タイトル「三日間」 100万ヒット企画SS

 四月二日
 
 入学式の翌日。今日から僕の大学生活が始まるのだと思うと、身体の中からワクワクとした気持ちが湧いてくる。あ、ワクワクが湧く。これって洒落にならないかな。ならないか、つまんないもんな。実は中学のとき、ちょっとだけ「お笑い」目指したこともあるんだけど、お前のネタはただのオヤジギャグだってみんな冷たかった。まあそんなことはどうでもいいとして、これからオリエンテーションだ。同じクラスの仲間――に、なるんだかどうだか――とも初顔合わせ。
(ああ、どんな出会いが待っているんだろう)
と、僕は、教室の入り口でしばし佇んだ。
「うっ」
「きゃっ」
 甲高い声を上げたのは、二人組の女の子の片割れだ。ちなみに最初の「うっ」は僕だ。背中に思い切りぶつかられたのだ。
「やぁだあ、ごめんなさぁい。よそ見しててぇ」
 どっか悪いの?――と尋ねたくなるような、舌足らずで語尾の伸びきったしゃべり方。僕を見て、そのまま品定めするように上から下まで舐めるように見て、
「ふっ」
 鼻から息を漏らして、その女は教室の中に入っていった。
 もう片方も蔑むように僕を見て、その後に続く。
(な、なんだ? なんなんだ! あいつら)
 二人して、明るく染めた髪の毛を内巻きにして前にたらして、四月だというのにやたら薄いヒラヒラの服を着ている。10cmもありそうなかかと(ヒールのことだ)を糸ノコで切ってやりたい衝動に駆られる。
(どうせ僕がカッコよくないから、甘えた声出しただけ損だって思ったんだろっ)
 カッコよくないって自覚するのも情けないけれど、昔から、平凡な顔だとか、これといって特徴のない顔だとか、しいて言えば某ラッコ漫画のシマリスに似ているとか、ろくなことを言われない。
 スタートから不愉快な出来事に眉間にしわを寄せながら、僕は自分の席を探した。と言っても、席が決まっているわけじゃない。この場合は、どこに座るか考えたというだけだ。ふと見ればぽっかり空いている場所があって、僕はそこに腰掛けた。本当は誰か適当なヤツの近くに座って、そいつと初友達にでもなるつもりだったけど、今の出来事でそんな気分じゃなくなったのだ。
 そして、落ち着いてみたら、ぽっかり空いていたと思った席に一人座っている男がいた。その男は、僕以上に不機嫌なオーラを出しまくっている。この辺一帯に人が近寄れなかったのは、その所為だったのだ。僕は、よく見もしないで席に着いたことを後悔した。
 それにしても、ものすごくよどんだ気が漂ってくる。いや、僕は別に霊感少年じゃないから、そういう気を読むというわけじゃない。ただ、あまりに剣呑な雰囲気が漂っているのだ。いったい何があったんだろう。チラチラとその男を横目で見て、
(ひゃっ)
 僕は、その男が異様に綺麗な顔をしていることに気がついた。
 頬杖をついた手のひらで顔の下半分を覆っていて、目つきはやたら険しいから最初はわからなかったけれど、その二重の目も、その上の眉も、半分しか見えないけどよく通った鼻筋も、人形のように綺麗だ。
(世の中には、こんな綺麗な男がいるんだなあ)
 胸の中で「綺麗」を連発して、僕は思わず見惚れていた。


 そして自己紹介が始まって、僕は、いや僕たちは、その彼の美貌をはっきりと見る機会に恵まれる。
「……海堂龍之介です」
 皆がやっているから仕方なく――といった風に、彼が立ち上がって挨拶した瞬間、
「きゃっ」
「うそぉ」
 耳障りな女の声がした。
(あ、あいつら)
 僕を見下した――のかどうか、まあ、はっきりとはしないのだが――あの二人組が、顔を火照らせて彼を見ている。そして教室中で漏れる溜め息。女も男も、彼――海堂龍之介――の美貌に目が釘付けになっている。
 おかげで、次の順番だった僕の挨拶を、誰も聞いてはいなかった。



