事をこなすはめになった。 「芦田さぁ、昨日の夜、なんかスゲエ派手な男と六本木ヒルズ歩いてたぜ」 金曜日、会社の近くの居酒屋で飲んでいたら、町田が言った。 「派手な男?」 すぐにあの狼みたいな男の姿が浮かんだ。 「偶然、目撃したんだけどな。背え高くて金髪で男のくせに毛皮なんか着て、派手な奴揃いの中でも目立って目立ってしょうがない、みたいなのと一緒だった。ありゃホストかなんかじゃねえの。普通じゃない感じだったよ」 「なんで、芦田がホストと一緒にいるんだよ」 「知るかよ、客……ってわけでもないよなぁ」 「どっちの客だよ」 芦田の語学教材の客なのか、それとも芦田が客なのか。 「どっちのって、芦田がホストの客ってのは変じゃねえか」 町田は眉をひそめて俺を見た。 「あ…」 俺は口もとを押さえた。 突然、芦田の身の回りに現れたブランド品の数々。夜は都合の悪いワケ。 「まさか」 「なんだよ、安田」 まさかとは思うが、確かめずにはいられない。 月曜日は営業職研修の日で、俺も芦田も研修会場から直帰だった。 「夕飯、食っていかないか」 さりげなく誘うと、 「ゴメン、今日は別の約束があって」 予想通り、芦田は断ってきた。 「そうか、じゃあまた明日な」 「ああ、お疲れさま」 片手を軽くあげて挨拶すると、芦田はいそいそとJRの改札に向かった。俺は、そっとその後ろを付けた。尾行なんて良くないとわかっちゃいるけれど、俺はどうしても芦田が心配だったのだ。 山手線のホームでどっちに行くのかと窺うと、芦田は新宿方面行きの電車に乗った。同じ車両の別のドアから乗って芦田の姿を盗み見る。ちょっとしたストーカー気分だ。 芦田は、ドアの窓ガラスに映る自分の姿を見て、ネクタイが曲がっているのをさりげなく直した。そんな仕草にも以前と違う芦田を感じる。 渋谷、原宿と、人が大勢出入りしたが、芦田はそのたび車外に出てはまた乗ってきた。俺はいちいち緊張しながら芦田の降りる駅を探った。 「新宿〜ぅ、新宿〜ぅぅぅ」 京王線、小田急線、都営線、地下鉄丸の内線はお乗換えです。 聞きなれたアナウンスに「あ、会社に戻って来ちまった」などと、うっかり考えている間に、芦田の姿を見失った。 (しまった) 慌てて飛び降りる。 ええい、どこに行った。キョロキョロと見渡すと、南口のエスカレーターを上る後ろ姿があった。 「いた」 帰宅ラッシュの混雑の中、他人(ひと)を押し退け、嫌な顔をされながら、芦田の後を追いかけた。 そして追いついたときには、芦田は駅前の喫茶店に入ってしまっていた。 どうする。追いかけて入ったら芦田に見つかるだろう。かといってこの寒いのにこのまま外で待っているわけにもいかない。芦田が中にいるのはわかっているが、誰と待ち合わせしているんだ。 (あの男なのか……) しばらく外で悩んだが、さすがに一月の路上は寒い。暖房の入った店の中で、熱いコーヒーが飲みたい。まあ、ここなら会社への帰り道だし、「直帰をやめて帰社することにした」のだと、それで「寒いからコーヒーでも飲もうと立ち寄った」のだと言えば、おかしくはないか。 言い訳を用意しつつ、俺は店のドアを開けた。順一はドアに背を向けて座っていたので俺には気づかなかった。その向いにやはりあの男がいた。そしてその隣には、 (ホスト?) こっちが町田の言った男らしい。金髪の、耳にはピアスを指には指輪をいくつも付けた、派手な格好の男がいた。目の色が変なのは気のせいか。 「だから、もう、嫌なんだ」 芦田の声。 「何がだよ」 「こういうブランド物とか、派手なのは似合わないって、前から言ってるだろ」 「似合うよ。似合ってる。なあ、正輝」 「ああ。いいじゃん、どぉおせ金のあり余っている奴が好きで貢いでくれてんだから、気にせずもらっておけってぇの、なあ、仁志」 金髪の男はニヤニヤ笑っている。仁志と呼ばれた例の男は、眉間にしわを寄せてそれを睨んだ。二人ともどこか良く似た雰囲気をまとっている。水商売に共通する雰囲気か。 「とにかく、こんなことは」 芦田の声が途切れた。芦田の前に座っていた男たちが、俺に気がついて同時に視線を動かしたからだ。