さわさわと静かな音を立ててゆれる樹木の影が、そのまま夜へと溶け込んで行く。
陽の温もりはその役目を灯に譲り、爪痕のような月が細く空に冴えていた。
「なぁ、じいちゃんの主人って、人間だよな?」
老犬のゆったりとした歩調に合わせて身体を揺らしながら、ティトーがたずねた。
「ああ。ただし、魔法使いじゃがな。」
「魔法使い!?ホントに!?」」
予想外の答えに、ティトーは大きく身を乗り出す。
「お兄ちゃん、落ちちゃう。」
そういってティトーのシャツの裾をアーイが掴むと、老犬は楽しそうに笑った。
(魔法使いに会えるなんて…!)
ティトーの胸が、期待に高鳴りだした。
古びた杖。ぼろぼろの衣。
今は忘れ去られた言葉で綴られた書物に、過去の偉人の頭蓋骨。
怪しげな生き物を飼い慣らし、指先には炎が、光が、氷が踊る。
人の命すら射抜く、鋭い眼光。
「ねえ、おじいちゃん?その人のお名前は?」
これから出会う魔法使いの姿を想像し、興奮して頬を上気させている兄を嬉しそうに見つめながら、
アーイが犬に話しかける。
「おお、そういえばお互いの自己紹介もまだじゃったな。
ふむ。わしの主人の名前は、ジェレアム。
そしてわしの名前は、ロフ。
小さいお前さん達の名前は、何というのかな?」
話に夢中になるあまり、名乗ることをすっかり忘れていたことに気付いた2人は、恥ずかしそうにお互いを見やると、
「兄のティトーです。」
「妹のアーイです。」
と、互いを紹介しあった。
「では、これからはそう呼ばせてもらおう。さあ、あれが主人の家だぞ。」
大小3つの視線の先に、古びた小屋が立っていた。
年月だけをただ淡々と重ね、満足に手入れもされていない様子の家は、
中に人が住んでいるのかどうかすら怪しまれた。
「…ホントに、ここ?」
ティトーが疑惑の念を隠すことなくロフに伝えると、ロフはしっかりと頷く。
「ああ、そうじゃよ。おーい、今帰ったぞ!」
とても主人に対するとは思えない横柄な態度で、ロフは戸口をくぐる。小さな妖精たちは、
未知への期待と緊張に身を寄せ合って硬くした。
「遅ぇじゃねぇか…こんな時間までどこほっつき歩いてやがったんだ?」
荒っぽい声の主が、億劫そうに身体を起こす。
その身にまとっているのはぼろぼろの衣服…ただし、ティトーが想像したようなローブではなく、
例えば傭兵や船乗りのような、荒っぽいならず者を思わせる代物だった。
「お兄ちゃん…、ちょっと、怖いね。」
アーイが囁く。すっかり怯えているのが手に取るようにわかった。
「心配するな。俺に任せろ!」
ティトーは妹を安心させるように軽く抱き締め、ロフの頭の上に勢いよく立ち上がった。
「ロフは俺達が困ってたから、助けてくれたんだ!」
驚きに見開かれた目はとても綺麗な緑色だった。
妖精の少年は、目の前の魔法使いが、自分とそんなに年の変わらない青年だということに、
今更ながら気が付いた。
寝起きの不機嫌そうな表情が一気に崩れ、好奇心が魔法使いの顔中を満たす。
人懐こそうな笑顔を浮かべ、ジェレアムという名の魔法使いは、ティトーに手を伸ばした。
「すげー!フェアリーだ!でかしたロフ!」
骨ばった指の意外な程の慎重さと優しさに、ティトーは初め唖然としたものの、
そっと手を伸ばし返した。
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