いなりさんありがとうスペシャル
「常隆ちゃんっ! おはよう。起きて、朝だよ。朝ですよう」 朝とは思えないハイテンションの歩の声に起こされて、三好は不機嫌さを隠せない。いや、隠さない。隠してやる必要など無いのだ。 「朝っぱらから、何をはしゃいでいるんだ」 「だって、こんなに天気がいいよ。お正月から縁起がいいね」 「天気がいいくらいでなんだ」 このタコ! くらいは、海堂なら言っただろう。三好はそこまで悪態は吐かないが、思い切り眉間にしわを寄せてベッドを出た。 「まだ七時前じゃないか」 昨日は、正月気分に浮かれる家族に付き合って夜中の二時過ぎまで飲んでいた。大学受験を間近に控えた身にしては余裕だが、一日二日休んだところで、大勢に影響は無い。それより心配なのは、 「歩、お前はちゃんと勉強しているのか」 大晦日は紅白歌合戦を、そして元旦の昨日は初笑い何とかのバラエティーを「日本のテレビ番組って面白い」とか言いながら夢中になって見ているロンドン帰りの歩だ。 「和亀はそれほど偏差値高くは無いけど、お前は日本の受験には慣れてないんだから、今のうちたくさん問題集やっつけておかないと駄目だぞ」 「常隆ちゃん」 歩の瞳が嬉しそうに輝いた。 「心配してくれて、ありがとうっ」 ぎゅっと抱きしめられ、三好は「うぐっ」と唸った。ロンドンの食糧事情がよほど良かったのか、歩は十五歳にして、三好と変らぬ立派な体格の持ち主だった。 「離、せ……」 「あっ、ごめん」 慌てて腕を離した歩は、頬を赤く染めて謝る。大きな身体に似合わない乙女チックな心を持つ歩は「常隆ちゃん」こと三好に惚れている。子どもの頃から「ずっと好きv」 告白したのは、クリスマスの夜。そして、三好はそれを断ったのだ。 だから、歩は失恋したはずなのだが、どうも最近、様子が変だ。 (何でこんなに明るいんだ) 三好は、内心訝しがる。 気持ちに「応えられない」とはっきり告げてしばらくは、間違いなく歩は落ち込んでいた。それでもなんとか昔のように、仲の良い幼馴染に戻ろうと互いに距離を測っていたはずだ。そう、それは例えて言うなら、水深の分からない川に足を踏み入れるような慎重さで、そろそろと。ところが、今の歩はどうだ。その川にバシャバシャと走り込んで腰まで浸かって水しぶきを上げて、はしゃいでいる。 まさか、その歩の変化の裏に、親友高遠とトラブルメーカー海堂というバカップルがいるとは、夢にも思わない三好だった。 「ねえねえ、常隆ちゃん、今日は一緒に初詣に行く日でしょっ」 「は?」 目を眇めて振り返ると、 「言ったよね、一緒に初詣行こうって」 歩がまっすぐに見つめてきた。 『年明けたら、初詣、行こうぜ。合格祈願』 「ああ、言ったな」 三好は遠い目をした。 落ち込んでいた歩がかわいそうで、つい口に出した一言だが、ずいぶん昔のことのような気がする。実際はほんの一週間前。 「昨日行くのかなって思ってたんだけど、おじさんたちも、初詣は二日だって言ってたから」 「我が家は、元旦は寝正月だからな」 「ねえ、今日は行くんだよねっ、ねっ」 「はあ」 できることなら前言を撤回したい。そしてあと二時間寝ていたい。しかし、浮かれる歩を前にして「やっぱり無し」とは言えないのが三好。 「じゃあ、混む前に行くか」 せっかく早起きしたのだから、さっさと行ってさっさと戻って来よう。 「やったー」 両手を上げて喜ぶ歩。 その声に起こされてしまったのか、 「歩くん、今朝も元気だねえ」 三好の兄、義隆がパジャマ姿で顔を覗かせた。 昨夜は、弟よりも先につぶれて、日付の変らないうちから寝ていたせいで、ずい分すっきりした顔をしている。 「初詣に行くの?」 「はい」 「そっか、受験生だもんね。しっかりご祈願しておいで」 「はいっ」 満面の笑みの歩を見て、義隆は目を細める。 「それにしても、灰色の受験生とかいうけど、歩くんをみているとちっともそんな気がしないね。バラ色の受験生って感じだ」 「はい。受験日まで、ずっと常隆ちゃんと一つ屋根の下で、勉強も見てもらえて、本当に毎日バラ色です。毎日が誕生日ですっ」 「じゃあ、今、何歳だよ」 突っ込むのを忘れないのも三好だ。 近所の神社には出店が並び、朝からけっこうな賑わいだった。 「あっ、あそこで甘酒配ってるよ」 「欲しけりゃ、もらってこいよ」 「うん。でも、お参りすませてからにする」 歩は、長いロンドン生活のどこで憶えたのか、財布から小銭を出すと神妙な顔で賽銭箱に投げ入れた。