芦田も振り返って、俺を見て目を瞠った。 「安、田……?」 声が動揺している。俺はカッと来て、芦田の腕をつかんだ。 「来い」 「え、安田?」 驚く芦田の腕を引っ張って、有無を言わせず店から連れ出した。 「な、何」 「いいから」 俺の予感は当たっていた。 (やっぱり、そうだったのか) 「安田、待て、離してくれ、安田っ」 懸命に俺の手を離そうとするが、悪いが力じゃ俺のほうが格段に上だ。R大学柔道部で鍛えた握力。そうそう振り払えるものか。 そうして、ずいぶん歩いたところで俺は振り返って、芦田の肩をグッとつかんだ。 「イタッ」 芦田が顔を歪める。 「何で、俺に相談しなかった」 「え?」 「金が必要だったのか」 「安田?」 「ホストの仕事なんかするな。お前には、似合わない」 「…………」 金の余っている奴から貢いでもらって――なんて。俺の知っている芦田じゃない。 「お前も、嫌なんだろう? だからさっき『もう辞めたい』って言ってたんだよな」 「…………」 「おい、その手を離せ」 俺の背中から声がした。振り返ると、あの男、仁志、が凶悪な顔をして立っていた。 (お前が、芦田を引っ張ったんだな) 「順一、来い」 男が呼ぶ。芦田はビクッとして、そっちに行こうとした。 「ダメだ」 俺は、芦田を背中に庇った。 「お前らに芦田は渡せない」 「何だと?」 「や、安田」 「もうお前らとは縁を切らせる。二度と芦田にちょっかいを出すな」 よくみりゃ二人とも若造じゃないか。そういや、最近のホストはハタチそこそこの野郎が多いらしい。ガキのくせして、芦田みたいな真面目な男を食いモノにするなんて、どういう了見だ。 仁志というのが一歩前に出た。毛皮を肩に羽織った金髪正輝のほうは、その後ろで、笑いをこらえるような顔をしている。俺は殴り合い覚悟で身構えた。 「ま、待ってくれ、安田」 芦田が俺の肩をつかんだ。 「心配するな、お前のことは、俺が守ってやる」 そう、このとき俺は、まだ正月の酒が残っていたのか、恥ずかしいほどのヒーロー気分に酔っていた。芦田を救うのは俺しかいないと。 そしてその昂揚した気持ちは、芦田の次の一言でいっぺんに萎んだ。 「違う、安田、勘違いだ」 「へ?」 「彼らは、ホストじゃないし、僕も違う」 「え? じゃあ、何だ。っていうか、お前とどういう関係なんだよ」 「安田、誰にも言わないで欲しいんだけれど」 芦田は一瞬唇をかんで、一息に言った。 「僕の恋人なんだ」 なんですと? 意味がわからず、聞き返した。 「何度も言わせるなよ」 芦田はネオンの灯りの下でもわかるほど、顔を赤くした。 「付き合っているんだ、僕たち」 ポカンと開けた俺の口からヒュルヒュルと魂が抜け出てしまった気がした。 嫌だと言っていたのは、年下の彼からのプレゼント攻撃らしい。 そういや、そんな話を相談されていたっけか。いとこの話とか言ってたけどさ。 ていうか、芦田、お前、男と付き合ってるのか。 「安田にだけは、本当のことを言おうと思っていたんだ。でも、なかなか言い出せなくて」 そりゃ、そうだろう。 「ひとにしゃべるような奴じゃないってわかってたけど」 ああ、そういわれたら、誰にもしゃべりませんよ。墓まで持ってく秘密にしましょう。 「でも、ありがとう」 「え?」 芦田は俺を見て、照れくさそうに笑った。 「さっきの安田、カッコよかったよ」 「芦田……」 「おい、もういいだろう」 痺れを切らしたあの男――芦田の恋人、仁志――が、こっちを睨んでいる。 俺たちは風を避けて、近くにあったホテルのロビーで話をしていた。 「ああ、もういいよ」 芦田は仁志に笑いかけて、そして小声で言った。 「なんか知らないけど、安田と一緒だと妬くんだよ。だから、一緒に飲みに行くとかも言えなくて、出来なかった。でも、もうちゃんと話したから」 安心してくれると思う。と芦田は言った。 「新年会、やろうな」 晴れやかに笑って、芦田は去っていった。 ロビーを出るとき、仁志はさりげなく芦田をエスコートして、これもプレゼントなのだろうか、この間と違う高そうなコートを芦田の肩に羽織らせた。 |
HOME |
小説TOP |
NEXT |