「高木さんって、仰るんですね」
ほんの2言3言だけ言葉を交わせばそれで満足出来たのだろうが、
物静かな印象を受けた男は意外にも話し好きだった。
高木宗一郎(たかき そういちろう)と名乗った彼に、静子が自分の名を名乗り返すと、
墓地を出た2人は、ごく自然に大通りのカフェテラスへと足を向け、再会のように言葉を重ねた。
「神田静子(かんだ しずこ)さん、ですか・・・古風で、素敵なお名前ですね」
社交辞令的な言葉ではあったが、誠実さが滲んだ声音が心地良く、静子は素直に礼を述べると、話し続けた。
「こちらにはお仕事で?」
「ええ、まあ。こう見えても、画家なんです、一応」
あの墓地にもスケッチに来ていたんです、と言った高木の足元に置かれた鞄からは、
スケッチブックが覗いていた。
「画家さん!私、そういう方とお話するのって、初めてなんです」
少しトーンの上がった自分の声に、静子は何時になく気持ちが高ぶっているのを感じた。
傍から見れば少しはしゃぎ過ぎな気さえして、静子は少し頬を赤らめたが、高木はそれを無視するでもなく、
咎めるでもなく、ひどく優しい顔で見つめている。その眼差しを感じて浮付いてしまう気持ちを止めようと、
静子はおもむろに話題を変えた。
「・・・あの、そう言えば、高木さんって、お幾つですか?」
「僕ですか?今年で34です」
いかにも意外だという様子で驚く静子に、高木が軽く声を立てて笑う。
「あ、ごめんなさい!その、あの・・・」
「いえいえ、年齢については、結構色々言われるんですよ、僕。もっと若いかと思ってたとか、
鯖読んでないか、とか」
確かに、どちらとも言えそうな男だった。表情も、落ち着いているようで落ち着きすぎず、
眼だけ見ていれば少年のようにも見える。
「短期留学、という事は・・・神田さんは学生さん、かな?」
遠慮がちに声をかける高木に、静子は慌てて言った。
「あ、はい!あのう、神田さん、なんて、あの、そんな改まらないで下さい!
静子って呼んで下さって結構ですから・・・」
言ってしまってから、あまりの性急さに、静子は言葉を取り繕った。
「・・・って、会ったばっかりなのに、あたしったら・・・ごめんなさい・・・」
(どうしたんだろ・・・何か変だわ、あたし)
まるで独り芝居でも演じているかのような気分だった。普段の自分とは、
全く違う自分がいる気がしてならなかった。
これが俗に『一目惚れ』と呼ばれているものだったんだ、という事も、今になればよく分かった。
夕暮れ時まで話し込んで、空気が蒼く変わり始めた頃になってようやく、2人は別れた。
「あの、また、お会いできます?」
下宿先まで送ってくれた高木に、静子は思い切って尋ねた。
「ええ。先程お教えした連絡先に電話をしてください」
そう言って立ち去った高木の後姿は、多分一生涯忘れないだろう、と、本気で思った。
(どうしよう・・・こんな事って、初めて・・・)
真夜中になっても一向に眠りに落ちる事が出来ず、静子は暗い天井を見つめて考えていた。
だが、どんな時でも自分自身の心の変化を確信してしまうと、ひどく冷静になってしまう事は、
これまでの幾らかの経験が教えてくれていた。
(別に、一目惚れっていけない事じゃないんだもの。自信を持てばいいんだわ。
そうよ、ただ悩んで終わってしまうよりも、思い切って行動した方が、絶対にいいよね)
そう決めてしまうと、途端に身体が眠りを要求してきた。
(明日・・・早速、電話してみよう・・・)
これまでに無く心地良い眠りに、朝まで浸れそうな気がしていた。