シャワーを浴びて着替え終わったらもう真昼に近かったので、食事の前にチェックアウトをした。その時ひと悶着あった。昨夜は酔っぱらっていてうっかりしていたが、ホテル代を全額学生のマサキに払わせていたのだ。 「払うよ」 「いいよ」 「払う。僕の方が年上なんだし」 そう言うと、マサキがクスリと笑った。 「なんだよ、そうだろ」 僕は一応年上で、しかも、働いている。 「ハイハイ。でも本当にいいから。誘ったのは俺だし」 (誘ったとか、言うな) 顔に血が上る。 「で、そこまで言うなら、次は、順一が出してくれればいい」 (次とか、言うなよ) 恥ずかしさに目を伏せると 「そんな顔して、年上だとか言うんだからな」 耳元でマサキがささやいた。 「カワイイ」 唇が触れた耳を押さえて、僕はその場から早足で逃げた。 「待てよ、メシ食うんだろ」 ホテルのレストランは何となく落ち着かないので、チェックアウトもしたことだし、駅に戻る途中のイタリアンに入った。食後のコーヒータイム、マサキはポケットからタバコを取り出した。 「吸う?」 聞かれて、首を振る。タバコは吸わない、というより吸えない。大学生の頃ためしに吸ったことはあるけれど、おいしいと思ったことは一度も無かった。 マサキは、灰皿を引き寄せると、僕のほうに煙が来ないように気を配った。 「順一、携帯の番号教えて」 マサキに言われて、僕は素直に自分の携帯を取り出した。 「僕から掛けるから、番号言って」 昨日ユーザー画面で見たけれど、さすがに全部は覚えていない。 マサキは、タバコを吸いながら、スラスラと番号を言った。 (あれ?) ボタンを押す手が止まった。 「それって、昨日の携帯じゃない?」 尋ねると、マサキは驚いたように目を見開いた。 「よくわかったな」 「あ、ゴメン、ユーザー画面見て」 「番号覚えてたのか」 「違うよ、ただ最後の四桁がなんとなく頭に残ってて」 「すごい記憶力」 「誕生日に近かったんだよ」 「誰の?」 「うちの親の。って、ひょっとして話をそらしているのか? なあ、さっきの番号って 」 マサキは、ポケットからメタリックブルーの携帯を出して、 「こっちはプライベート用」 ニッと笑った。 「二つ持っているのか」 「まあね」 こっちはプライベート用-――それじゃあ、僕が拾った携帯は? あの着信履歴の女性たちは何なんだろう。 「それより、ほら」 「あ、うん」 促されてもう一度ボタンを押した。 マサキの手の中のブルーの携帯が震える。マサキは器用にそれを登録すると、 「俺のも登録しろよ」 「うん」 「電話するから」 目を細めて、タバコの煙を薄く吐き出した。 そう言われたものの、本当にマサキから電話がかかってきたときには慌ててしまった。 正直、あれっきりかもしれないと思っていたのだ。あまりに突然の出来事で、二、三日もたつと現実味がなくなってきていた。まあ、このまま連絡が無いならそれでもいい――そう考えた。とても自分から電話などできなかった。 それが、水曜の昼、安田と一緒に昼飯を食べに行こうと立ち上がったときに携帯が鳴った。 「あっ」 液晶に現れた『藤嶋正輝』の文字に、思わず声を出してしまった。隣に立つ安田が、何事かと振り返る。僕は「ゴメン」と片手を上げてオフィスを出ると、窓を求めて廊下の端に寄った。 「もしもし」 「順一?」 少しかすれた低声は、間違いなく彼だ。 「今日の夜、空いてる?」 「あ、何時? 夕方五時半にアポイントが入っているから、それが終わってからなら」 「何時に終わるんだよ。場所は?」 「四ツ谷だけど、何時に終わるかは……でも一時間もかからないと思う。たぶん」 それ以上話が延びそうになったら、切り上げようとまで考えた。 「じゃあ、七時に新宿。こないだの喫茶店で待ってる」 「オーキッズだね。わかった」 携帯を閉じると、ドキドキしてきた。 「なんだよ、デートの約束か」 いつから見ていたのか、安田が廊下の壁に背中を預けてニヤニヤ笑っている。 「芦田くんにも、いよいよ春が来たか」 「違うよ」 そんなんじゃない、と言いながら、自分の頬が緩むのを感じた。 やっぱり、僕はマサキからの電話を待っていたらしい。 「ゴメン」 切り上げるつもりだったがそうも行かず、待ち合わせの時間に三十分遅れた。四ツ谷を出るときに電話は入れていたのだけれど。 黙ってタバコを吸っているマサキが、一見不機嫌そうで、聞かれてもいない言い訳をする。 