「じゃあ、改めまして、藤嶋正輝です」 落ち着かない僕とは対照的にマサキは堂々と挨拶すると、僕の名前も尋ねてきた。 「芦田です」 思わずいつもの癖で、腰を浮かせて名刺を出してしまった。 「あ、すみません。俺、学生なんで名刺無いんですよ」 「ええっ?」 自分より年下というのに驚いた。 「老けて見えますよね」 マサキは苦笑した。 「あ、いや、そんなこと無いです。すみません……」 露骨に驚いたことを反省していると、 「芦田さんは俺より年上でしょう。そんな敬語使わないでくださいよ。ちなみに、おいくつなんですか」 いきなり歳を尋ねられた。 「二十五ですが」 「へえ、四つも上なんだ。じゃあ入社して三年目ですか」 僕の渡した名刺をしげしげと眺める。 「いえ、二年目です。一浪しているので」 って、何でそこまで話す必要があるんだ、自分。 「大学はどちらなんですか」 「ワセダです」 最近は評判落ちまくりだけれど知名度だけはある大学でよかった、とか思ってしまう僕は小市民だ。 「ほんと、俺もですよ」 マサキが身体を乗り出した。 「えっ?」 「学部は? あ、俺は商学部ですけど」 「僕は教育」 「それじゃ、三年前、どっかですれ違っていたかもしれませんね」 営業をやっていてもしばしば感じたことだが、大学が同じというだけでどうしてこうも親近感が増すのだろう。思わぬ偶然に、僕とマサキは突然うちとけて、会話がはずんだ。 大学の話題でひとしきり盛り上がった後、 「しかし、偶然だな。大学の先輩に拾ってもらえるなんて」 マサキはオレンジ色の携帯を手の中で転がした。筋張った大きな手に思わず見惚れて、そんな自分に気づいて焦った。 焦りをごまかすように口を開く。 「それ、新しい機種だよね、買って間もないんだろ」 「ええ、まあ」 「買ってすぐ無くしたらショックだよね」 「いや、別に、携帯自体はいいんでしょうけどね、ほら、これ無くすと中のアドレスとか全部なくなるでしょう。それが困るんですよ」 それは、朝僕が心配した通りの答えだったので、なんだか嬉しくなった。お役に立ててよかったという気持ち。 マサキがそんな僕をじっと見た。 「な、なに?」 「あ、いや、いい笑顔だと思って」 「へっ」 僕はどうも笑っていたらしい。しかし、いい笑顔っていうのは何だ。 こんな台詞をサラリといえるマサキは、やっぱりモテモテのタラシなのか。 「芦田さん、このあと時間あるなら、場所変えませんか」 腕の時計を見ながら、マサキが言った。 「この近くに、うまいベトナム料理の店があるんです。芦田さん、エスニック大丈夫ですか?」 「あ…うん」 それこそ引き込まれるような「いい」笑顔に、思わずうなずく。 「じゃあ行きましょう。そこ、七時過ぎると混むんですよ。もうチョイ過ぎてるけど、今日は土曜だから入れると思う」 マサキは伝票をつかむと、さっと立ち上がった。 「あ、払うよ」 僕の分まで支払いをしているので、慌てて財布を出したら、 「ここは、携帯のお礼におごらせてください」 サラリと断られた。 「次の店は、割り勘で」 「それじゃあ……そうさせてもらおうかな」 年下にご馳走になるというのは気が引けたけれど、お礼というなら気持ち良くおごってもらおう。次の店で多めに払えばいい。 「芦田さん、酒は飲むほうですか?」 「んー、まあ、それなりに」 「よかった。そういう返事ならかなりイケますね」 店を出て並んで歩くとマサキの長身が実感できた。僕も172なら決して小さいはうではないと思うが、マサキはそれより頭半分大きい。80以上あるな。すれ違う女性が全員といっていいくらいこっちを見る。マサキは、慣れているのだろう、視線をものともせずに飄々と歩く。 「ここのとこ、急に秋っぽくなりましたね」 「あ、ああ、台風が過ぎてから、いきなり寒くなったよね」 「あっ、寒いですか。風強いですよね」 言いながらマサキが反対側に身体を滑らせたのは、ビル風から僕を庇ったのだと気がついて、心臓が高鳴った。 (マズイ……) 「いや、寒くないよ、大丈夫」 「芦田さん細いから、吹き飛ばされそう」 冗談ぽく肩に手が回って、ますます心臓が暴れる。 「いくらなんでも、飛ばされはしないよ」 やんわりとその腕をすり抜けて、僕は赤くなったかもしれない顔を見られないようにうつむいた。 僕が自分の性癖に気づいたのは中学のときだ。初恋の相手がクラブの先輩だった。クラブは男子テニス部。先輩は男だった。もちろん誰にも知られること無くその恋は終わったけれど、自分が男を好きになるような人間だと知って、中学時代の僕はかなり暗かった。あの頃の友人たちは、僕が今営業の仕事をしていると聞いたらさぞ驚くだろう。 高校、大学と友人関係が広く浅くなるにつけ、僕自身考え方も大人になったのだろう、カムアウトこそしたことは無いが、自分の性癖については悩まないようになった。 