「ねえ、海堂くぅん」
 オリエンテーションが終わるやいなや、あの内巻き髪、縦巻き髪、黄巻き髪の二人が彼の元にとんで行った。
「このあと、どうするの?」
「よかったら、お昼、行かなぁい?」
 海堂龍之介は、うつむいている。
「一般教養、何とった?」
「よかったら時間割教えてぇ」
 海堂龍之介は、黙ったまま。
「ねえ、もう、サークル決めた?」
「私たち、いくつか迷ってるんだけど、新歓一緒に行かなぁい?」
「テニスとかスキーとか、海堂くん、する?」
「あと、企画系のサークルもあってぇ、先輩にアナウンサーとか」
「セレブ系のも」
 延々と続きそうな甘え声を
「……っせえ」
 低い声がぼそりと遮った。
「えっ?」
「な、なに?」
 一瞬わからず、聞き返した二人に、
「うっせえんだよ、ブス!」
 今度ははっきりと顔を上げて、海堂は言った。

 二人は、声も出せずに、固まっている。

 たぶん、ブスとか言われたのは生まれて初めてだったのだろう。それくらい、悔しいけれど二人は美人だ。しかし、その二人の前で、尖った顎を軽く上げて睨んでいる海堂の方が、目つきの悪さを差し引いても、はるかに美人だった。

「な、何よ……」
「失礼ね」
「信じられない、なんなの、この人」
「バカじゃないの」
 ようやく立ち直った二人は、唇を震わせ悪口(あっこう)を浴びせながら立ち去っていった。
「ちっ」
 海堂は、横を向いて吐き捨てるように舌打ちをした。

(か、かっこいい……)
 あの二人をけんもほろろに追い払った。まるで、僕のカタキを討ってくれたかのように――って、それは違うだろう。けれども感動した僕は、思わず彼に声をかけた。
「海堂くんっ」
「あ?」
 海堂は、僕のことも険のある目で見たけれど、
「が、学食行かないか?」
 ちょうど昼時なので誘ってみたら、
「ああ……そうだな」
 驚いたことに、素直に立ち上がった。
「学食って、どこにあるんだ」
「あ、あの、三号館の隣だよ」
「三号館ってのは、どこなんだよ」
「ぼ、僕が案内するよ」
 綺麗な顔に似合わず、口調も目つきと同じくらい悪い。左肩を下げた気だるそうな歩き方も、まるでどっかのチンピラだ。あまりにも人形のような顔に似合わない。けれども僕は、この海堂龍之介という男にものすごい勢いで惹かれていた。
「早く行かないと混むかもね。うち、他に学食無いから。文学部の方にはカフェテリアとかあるらしいけど」
 何かと話し掛けてみたけれど、返事はもらえなかった。
 並んで歩いて初めて、海堂の背が僕より低いことに気が付いた。僕が169だから、それより低いとなると、男にしてはやや小さいほうになるのだろう。
(もったいない……)
 こんなにかっこいいのに。
 チンピラ風の歩き方が悪かったのか、難癖つける輩(やから)はどこにでもいるのか、三号館までの道すがら、海堂はガラの悪そうな男にいきなり絡まれた。
「おい、ぶつかったんなら、謝れよ」
 肩をつかまれて、海堂はゆっくり振り返った。
 ぶつかってなんかいない。言いがかりだ。けれども、僕は何を言うひまも無かった。次の瞬間、海堂がその男の腕をひねりあげていた。
「いだっ、痛いっ、いたたたっ」
「汚ねえ手で、気安くさわんな」
 涼しい顔で、自分より大きな男を跪かせ、
「ちょうどいいから相手してやりたいとこだけど、時間ねえんだよ」
 学食が混むから、と言ってその男を突き飛ばすと、海堂は集まる周りの視線を毛ほども気にすること無く歩き出す。
(か、か、かっこいい……)
 再び僕は胸に呟き、スタスタと去る背中を慌てて追いかけた。
 目の端に、あの巻き髪シスターズの悔しそうな顔がチラリと見えた。