ガラガラガラガラ……と鐘を鳴らしすぎるのはご愛嬌。大きく拍手を打って、むにゃむにゃと真剣に拝んでいる。三好はお付き合い程度に参拝し、一足早く終えると、脇道によって歩が戻ってくるのを待った。 「常隆ちゃん、もうお願い事終わったの」 「ああ」 「早いね。ちゃんとお願いした?」 「まあな」 「何をお願いした?」 「そりゃあ」 「あっ、待って! 駄目! 言わないでっ」 自分でたずねておきながら、歩は、口を開きかけた三好を制する。 「お願い事は、口に出しちゃいけないんだって言われてたんだ」 ふう、間に合ってよかった……と、歩は息をついた。その様子に、三好は内心吹き出して、 (かわいいヤツ) とか思ってしまい、そんな自分にギョッとした。 (いかん、いかん! 何を考えてる、俺) こめかみを押さえる三好を窺い見るようにして、歩は甘えた口調で言った。 「常隆ちゃんのお願い事も、僕と一緒かな。そうならいいな」 「ああ、そうだな」 動揺していたからか、三好は安易にうなずいた。 「本当っ?」 いきなり歩の瞳が光った。 「えっ?」 「常隆ちゃん、本当に僕と同じこと、神様にお願いした?」 「そ、それは……」 受験生が、初詣に祈願することなんて、皆同じだろう。一発合格とせいぜいが健康祈願だ。世界平和まで祈ってやっても良かったが、たかだか100円のお賽銭でそこまで頼むのは図々しかろう。 そう言ってやろうと思ったけれど――― 「うれしい。常隆ちゃん」 人目を憚らず抱きついてくる歩に、三好は何もいえなかった。 (まずい……) 歩は、勘違いしている。 そこに、 「わっ、隊長! 新年早々ラブラブな二人を発見!」 二人をひやかす声がした。これまた朝からハイテンションの海堂だ。 「なんだ、お前ら」 海堂の隣には当たり前のように高遠がいて、そしてトラノスケがいる。 「こんな人ごみで犬の散歩か」 ラブラブという言葉を聞き流し、むしろこれ幸いと三好は海堂たちに近寄った。歩も後ろからニコニコついてくる。 「初詣だからトラノスケも連れてきたんだ。トラノスケが健康で長生きしますようにって」 あいかわらず犬には優しい海堂だ。しかし、いつになく機嫌がいいのは、 「俺さ、昨日の夜から高遠んち泊っててさ、高遠の兄貴や親父さんと色々話したんだぜっ」 聞かれてもいないのにしゃべりだす、家族公認になった喜び。 公認といっても男同士のお付き合いのことではない。 「二人ともF大学に合格したら、一緒にアパート借りていいって言ってもらったんだ」 「ほう、そりゃ良かったな」 「うひゃひゃ」 せっかくの美貌を締まり無く崩している海堂の横で、高遠はちょっぴりやつれていた。 「大丈夫か、高遠」 「ああ」 海堂がトラノスケ連れで泊りに来たのはいいが、いつ自分たちのことをしゃべってしまうか、小心高遠は気が気でなかった。かつて海堂は、ビール一本で酔っぱらって三好の兄義隆の前で爆弾発言をしたことがある。腕っ節は強いが酒には弱い。そんな海堂が、兄や父に勧められるままに酒を飲んでいる図は、あまりに高遠の心臓に悪すぎた。 幸い海堂は、二人とも志望の大学に受かったらという条件で高遠のアパート暮らしの了解を取り付け、安心したのかスコンと眠ってしまった。けれども、高遠は、いつまた海堂がムクリと起き上がり 「とんでもないことを言い出すのでは……」 と、ひたすら寝顔を見守っていたのである。 眠そうな高遠の腕に、その苦労も知らず、嬉しそうにぶら下がる海堂。 「俺たち、四月からラブラブ二人暮らし〜っ」 「はいはい、おめでとうさん。でも、二人ともF大に受かるってのが条件なんだろ」 どちらかが落ちたら駄目なんだよ。と意地悪く言う三好は、もちろん偏差値で劣る海堂に脅しをかけたつもり。 まさか三ヵ月後、プレッシャーに弱い高遠がF大受験を失敗するとは、この時点では、誰も思いもしなかった。 「二人で一緒に住むんですか」 歩が瞳をキラキラさせる。 「いいなあ」 「お前だって、今、三好と一緒に住んでるじゃん」 「そっ、それはそうですけど……やっぱり二人っきりって言うのは、ちょっと違いますよね」 「まあなっ」 歩のうらやましそうな視線に、誇らしげに胸を張る海堂。 三好は、眉をひそめて高遠に訊ねた。 「おい、コイツらいつの間にこんなに仲良しになってんだ」 そこで三好はハッとした。