好きな曲と言われ、酔っ払った頭で考えて、最近はまっているポルノグラフティの曲を入れた。僕が歌い始めると、マサキは座ったままの長い足で軽快にリズムをとった。たぶん踊らせてもうまいのだろう。残念ながら、この、彼には狭すぎるカラオケボックスの中では、見ることはできないが。
 歌が終わると、画面は次の曲にいかずに最新のヒットチャートの案内をはじめた。
「藤嶋くんは入れてないの」
「聴き惚れてました。ホント、いい声ですね」
「そ…んなこと」
 照れくさくて、憮然としてしまう。
「ありますよ。それよりクンなんて付けなくていいです。藤嶋って呼び捨てにしてください」
「だって、藤嶋くんも敬語使ってるじゃないか」
 内心ではとっくにマサキと呼び捨てにしていたが、面と向かってはとても言えない。
「それは、芦田さんは年上だから。やっぱ、年長者は敬わないとね」
「どうせオヤジだよ。四捨五入したら三十だし」
 たいした冗談じゃないのに、マサキは大きく吹き出した。
「そんなに受ける?」
「ウケけますよ。芦田さんからオヤジなんて言葉が出たらね」
 マサキは笑いながらグラスに手を伸ばした。結局、彼はまだビールを飲んでいる。ウーロン茶にしたのは僕だけだ。
「芦田さん、まだうち(大学)の一年だって言っても通じますよ」
「そんなわけ無いだろ」
 大げさに呆れてのけぞって、マイクを突きつけた。
「ほら、曲、途切れてる。何か入れろよ」
 年上と言われてしまったので、つい態度もそれなりに変わってしまう。学生のマサキから見れば僕は、歳は四つ、学年は三つ上の大先輩だ。
 マサキは笑いながら、リモコンを操作する。
「芦田さんは、次どれ? 一緒に入れますよ」
「僕は今歌っただろ」
「二人しかいないんだから、すぐ回ってきますよ」
 僕は慌てて、歌える曲を探した。

 ウーロン茶のおかげで身体の中のアルコール度数は下がったような気がするけれど、相変わらず頬は火照ったままだし、身体は熱い。理由はわかっている。マサキの歌を聴いているからだ。
(かっこいいなぁ)
 低音のハスキーボイスは何を歌ってもうまかった。選ぶ曲も、ほとんどヒットソングだから当然かもしれないが、僕の好きな曲ばかりだった。
 耳に届く歌声にウットリしながら、僕はしばしば、端正な横顔に見惚れた。僕が見惚れていることに、マサキは気づいているかもしれない。 それでも、目が離せない。
「はい、次は芦田さん」
 マサキが振り返る。
「入れてない?」
「あ、うん」
 見惚れていたと、さっきのマサキのようにサラリと言えたらいいけれど。
「じゃあ、入れますから、選んでください」
「僕はもういいよ……」
「飽きた?」
「そうじゃなくて……君の歌を聞いていたい」
 本心だけれど、どう聞こえただろう。聞きようによっては何だかアヤシイ。
 気にして見ると、マサキは唇の片端を上げて薄く笑った。
「じゃあ、何を歌いましょうか。リクエストありますか」
「……それじゃあ、ポルノの『狼』……」
 それは最初に僕が歌った曲だ。マサキが、訊ねるように軽く目を瞠る。
「好きなんだ……その曲」
「オッケー」


 男なんてララララ  信じない方がいい
 君が振り向くなら  どんな嘘でもつこう


 クラクラする。
 アップテンポな曲、マサキの声、印象的なフレーズ。飲んでいるのはウーロン茶だというのに、酔ったように身体が揺れる。

 マサキが身体を寄せてきた。
 歌いながら、僕の目を見つめた。


 君がいけないよ  ケモノのハートのドア
 そんな乱暴に  叩いてしまうから




 震える低音が甘く耳を掠める。マサキから目が離せない。


 問い詰めておくれ  なじってくれてもいい
 声をきかせてよ  よこしまな僕に



 間奏になって、マイクを置いたマサキが、ゆっくりと顔を近づけてきた。
 僕は動けない。
 端正な顔が、目の前に迫る。マサキの手のひらが僕の熱い頬を包む。
「あ……」
 歌われない詩(うた)の続きが、頭をよぎった。


 唇が憧れた 煌めく くちづけ

(狼……)
 獣の腕に抱かれて、唇を貪られた。


 熟した果実から、むせかえる芳香りに Love was born




 それから、どうやってここに来たのか覚えていない。いったい、どんな顔をして、カラオケボックスを出たのか。熱に浮かされて――自分が自分でなくなったような、現実とは思えない時間を経て――ここにいる。ロビーだけは何度も利用したことのある西新宿のシティホテル。マサキは慣れた様子でチェックインを済ませた。