 
 
 不機嫌な海堂は、学食で焼きそばを頼んで、
「ちっ、なんだよ、このソバ」
 一口二口食べて、文句を言った。
「まるでゴム食ってるみてえだ」
「あはは……海堂くん、ゴム食べたことあるんだ」
 冗談のつもりだったけれど、
「あぁ?」
 上目づかいに見つめられて、 
「ご、ごめん」
 頭を下げて謝った。こわい。こわいです、やっぱり。
「ったく、つまんねえ大学だな。メシはマズイし」
 海堂は箸を置いた。
 目を伏せると長いまつげが白い頬に影を落として、はっとするほどの美少年ぶりだ。
「ひょっとして、ここ、第一志望じゃなかったのか?」
 偏差値で言うなら中の上。名の有る一流大学ではないけれど、三流というほど悪くもない。僕としては入学できて嬉しいところだけれど、そうじゃないってヤツもいるだろう。
 僕は、この海堂の不機嫌オーラの理由をそこに見つけたつもりだった。ところが、海堂は、しばらく黙っていたけれど、
「……第一志望だったよ」
 小さく呟いた。
 その表情(かお)があまりに儚げで、僕はまた目を奪われた。
「何だよ」
 一瞬のうちに、海堂の顔は恐ろしいそれに変わった。
「どこ見てんだよ」
 青木さやかのような台詞で、ドスを効かせる。
「いえ、すみません」
 また謝ってしまう。まさかさっきの男みたいな目には合わないだろうけれど。僕が下を向いておとなしく箸を動かし始めると、海堂は溜め息をついて立ち上がった。
「あ、海堂、くん」
 僕は食べかけのラーメンを喉につまらせながら半分腰を浮かせた。
「どうしたんだよ」
「帰る」
「午後は?」
「ふける」
「ふけるって」
 初日から?
 まあ、大学だから無問題だろうけど。でも、まだ全然しゃべってないのに。
(それとも、僕が怒らせてしまったのか?)
 海堂が置きっぱなしにしたトレイと自分の分を急いで片付けて、学食を飛び出して追いかける。
「何でついて来るんだ?」
 海堂は嫌そうに振り返った。
「あ、なんか、怒らせたかなァと思って、僕」
「関係ねえよ」
「あ、そ」
 とはいえ、立ち去りがたく、海堂の後ろを付いて歩く。まっすぐに伸びた背中は一度も振り返ることはなかったけれど、正門まで来て、
「どこまでついて来る」
 さすがにイライラした調子で言われてしまった。
「あ、いや、その」
 どこまでなんて、考えてなかった。何と言って引き止めようかと言葉を捜している僕を見捨てて、
「じゃあな」
 海堂はキャンパスから出て行った。





 四月三日
 
 二外のドイツ語の授業に海堂の顔を見つけて、僕は胸を高鳴らせた。 昨日ほど不機嫌オーラは出てないけれど、やはり誰も近づけないようだ。ひょっとしたら、あの喧嘩もどきの一件が広まっているのかもしれない。僕も、昨日の今日で鬱陶しがられたらどうしようかと思うと、安易に近づけなかった。
 授業中、海堂は、教授に指された。
「わかりません」
「わかりませんじゃなくて、読みなさいと言ってるんだよ」
 気難しい顔をした教授に負けないほど、海堂は綺麗な額に縦ジワを刻んで、
「どこを読んでいいか、わかりません」
 低い声で言った。
 教授にまで喧嘩を売ってどうするんだ、海堂。やっぱり機嫌は治っていないようだ。教授は、こんな学生にも慣れているのか、それとも喧嘩を買ったのか
「5ページの一行目から」
 次の生徒を指さずに、海堂に読ませた。
「イッヒビン シチウデント……バス マッヘン ジイ ベルフリッヒ……」
 おもいっきりカタカナで読み上げた海堂だったが、巻き舌だけはやたらにうまかった。 
 授業が終わって、出て行く彼の姿を目で追って、迷った挙句、性懲りもなく追いかけて、
(あっ)
 海堂が、誰かと話しているのを見た。
 ずいぶん背の高い男だ。長めの茶髪と春なのにもう日に焼けたハンサムな顔がちょっぴりホスト風。近づいてみると、なんだか言い争っている。
「三好には、関係ねえだろ」
「そうも言ってられないから来たんだ、わざわざ」
「そりゃあ、ワザワザ、ゴクローさん」
「いいかげんにしろよ、このクソガキ」
「んだと、ゴルァア」
 さっき披露した巻き舌はこれか。
 廊下でつかみ合いの喧嘩が始まろうとしている。どうして、海堂はこんなに喧嘩っ早いんだ。
「ちょ、ちょっと」
 待て、と止めると、
「あ?」
 二人がそろって振り向いた。
「ごめん」
 脊髄反射並みのすばやさで頭を下げる。こわい。こわいです、二人とも。
「誰だ、こいつ」
「知らねえよ」
 ガビーン。
 海堂は僕のことを知らないと言い捨てて、
「とっとと帰れ、三好。てめえの大学に」
 肩をそびやかして去って行く。
「とにかく、高遠に会いに行けって」
 ホスト風、三好と呼ばれた男は、長い脚で海堂の後を追う。
 僕は、もう追いかけることもできず、その場に取り残された。
 
