シーザの指がそのままピエールの身体をくすぐるように撫でる。
無意識にゆっくりと指を滑らせているシーザの黒い目に一瞬、空虚が入り込む。
「本当のことをいうとね…天空の剣を手にした時、心の8分目くらいまでは、信じてた。
きっと自分が、勇者だって。
期待っていうのかな?だって僕は、父さんの子供だから。
人々にあんなに愛され、敬われ、慕われていた人の息子なんだから。
たくさん戦って、武器の扱いも随分うまくなったんだし、僕なら絶対この剣を抜けるって。
…そうあって、欲しいと。」
父の遺した手紙と剣は、息子である若き魔物使いの心に強く喰い込んで、彼を激しく揺さぶった。
それは重く熱く、呼吸を奪うほどに激しい感情を呼び覚まし、放浪に疲れた膝を地面へと落として。
(…お父さん。)
脳裏に焦げ付く別離の記憶。
はっきりとは見えていなかった筈なのに、悪夢で片付けられるほど不鮮明ではなく、
喪失感は消えず、吐き気を催す程の枯れた絶叫が今もこの身体に残っている。
天性に加え、隷属の時間に与えられた忍耐力と意志力が、こみ上げてくる過去を押し留める。
「…母さんを…」
うつろう視線が光り輝く剣を捉えた。
(天空の、剣)
鞘の中に在ってなお、その剣は眩かった。
ごく自然に手が伸びる。
痛いほどに柄を握り締め、力を込めたが、それ以上は何も無かった。
(抜けない。)
(僕には抜けない。これは僕の剣じゃない。僕では無理なんだ。)
天空の剣は、温かった。
亡き父の温もりが、未だ残っているのかと錯覚させるほどに。
(お父さんにも、抜けなかった。)
必死で剣を抱き締める。かつて父にそうしたように。
(お父さん、ごめんなさい。僕は…僕も、勇者じゃなかった。)
きっと父もこの剣を抜こうとしただろう。
あの人は、無関係な人を巻き込むことを絶対にしようとしなかった。
助けを求めて来る者は誰も拒まなかったが、自分のことは何でも自分でやろうとする人だったから、
きっと勇者の力を借りることなく、自分の力だけで母を助けたかったことだろう。
そして父は戦士だった。この世に2つとない剣を前にして、その力を知りたい、
この剣をもって戦いたいと、望まぬ筈があろうか。
そしてそれが叶わぬと知った時。手紙と共に天空の剣を隠した時、
息子のことを考えたに違いない。
自分は駄目でも、或いは。
或いは、我が子シーザならば、と。
きっとそうであったと、信じたかった。
そして願わくばこの腕の中の剣が、今からでも自分を選んでくれはすまいかと。
父が願ったであろうことが、そして自らの切なる願いが真実になりはしないかと。
請うようにただ強く強く剣を抱いていたが、勇者の剣は温もりを湛えたまま沈黙していた。
(僕は、勇者にはなれない。)
幼き日の憧れと愛情と願いは今、穏やかに息を止めてシーザの胸の内に横たわる。
その上に立つ、新たな意志。
恐ろしい程に燃え上がる伝説の勇者への思いに、シーザはしばし身を委ねた。