 灯りを落とした部屋の、真新しいシーツの匂い。
「順一」
 耳元でささやかれた名前が自分のものだとも思えない。
「かわいい」
 吐息とともに、唇が重なった。

「んっ……」
 熱い。滑り込んできた舌が熱い。
 胸を這う指先から伝わる熱が。
 身体中が熱い。

 初対面だとか。初体験だとか。モラルとか。羞恥とか。
 色々な言葉の断片が頭の隅をよぎったけれど、全部その熱に飲まれていってしまった。
  

「ふ……あ、マサ…キ…ッ」
 マサキの指が後ろを探る。手際よく取り出したチューブから、ゼリーのようなものを塗りこまれた。どうしてマサキがそんなものを用意しているのかなんて考える余裕など無かった。
「あ、やっ」
「チカラ抜いて」
 マサキの指はためらわなかった。強引に後ろをこじ開ける。潤滑剤が無ければ相当痛かっただろう。けれども手馴れた指先は、痛みでなく別の感覚を引き起こす。
「熱いな」
 耳元でささやかれて、背中がのけぞった。
「指が溶けそうだ」
「あ……んんっ」
 増やされた指の形を、内壁で感じる。
「あっ、そこ…ッ」
 僕は、思わずマサキの肩に爪を立てた。
 話には聞いていた前立腺。マサキの指は的確にポイントをついてくる。
「だ、だめ、出る……っ」
 想像していた以上の強い刺激に、僕の先はドクドクと先走りの液をあふれさせた。
「一回、出しちまえ」
 耳たぶを甘噛みされてささやかれたら、もう耐えられなかった。
「うっ」
 全身を震わせ、精を放つ。
「は…ぁ……」
 自分の出したものがマサキの腹を汚しているのを見て、僕は泣きたい気持ちになった。
「なんて顔してる」
 マサキは、それこそ精悍な狼のような顔でニヤリと笑って、僕に圧し掛かってきた。
「あっ」
 片足の膝の裏に手を入れられて、高く持ち上げられた。
「今度は、俺の番だ」
「やっ」
 もう一方の足にも手がかかって、恥ずかしい格好に悲鳴をあげた。
「大丈夫、もう、十分解れてるから」
 熱い楔が後ろに打たれ、そのまま一気に貫かれた。
「あぁ…………っ」
 悲鳴をあげたつもりが、声すら出なかった。指とは比べ物にならない大きさ。内臓が下から押し上げられる不快感。何かが喉元にせり上がってくる。
(苦しい……)
 涙が両方のこめかみを伝わった。
「くっ」
 マサキも苦しそうに顔をゆがめた。
「キツイな。動けない。チカラ抜いてくれよ」
 汗をにじませ苦笑いするマサキは、美しかった。こんなきれいな男を生まれてはじめてみたと思った。
 また新しい涙があふれた。マサキの顔が滲んでかすむのが残念だ。
「苦しい?」
 マサキが親指でそっと僕の涙をぬぐった。
「くる、しい……」
 そう応えていた。

 苦しい――胸が。


「ゴメン、でも……俺も、限界」
 マサキの腰が動き出す。
「あっ、あっ、あっ」
 動きに合わせて間断なく声が漏れる。
 そのうちまた身体中が熱を孕む。
 次第に何も考えられなくなる。
 両腕を、縋るようにたくましい首に巻きつけた。
 狂おしい熱に翻弄されて、僕はあっけなく理性を手放した。



 



* * *

 
 いったいどれくらい眠っていたのだろう。気がつくと、半分開いたカーテンから明るい日差しが差し込んでいた。
 そっと目を動かすと、裸にバスローブを羽織っただけのマサキが、椅子にもたれて何か考えるように目を伏せ、紫煙を燻らせていた。
(タバコ、そういえば、昨日は吸ってなかったな……)
 シャワーを浴びたばかりなのだろう。濡れた髪がオールバックに撫で付けられている。その髪型は端正な顔をよりシャープに際立たせていた。ぼんやり見惚れていると、視線に気がついたのかマサキが目を上げて僕を見た。
「起きたのか」
「うん」
 気恥ずかしさに目をそらすと、マサキが近づいてきた。
「大丈夫か……身体」
「あ、ああ、大丈夫」
 今さらながら、四つも年下の男に抱かれてあられもない声をあげていたことを思い出して顔が熱くなった。それを勘違いしたのか
「熱があるのか」
 マサキは、心配そうに額に手を当ててきた。
「違うよ」
 心配させないように身体を起こす。全身がだるく鈍い痛みはあるけれど、我慢できないほどじゃない。話では、初めての翌日は起き上がれないほど辛いと聞いていたけれど。   
 やはりマサキが慣れていたからだろうか。
 そう考えると胸が痛んだ。マサキは、ほかの誰かともこういうことをしているのだ。相手は女だけじゃなくて。
「どうした?」
「なんでも」
 自分の乙女チックな考えに苦笑する。
(いい年して、男が何を考えてるんだ)
 僕が起きたので、マサキはホッとしたようだった。
「起きれるんなら、メシ行かないか。腹へって」
「そうだね。シャワー浴びてくるよ」
 マサキが差し出してくれたバスローブに袖を通しながら、ふと気がついた。
「マサキ、敬語、消えてる」
「あれ、そう?」
 とぼけた返事にクスクス笑いながらバスルームのドアを開け、そして自分も「マサキ」と呼んでいることに気がついた。

 マサキ――四つも年下の、大学生。

(なるようにしかならない……)
 いつのまにか座右の銘のようになってしまったそれを、心の中でつぶやいた。
 考えても仕方ない。マサキと寝てしまったのは事実だし。
「なるようになる」
 シャワーの栓をひねりながら、小さく声に出して言ってみた。熱いお湯が身体をたたく。


 なるようになる。なるようにしかならない。
 本当にそう考えている人は、そんな言葉をわざわざ座右の銘にはしないだろう。
 人一倍くよくよと考える性格だからこそ、常に自分にそう言い聞かせないといけないのだ。
 このときすでに僕は、マサキのことで、いつか悩み苦しむだろうということを予感していた。






          


           今回、ポルノグラフィティーの『狼』から歌詞を引用させていただいています。色の薄い文字がそうです。
           当然ながら、無許可です(笑)個人の趣味のサイトなので許してください。


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