「なかなか話しが途切れなくて。初訪の人で熱心に聞いてくれたから、あんまり無下にもできなくなって」 「何、そんなに慌ててんの」 タバコの火を灰皿に押し付けて、マサキは可笑しそうに唇の端をあげた。 「いや……」 あせっている自分が、ひどくみっともない気がして、黙った。 「座れば? それとも、もうそのまま行くか?」 行くと聞かれて、首をひねると、 「ホテル」 マサキは、獣の顔で笑った。 「んっ、あっ……まっ、待って」 僕はマサキの肩にすがり付いて、荒れ狂う快感の波を静めようとした。もう二回もイかされているのに、僕の雄は浅ましく形を成して再び弾けようとしている。 「我慢するなよ」 マサキの舌が耳を弄る。 「嫌だ」 自分だけが、翻弄されている。マサキはまだ一度もイッていないというのに。 マサキの指が、胸の突起を押しつぶす。 「んっ…」 唇をかむと、 「声出せよ」 マサキのもう片方の手が、僕の唇をこじ開けた。 「アンタの声が聞きたい」 耳元でささやかれる。 「初めて聞いた時から、そそられたんだ」 「あ……あ」 「なあ、声出せって」 マサキの舌が耳の穴まで愛撫する。その間も、胸の尖りは痛いほどにつねられ、擦りあげられ、 「あ…ダメ…いくっ」 僕は、マサキの肩口に顔を押し当てた。 「声、出さないなら……」 マサキは、僕の中からズルリと抜け出した。 「あっ」 喪失感にうろたえると、マサキはニッと笑って身体をずらした。 (なに……?) よくわからず身体を起こしかけたけれど、次の瞬間 「ひっ」 悲鳴をあげた。 僕の竿の根元を固く握り締め、その先をマサキがすっぽりと口に含んでいた。 「やっ、やめ…んっ、あ」 フェラチオと言う言葉は知っていても、されたのは初めてだった。 「や、っ……きたな、っん……あっ」 熱く湿った口腔の中で、マサキの舌が丁寧にくびれをなぞっていく。 「ああぁっ」 生まれて初めての刺激に、身体がブルブルと震えた。 爆発しそうなのに、根元はマサキが固くいましめている。 「ひっ、や、やめっ、ダメ、もう…あ…助け、て……」 「いいぜ、もっとないてくれよ。その、イイ声で」 唇を離してマサキが笑う。舌先が先端の割れ目をくすぐる。 「ああ…っ、あっ、あっ」 そして僕は、マサキの望むままに淫らな声をあげ恥ずかしい言葉を繰り返し、何度目だかわからない射精の後、いつのまにか気を失っていた。 それから三日と空けずマサキと会った。会えば必ずセックスをした。 毎回ホテルじゃお金が持たないからと、僕は自分のアパートに行かないかと誘ったが、最寄り駅を言うと 「西の果てだな」 一蹴されてしまった。 「金なら、心配すること無い」 マサキは、学生とは思えないくらい羽振りがよかった。平日の夜は抱き合うためだけに会っているようなものだったが、週末にはデートらしいこともした。その時、僕が払うと言っても、 「持ってるほうが払えばいいんだよ」 映画代も食事代も、大概、マサキが出した。 「なんで学生のクセにそんなにお金があるんだ。親のお金ならそんな使いかたするのは」 つい説教くさいことを言うと、 「俺の金だよ」 マサキはあっけらかんと応えた。 「たぶん、順一より持ってるし、稼いでる」 僕を見ていたずらっぽく目を細める。僕はあのオレンジ色の携帯を思い出した。プライベートじゃないという。次々に掛かってくる女の子たちからの電話。 「マサキ、まさか、変な仕事なんかしてないよね」 風俗――という言葉が浮かんだ。 「変?」 聞き返されたけれど、口には出せなかった。唇を噛むと、 「何考えてんだよ」 顎をつかまれた。上向きにされて、顔を覗き込まれる。 「変なこと考えんなよ」 「へ、変って……」 「アンタが言ったんだろ、変なことって」 通り過ぎる人が振り返る。ただでさえ目立つマサキなのに。 「ゴメン」 離してほしくて謝ると、顎をつかんでいたマサキの親指が、僕の唇を拭うようにこすった。 「んっ」 「そんな怯えた顔するなよ。ホントそそる男だよな」 「な……」 「さ、行こ。俺、もう我慢限界」 (マサキ……) 何だかまた誤魔化されたような気がしたけれど、もうそれ以上聞けなかった。 そう、僕はマサキにつかまっていた。 嫌われるのが怖かった。 マサキと会ってわずか一ヶ月で、この危険な獣に夢中になっていた。 |
HOME |
小説TOP |
NEXT |