 


 
 四月四日
 
 この日、大学に海堂の姿はなかった。必修にも出ていなかったから、休みなんだろう。その代わりと言っては変だけれど、駅前の不動産屋の前で昨日の男を見た。
「三好」
 思わず呟いたら、どういう耳の良さか、三好は振り向いた。
(ひっ)
「知らないヤツから呼び捨てにされるいわれはない」
 片眉を上げて、僕を見る。
「ごめん」
 なんだか謝ってばっかりだ。
「ええと、僕は、海堂くんの」
 友達だと言っていいのかどうか悩んで口ごもると、三好は、
「ああ」
 思い出したように目を見開いた。
「昨日の」
 そのとき、不動産屋のガラス戸が開いて、
「待たせたな」
 男が出てきて、三好に声をかけた。これまたでかい男だ。ガラス戸をくぐるようにして出てきたぞ。
「終わったのか」
「うん」
 うなずく顔は、ホスト風三好とは違った意味でハンサムだ。いや、カタカナでハンサムというより、男前と言った方がしっくりするかもしれない。今どき珍しく染めてないまっ黒な髪。おそろいでキリリとした眉。剣道でもやっていたらさぞ似合うだろう。凛々しく整った顔にモデル並みの長身。ああ、コンプレックスがチクチク刺激される。
 僕があんまり見つめていたので、その男も気がついて、
「?」
 不思議そうな顔で、三好と僕を交互に見た。
「ああ、ええと」
 三好は、僕を紹介しようとしたけれど――
「……海堂の大学で、一度だけ会った学生」
(うん。その通り)
 しかたなく自分で名乗って、
「今日、海堂くん大学に来てなかったんですけど」
 理由を知ってたら教えて欲しいと尋ねた。初日からあんな風だし、とっても気になるのだ。
「大学、休んでる?」
 黒髪の男は、くっきりとした眉をひそめた。
「ズル休みだろ、あのガキ」
 三好は肩をすくめて、
「じゃあ、あいつの家まで送ってやるよ」
 車のキーをポケットから取り出して見せた。
 歩き出した二人の後ろを付いて行くと、
「えっと、おたくが何でついて来るワケ?」
 三好が怪訝な顔で振り返った。そりゃあ、そうだろう。けれども、僕の好奇心というか、やじ馬根性というか、とにかく海堂のことが気なるというか――
「一緒に行っちゃダメですか?」
 いろんな思いに突き動かされて、おそるおそる聞いてみると、
「……まあ、いいけどね」
 胡乱げな目で承諾してもらった。
「なんか、横山に似てるよな、雰囲気が」
 僕のことだろうか。レガシィツーリングワゴンのエンジンをかけながら三好は言った。黒髪の男――高遠と名乗った――は、チラリと後部座席の僕を振り返ったが、肯定も否定もせずにまた前を向いた。寡黙な人だ。いや、図々しく乗り込んでいる僕に呆れているのかもしれない。
「すみません、お邪魔して」
 今さらだけれど言ってみると、
「あ? 別にいいよ。心配してくれてんだろ、ヤツのこと」
 片手でハンドルをきりながら、三好が言った。でも、やっぱり高遠は黙ったままだ。
「ええと、お二人は、海堂くんの友達なんですか」
 何をあたりまえのことを聞いているんだ、自分。
 いくら話題が見つからなかったとはいえ、あまりに頭の悪い切り出し方に自己嫌悪。案の定、
「友達」
 三好の目が笑うのがバックミラーに写る。けれども、その返事は少し予想と違っていた。
「まあ、俺はそう言ってもいいけど、高遠は違うな」
「三好」
 高遠が低い声でたしなめる。
「だってそうだろ? 海堂に聞いてみろよ、絶対『違う』って言うから」
 三好がクスクス笑うのに、高遠はムッとしたように横を向いた。
(どういうことだろう)
 三好は友達だけれど、高遠は違う?
(喧嘩してるのかな。絶交中とか)
 そう考えるとしっくりした。そういえば、昨日三好は海堂に「高遠に会いに行け」とかなんとか言ってたような気がする。


