「なになになにっ!!」 川原家の洗面所から悲痛な叫び声がした。 「なに、これえええっ」 「一美ちゃん、どうしたの」 慌てて飛んできた母親に、ジルは泣き顔で振り向いた。 「僕の顔に、アゴのとこに、おっきなニキビがあっ」 「あらあ」 ジル川原、一昨年のミス和亀高校の名はだてじゃない美貌の少年。親から与えられた恵まれたルックスに甘んずることなく、白鳥が水面下で必死に水を掻くように、毎日のお肌のお手入れには相当気を使っている。だから、十八になろうとする高三の今の今まで、青春のシンボルとも言うべきニキビにも縁がなかった。それだけに、ショックが大きい。 「こんな大きなニキビ、みっともなくて外歩けないよ」 「ああ、でもつぶすと痕になるから、触っちゃダメよ」 ジルママは薬を持ってきて、 「はい。きれいにお水で洗って、これを塗っておきなさい」 薬を塗ったからといって、すぐに小さくなるものでもない。 むしろ―― 「テカテカ光って、余計に目立つよ」 ジルは恨めしげに母親を睨んだ。 「だって痕になったら困るでしょう」 「今日は、学校休む」 「何いってるの」 「こんな顔で行きたくない」 「一美ちゃん」 仮にも受験生がニキビひとつで学校を休むとは。母親は息子とよく似た(いや息子のジルが似たのだが)きれいな眉をつり上げた。 「ニキビで死んだりしません。学校に行って、ちゃんと勉強してきなさい」 「…………」 ジルは唇をかんだ。 確かに死にはしないだろうが、こんな顔で人前に出るのは、死に勝る屈辱だ。 「じゃあ、マスク出して」 喉の奥から絞り出すような声で呟くジルに、母親は大きくため息ついた。 「あれ、川原君、風邪ひいたの?」 学校に行くと当然のことながらお取り巻きたちが心配してよってくる。 「大丈夫?」 「大丈夫だから、あんまり近づかないで。うつすといけないし」 本当は風邪じゃなくてニキビだとばれないように、ジルはみんなを遠ざけた。しかし 「川原君……」 横山をはじめとしたお取り巻きたちは、みな感動で息をのんだ。 なにしろ、今まで風邪をひいたとなると、冬にスイカが食べたいとか言い出すジルである。 「僕たちにうつるのを心配するなんて」 ジルが大人になったことに、嬉しさ半分寂しさ半分の横山だった。 一方、ジルは自分のニキビが気になってしかたない。マスクの上からでもついつい触りたくなるのをがまんしつつ、机に座っていると 「なんだ。風邪か、花粉症か」 面白がるような声が頭の上から降ってきた。永遠のライバル海堂龍之介。 「どっちにしても、時季が中途半端だな」 ケケケ…と笑う顔が、今日はやけに肌目細かく滑らかに見えて、ジルは無性にムカついた。 「なによ、ちょっとばっかし、ツルツルスベスベしてるからって」 「何がツルツルだよ?」 「あんたの脳みそのしわ」 「んだと」 「ああ、やめて。やめてよ」 間に入る横山。高遠が同じクラスでないので、こういうときはたいがい横山が身体をはって止めることになる。 大人しく自分の席に座った海堂をチラチラ盗み見ながら、ジルは唇をかんだ。 (何でアイツ、全然ニキビ無いのよ) さすがに青春のシンボルというだけあって、クラスの半分以上はニキビの花を顔中に咲かせている。横山なんかまるでクレーターのようにボコボコだ。それなのに、海堂には全く無いのが許せない。それが美少年の条件なのだろうか。海堂の美少年ぶりは悔しいながらも認めているジル。このあごの先のたった一つの吹き出物が、海堂と自分に差をつけてしまったような気がして、珍しく落ち込んだ。 (今の僕は、学園一の美少年じゃない……) この際、学園じゃないだろうとか、ミス和亀も二年連続で逃しているだろうとか、そういうお約束の突っ込みは置いておく。 そんなジルにとって試練のお昼がやって来た。 「食べたくないから」 マスクをはずしたくなくて食事しないと言い切るジルに、お取り巻きの面々は慌てた。 なにしろ朝から大人しいのだ。 このジルが、元気なさそうに見えるのだ。 「無理してでも食べた方がいいよ」 「ほっといてちょうだい」 ツーンと横を向くジル。 「じゃあ、プリンとかは? 僕、買ってくるよ」 プリンと聞いて、ジルの耳がピクッと反応する。 もともと本当に病気のわけじゃないのだから、お腹はすいているのだ。しかもプリンは大好きだ。 「食欲無い時は、好きなもの食べるといいんだよ。プリンは栄養あるから、風邪のときもいいんだよ。