ふわふわとした心地良さの中に毎日を生きる事に慣れ、
満たされる喜びが当たり前のものになった或る日だった。
「あ・・・お姉ちゃんからメールが来てる」
日本から届いた電子メールを見て、静子の動きが止まった。
『たまには彼氏の話だけじゃなくて、前みたいにそっちでの生活の事も書いてね。
お母さんやお父さんに聞かれるんだけど、まさかあんたの彼氏の話を
私がする訳にいかないもんねー(^^;
まあ、しずがいいなら私が話しちゃってもいいんだけど?』
他愛も無い文面に、ふと宗一郎と出会ってからの自分を思い出す。
勉強を疎かにした訳でもない。
四六時中、宗一郎と一緒にいた訳でもない。
それなのに、彼女の脳裏に浮かぶのは、宗一郎だけだった。
きっかけを作ったのは間違い無く自分だった。
でも、何時の間にか自分が宗一郎の後を追っている。
宗一郎に、手を引かれるままになっている。
(それっていけないことなの?)
悪い事は、何もしていない。
しかし、奇妙な焦燥感がある。
彼が全て、になりつつある。
(そんなのは駄目よ!だって、そんなの、宗一郎さんにも迷惑が・・・)
基準が『宗一郎』になっている。
(あたしは?)
深い穴に落ちるように、自分の遠さを感じた。
「静子。この間描いた、君の絵が完成したよ」
翌日、高木が見せてくれた絵は、素晴らしいものだった。
絵の中の自分が、現実の自分以上に輝いて見える。
緊張気味の表情ですら、この上なく幸せそうに見える。
「ありがとう、宗一郎さん・・・」
それだけ言うのがやっとだった。
「どうかした?」
満足げに自分の絵を眺めていた宗一郎は、黙り込んでしまった静子に笑いかけた。
「宗一郎さん・・・」
そう言うと静子は目を閉じて、言った。
「あの、あの、馬鹿な話だと思うんだけど、笑わないで聞いてね」
宗一郎と会えた事が、本当に嬉しかった事。
でも、気が付けば自分の生活を、遠くから眺めている自分がいて。
幸せを肌で感じる瞬間と、絵のように眺める瞬間とがあって。
自分の中が殆ど全て宗一郎で満たされていて。
それが本当に幸せで仕方なくて。
でも、このままだと、神田静子が固まる前に、高木宗一郎が全てになってしまう気がして。
「よく分からないの!自分でも、よく分からない!だけど、だけど・・・」
それは、自分にとっても、宗一郎にとっても、あまり望ましくない事のように思えた。
「だから、あたし、宗一郎さんに与えてもらうだけじゃなくて、あたしも宗一郎さんに与えてあげられるような、
そんな風になれたらって、思うの」
だから。だから今は。
「そういう風になれたら、もう1回、貴方に会いに来ても、いい?」
それまでは。
何の保証も無いけれど。
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