 話題の無さに気を使ったのか三好がカーラジオを付けてくれて、妙にハイテンションのお笑い芸人がリスナーからの葉書を読むのを聞いて過ごした。途中、一度だけ高遠が僕に話し掛けた。
「海堂と同じクラスなのか」
「え? あ、はい」
「そうか」
 次の言葉を待ったけれど、それっきりだった。バックミラーの三好の目が、気にするなと言ってるように見えた。

 それから一時間ほど走ってレガシィは、新興住宅街らしくきれいに区画された敷地に、似たような新しい家が建ち並ぶ通りに入った。大きな道路の両端には桜が植えられ、並んだ家の洋風の玄関には、春の花が競うように飾られている。
 その中のひとつの前で停まった。
「はい、到着」
「サンキュ」
 高遠がシートベルトを外して助手席のドアを開けた。ここが海堂の家か。
「5400円です」
 三好が僕を振り返って言う。
「領収書、いただけますか?」
 思わず返すと、
「ナイス切りかえし」
 三好は笑った。よかった、ウケけてもらえて。

 三好が車を路肩に寄せている間、僕は、所在無く門扉の外でウロウロしていたのだけれど、高遠はさっさと玄関に向かい呼び鈴を押した。高遠の顔はひどく真剣で、まるで果たし合い前の武士のようだった。いや、武士に知り合いはいないが、そんな感じ。
「……なんだよ」
 玄関のドアが開いて、凶悪なくらい不機嫌な顔をした海堂が顔を覗かせた。後ろ姿の高遠は、どんな顔をしているのかわからない。わからないが、ものすごく緊迫した空気が漂う。
(まさか、ここでも喧嘩……)
 止めに入る準備をすると、
「海堂、俺が悪かった」
 いきなり高遠が謝った。
「さっき不動産屋に行って、アパート契約してきた」
 高遠はジーンズの尻ポケットからキーホルダーを出してかざした。鍵が二本付いている。
「うちの親も説得したから、大丈夫だから」
 高遠の顔は見えなかったが、海堂の顔はよく見えた。目の険が消えて、なんだか、泣き出す寸前のように見えた。
「お前の大学の近くに借りたんだ」
 海堂の顔がクシャリと歪む。
「一緒に、住もう」
 鳥肌が立ちそうな甘い声を出した高遠に、海堂が抱きついた。
(ひいっ)
 思わず上げそうになった声を、僕は必死に飲み込んだ。