この二人と歩を近づけてはいけなかったのだ。 自分の初恋の相手がこの歩――当時は女の子だと信じていた――という事実を、絶対に、 「知られるわけにゃいかねえ……」 「何?」 「いや、何でも」 既に知られてしまっていて、もっと言えば、そのことを二人が歩自身に吹き込んで一度は消えかけた火に油を注いで猛烈な勢いで風を送っているなどとは、全くもって知らない三好。 「じゃ、俺たちこれで」 「なんだよ、せっかくだから一緒に回ろうぜ」 「いや、悪いが俺たちは、二人で回りたいんだ」 三好の言葉に、歩の頬に血が上る。 三好は気づかず、腕を引いてその場を立ち去った。 「常隆ちゃん……」 二人っきりでいたいと言った三好に勇気付けられ――いや、本当はビミョーに違うのだが、歩にはそう聞こえた――そっと三好の手を握ろうとした歩は、 「あらぁ三好くんじゃない」 甲高い声に立ち止まった。 横に立つ三好は、思いっきり嫌そうな顔。 「川原……」 フワフワの毛皮のついた、ウサギのように真っ白なダッフルコートを着てお取り巻きを六人も従えた美少年がジル川原だとは、もちろん歩の知るところではない。ただ、海堂に続いての綺麗な男の子の登場に目を瞠る。 「初詣?」 ジルはニッコリと微笑んで、それから三好の隣に立つ歩の長身を、下からすくい上げるように見た。 (背は高いけど、顔は平凡ね。まっ、僕の気にする相手じゃないわ) ジルの心のつぶやきは、歩以外には、よおく聞こえた。 「三好くんの親戚?」 ライバルじゃないと思えば、ジルは好意的だ。興味があればなおさらだ。 「はじめまして。僕は、三好くんの同級生の川原一美。ジルベールって呼ぶ人もいるけどね」 今年もこのキャラなのか、ジル。 「ジルベール……ハーフですか?」 「あら」 歩の素直な質問は、ジルの気に入った。 「そう見える? やっぱり」 前髪をゆるくかきあげる。 「え?」 見えるというか、ジルベールって外国の名前だし。 「ふふ、よく間違われるんだけど、これでも日本人なんだよ」 何がこれでもだ。と、三好は眉間のしわを深くした。何で正月早々、ジル&お取り巻きズと一緒にならないといけないのだ。 ちなみに、ジルは「自分の」大学合格をお取り巻きたちにも祈願させるために早朝から呼びつけたのだった。 「名前は?」 「あ、三好歩です」 「やっぱり親戚なのね。従弟?」 「はい。ロンドンから帰ってきて、春から和亀高校に通います。あっ、うかればですけれど」 「えっ?」 大きな歩がまだ中学三年生だということにも驚いたが、それよりジルの心の琴線に触れたのは―― 「ロンドン帰り?」 「はい」 ロンドン ロンドン ロンドン♪ 楽しいロンドン 愉快なロンドン♪ ロンドン ロンドン♪ ろぉーんどぉーん♪ 若い人にはさっぱりだろうが、何故だかジルは知っている。懐かしいCMソングが、頭の中を駆け巡り、 「ロンドンと言えばホモのメッカね」 ロンドンっ子が気を悪くしそうな言葉を吐いて、ジルは歩をうっとり見上げた。 「歩くんの彼ってどんな人? もちろん、男の人だよね」 何しろジルは和亀高校学園化計画の一環として、和亀のホモ占率を上げようと躍起になっている。 「えっ」 いきなりの質問に歩は顔を髪の色に負けないくらい真っ赤にして、三好をそっと見た。 (げっ) 三好の顔が強張る。 「えっ?」 「え?」 「そうなの?」 「へえ」 「ほー」 「マジすかぁ」 これは、今まで静かに控えていたお取り巻きズから同時に漏れたつぶやき。 「ちっ…違うぞっ!!」 訂正する三好の横で、歩は恥らっている。 「そんな、隠すこと無いよ。三好くん、僕たちの仲で」 何が僕たちの仲だ!! むきになる三好の顔が、やはり赤くなる。 「新年早々おめでたいことを聞いたね、みんな」 ジルが言うと、横山をはじめとしたお取り巻きたちはそろって、 「おめでとうございます!!」 と唱和した。 「めでたくねえっ」 三好が叫ぶと、通りかがりの、角の煙草屋の隠居が言った。 「正月ってのは、めでてえもんだ」 「いっちょ、やろうかい」 煙草屋の隠居が、胸の前で指を合わせる。 「あ、よよよい、よよよい、よよ、よいよい。は、めでてえなぁ」 「へいっ!!」 三好以外の全員が、何故「伝七捕り物帳」を知っていたのかは、謎である。 2005.10.29 |
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