なるようになる――考えてもしかたないというのが結論。昔は、まともに結婚もできないだろう自分を人生の落ちこぼれのように感じたけれど、同性愛者じゃなくても結婚していない人間は大勢いるという現実に気がついて楽になった。 ただこの歳で恋人と呼べる人が誰もいないというのだけは、寂しいと思うときもあった。 寂しいと思っても、どうにもならない――。 だからマズイのだ。 「あ、あの店ですよ」 僕の隣に立つ四つも年下のこの男は、正直、好みのタイプだ。 「入れるかどうか見てきますね」 階段を、二段飛ばしで楽々駆け上がる。その後姿を見ながら、 (絶対に好きになっちゃ、ダメだから) 僕は自分に言い聞かせた。 好きになっても、絶対に報われないのだから。 「カンパーイ」 とりあえず最初はビールということで、ベトナム産ビールを頼んだ。 サイゴンスペシャルとか仰々しい名前のわりにアルコール度数は高くなく、グイグイ飲めた。 「次は、ダラットの白ワインにしましょう」 ベトナムらしいちょっとクセのある魚料理に合わせて選んだワインも飲み易くおいしい。 「ここ値段のわりにいけるでしょう」 「うん、おいしいね」 ライスペーパーに意外に器用に野菜や魚を包んでタレを絡ませると、マサキは大きく口を開けた。途中で噛み切るなんてことはしないで、いっぺんに全部口入れる。食べっぷりも豪快だ。指先についたタレを舌で舐めとる様子にドキリとする。 (だから、ダメだってば) 昔から、こういうちょっと野生的なのに弱い。僕は、気持ちを静めるためにワインをガブッと飲んだ。 「俺、こういう味好きで、うちにニョクナム置いてあるんですよ」 「へえ、自分で作るの」 「作りますよ」 と言われても、この大きな男が台所に立っている姿など想像できない。それよりも、エプロンをつけたかわいい女の子が甲斐甲斐しく作っているのを、タバコふかして待っているほうがお似合いだ。 自分の想像にズキンとした。 そうだ。モテモテマサキには、両手でも足りないほどのガールフレンドがいるんだ。 そこで、携帯の着信履歴を思い出して、 「あっ」 思わず声を出した。 「何?」 マサキが、ワイングラスを口許に運びかけた手を止める。 「朝、僕が電話した人」 「……」 「確か、藤嶋って」 マサキと同じ名字だということに、今の今まで気がつかなかった。 「ああ、いとこなんですよ」 「いとこ」 それで姓が同じだったのか。 「ええ、同い歳の」 「あの、怒ってなかったかな」 「えっ? 何で」 「いや、朝早くから起こして、その、ちょっと」 声が、尖っていた。ちょっとじゃなく、かなり。 「寝起き悪いんですよ、アイツ」 マサキは笑った。 「悪いヤツじゃありませんから」 「ああ、もちろん」 僕は、誤解されないように言った。 「朝っぱらから僕のあやしい電話で起こされたのに、ちゃんと受けて、君にも伝えてくれたんだろう。おかげでこうして君と知り合うこともできたし」 彼のおかげだ、と続けそうになってハッとした。 (何言ってるんだ) 急に顔が熱くなる。ワイン、飲みすぎてしまったか。 「確かに」 神妙な顔で、マサキがうなずく。 「アイツが取りに行かせるって言わなかったら、こうして芦田さんと知り合えなかったわけだ」 持っていたワイングラスを掲げて、 「藤嶋仁志の機転に乾杯」 陽気な声を出した。マサキも酔っ払っているんだろうか。 その後、少し軽い酒にしようとカクテルに変えたのだが、そのベースになったのが『ルアモイ』――うるち米から作られた、アルコール度数45%もある酒だなんて、僕は知らなかった。 「大丈夫ですか?」 「大丈夫、大丈夫」 と言いながらも、足元がおぼつかない。階段は、ほとんど抱きかかえられて降りた。 顔だけじゃなくて、身体中が熱い。 「少し休んでいきますか? まだ時間あるし、サテンとか」 「ううん、風に当たったらすっきりした。ホント大丈夫」 まだフラフラはするけれど、火照った頬に風が気持ち良かった。 「平気ですか。気持ち悪く無い?」 「うん」 「じゃあ、カラオケ行きましょう」 「はあっ?」 何でそうなる。 「芦田さんの歌う声、聞いてみたいんですよ」 「なんで?」 よくわからないが、酔っ払った頭には、まだもう少しマサキと一緒にいたいという思いもあった。 「歌いながらウーロン茶でも飲んで、酒を抜きましょう」 すぐ近くでマサキの声がする。低音の渋い声だ。僕もマサキの歌を聴いてみたくなった。 「……そうするかな」 「決まり」 僕はさっきからずっと、肩を抱かれるようにしてマサキに支えられている。通り過ぎる人にはただの酔っ払いにしか見えないだろう。 僕の顔が赤いのも、酒のせいだ。 頭ではイケナイと思いながら身体を離すことが出来ないのも、酒のせいなんだ。 |
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