 まだ日も高いというのに、住宅街の玄関先で、男同士が抱き合っている。

「まったく、犬も喰わないと言うけど」
 三好の声に振り返ると、レガシィのボンネットに尻を預けて煙草を吹かしている。
「あ、あの二人は……」
 そろそろと後退さって、三好に並んで、尋ねると、
「見てわかんないの?」
 呆れたように尋ね返された。
「いえ……」
 僕と三好の見つめる先で、二人はキスまで始めている。
(ああ、舌も入ってるな……)
 友達じゃないと言うのは、そういう意味か。
 高遠の広い背中に爪を立てていた海堂の手が、今度はたくましい首に巻きついた。高遠の腕にも力がこもったのがわかる。
(下半身もあたってるな……)
 かなりエロチックだ。


「あの高遠ってのが、見た目を裏切る小心者でねぇ」
 三好が煙を吐きながら言う。
「受験当日、緊張から下痢なんかしちゃって、おたくの大学、落ちちゃったのよ」
「はあ」
 僕は、気の抜けた返事しかできない。
「本当なら海堂のほうがよっぽどアブなかったんだけど、まあ、愛の力でそっちは受かったわけ。あと、全滅だったけどね」
「はあ」
「高遠は、海堂と一緒に行くつもりだったそこは落ちたんたけど、先に受けていたY大は受かっちゃって。大学、バラバラになっちゃったのよ」
 浪人したいと言っても当然許してもらえるはずはなく、高遠は家から通えるY大学に。そして、海堂は、元々高遠と二人で部屋を借りて暮らそうといって選んだ、家からニ時間近くかかるF大学に。
「一人で住むくらいなら、家から通うって言って拗ねてたんだよ、あのガキ」
 三好は地面に落とした煙草を靴の先で押しつぶし、意外な几帳面さで、ちゃんと拾って車の灰皿に捨てた。
「おい、俺たち帰るぞ」
 呼びかけに振り返ろうとした高遠を、海堂が力ずくで引き戻す。
「いいかげんにしろ、海堂。どうせ土曜からはずっとベタベタできるんだろうが。引越し手伝わねえぞ」
 そこまで言うと、ようやく海堂は高遠から離れた。いや、離れていない。離れたのは唇だけで、背中にぴったり張り付いている。回された腕が高遠のベルトの前で組まれている。
「ごめん、三好」
 高遠は男らしい顔を真っ赤にして、濡れた唇を隠すようにして手のひらで覆った。
「えっと、引越し……」
「時間だけ決めてくれよ。こいつも連れて行くから」
「え」
 三好にパンと肩を叩かれて、僕はうろたえた。
「ここまで付き合ったんだから、あたりまえだろ」
「え、まあ……」
 何故かうなずいている自分。
「午前中でもいいか」
「いつでも」
「じゃあ、10時に俺のうちに。それから、ここに寄って海堂ひろってくれるか」
「10時ね。了解」
 三好はそのまま運転席に乗り込んだ。
「お前も乗れよ。家まで送ってやるから」
 いつのまにか『おたく』から『お前』に昇格(降格か?)している。
 車を動かし、内から助手席のドアを開けて、
「ほら、早く乗れって」
 こんな所に長居したらホモが移るぞと、三好は急かした。
「あ、うん」
 助手席に乗りながらそっと振り返ると、海堂が僕の顔を見て、ほんの少し驚いた顔をした。その上気して染まった小さな顔は、大学で見たこの二日間の海堂とあまりにも違っていた。








というわけで、おひさしぶりの和亀でした。
あいかわずのバカップル。あいかわず人騒がせな海堂。
家から通学できるのにわざわざ遠くなる場所にアパートを借りる、
あいかわらずのヘタレ攻め高遠。
ご感想などいただけると嬉しいです。


以下当時の企画で現在は募集していません。
そして、プレゼント企画とは!
今回語り手となった「僕」の名前を付けてあげてください〜。プーパフパフ☆
海堂のクラスメイト、海堂の下僕(たぶん)、海堂の大学生活の目撃者、
和亀シリーズ大学生編ではかならずやキーパーソンになるに違いない(たぶん)
彼の名前は?

********

というヘタレ企画で「僕」に佐藤孝行くんというどこにでもいそうな名前(笑)
を付けてくれたのがいなりさんです。

そのいなりさんのリクエストにお答えして書いたのが
三好と歩のその後でした。
 


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