信之視点 web拍手のお礼でした
正直、J社の都市対抗の補強選手に選ばれてしまったことは、迷惑以外の何物でもなかった。 俺の所属する竹下電器は、前年度は大阪代表で本大会でもいいところまで行っていたから今年も注目されていたのだが、あろうことか予選落ち。俺のせいじゃないとわかっていても、自分が入社した年がこれだと、正直、良い気持ちはしない。その予選では一試合しか投げなかったのに、相手の打線が貧弱なあまりノーヒットノーランなんかやってしまったものから、下手に目立ってしまった。 「まあ、ただの助っ人なんやから、気楽に行こうや」 俺と同じく補強選手に選ばれた大先輩の小松さんは、新幹線の中でもそう言った。 「岸倉信之選手。関西の大学野球から今年竹下電器に入社しましたが、その長身から繰り出される角度のある速球は、ここ一番といった時に信頼の置ける……」 J社の激励会では壇上に立たされ、他社から借りてきた選手に対しての気遣いなのだろうが、とって付けたようなお世辞含みの紹介が長々と続いた。 さっさと終わってくれないかと会場を見渡した時、 (えっ?) 前から二列目の席で、俺を見つめる顔を見て、思わず声を上げそうになった。 (友哉……) 幻かと思った。 今までにも、よく見ているから。 マウンドで投げている時は、毎回のこと(それで野球が辞められなかった)だけれど、日常生活でも、駅で、交差点で、ふと覗き込んだ店の中で――友哉を見かけては、次の瞬間、それが自分の欲求の見せた錯覚だと知る。 だから今回もそうなのだろうと思いながらも、その顔から目が離せない。 黒々としたアーモンド形の大きな目。めだたないけれど形のいい鼻。男にしてはやや小さい口の、やわらかそうな唇は、なぜか今は誘うように半開きになっている。 頬とあごのラインだけが大人のそれになっていたけれど、他は、中学生の時の友哉と全く同じだった。 (友哉、なのか?) 壇上からひたすら見つめた。 隣に座っている男に何か囁かれ、どこか遠くを見ていたような瞳が焦点を結び、そして友哉は静かにゆっくりと、俺に笑いかけた。 八年の歳月を埋める、切ないほどまぶしい笑顔だった。 その時、自制心というものが働かなかったら、壇上から飛び降りていただろう。けれども、マウンドで鍛えた精神力のおかげで己をいましめることが出来た。少なくとも「選手退場」までは持ちこたえ、控え室に入って全ての連絡が済むと、顔見知りのJ社の選手をつかまえて訊ねた。 「社員名簿は、あるか」 「はい?」 「何でもいい、そうだ、電話番号簿でも。名前で部署がわかるようなものが」 「ああ、誰か探してるのか。名前がわかるんなら、エレベーターホールにある案内機で検索するといいよ」 「ありがとう」 それはすぐに見つかった。パネルをタッチして、あいうえおの文字を呼び出し「な」の字を探した。 中塚友哉――忘れられない名前がそこにあった。 そのまま押せば電話がつながると判っていて、しばらく躊躇した。 何を言えば良いのか。迷惑ではないか。 どんなバッターを前にしても感じたことのない恐れの感情に、右手が小刻みに震えた。けれども、 (友哉は笑ってくれた) そのことが、勇気をくれた。 深呼吸して、ダイヤルボタンをタッチした。 最初に出たのが違う男で拍子抜けしたのだけれど、 「お電話代わりました、中塚です」 八年ぶりに聞く声には胸が詰まった。 「俺……」 ようやく言うと、 「信之?」 変わらない声が、変わらないトーンで、俺の名を呼んだ。 「うん」 嬉しくて、何を言っていいかわからず、 「名前で、検索したんだ」 本当にどうでもいいようなことを言った。 「ああ、この番号?」 笑われたような気がした。 「今日、この後、会えないか」 「えっ?」 「明日から合宿だから、今日、会いたい」 必死だった。 ここで断られてはならないと、縋るような気持ちで言うと、 「わかった」 今度は本当に笑い混じりの声が返ってきて、俺は全身の力が抜けた。 居酒屋で待っているうちに、次第に落ち着いてきた。 もう慌てることはない。友哉に会えた。 もう二度と同じ失敗はしない。 『俺の女房は友哉だけだって決めてんだよ』 今思えば、子どもだった自分の、精一杯のプロポーズだった。 あの時は、うまく伝わらなかったけれど――もう一度。 男同士で、こんなことを告白したら、今度こそ退かれてしまうかも知れない。けれども、会えずに過ごした八年間を思えば、当たって砕けることくらい何でもない。砕けたところで、欠片を集め直すくらいの根性も今では身に付けている。 それに、俺は、よく意外だといわれるが、神というものを信じている。何しろ、八年前は、それでひどい目にあっているのだ。 その神様が、ここで友哉に会わせてくれたんだから―― (もちろん、ハッピーエンドを用意してくれているんだよな。頼むぞ、神様) 強気で行かないと、勝利はつかめない。 軽く肩を回した時、カウンターの角から懐かしく愛しい友哉の姿が現れた。 |
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