川原君は、牛乳プリンと栗プリンが好きだったよね」 売店までの往復を、親友セリヌンティウスを待たせたメロスばりに駆け戻ってきた横山は、両手にいっぱいプリンを抱えていた。 「新しい種類も出ていたから」 「…………」 プリンの山をじっと見つめて(自分はお取り巻きにじっと見つめられて)ジルは言った。 「食べる。けど、約束して欲しいんだけど」 「えっ?」 「僕が食べるところ、絶対見ないでね」 (何で――?) みんなビックリした。 日本昔話に、そんなのあったよね。 でも、そんな、隠れてどんな食べ方するの。 自分の羽をむしりながら食べるとか。 いや、頭の後ろに口があるとか。 お取り巻きたちの混乱をよそに、ジルはプリンの山を抱えるとスタスタと教室を出て行った。 「初めからこうすればよかった」 園芸部が世話をしている温室には、昼休みもほとんど人はこない。マスクをはずして、三つめのプリンをペロリと平らげていたら、 「プリンばっか食べてると太るぞ」 「ヒッ」 後ろから姿を現わす、教育実習生妹尾。 「なななな、何っ」 驚いたあまり、無防備に振り返って見上げると、妹尾は目をほんの少し見開いた。 ジルはその視線で自分がマスクをはずしていたことに気が付いた。 慌てて、口許を隠したけれど 「痛そうだなあ、大丈夫か」 妹尾はジルの手を軽く掴んでどけると、その顔を覗き込んだ。 「やめて、見ないでぇっ」 ブンブンと頭を振る反応が過激で、妹尾はたじろぐ。 「パンツでも脱がしたような反応だな」 「いやいやいやいやいや」 下を向いて首を振る。 誰に見られるのが嫌だといって、実のところ、最近憎からず思っている妹尾に見られるのが一番嫌だったのだ。 「何で、先生、こんなところに来たんだ」 今日は妹尾の実習が無いから、顔を合わせずにすむと思っていたのに。 「お前が風邪ひいてるって、高松先生に聞いたからさ。元気も無かったって」 妹尾は下を向くジルに目線を合わせるように、その場にしゃがんだ。 「だから、ずっと捜したんだ。まあ、ここだとはすぐ浮かんだけどな」 クスッと笑って 「でも、風邪でマスクしていたわけじゃなかったんだな」 ジルの考えることなどお見通し。 「ニキビか」 「……あっち行ってよ」 赤い顔してうつむいたまま出口を指差す。いつも高飛車な少年の、たまに見せるこういう表情に、妹尾は密かにまいっている。 「でも、そのニキビ、俺のせいだろ」 「は?」 ジルは顔を上げた。 「何言ってるの?」 「そんなでっかい思われニキビ、俺以外いないよな」 「思われニキビ?」 思い、思われ、ふり、ふられ。 俗に顎のニキビは『思われニキビ』といって、誰かに思われている時にできるという。妹尾は、姉が大昔そんなことを言って顔中のニキビの分析をするのを聞いていた。 「じゃあ、これって、先生が僕のことを好きだから、できたの?」 「そうだろ」 本当は、食生活の不摂生、特に糖質類の過剰摂取からできるもの。そう、たとえばこのプリンのように。 「ふうん」 ジルは突然、まんざらでもなくなった。 「それじゃあ、先生が僕のこと好きな間、ずっとこうなんだ。そんなの嫌だ」 嫌だといいつつ、声は甘えている。 「どっちかが強く思ってるとダメなんだよ。バランスが悪くて。だからお前も、俺のこと、もっと思ってくれよ」 妹尾はジルの唇に咎めるように口づけた。 「あ」 「プリン味だ」 「バカ」 実習に来て、何やってる。 しかし妹尾のおかげで、ジルはニキビのことで深く暗く落ちこんでいたドツボの底から浮上した。 そして、大量に食べたプリンのおかげで、翌日ニキビがより酷くなっていても、妹尾の愛情が増しているのだからしかたないと納得したのだった。 |
いただいたコメント >一部誤って消してしまったこと、おわび申し上げます(汗)
しかも、リクに応えてなかったり……
・ズバリ濡れ場をお願いします。かわいいジルが見たい…
・ジルが泣かされる(エッチででもなんでも)お話を是非。ジルらぶー。
・妹尾先生の事をどう思ってるのかジルの本心がかいま見れたら嬉しいです。
・妹尾>ギイ になる日は来るのでしょうか?ジル&妹尾の愛の奇跡(笑)のシリーズ化熱望します!
・偶には妹尾に愛の手を。でも、ジルは我が儘に。
・ジルさえ居れば何もいらない・・・
・女王様ジルの復活を!妹尾はあくまでオマケで結構ケッコーコケコッコー。
・ジルのわがままっぷりをもう一度。
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